女装彼女(偽)
「頼む、ソウ」
友人の青山信二が頭を下げている。下げているどころか土下座だ。
その横では、ぼくの姉の沙苗が、メイク道具一式を手にニヤニヤしていた。
「やだよ。意味わかんない」
ぼく、遠野奏麻は混乱の極み。
なぜなら信二が唐突に、こんなことを言ってきたからだ。
「何回でも言う! 頼む、おれの彼女になってくれ! 女装して」
「何回でも言うけど、ほんと意味わかんないから」
混乱するぼくに、沙苗――サナが若干イラついた声で言う。
「なんでも良いから早くメイクさせな。あたしも暇じゃないのよ」
「嘘つけ! 毎日毎日大学も行かずに家でゴロゴロしてるくせに。暇を持て余して信二になにを吹き込んだ」
胡散臭さ十割笑顔のサナの横で、信二は真剣な顔で言った。
「おれを助けると思って頼む! このままだとおれは合コンとかいう呪いの集いに連行されるんだ!」
「……さり気ないリア充アピにイラっとしたけど、一応話は聞いたげるよ」
「おお! さすがソウ。唯一無二の親友だ!」
「はいはい」
昨日学校帰りにぼくの家に来なかったクセに勝手な要求をしてきてさ。本当に腹が立つ。
でも、これは貸しを作る大きなチャンスなのではないだろうか。
そう考えれば悪い話ではないのも? 昨日家に寄らなかったのは、ちょっとムカつくけども。
「どした、ソウ。なんとも言えない微妙な表情になってるぞ」
「ふん……別に」
あの信二が合コン、かぁ……。
以前と違って、すっかりイケメンに変身した友人を溜息混じりで眺めてしまう。
中学時代のぼくと信二は地味で目立たないクラスカーストの底辺組。
ぼくは落ち着いた雰囲気が好きだから騒がしい連中の輪に入るなんて想像するだけで胃が痛くなる。なので底辺大歓迎。
どのみち陰キャにはキラキラの輝いた生活なんて夢物語だけど。
ぼく達が仲良くなった切っ掛けはお互いハマっているカードゲームが同じだったから。
二人は学校でも一緒だったし放課後も良く遊んでいた。それは趣味が一緒だからだけでなく、気が合ったからだと思う。信二といると居心地が良かったし、さ。
信二が変わりだしたのは中二の夏休み頃かな。
成長期に突入した信二は一か月ちょっとの間に「嘘……信二の身長伸びすぎ」というほどに背が高くなった。
今も絶賛成長中の信二は、いまやその背は百八十センチを超えたそうで。こっちは中学三年間で四センチしか伸びなかったのに。
身長が伸びて自信がついてきたのか、信二は自分を少しずつ変えていった。ぼく以外のクラスメイトにも極力明るく振舞い、身だしなみにも気を遣うようになった。
だらしなかった髪はこざっぱりと纏め、ボーンッ! だった眉の形も整えた。当然着る服もあか抜けた物を選び、おまけに、あのお爺ちゃんのようだった猫背も矯正した。
そしてこれが重要なのだけど、信二は元々顔の造りがとても良い。
陰気な雰囲気と、うつ向きがちな姿勢。そして野暮ったい髪形で気付くやつはぼく以外いなかった。もちろん、ぼくは最初からわかってたけどね。うん。
なので、容姿に気をつかうようになった信二は、細かいことろに目を瞑ればイケメンリア充に大変身。女子がキャーキャー騒いでいたのは嫌でも覚えている。
ぼくは「黙れ、バカ女」と言いたいのを堪えつつ、親し気に信二に絡んでくる女子と、愛想笑いで接する信二をムカつきながら横目で見ていたりした。もちろんムカついたのは、うるさいからという理由以外は全くないけど。
そんなわけで高校生となった今では以前とはすっかり別人。もはや変身といって良いレベルの信二は、ぼくとは立ち位置がまるっきり変わってしまったように思えるけど、お互い別々の高校に進学した今でも、よく遊んでいるのには変わりはなかった。
実際こうして毎日のように、ぼくの家に放課後も遊びに来るし。でも昨日は来なかったけど。重要なことじゃないけど、一応もう一回言ってみた。
とはいえ、今では彼女がいないほうが不思議な信二が、なぜ珍妙な願いをするのか疑問がつきない。
べつに信二に彼女がいなくて安心しているなんて事は一切ないけど。
「実はクラスの男連中が合コンをしようとか言い出してさ。それに無理やり参加させられそうなんだ」
「ふうん。自慢?」
「違うっての。なんだっておれが知りもしない多数の女とお喋りなんかしなきゃならないんだ。知ってる女とだって、出来ればかかわりたくないのに」
