初恋アンインストール
キーボードを叩く音は、誰かと繋がっている証だった。
暗い部屋。ヘッドホンを外した僕の目の前のモニターには、大好きなゲームをアンインストール完了したことを示すメッセージが表示されている。
「あっけねぇ」
夏の蒸し暑さ。
頬をしたたる汗。
けして涙なんかじゃない。
でも、この虚無感はなんだろう?
「たかがゲームなのに」
毎日22時が僕たちの集まる時間だった。MMORPGというジャンルのゲーム。それは他のゲームとは違って、誰かとのつながりが濃くて、だからこそ、僕の居場所のように感じられた。
モニターの前の椅子から、ベッドにダイブする。
柔らかく包んでくれる布団はとても冷たい。
「嫌いです……、か」
たったそれだけの文字。
データ量にして1ビット。
だけど、僕の心にはナイフが立てられたような痛みがあった。。
恋なんて物語の世界のことだと思っていた。ドキドキするような感覚って、高いところに上ったときのスリルと何が違うのかわからなかった。でも、いまは違う。だって、ここは高くもスリルもない僕の部屋だ。
それなのにどんな場所よりもドキドキしている。
「どんなヒトだったんだろう」
天井を見上げる。
アンインストールしたゲームの販促ポスターが張られている。そこにはメインストーリーを案内してくれるNPC達が描かれていて、その中のひとりが、僕の好きだったひとと凄く似ている。
ひとって……、見ていたのはアバターだったのに、僕はなにを考えているんだろう。
そこに本当にヒトがいたのかなんて分からない。
女性のアバターをしてたけど、リアルでは男性かもしれない。年上なのか年下なのか、声も、肌も、服装も、名前さえも知らない。何も知らない。
僕たちが出会っていたのはゲームの世界だ。
それは虚構の世界。
なのに、それなのに、どうして……
「好きになったんだろう」
カタカタと彼女と交わしたキーボードの音。
それを忘れるなと、僕の心臓は鼓動する。
初恋を知った音が鳴り続ける。
ゲームと違って簡単にはアンインストールできないみたいに。
× × ×
カーテンの隙間から光りが漏れてきた。
「そっか、もう朝か」
今日は仕事っていうのに、昨日の夜はずっとネトゲをしていた。
就職して、東京に出てきて、満員電車にゆられ、好きでもない仕事をする日々。私がゲームを始めたのは、新宿の駅に掲示されたポスターをみたのがきっかけだった。『きみと繋がる世界』、今考えるとありきたりなキャッチコピー。でも、それが響いたのか電車にのってすぐ、私はスマホでそのゲームを検索していた。
半年前の懐かしい思い出。
今考えると寂しかったんだと思う。
付き合っていた彼氏とは遠距離になり、浮気されたあげく振られて、同僚に誘われた合コンで出会った男は、初デートがマルチ商法のセミナーだった。そんな状態で同僚の結婚式に出席して、幸せになれと拍手するたびに、私の心はからっぽになっていった。
だから、誰かと繋がりたかったんだと思う。
「喉渇いたな」
カーテンを開けると、空が明るくなっている。
ゲームして徹夜とか生まれて初めて。こういうときって、気分がすがすがしくなるものかって思っていたけど、私の場合は違ったみたい。その原因はわかっている。
横目でモニターを見る。
ゲーム画面には『該当のプレイヤーは存在しません』と表示されていた。
「コーヒー、飲もう」
電気ケトルに水をくみ、スイッチを入れる。
真っ白のカップにインスタントの粉を入れる。白いカップに、茶黒い粉。……普段見ているどうでもいい光景が、なんか妙に気になる良くない状況。
お湯が沸くとすぐにカップに注ぐ。
真っ黒い液体が満たされた。
私の心みたい。……なんて、私の心はもっと黒い。
モニターの前に戻ってきて、何時間も見続けたそのメッセージをもう一度確認する。
「やっぱ、もう会えないのかな」
自業自得。
そんな言葉が私にはお似合いだ。
男なんてろくでもないと思っていた。思っている。でも、男を求めていた。だから、ゲーム出会った彼に、その気があるような言葉をささやき続けて、そして告られて怖くなった。
だからって「嫌いです」と即レスした自分はどうかしていた。
別に嫌いじゃなかった。
むしろ好きだったと思う。
どんなひとか分からないけど、今まで出会った誰よりも彼の言葉は綺麗だった。からっぽになった心を満たすように言葉をくれた。私のことを理解してくれようとしてくれた。
姿も、形も、知らない彼は、私を知ろうとしてくれた。
「最低ね、わたしって」
コーヒーは苦くて熱い。
もし、そんなくだらないことをキーボードで打ったら、彼ならなんて答えてくれるかな。
そういう風に考えるように、彼に期待してたんだと思う。
もし、私が嫌いって言ったら、キミはなんて答えるのかなって。
いじのわるい女。
最低最悪。
「でも、それが私」
この気持ちを消そう。
こういうことをアンインストールって言うのだっけ?
元彼や、セミナー男のように、どうでもいい存在として忘れればいい。私にはこのモニターに映る世界がある。そこでまた誰か素敵なひとと出会えるに決まってる。
そうに決まってる。
カップを置き、コントローラーを操作する。
会話ログを振り返るとそこにはちゃんと残っていた。
『僕はあなたのことが大好きです』
ブラックコーヒーを飲む私に、その言葉は甘すぎた。
初恋みたいに甘かった。