第23話~古のマゾヒスト
まばゆい光を伴った魔力はゆっくりと収縮していき、やがて辺りにはいつもの静寂が戻った。
暗闇の中に現れたその女性を、満月が美しく照らし出す。
足元まで覆う漆黒のロングスカートに、フリルなどの装飾が無い真っ白なエプロン。
クラシカルなメイド服に身を包んだその女性は、俺を視界に捉えると迷うこと無く抱きついてきた。
「あぁ…。ご主人様…!お待ちしておりました…!」
突然の出来事に思考が追い付かない。
目の前にいるのは俺をマスターと呼ぶ美しい女性だ、そんな女性が俺に嬉しそうに抱きついている。
モデルの様なスレンダーな体型は女性らしさに溢れ、それに似合う艶やかなロングヘアーが良く映えている。
前髪は耳にかけていても片目を覆う程長く、そのミステリアスな雰囲気が一層魅力を引き出していた。
「お、おい…ちょっと待て。あんたは一体何者だ!?まさかとは思うが…」
「古龍のアンシェにございます。マスターとこうして話せる事をずっと夢見ておりました…!」
一瞬だけ浮かんで消えかけた考えが、アンシェの言葉によって引き戻される。
アンシェ?こいつが!?あの散々こき使ってた古龍だって…?
いや、おかしいだろ!色々とおかしい。
なんで抱きついてくるんだ!?俺は散々嫌われるような事をしてたっていうのに。
それになんで大人の姿なんだ!?古龍とはいえ子供だったはずだろ…。
っていうか、そもそもなんで人間の姿なんだよ!?
俺が脳内で自問自答を繰り返していると、アンシェが心を読んだかの様に話し始めた。
「この世界に古龍の姿で召喚される途中、見えない不思議な力によって存在を拒絶されてしまいました…ですが、そのおかげでこうしてマスターと同じ目線に立つ事が出来ました…!」
アンシェはスリスリと俺の胸に頬擦りしている。
「わかった、その事は今はいい!それよりもそのスリスリをやめろ!」
もちろん嫌な気はしない、むしろいい香りがしてくる位だ。
だが俺だって男だ、美女にこうも擦り寄られては冷静では居られなくなる。
「マスターは…アンシェがお嫌いですか…?」
うるうると上目遣いをしてくるアンシェ。
わざとだろ、わざとじゃないなら恐ろしい。
「逆になんでお前はそんなに擦り寄ってくるんだ!?俺にされたことを忘れたのか!?」
思わず聞いてしまった。
せっかく忘れててくれたのに思い出されて暴れられたらどうしよう…。
「勿論忘れません…私に全ての戦闘を任せて下さったマスターの器の大きさ…私の為を思って躾けて下さる懐の深さ…思い出しただけで感激です…」
俺の心配をよそにアンシェは頬を赤らめながら答える。
「お、おぉ…そうか。ちゃんとわかってるならいいんだ」
なにやら盛大に勘違いしてくれてる様なので、そのまま誤魔化す事にしよう…。
「はい…!アンシェはマスターの所有物です…!何なりとご命令ください。至らぬ所があれば遠慮無く打って躾けてください…!!至らぬ所が無くても是非!!」
アンシェは恍惚とした表情で、ハァハァ…と物欲しそうにしている。
俺は大きな思い違いをしていた様だ。
こいつ、勘違いしてるんじゃない…ただの変態だ…。
小箱は壊れて使えなくなってしまった。
つまり、これから一緒に行動しないといけないのか…。
「と、とりあえずこれから町へと戻るけど、問題だけは起こすなよ…」
「はいマスター、アンシェに全てお任せ下さい…!」
シムカになんて言おう…。
不安しかないまま、俺達は宿へと戻ったのだった。
「いやあああああ!ヴァンが変態になっちゃったああ!!!!」
翌朝、シムカの大声によって叩き起こされた。
シムカはポーチから戦斧を取り出し、こちらに構えている。
「おい…!?朝っぱらからなんなんだよ!?その物騒な物を下ろせ!」
「この状況で開き直るつもり!?変態のくせに!変態のくせに!!!!」
シムカの言葉で状況を理解した。
そうだった、そういえば昨日はアンシェを召喚してそのまま宿に連れて帰ったんだった。
ベッドが足りないから俺のベッドで一緒に横になったのは覚えてる。
それにしたって人を変態呼ばわりとはシムカも酷い奴だ、村での生活のせいでよっぽどそういう事に免疫が無いのだろうか?
中身は見た目通りのお子様か。
俺はやれやれ、と年上の余裕で溜め息を吐く。
それにしてもさっきから腰辺りに感じる柔らかい感触はなんだ?