「ああ、そういう……」
信二はチラっとサナを見る。
おそらく、そのかかわりたくない原因を作ってしまったであろうぼくの姉は、ニヤニヤと小馬鹿にしたように信二を見た。
「そりゃお前は女の子とかかわったって、絶対に付き合わないもんね? 要するに不戦敗の戦に赴くほど自分は頭悪くないもん! ってアピールしたいんでしょ?」
「沙苗は茶々入れてくんな。で、おれは誘ってきた連中に言っちまった。おれには彼女がいるから、そういう席には行けないって」
なるほど。なんとなく話が見えてきた。
「要するに、ぼくに女の子の恰好になって信二の彼女のふりをしろってこと?」
「おぉ! さすがソウ。察しが良いな。そうそう、女の子になったお前を撮りたいんだ。あいつら証拠に彼女の写真見せろってうるさくてさ」
「なるほど。全然わかんない。そんな理由ならサナに頼めばいいじゃない? ぼくは知らないし」
ふり……ね。特に理由はないけどイラっとしてしまう。
だから突き放すように拒否したら、信二はことさら大声を張り上げた。
「いやお前ふざけんな! こんな横暴で極悪で、それこそ見た目だけしか取り柄がない、人間の皮を被った暗黒物質が彼女!? おれの人格と精神が破壊されて二度と復活できなくなるだろ」
「調子に乗りすぎだよ、お前。ぶっ飛ばされてーのか?」
言うと同時にサナにフルスイングで殴られた信二は、吹き飛ばされてぼくのベッドに激突した。顔やら背中を押さえて「ぐふぅ!」と呻いて、のたうち回っている。
いつ見ても恐ろしい。十九歳の女の子が放つパンチの破壊力ではない。
この一幕でわかる通り、サナは恐ろしい女だ。
ぼく達二人はこの姉の事を『暴君サナ』。または『破壊の女帝』などと呼んで恐れている。サナに何千回のトラウマを植え付けられたかは、思い出しただけで気絶しそうだ。
「そんな頼みをしてきても、あたしが受けないのはわかるでしょ。見世物じゃないのよ、あたしは」
「お、おれだって、お前には絶対に頼まねーっての。イテテ」
グッタリと起き上がった信二と、冷ややかに彼を一瞥するサナに、ため息交じりでぼくは問う。
「で、ぼくなわけ? まぁ、理由はわかったけど、なんでサナは信二に協力すんの?」
「笑えるから」
「待て」
「半分はホント。けど、こっちが重要よ。あんた常々言ってるよね。自分のほうが、あたしの持ってる服は似合うって」
「ああ、うん。サナの服は可愛いのばっかだよね。全然似合ってないけど」
「待て」
サナは見た目だけなら可憐な少女だ。
薄い色素の髪と大きな瞳の美少女。醸し出す雰囲気は、まさに穢れを知らない深窓の令嬢。にしか見えない。
もっともその実態は、内側に即死級の猛毒を備えた凶暴な生命体でしかない。
でも、その見てくれに騙された男は過去、そして現在でも星の数ほどいるという。それはおそらく未来へと続く負の連鎖。なんて可愛そうな純朴な男達だろう。
そして、ぼくはサナによく似ている。瓜二つと言っても過言ではないくらいに。あげく身長は、ぼくのほうがサナより五センチほど小さい。泣きたい。
そういった理由で自分の方がサナが買う服は似合うのでは? とは思っているし口にも出していた。もっとも着たこともないし、着るつもりもなかったけど。
「サナは性格と好みの服が不釣り合いだよ。ぼくのほうが絶対似合う」
「性格と服は関係ない。お仕置きが欲しいの? けど、まぁいいわよ。今日はそのビッグマウスの根拠を見せてもらおうじゃないの」
「それが……女装?」
「そ。あたしが化粧したげる。似合うって事、証明しな。で、この服着て写真撮んなよ」
「サナ、絶対バカにするだろ」
「バカにはしないよ。笑うだけ。あはは」
サナのいつもの物言いに呆れつつ信二を見れば、涙目になってぼくを見ている。
それがふっ飛ばされた痛みのせいなのか、嘘がバレて合コンに出る未来を嘆いてのことなのかは、わかりようもなかった。
……けど。
「……わかった。いいよ」
「マジか! ソウ」
「うん。信二がそうなったのは、まぁ九割サナのせいだと思う。でも、ぼくと知り合わなければサナに会うこともなかった。そしたら信二の女性観は破綻しなかっただろうし、ね」
「ソウに会わない今なんて考えたくないな。それにソウのせいじゃない。女なんてガワが違うだけで中身はみんな沙苗だ。おれにはそれがよくわかる」
