1 ECHO
「ダイブスタート!」
その掛け声とともに斑鳩貴嗣の意識は現実世界から引きはがされ、仮想の電脳世界へと引きはがされた。
時は2020年代半ばに差し掛かった年のある日のこと、ゲームの歴史は大きく変動した。
かつてゲームといえば画面を見ながらコントローラーを操作するテレビゲームが一般的だったが、そこからVRゴーグルを装着して仮想現実で遊ぶVRゲームへと発展し、そして今から2年前に完全フルダイブ型のVRゲームが登場した。
頭に特殊な器具を取り付けて、脳と電気信号でやり取りをして感覚を得て、あたかもそこにいるように五感で体感できる技術――それがVR技術。そしてそれを応用してゲームにしたものがVRゲームである。
それらの登場は人々を歓喜させた。かつてそれらの技術はアニメや映画、小説の中でしか存在しえなかったものが今ここに現実のものとなって登場したのだから無理もないだろう。
そしてそれは貴嗣もその例に漏れずその登場に歓喜したうちの一人であった。
VR・MMORPG≪大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム≫――その中で数多あるゲームソフトの中で彼が選んだゲームソフト、それは――。
≪クロスファイア≫
日本語で十字砲火を意味するそのタイトルの通り、そこはプレイヤー達が遠慮容赦なく銃で撃ち合う、銃の世界であった。
『クロスファイアの世界へようこそ。まず初めにプレイヤーネームを入力してください』
貴嗣が仮想空間へと訪れて最初に聞いた声がコンピューターによって合成された女性っぽい声のする機械音声だった。そこがなんともこれがゲームであると連想させられる。
「俺の名前ははじめから決まっている。これ一択だ」
そう言いながら目の前の入力画面に自分がこれから使用するもう一つの自分の名前、プレイヤーネームを入力する。
『それでは銃で撃ち合う、殺伐とした世界を心行くまで堪能してください』
それは何とも皮肉っぽいセリフだなと貴嗣は思いながらそれを聞き流しなつつ、暗闇が広がる目の前の世界が明るい光に飲まれていくそれをただ眺めていた。
そして開けた先に広がっていた光景は空が常に鈍色に染まるクロスファイアの世界、その中でも主な活動拠点となるシティエリアだった――。
クロスファイア――それはアメリカの主にFPS系のゲームをメインに販売しているとある企業が発表した次世代のガンアクション系のゲームソフトである。
クロスファイアは現在の地球とは似て非なる場所が舞台となっている。世界中の街並みや地形、構造物などはよく再現されているがどことなく現実とは違って違和感を感じるところがある。そこがなんともこの世界がゲームの中の世界だと実感させられた。
そしてシティエリアの外、フィールドエリアでは見た目がグロテスクな生物兵器に狂ったかのように人を襲う殺戮マシーン、敵対するNPC等と戦い、時には他のプレイヤーと戦い殺し合う。それがこのクロスファイアである。
今では世界中に何十何百万以上ものプレイヤーが登録しているという大ヒット作である。その理由の一環として公式がPKすなわちプレイヤーキラーを容認しているからである。それどころか推奨しているので何とも言えない。
そんな殺伐とした世界観のゲームでも銃が使える数少ないゲームだからこそ貴嗣もこのゲームに惹かれたのだ。
「ふーん、なるほど。ここがクロスファイアの中の世界か。いやぁしかしよく出来ているな」
ログインしてすぐ、ODカラーの初期装備の戦闘服に身を包んだ貴嗣のアバターは電脳空間に広がっている近未来的な街並みを眺めながらゲームの出来栄えにひとり感心していた。
「さてさて、まずはアバターの見た目のチェックをしないとな……。なにかいいものは……」
このゲームのアバターは完全ランダム生成、何がでるかは初ログインして何かで姿を確認してみるまでのお楽しみなのだ。そこで自分のアバターの見た目をチェックするために貴嗣は周りに鏡もしくはそれに準ずるものを探した。
