プロローグ・3
『我々が道を誤った瞬間を指摘するとしたら、君はそれがいつだと考える?笹岡局長』
音声通話が切断された画面を見つめながら私は、背後で静かに聞いていた女性に問いかける。
非生物的な音声は遠隔通話において操作しているわけではなく、これが沖村和人のありのままの声である。
「心当たりが絞り切れないというのは回答になるかい?」
問いかけに返答した笹岡香苗は、セクター・ナインの局長で我々の実質的な指揮者。つまるところ、私もセクター・ナインの構成員であるというわけであり、私とメイの繋がりは局長と一部の構成員が知る事実であった。
『約二十年前の作戦か、否。我々は最善を尽くした。当時の戦力をもって斎藤帳の首級を取ったことはむしろ誇るべきであり、あの犠牲の下にいまがある』
二十年前、政府は一人の男の暗殺のために、十人のならず者たちを招集した。列挙すれば悪名にキリはなく、殺し屋や重大事件の犯罪者に裏稼業とも精通する研究者など、到底表沙汰にすることができない連中であった。
そのような禁じ手を用いることによって政府は非公開的な戦力と責任の回避を同時に獲得することとなり、喜ばしいこと限りない・・・はずだった。
現在においても他に類を見ない犯罪者――いや、斎藤帳という〝怪物〟を十人掛かりで殺害したあの事件は神話のように政府の一部で語られる規模の抗争となった。死者は尊厳のある死として、生還者は英雄のように祀り上げられた。
「生還したなかで最も死に近かった沖村君からそれが語られるとは」
『昔のことだ。慣れれば案外便利な身体だよ、局長』
言いながら、両手を掲げる。いや、〝操縦する〟というべきか。
例の戦いにおいてこの肉体は大部分が欠損し、人工物に置き換えられた。有り体に言えばサイボーグというものだ。生命は電子によって繋がれ、この部屋そのものが維持装置として働いている。
「思い出話に興じている暇ではないはずだ。勿体ぶるな」
『なら言わせてもらおうか。メイに拘るのはこれまでにしていただきたい。彼女は私が保護している、それで十分だろう』
「沖村君こそ、なぜ彼女にそこまで入れ込んでいる。メイは我々の下に管理するべきだ、そうすれば君の負担も減るではないか」
『我々のその姿勢こそが他の生存者と道を違えた所以であることを忘れたか』
「何が言いたい」
一呼吸を置いて、年甲斐もなく沸き立った口を冷ます。沈黙の間に言葉を整理し直して局長に説く。
『セクター・ナインの叡智を知る私と君ならわかるはず。災禍の根を再び育てることになるぞ』
「設立当初の話か。〝寄生体〟の対策には必要なことだった。それに切間佳織は処分した、不満か?」
『秘匿の間違いだろう。彼女は放っておくと斎藤帳と同じ道を歩む。君があの頭脳を生涯封印し続ける保障もない』
信用がないな・・・との小さな呟きに応えず、頑として変わらない自身のスタンスを見せつける。
『すでに我々は危険な橋を渡っている。公安の応援を要請できないくらいにはな』
皮肉をもって局長の瞳を覗き込む。すると局長はモニターの前に立ち、慣れた手つきで操作を始めた。
画面は変わり、そこに映し出されるのは街の風景。監視カメラの視点だ。
「なら君には何体の寄生体が見えている?その仮面なら視えるだろう」
笹岡には街を歩いているそれが、人間に見えているのだろう。人間同士で寄生体を区別する術は現状発見されておらず、それには切間佳織の遺した技術の賜物が不可欠になる。
仮面のレンズが、人間のなかに紛れた異常な熱反応を察知する。
その結論を待つように、彼女は映像ではなく私を見る。
『言ったところで、この数を我々が処理することは不可能だ』
口を重くして、彼女が期待したであろう言葉をなぞらえた。
「私たちは寄生体の拡大を許した。だがそれは戦力の問題ではない。切間を処分し、組織の成長を止めたことが私たちの失敗だ」
レンズに明々と存在を示す人影の群れを覆うように笹岡が私の前に立つ。
「それでもまだ、メイを譲らないつもりかい」
笹岡香苗からの、かつての戦友からの挑戦だと受け取る。
どちらともつかない私の在り方に決着をつけろ、ということか。
そして同時に、すでに猶予がないこと、そのときがいまであることを心得る。
永い二十年が動き出す。いつぶりか疼いた傷跡が、再び私を覚醒させた。