「あんたらは本当に失礼だね。もっかい殴られてーのか?」
「お断りだ! ソウ。ホント助かる。まじでありがとう」
「いいけど。その代わり一個貸しだから」
「わかってる! なんでも言ってくれ」
なんでも、ね。
……本当になんでもきいてくれるのかな。この男は。
「ほら、ソウおいで。お化粧しよっか」
「あ、うん」
「まぁ、昔からあんたの顔のお手入れはあたしがしてるから下準備は済んでるようなもんだしね。うん、あんたはもっと可愛くなれるよ」
「可愛く……じゃ、じゃあ、うん。お願い」
「ふふ。まぁ慌てんなって。きっと、うまくいくよ」
「なにが?」
「さーてね」
こうしてなぜか。ぼくの女装ショーが始まってしまった。
サナは筆っぽい物や綿棒のような道具をチェックし始めた。
「ファンデは塗らないからね。目と唇で綺麗になろっか」
「とか言いながら悪役女子プロレスラーみたいな顔にしないでよ」
「あんたね、あたしがそんな顔になったの見たことないでしょ? それより目を動かさないの。フェイスパウダー塗れないじゃん」
よくわからないけど、目を綺麗にするための小細工なのだろう。瞼をメイク道具で触られてくすぐったい。
「アイライナー引くから動かないで。動くと死ぬからね」
「死ぬの!?」
ピューラーとかいうのでまつ毛をいじられマスカラを塗られた。これら一連の行為に目を潰されそうな気がしてイヤな汗が出る。
「うん。良い感じ。まだリップが残ってるけどね。ほら、どうよ」
「へぇ」
サナが差し出した手鏡で自分の顔を見る。まつ毛が普段の五割増しでフサァッとなっていて、目の周りの綺麗さの割り増し感があるような。
化粧とはよく言ったものだ。さっきまでの自分が違うなにかに変わっていくようで。
……なんだかその変化の心地よさが、結構良いかもしれない。
「おい信二。お前が頼んだんだろ。さっきから黙ってるけどソウになんか言ってやんなよ」
「あ、ああ……」
目が合うと慌てるように目をそらす信二は、そういえばずっと無言だった。
なにもすることがないからスマホでも見ていたのかな。
「どう? 信二」
「そ、そうだな……その……良いよ」
「ほんと?」
「正直ビビった。まぁ、ソウは元々可愛いしな。当然か」
「……それ褒めてんの?」
「あ、当たり前だろ」
……ふうん、そうなんだ。褒めてるんだ。
その後、唇もなにやら塗られて、ついでにウィッグまでつけられてしまう。
「うん。良いわね」
「おぉ……」
信二とサナの感想が吐息の様に漏れた。
ゆるふわロングの可愛い子が、ぼくの持つ手鏡に映っている。
「これが、ぼく、かぁ」
「どう? 信二」
「…………やばい」
「なにがさ?」
「い、いや! なんでもない!」
ロボットのようなカクカクの動きで首を振る信二。
無理もない。首から上だけ見れば高レベルな美少女に今のぼくはなってしまったのだから、信二が動揺するのもよくわかる。
まぁ、首から下はいつものジャージ姿なんだけど。そしてそのジャージからレースの白いシフォンブラウスと薄いブラウンのジャンパースカートに着替えさせられる。
「おい信二。お前は向こう向いてな。着つけはあたしがやるから」
「着替えくらい別に見てても良いだろ」
「ったく、お前はデリカシーの欠片もねーな。そんなだから好きな子一人ものにできないのよ。女の子の着替えをジロジロ見るなんて頭逝っちゃってんの?」
「そ、そうだな……。ソウ、悪かった」
ぼくは女の子ではないのに、この男はなにを納得しているのか。見てくれのせいでぼくが女だと思い込んでいるんじゃないだろうな。そう思い信二の背中を見ていると、サナがぼくの服を脱がしにかかってきた。
華奢な体形のおかげでスンナリと上も下も着替えられる。「なんか腹立つわね」というサナの声がいつもより低いのが怖い。
そして完成したのは、ゆるふわロングで春の装いに身を包む可憐な美少女だ。
ただし本当は男だけど。
「信二。こっち向いて良いよ」
「あ、ああ」
「……どお?」
「…………」
ぼくが聞くと信二は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「信二? おーい、信二」
「わ、わかってる。……ちょっと待ってくれ」
もしかして、ドストライクだったのだろうか?
