プロローグ・1
空に散る鮮血、地に屍の花。
ぐつぐつと煮えたぎる脳を見下ろすそれに、どうしてなのかと問いたがるように膨れ上がった細胞の壁が口を開く。
「こうなった理由、まだわかんないかぁ・・・ま、無理もないよね」
彼女はしゃがみ込んで、まるで対話をするように視線を合わせる。
動画として保存すれば有無を言わさず有害認定であろうそれは、彼女にとって見慣れた景色であり、生きる意味を感じる瞬間であった。
遺体のデニムパンツのポケットに血で染まった手を潜り込ませ、いくつか使用されたPTPシートと純白の指輪ケースを発見する。
彼女はその指輪ケースに一瞬目を輝かせるが、暫くして興味が失せたのか暗闇の中に投げ捨てた。
「殴られる人が悪いかどうかはちゃんと話をしないとわからないよね。そういう意味では、君をこんな目に合わせたのは私の一方的な暴行だ」
言いながら、トンネルの奥から迫ってくる列車の音に立ち上がる。備えるように、身体の節々を労わるように、体操のお兄さんよろしく準備運動に励む。
「もう少ししぶとかったら恨み言の一つくらい聞いてあげたけど、それは来世にでもとっておいてよ。ちなみに私は、輪廻転生とかは信じないタチだから」
いまだに破裂を続ける頭脳を返事と受け取ったのか、ひらりと手を振って彼女は背を向ける・・・が、彼女は語り足りない口を無遠慮に開かせて肩越しに振り返った。
「こういう世界に踏み込むんだったら、ちゃんとお勉強してからにしなよ。基本的な学習、悪い奴らに食い物にされないための第一歩だよ」
まぁ今更だよねぇ、と視線を前方に戻し、その間に目の前に迫っていた列車を見つめる。
深呼吸とともに、意識を整える。集中した瞳には、残像を纏って走行するそれがコマ送りのように映る。
トントンと、小さい跳躍を繰り返してその瞬間を待ち――突撃するように跳んだ。
刹那の浮遊感の後に、列車に生じた段差を掴んだ左腕に莫大な負荷が掛かる。
「やっべ、うわぁぁぁっとぉ!」
力を計り余った手が滑るように離れる。慌てた様子で彼女は空を泳ぐように手を暴れさせ、小さく華奢な身体に似合わず、左手の指が食い込むように装甲に突き刺さった。
苦虫を嚙み潰したような表情で彼女は全身を左手に引き寄せ、再び筋力を修正――その身に降りかかった抵抗力全てを押し返す勢いで列車の屋根へと飛び移った。
身体を屋根のボディに密着させて腕一本に集約させたエネルギーを即座に解く。
暫く片手だけの生活が続きそうだと彼女が呟いたのは、剥がれた爪と異常な痙攣が診られる所以だ。
「腕、折れてないといいなぁ」
傍目にその腕を労わり、後方に引かれる風に長い金髪を揺らす。
その殺人鬼を司法が裁こうものなら笑い話にしかならないだろう。
物証なき殺害は、フィクションからでしか生まれないからだ。
◇◇◇
・・・とまぁ、こんな感じなのかな。
フィクションから引っ越してきたような怪物を唯一立証することが出来る組織、『セクター・ナイン』の構成員である私、伏魔なぎさは目の前に広がる惨状から勝手にシナリオを作り上げた。
政府からの援助を受けつつ、特性上社会から非公開の団体である我々は他の公安組織との提携も許されずに速やかにこういった事件を処理しなければならない。
「もっと綺麗にできないものかしら、あいつは」
掃除をする身にもなってほしい・・・喰い荒らされたような遺体を物色。ある錠剤の痕跡を確認し、回収次第、遺体と掃除道具を分けてビニルのマットで包んだ。
どんなに凄惨な最期だろうと、彼にどのような憾みが残っていようと、こうなっては正しい供養もあるべき葬儀も許されない。
彼女に関わってしまったから、ではない。
どれもこれも、〝人間を辞めてしまった彼ら〟の自業自得なのだ。
包装したそれらを纏めて担ぎ、トンネルを抜ける。
差し込んだ陽光に目を細め、肩にかかる銀髪が透けて輝く。
彼が愁うに足る人物か知る術はもたないが、私は内心で手を合わせた。