そして目についたのはとあるビルのガラス張りのショーウィンドウだった。
「なるほどなるほど。これがそうかぁ」
そこに移るのは身長約170cm後半の黒髪を後ろに軽くオールバックのように流している男のアバターだった。
「うん、悪くない。これは当たりだ」
貴嗣は引いたアバターの姿に満足していた。元の性別が男である彼が男性キャラのアバターになるのは至極当然のことである。このゲーム内で使用するアバターは現実のプレイヤーの性別を元に生成される。男性なら男性キャラ、女性なら女性キャラといったように……。
「じゃあまずは手始めにチュートリアルとでも行こうじゃないか」
貴嗣はメインメニューを開いてそこからチュートリアルへと飛んだ。このゲームを始めて初めにしたかったのがこのチュートリアルだった。
どのゲームにもたいてい初心者向けのチュートリアルというものがある。それはクロスファイアでも違いはない。ある一つの要素を除いて――。
「来たかクソッタレ! この俺がヒヨッコ以下の貴様を教育する専任教官だ。俺の前で口を開くときは前と後に“サー”をつけろ。分かったか?」
「サーイエッサー!」
「ふざけるな大声出せ! タマ落としたか?」
「サーイエッサー!」
「いいか? 貴様はここを出るまでこの地上で最も下等な存在、ウジ虫以下の存在だ。だがこの試練を見事突破した暁には晴れて一人前の戦士となる。それまで怠けることは許さん。返事はどうした!?」
「サーイエッサー!」
チュートリアル内で貴嗣を出迎えたのはいかにもステレオタイプなタイプの鬼教官だった。
このゲームのチュートリアルでは合衆国海兵隊の新兵教育課程の教官をモチーフにしたNPCが銃の撃ち方から戦闘時の身の隠し方、フィールドで遭遇するモンスターの外見の特徴から弱点までの諸々をとことん骨の髄にまで染み渡るほど懇切丁寧? に教育してくれる。
それらは実在する軍隊の教官をモチーフにしているだけあってその言動は過激だった。放送禁止用語に罵詈雑言のオンパレード、この世のありとあらゆる罵声を集めたのではないかと錯覚するほど壮絶を極めた。だが、それは一部のマニア所謂ミリオタと呼ばれる層には大変人気があった。
曰く、「本物の軍隊の教官にシゴかれているみたいだった」とか「ウチの会社の上司の罵声が可愛く思えてくる」だのと様々だった。そして海外のプレイヤーのレビューでは「軍隊に入って直ぐのブートキャンプを思い出した」などと現役の兵士の声も上がるほどの出来栄えであった。そしてこれは今や内外問わず有名な話となていた。クロスファイアのチュートリアルには鬼教官がいるぞ、と。
そして例に漏れず斑鳩貴嗣という男もそれを体験してみたくてチュートリアルへと足を踏み入れたのだ。余談だが、クロスファイアをプレイしているプレイヤーの殆どがこのチュートリアルの卒業者である。
彼はチュートリアルに励んだ。数えきれない罵詈雑言を浴びながら必死に技術と知識を吸収した。そしてついに卒業する時が訪れた。
「これをもって貴様ははれてウジ虫を卒業する。これから貴様はこの世界で戦う立派なソルジャーとなる。貴様がこの世界を去るその日まで……。これから貴様は様々な困難や強敵に遭遇するだろう。その度にここで学んだことを思い出せ、ここで学んだ知識、技術は決して貴様を裏切らない。……以上、これをもって本訓練を終了とする!」
教官役のNPCは見事な敬礼をもってチュートリアル終了を告げた。その敬礼に対して貴嗣も答礼で返した。
「最後に貴様の名前を聞いておこう」
「自分のですか? 自分の名は……エコーです」
「ではエコー、貴官の活躍に期待する」
その言葉を最後にチュートリアルエリアからシティエリアへと戻された。
――あぁ確かにこれは人気が出るわけだ。
そう思いながら斑鳩貴嗣――プレイヤーネーム“エコー”はクロスファイアの電脳世界内に構築された仮想の町へと消えていった。