顔を赤くした信二は口を手で押さえて困ったように目をそらした。
……ふうん。
「ほらあんた達。浸ってないで次いくよ。さっそく自撮りしてごらん。あたしが審査してあげるから」
「……浸ってないし。ところで審査ってなに?」
「いや、あんたの写真だけ撮ってその友達連中に見せても、信二の彼女って証明にならないでしょ。二人一緒のとこ見せないと」
「そうかな?」
言われてみれば、ぼくだけ写っていても、ネットで拾った写真だと思われなくもないかも?
でも、そんな一緒になんて、嬉し……いや、わざわざする必要あるかな。
別に一緒に写真を撮る事にドキドキしてしまったなんて事はない。以前も撮ったことあるし。うん、普通普通。あれは学校の集合写真だけど。
間違っても、彼女の証明という言葉に嬉しくなって。なんてことはないんだから。
「てなわけでツーショットよ。ちゃんと彼氏彼女の関係に見えるか、あたしが監督したげるよ」
「監督ってなんだよ。確かにツーショット理論には一切の反論はないけど、沙苗に彼氏なんかいた事ないだろ。恋人もいないお前が、なんでそんな男女の雰囲気がわかるんだっての」
「お前はよくよく殴られんのが好きみたいね。無神経な陰キャのドMとか、まじで生きてる価値ねーからな」
サナにみぞおちに一発貰った信二が呻いている。なんだかんだいって、この二人は仲が良い。
信二は否定するけど、二人は好き合っているんじゃないかとぼくが思うくらいには。
本当は信二はサナの写真を撮りたかったのでは。けれど、絶対に断られると思ってぼくに頼んできたのではないか、とかそんな考えが浮かんできてしまう。なにせ、ぼくはサナと瓜二つなのだから。
……なんだか面倒になってきてしまった。早く終わらせて元の恰好に戻りたい。
大体、こんなに息が合っている二人なんだから、最初から信二とサナでやれば良かったんだよ。ぼくが女装して彼女のふりをすることなんてない。
……どうせ、ふりだけなんだから。
「なに怒ってんだ。ソウ」
「別に怒ってないし」
「ほら、揉めてんじゃないよ。あんたらケンカ中のカップルじゃないでしょ。仲良く並んでる良い写真撮るんじゃないの」
「その通りだ。ソウ、機嫌治して写真撮ってくれよ。こればっかりはおまえにしか頼めないことなんだよ」
「…………」
「ソウ?」
「……本当にぼくだけ?」
「当たり前だろ。聞くまでもない事は聞かないでくれ」
「そっか……ならいいよ」
そこまでいうなら協力してやることもやぶさかではない。これは機嫌がなおったわけではなく、やぶさかではないと言ってみたかっただけだから。
とりあえず二人でぼくのベッドに腰かけてみる。
「いきなりベッドなのね。なに、あんたら事後? 事後写真でも撮りたいの?」
「お前は本当に品性の欠片もないな。でも、ソウ。なんでベッド? リビングのソファとかのほうが日も当たって映える写真取れそうだけど」
「へ? い、いや別に。深い意味はないけど……。そうだね、じゃあリビングに行こうか」
「いやダメよ。ベッドにしなさい」
「なんでさ?」
「だって、あんた。彼女でしょ? 彼女なんだよ? 心を許した彼氏と撮る写真がリビング? あり得ないわ。絶対自室よ」
「そんなもんかな」
「そう。いい? あんたは今、信二の彼女なんだよ。ほら、もっとこいつを見つめな。心から好きだって思ってる愛情の籠った目で見なきゃ」
「……って言われても」
サナのストレートすぎる要求に困って、信二に助けを求めるように顔を向ける。
信二は真剣な眼差しでおれを見つめていた。
「ソウ」
「なに?」
「おれは今、お前の彼氏だ。……好きだ。愛している」
「~~っ!!」
コイツ!
真剣な顔で愛を囁くとか何を考えているんだ!? 酔っぱらってんの?
わかってない。こいつは絶対にわかってないから、こんなセリフも軽々しく冗談で言えるんだ!