「…!?ちょ、おま!!」
隣を見ると、アンシェが気持ちよさそう俺に抱きついて眠っていた。一糸まとわぬ姿で。
落ち着いて視線を自分の下半身へと移す。裸だった。
どう見ても俺は変態だった。
「ん~むにゃむにゃ…マスター…もっとください…もっと強くぅ…」
最悪すぎるタイミングである。
しかもよりにもよって意味深なワードだけを並べてやがる。
俺は目一杯の深呼吸をした。
「おはよう、シムカ!」
今までで一番のさわやかな笑顔だ。
俺は開き直って誤魔化す事を選んだのだ。
「うっさい!!!!死ね!!!!!!」
駄目だったみたいだ。
シムカは戦斧をフルスイングしてきた。
狂戦士モードだ、完全に正気を失っている。
一瞬死を覚悟した俺だったが、皮一枚の所で戦斧は弾かれた。
風圧で窓ガラスが激しい音を立てながら砕け散る。
指輪を装備したままで良かった…。
「お、お客様!!何事ですか!お怪我はありませんか!?…は?」
部屋の中にあったのは全裸の男女に戦斧を持った女、そして粉々に割れた窓ガラス。
言い訳の余地は無い。
俺達は駆け付けた女将にこってりと絞られ、修理代を払った挙句に出禁となってしまったのだった。
宿から追い出され、仕方なく町をぶらつくことになった俺達。
シムカには必死に事情を説明し、なんとか理解だけはしてもらうことが出来た。
「ったく、シムカのせいで追い出された上に金まで払うハメになったんだぞ。わかってるのか?」
「……」
「ま、まぁ誤解とはいえあんな状況なら驚くのも無理はないか…」
「……」
「よ、よく考えてみれば少しだけ俺の方が悪かったかもなぁ…」
「……」
「すまん!!俺が悪かったから機嫌直せよ!!」
理解は出来ても納得は出来なかった様だ、気まずい…。
「マスターが謝る必要など皆無です。それよりもマスターに対して武器を振るったこの小娘を追放すべきです!そもそもどうしてこんな小娘が、マスターと行動を共にしているのか理解に苦しみます」
アンシェさん、どうかこれ以上ややこしくなる様な発言はやめてください。
というか自信満々に全てお任せ下さいとか言ってたよね?一日も経たずに早速問題起きてるんですが。
「古龍だかなんだか知らないけど、あたしの方が先輩なんだから!それにあたしにはシムカって名前があるの、小娘とか言わないでくれる?貧乳メイド!!」
「貧乳メイド…?邪魔な脂肪を付けただけの小娘が偉そうに…。私にはマスターが寝る間も惜しんで考えて下さったアンシェという素晴らしい名前があるんです…!」
なぜか気付いたら女同士のバトルに移行している…。
怒りの矛先が俺から逸れた様なのでこのままやらせておくか…。
ちなみにアンシェの名前は30秒で決めた。エンシェントから取ってアンシェ、いつものパターンだ。
「その邪魔な脂肪とやらを、御宅のマスターさんは随分と真剣に見つめてくるんですがどうしてですかね~?」
え?バレてたの…?
「マスターはお優しいんです。奇妙な肉塊へと成り果てた姿を憐れんでいるだけだと何故気付かないのか…。そもそも貴女は何者ですか?マスターの所有物一号は私ですからね?余りマスターに馴れ馴れしくしないで下さい…!」
所有物である事を自信満々にアピールしないでくれ、俺が痛い奴みたいじゃないか。
「え~?所有物~?ぷっ、心配しないでよ!あたしはヴァンの仲間一号だからさ!」
ちょっと待って?どんどん会話がヒートアップしてません?
後ろからアンシェの舌打ちが聞こえてくる、そろそろ町が危険だ。
「シムカ!俺が悪かったからもう許してくれ、お詫びになんでもいう事聞いてやるから。アンシェもいい加減にしろ、元凶はお前だろ、これ以上問題起こしたら捨ててくぞ?」
俺の言葉を聞くと、二人は同時にピクっと反応した。
「な、なんでも?なんでもって言ったよね…??」
シムカはなにやら嬉しそうだ、なんでもは言い過ぎたかもしれない。
アンシェはフフ…と笑って顔を赤らめている。
今の発言のどこにそうなる要素があったのか、変態の思考はわからない。
これで良かったのかはわからないが、どうにか丸く収まったようなので良しとしよう。
とにかく今は何も考えたくない。
俺は誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
「女って…怖い…」




