ドライヤーで髪を乾かす君
「ゴーゴー」と音が鳴っている。
洗面所で君が髪を乾かす音だ。
君の髪は長いストレートの髪だ。
彼女がドライヤーで髪を乾かす時間は、それは長い。
癖っ毛の髪の僕は、ドライヤーで熱風をちょっとあてるだけですぐに乾いてしまう。
僕が髪を乾かそうと洗面所の鏡に向かって、ドライヤーを持って立つと、濡れ髪の君が僕の後ろからじっとこちらを見てるのが分かった。
鏡の中の君の顔を見て、僕はため息をついた。
「……また?」
「え?」
君はわざとらしく聞き返す。
鏡の中の顔が傾けられる。
「……書いてある。また、僕の髪の毛乾かしたいんでしょ?」
「バレた?」
てへ、と年甲斐もなく君は舌を出す。
僕が黙って何も言わずドライヤーを差し出すと、彼女は嬉々として僕の癖っ毛の短い、ボサボサの毛を乾かし始めた。
「ゴーゴー」とドライヤーの音がする中、僕は思った。
普通逆でしょ。と。
彼女の髪の毛を乾かす彼氏というのが定番でしょと。
めちゃくちゃ憧れていたシチュエーションなのに、君は一回もやらしてくれた事がない。
理由を聞くと、「だって、自分で乾かした方が早そう」とどこかの女優が、出演していた映画でそのシチュエーションが大好評だったのに、スピンオフでそう言っていたのと同じ理由を言った。
そういうものか、と僕の憧れは無惨にも打ち砕かれた。
「はい、終わり」
ドライヤーの音が止まり、鏡の中の彼女は笑顔で満足そうに言った。
たった数分の事なのに大満足という笑顔だった。
そして「退いた退いた」と僕を鏡の前から退かすと、今度は自分の髪を乾かし始める。
横目で見ていると、君が怪訝な表情で見てくるので、また僕はため息をついてその場を退場して、居間の小さなソファーに座った。
そのまま何となくテレビのチャンネルを回す。
「ゴーゴー」というドライヤーの音はまだ止まらない。
でも、そのちょっとだけ煩い音を聞いていると少し安心する自分が居る。
一人じゃない。その安心感が心地好い。
僕はひどく孤独な時間を長い間送っていたものだから、君という彼女が出来た時、本当にこれは夢じゃないかと思ったものだ。
それからの愛しい日々……。
そんなことを思い出しながら色々考えている内に、僕はうつらうつらしていたらしい。
フワッと良い香りがして、君の乾かした髪の毛の感触が、僕の頬に当たった。
「…………ん、ごめん。寝てたや」
「そのままそのまま」
君は僕に抱きついたまま、言う。
お風呂から出て冷めた温もりがまた戻ってくる。
「ちゃんと布団に入って寝よう。風邪引いちゃうから」
「そうだねー」
僕に抱きついたまま、君は動かない。
仕方ない、と僕は君をお姫様抱っこして寝室に向かう。
きゃあ、と彼女は小さく悲鳴をあげたがそれはすぐに笑い声に変わる。
愛しい君は、僕にとってお姫様だ。
ドライヤーで髪を乾した君の髪の良い香りを胸いっぱい嗅ぎながら、今夜も眠ろう。
さあ、おやすみなさい。良い夢を。
わたしにとっても憧れのシチュエーションですね。
確かに、自分で乾かした方が早そうですが……。
ここまでお読みくださりありがとうございました。