「おー、中々良いね。ただ、これはドラマじゃないから。あんたら二人で雰囲気出しても自撮りには使えないよ」
「おっと、確かに。じゃあ、ほらソウ。おれの横にきてくれ」
なんで信二はそんなに積極的なんだよ! いや、まぁ証拠の写真撮りっていう当初の目的があるからだろうけど、なんで女装のぼくに一切の戸惑いがないんだ。
そんな信二にぼくが戸惑ってるんだけど! わかってるのかな、この男は(絶対わかってない)。
「じゃ、イチャつこうぜ。適当に写真撮ってみるよ」
「ねえ、信二。……なんでそんな普通でいられんの」
「え? なにがだ」
「いや、女装したぼくがしがみ付くなんてさ。キモいでしょ? やっぱ」
「何言ってんだ? そんなわけないだろ。可愛いよ。おれの彼女は」
こいつはこいつは!!
なんでそんなセリフを無自覚に屈託のない笑顔で言えるんだ! そしてそんな言葉で悶絶する自分にたまらなく腹が立つ。
ベッドでジタバタするぼくにサナが声を掛けてきた。
「ソウ。良く聞きな。あんたは今変身してるの」
「変身……」
「そ。お化粧をして衣装も変えてさ。今のあんたは変身ヒロイン。どうせ見た目も変えたんなら、普段と違う自分になれば良いじゃない」
「普段と違う……自分」
「そ。なりきっちゃえば良いじゃん。そこのアホの恋人にさ」
「アホとか言うな」
ぼくが信二の恋人。
顔を上げればそこには信二の顔があった。笑顔の信二がぼくを見つめている。
…………そっか。これは変わった身。この時間限定の夢物語。いつもと違うぼくなんだ。
それなら、今のこの姿に心も合わせても良いんだよね。
ぼくは信二の腕にしがみ付いた。信二の匂いがする。
どうしてこの男は、こんなに良い匂いがするのだろう。そのせいかどうなのかはわからないけれど、ぼくの決心は固まった。
「信二」
「ん」
ぼくと信二はじゃれあう彼氏彼女の様にベッドの上で戯れた。
合間合間にサナの「うんうん。良いよ良いよ! ほら、ソウ。もっと彼に甘えなきゃダメじゃん」という言葉で、やけ気味に信二に絡みついたりした。
自然と笑顔になってしまうのが自分でもわかるけど、これは変身の効果であって、決して死ぬほど嬉しいからといった理由ではない。
写真を撮りながら色々な話をする。今までの事、お互いの学校生活。そしてこれからの事なんかを。
ただ、この時間は今だけだ。これからは、また二人は親友の中に戻って、この彼氏彼女の関係は消えてしまう。
そう思うと、どうしようもない虚無感に襲われてしまう。
これは別に恋愛的な意味ではなく、思っていたよりも女装した自分の完成度が高かったという理由以外に、特別な気持ちはない……のだから。
「よし、とりあえずこれが一番のベストショットかな」
「どれ、あたしに見せな……ふうん。中々良いね。ほら、ソウも見てみなよ」
「…………」
スマホに映し出された写真には、楽し気な信二と幸せそうに笑うぼくが、仲良くじゃれあっていた。
それはどう見ても恋人同士のひと時を自撮りしたもの。とても偽物とは思えないような……。
「これ見れば誰も疑いっこなんかないな! ソウ。ほんとありがと」
「うん……」
これでこの話はおしまい。ちょっとしたサプライズ。
陰キャの自分に偶然舞い降りた、奇跡のキラキラ物語。
――だと思ったのだけど。
信二はことさら嬉しそうな声で言った。
「じゃあ、またこれからもよろしくな!」
「え? これでおしまいなんじゃ……」
「なんでおしまいなんだよ。一回写真なんか見せたら、ずっと色々聞かれるに決まってんだろ。続けなきゃ意味ないし」
信二はさも当然と言わんばかりの様子。
そっか……続くんだ。ふぅん、へぇ。そういうつもりだったんだ?
「ま、まぁ良いよ? ぼくは良いけどね。けど、信二が女装したぼくとそんなにイチャイチャしたいとは思わなかったよ。もしかしてクセになっちゃったの?」
「そうだな。よし、つぎはもっと凄いとこまでいっちゃうか。ソウ、末永くよろしくな」
「なっ……」
こ、こいつはそういう無自覚なことを平気で言う。そういうとこが本当に信二は……。
……でも、いいや。これはあくまで仕方なく。信二の嘘に仕方なく付き合うだけだから。
今は嘘でも良いとか、いつかはきっととか全然思ってないんだから!
「ソウ」
「なに? サナ」
はしゃぐ信二をみつめるぼくにサナが話しかけてきた。
サナは滅多に見せない優しい笑顔で、ぼくにこう言った。
「おめでとね」