18:決起
修学旅行2日目。今日はグループ活動の日となっており、美術館の見学班、水族館に行く班、水族館付近の飲食店街で自由行動となっている班の3つの班に分かれる。川中、吉川、秋月は水族館に行く班に入っており、現在水族館前でチケットを配られているところである。受け取ったチケットをぼーっと眺めていると、吉川に肩を叩かれる。
「ここ、全国的にも結構有名な場所らしいぜ。深海魚も展示されてるんだとか」
「え、深海魚って水圧とか色々工夫しないと死んじゃうんじゃないのか」
「それは技術の進歩ってやつだな。後これ、エイとかサメに触れるんだってよ」
既にくしゃくしゃになりつつあるパンフレットを指差してはしゃぐ吉川に呆れる川中。そろそろ落ち着かせようと声をかけようとしたが、川中よりも先に秋月が話に割り込んでくる。
「え! もしかしてマグロとか居るのかな? あとサーモンとか」
「食べ物ばっかじゃねぇか。マグロはともかく、鮭なんか見ても楽しくないだろ」
「あれ、魚って全部食べれるんじゃないの?」
「物によるな。あとサーモンと鮭は味も見た目も似てるけど別物なんだ。流通してるサーモンのほとんどはトラウトサーモンって魚で、鮭とは別の魚なんだ」
「へぇー、やっぱり吉川君物知りだよね」
吉川の解説に感心する秋月を見て川中はなるほどな、と考える。水族館の楽しみ方は人それぞれだが、大まかにグループ分けをする事ができる。まずは綺麗な魚や大きい魚を見て、きれい!おおきい!面白い!と純粋に水族館を楽しむ純粋タイプ。2つ目は事あるごとに展示されている魚の解説を延々と繰り返す学者タイプ。3つ目はずっとクラゲやチンアナゴやカニなどを眺め続ける不思議ちゃんタイプ。最後に展示されている魚を見るたびに「食えんのか?」「美味しそう」と呟くサイコパスタイプの合計4タイプが存在する。彼らの様子を見るに、吉川は学者タイプ、秋月はサイコパスタイプと言ったところか。最も秋月に限っては定食屋での食べっぷりを見る感じだと天然の食いしん坊タイプなのかもしれないが。
そんな考察をしているうちにチケットが全員に行き渡り、全員で水族館に入場する。エントランスに入るなり先生から軽く説明を受け、そこからは自由行動となる。
平日だからなのか、川中が想像していたよりも人は少なかった。しばらくははしゃいでいる秋月と一緒に適当に館内を歩いていた川中だが、とある水槽の前で足を止める。パネルに目をやるとサンゴ礁エリアと記載されており、文字通りサンゴ礁の様子が再現されている水槽のようだ。
「川中君、サンゴ礁に興味あるんだ」
話しかけてくる秋月。よほど他の水槽に興味なさそうな顔でもしていたのか、と自分の顔が写りそうな水槽を探すが、その前に秋月の問いに答える。
「別に興味があるってわけじゃない。ちょっと前にあんな魚が出てくる映画がテレビでやっててな」
答えた通り、川中は別に熱帯魚に興味はない。しかし数週間前にカクレクマノミの主観でストーリーが進む映画をテレビで見たせいで印象に残っているのだ。他に見るものもなく、秋月がその場から離れた後もせっかくだからとじっと川中が水槽を眺めていると不意に背後に気配を感じてゆっくりと振り向く。そこにはいつも通り白衣に身を包んだ相良が立っている。
「なんだ、川中はクマノミが好きなのか」
「…なんでこんな場所でも白衣なんですか」
「これを着てないと落ち着かないんだ。それに目立つからな。生徒が困ったときに誰が教員か分からなかったら困るだろう? で、クマノミが好きなのか?」
「まぁ、嫌いじゃないですけど。でも好きでもない」
「クマノミはイソギンチャクと共生関係にある。イソギンチャクは触手に隠された毒針でクマノミを天敵から守り、クマノミはイソギンチャクを食い荒らす生き物を周囲から追い払う」
「そう言えば相良先生って生物の教師でしたね」
急に解説を始める相良に驚いて相良の方を向く。彼女は先程の川中と同じようにじっと水槽の中を見つめている。恐らく川中と相良の考えている事は同じだ。きっと川中と秋月の関係もいわゆる共生みたいなものだとでも言いたいのだろう。しかし、と川中は考える。確かに川中は現在進行形で秋月と付き合っているし、秋月は川中に嫌われたくないという目的を彼女目線では達成できているのだろう。だが川中と秋月の関係は共生なんて和かなものではない。ただのエゴの押し付け合いだ。秋月は彼女の都合で川中を振り回したし、川中は断れば良かったものを、もっともらしい意見を自分に言い聞かせてはいたが結局は下心で彼女を受け入れた。
川中は相良の考えがわかっていることを隠して相良と一緒にイソギンチャクから顔を出したり引っ込めたりするクマノミを眺めていた。しばらくすると、相良は「まぁあれだ。せっかくの修学旅行なのだから楽しみたまえ」と言い残して去っていってしまった。それと入れ替わりで秋月が川中の元へと帰ってきて、また2人で水族館を見て回る。
