仔犬の墓暴き・1
セクター・ナイン定例の健康診断は私の人生において退屈な瞬間この上ない。いつもどうして私は他の構成員より検査が長いのか、と何度も担当者に口を吐いたものだ。
「だって伏魔さん、時折任務中に貧血を起こして倒れるでしょう。元から弱い身体なんだからちゃんと調べなきゃ駄目よ。栄養も多く取って」
文句を言う度に決まって私はその言葉に口を閉じることになる。食事は人並みに取っており、朝食を抜くなどは以ての外。不必要なダイエットなどもせず、どちらかといえば規範的な食事と運動を心掛けているつもりだ。
「これ以上食べたら太ります」
「そう言わないで、体質の問題なんだから。貧血のお薬と・・・そうね、鉄分の含まれる食材に意識を向けるといいわ」
明日から運動量も増やさないと。栄養学やスポーツ科学などに自慢できるほどの心得はないものの、素人が目隠しして算盤を弾くような感覚的でトレーニングの改良を画策する。
虚弱体質は小さいころからの特性であり、そのための健康に気を遣った生活習慣を意識している。甲斐あってか幼少期ほど倒れる回数は多くなく、診断曰く貧血は少しずつ症状が抑えられているように感じた・・・であるのに、毎度変わらない事実にうんざりするのは当然の心理だ。
了解しましたぁ、と医務室を後にして、そそくさと自室への目的をもって向かう。
◇◇◇
医務室や組織の業務関連を主とする施設を第一棟、住居スペースを第二棟として、それら二つの壁に突き刺さるように架かっている橋を境にしている。構造的にはおそらくビルのそれに近いのだろうが、それを確認する手段はない。というのも、私たちの基地施設は地下に建造されているためである。
窓から差し込んでいる光はホログラム、生活必需品は政府の援助によって支給される。仮に一生施設に引きこもっていたとしても幸福度指数が減少することはないだろう。
地上が核の焔にやられたわけではなく、地獄の大王が降臨したわけでもない。
大人数を収納でき得るシェルターのようなそれを、贅沢にも少人数で構成された我々が占有しているのだ。安全を保証されない職業だからこその福利厚生なのかもしれないけれど。
住居施設の扉を開くなり早速、ソファーに項垂れる同僚を一人見つける。いわゆる寮としての扱いながらも構造や雰囲気が災いして、重病を診断されたあとの患者のように見える。
「いい気味ね、いつも上から目線なのが祟ったのではないかしら、室井吉照」
特段の事情がなければ室井と話すことは私として好ましくないのだが、彼がここまでわかりやすく落ち込んでいることは滅多にない。
だから、声を掛けた。内容次第ではからかってやろうという意思は内心に隠して。
「ただの考え事や。別にお前に話すことやあらへん、邪魔すんな伏魔」
「相変わらずあなたは人の親切を踏みにじるのが好きよね」
「それはお前やからや。俺に絡んでくるときはロクなことあらへん」
よくおわかりで、と言葉にせず、浮かびかけた笑みを擦るように隠す。
私と室井は幼少期にこの施設で出会った、幼馴染というやつだ――そして同時に、互いに寄生体事件の被害孤児。この組織に拾われ育成された、ただ二人生粋のエージェントでもあった。
「何をしくじったのかしら、優秀なスレイヴさん?」
「お前には関係ないって言うてるやろ」
悔しさを隠すように牙を剥くたった四人のスレイヴ頂点に、流石に野次馬精神よりも純粋な興味が湧いてきた。
「もしかして、メイの確保に向かってたのではないかしら」
だとしたらなんだ、と更に首が落ちそうな勢いで俯かせる。
「局長も突然や、なんで今更奴を引き戻そうとするのか。沖村さんも情報を渋るし、やっと見つけたと思うたら逃げられてしもた」
たしかに、その様子ではメイの尻尾を掴むことはなかなかできそうにない。寄生体であれば室井の実力をもってすれば多少の情報不足があれ、なんとかこなしてみせるだろう。
ことは、その例外にあたる。
「それ、私がいっちゃ駄目ですかねぇ。先輩」
背後からかけられた悪戯っぽい声に振り返る。
「あなたにはまだ早すぎるわよ、澄」
「蚊帳の外みたいで、同じスレイヴとして傷つきますよ、私。資料くらいは見せてくれたってよくないですか?」
私のことを先輩と呼ぶ、年齢も所属歴も下の少女、霧島澄は拗ねたような視線を私たちに突き刺す。
「別にそういうつもりではないけれど、一気に教えられるような内容でもないし」
「あほか。どんな組織にも社内秘っちゅうもんがあるわ。霧島はそれに足る実績を見せてから言え」
「なんか私、室井先輩のこと嫌いです」
その言葉に抗議の声を上げそうになる室井を一瞥して、顔を背ける。一度引っ込んだにやけ顔が浮かび上がる。
「でも、私たちの仕事は他にもあるわよ、澄。焦らずにいきましょ、そのうち局長の信頼次第で、もっといろいろ教えてもらえるわよ」
すっと表情を変え、澄の肩に手を置いて宥める。澄の曇った表情はみるみるうちにぱぁっと明るくなり、「先輩、大好きです!」と手をぎゅっと握り返され、その後首輪のない犬のようにどこかへと走り去っていってしまった。
「目出度いなぁ、霧島。こいつはただ、この案件を横取りされたくないだけやのにな」
「人聞きの悪いこと言うわね、澄にこの件はまだ早い。他意はないわ」
「とか言って、お前も手ぇだすつもりやろ伏魔」
あぁ聞こえない、聞こえない。
沖村の頑ななその態度を承知していたため、私は最初からメイについてよく知るもう一人に視点を当てていた。
組織が封じ込めた、この施設の創始者の顔を思い出しながら、室井に背を向けて歩き出した。