「わー、川中君見てよこれ。カニだってカニ!」
「カニ1匹でそんなはしゃぐ事ないだろ」
無邪気な秋月。他愛もない会話。虚像でできた一見幸せな空間がずっと川中に話しかけてくる。「もう素直に楽しんじゃいなよ。秋月はお前が何をやっても笑顔で喜ぶんだぜ?」と。そんな事できるはずない。なぜなら秋月は本当は呉本が好きなのだから。好きな呉本に手を伸ばせば届くのに、わざわざ川中のために立ち止まってくれているのだから。
最初は簡単に誘惑を拒否できた。しかし時間をかけるにつれて秋月との時間を素直に楽しいと感じるようになってしまってきている自分がいる。必死に押し殺そうとしてもなお楽しいものは楽しい。きっとこの感情は秋月を手放したくないという気持ちに変わる。そうなってから別れを切り出す時期を迎えればどうなってしまうのだろうか。
きっと川中は巧みに秋月を言いくるめるだろう。秋月のエゴを利用して川中のエゴを押し付ける。そうなれば秋月に逃げ場は無いのだから。
「…こんなの間違ってる」
巨大な水槽の前に2人が辿り着くのと同時に川中は小声で呟く。人は少ないとは言え、はっきりとは秋月に聞こえなかったらしく、秋月は首を少し傾げる。
「ん、川中君どうしたの?」
そんな秋月を見て決心が鈍りかける。それでも川中は意を決して水槽を背に向ける形で秋月に向き直り、左手を握りしめて水槽に打ち付ける。無情にも分厚い強化ガラスでできた水槽のガラスはゴン、音を立てるわけでもなく川中の拳に鈍い痛みを反射する。しかし川中はお構いなしにと話し始める。
「やっぱりこんなのは間違ってる。こんな事続けてたらお互いに絶望する未来しか待ってない」
先程とは打って変わったような川中の態度だが、秋月に驚いている様子はない。彼女もいつかこうなる事は予想できていたのだろう。だが、まだ秋月に現状を完璧に解決する解答はできていない。秋月は思わず川中に聞き返す。
「…じゃあどうするつもりなの?」
秋月の問いかけに一瞬川中は言葉を詰まらせる。だが次の瞬間、「待ってろ」も一声だけ話し、秋月の肩をポン、と叩いてその場を去る。
早歩きで秋月から離れていく川中。その足は次第に小走りに、そして駆け足になる。さまざまな水槽を横切るが、それらを見ている時間はない。携帯電話を取り出して時間を見ると、自由時間は残り40分と少し。別の機会にした方がいいんじゃ無いか?と話しかけてくる脳内の自分を完全に無視して川中は出口へ向かって進み続ける。が、出口にたどり着く直前、吉川と出会ってしまう。
「うわ、お前こんな所で何やってんだよ…」
「うわ、って失礼だな。別に何もやってねーよ。あ、トラウトサーモンは居なかったぞ」
「そんな事はどうでもいい。ちょっと急いでるんだ」
最小限に会話を済ませて早足で立ち去ろうとする川中のリュックを吉川は素早く掴む。
「…さてはただ事じゃ無いな?」
「おい離せよ。本当に急いでるんだ」
だからこのイベント大好き人間とは出会いたく無かったんだ、と後悔する川中の目を吉川はじっと見つめ、なるほどな、と微笑を浮かべる。そして吉川はリュックから手を離して一言告げる。
「呉本達也は食べ歩き班だから急いだ方が良いぜ」
「お前何が目的だ? その話が本当なら今からお前の望むストーリーから外れる事になるんだぞ」
「俺の望む結果、描いてた線路から外れてくれる方が楽しいんだよ。それに俺がどう考えてどう動こうとも、お前にはかんけいないんだろ?」
「…感謝する」
川中は短く礼を告げて再び駆け出す。水族館の出口から飛び出し、記憶を頼りに飲食店街にたどり着く。しかしそこは一般人や修学旅行生などで混雑を極めている。この中から呉本1人を見つけ出すのは至難の技だ。しかしこんな場所で立ち止まるわけにはいかない。
「呉本ォォォ!」
川中は叫んだ。イベントや騒ぎなどには一切の興味を示さず、それに巻き込まれる事を何よりも嫌っている川中が。自分で騒動を引き起こすなんてもってのほかだと思っていた川中が。一般人や生徒達の中の数人が川中の方を向く。それでも川中は叫びながら走り始める。
「呉本! おい呉本どこ行きやがった! 呉本達也!」
あたかもか呉本とはぐれてしまったような探し方をする事で一般客の目はとりあえず誤魔化せる。決心したはずなのにそんな甘い誤魔化しをしている自分に腹を立てながらも川中はおよそ5分間叫びながら飲食店街を駆け回る。しかしすぐに体力の限界が訪れて足が止まってしまう。やはりこの人混みの中から1人の人間を見つけ出すのは無謀だったか。そう思って別の策を考えようとしたその時、聞き覚えのある声で背後から話しかけられる。
「よう川中。なんか俺のこと探してる紺色の髪のやつがいるって噂になってたから見に来てみたらやっぱお前か」
呉本は見つかった。
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