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荒波にもがけ、少年  作者: 刻露清秀
黒キ翼の冒険譚〜出会いと別れと一夏の恋〜
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ここにいるのは④

「生きている価値なんて、生きている途中の人間にはわからない。それこそ神のみが知るもの。私はあの子が死んでもよかったなんて思ってない。だけど、貴方は祝福されて生まれてきて、その価値は誰も否定できないよ」


「祝福……」


リンの言葉に、翼は胸が痛かった。ずっと痛かったけれど、気がつかないふりをしていた。それなのにセンジョが傷口を開いて、リンに指摘された。


 恵まれた存在。祝福された存在。リンが、センジョが、そう示した黒キ翼という人間は果たして恵まれて祝福された存在なのか。


 その疑問は罪だ。


 頭の中で誰かが囁いた。


 お前より不幸な全ての人間に喧嘩を売りたいのか?


 そうじゃない。わかってるさ。俺は恵まれてるし、祝福された人間……。


 心の中の反論が、尻すぼみになってしまうのは何故だろう。お島の言葉が蘇った。


「坊ちゃん、貴方は大変だ」


お島は間違っている。俺は大変なんかじゃない。翼は記憶の中のお島を否定したけれど、痛みは消えなかった。痛みに任せて、言葉を吐いた。


「俺は兄上の補欠だよ」


口に出してしまうと簡単なことで、ひどく子どもっぽい。誰にも言わなかったし、言いたくなかった。負けず嫌いで、カッコイイことに弱い見栄っ張りで、おだてるのが簡単で考えていることがわかり易く、思春期特有の無駄に誇り高くて劣等感も強くて自意識過剰な、ほどほどに知識も教養もあるがアホで、金に困ったり騙されたりしたことがない裕福な家の健やかで素直な糞餓鬼にも、悩みくらいあるのだ。


 生まれた時から一緒にいて、生まれた時から比べられてきた、大好きで大嫌いな兄だから、劣等感は十三年分。翼にとっては軽くない。


「俺は補欠。初めて刀術で兄上に勝ったとき、父上は俺を褒める前に兄上を叱ってた。俺が何かヘマをやらかしても、母上はため息を吐くだけなのに、兄上が同じことをしようとすると、すごく心配する。黒キくんって呼ばれるのはいつも兄上で、黒キの若様って言えば兄上のことで、要はそういうことなんだよ。お宅は男の子二人いて羨ましい、なんて言われてるの聞いたことあるけどそれは、一人いなくなっても替えがいるってことだろ。愛されてないとか、そんなこと言わないけど、でも……」


長い間抱えていたモヤモヤは、あまりにも簡単なこと。だけど、そう思ってしまう自分のことが、翼はあまり好きではない。


「本当のところ、兄上が受験に失敗した時、やっと俺の出番がきた、なんて思っちゃったんだ。最低だよ。兄上はいつだって俺のこと応援してくれてたのに。……あーあ」


嫌いだ。兄ではなく翼自身のことが。甘ったれの卑屈な自分が。


 頭ではわかっている。自分が一握りの幸福な人間で、それに不満を漏らすのは罪だと。不満を漏らし、劣等感に苛まされ、身勝手に傷つくこの心根が嫌いだ。


 親に殴られたことがない。欲しいものは手に入った。兄は何かと世話を焼いてくれ、使用人は優しい。学校に通えた。字が読めて計算ができ、なんらかの仕事にはつけるだろう。


 幸福だ。


 わかってる。


 けれどその幸福に答えられるだけの有能さは翼にはない。兄を除いてもそうだ。何一つ一番ではなかった。全力で頑張ったつもりでも、もっと努力している人がいた。何か一つでも一番をとりたかった。自分しかできない何かが欲しかった。努力した。総合では一位だった。浮かれて帰ったけれど、夕食の時間になれば誰も翼のことなんて話さなかった。夕食はリンの家の芋粥よりずっと豪華だったけれど、美味しくなかった。正直、何を食べたかも覚えていない。黒キ家の嫡男はあくまで鷹目で、全体としてそれより不出来な弟が、少しばかり良い結果を残したからといって、何か変わるわけではなかった。以前からわかっていたことを思い知らされただけ。


「坊ちゃん、貴方は大変だ」


お島の言葉は哀れみを含んでいた。両親や使用人が鷹目ばかり気にかけるから、お島は幼い翼を可哀想に思ったのかもしれない。


 いや。もしかしたら翼の厄介な性根の片鱗を見つけて、それを哀れんだのかもしれない。お島は翼の母親と上手くいっていなかったが、あの言葉は母への当てこすりではなかったかもしれない。


 リンが何か言いたそうにしていた。最初は無視していたが、リンが覚悟を決めたような顔をしたので、その言葉を遮った。


「幻滅した?失望した?ごめんね、俺は取り繕ってるほど良い子じゃないんだ」


「貴方は充分良い子じゃない」


リンの瞳には迷いがなかった。この女は本気で言っているのだろうか。親友を奪った国の人間の、くだらない劣等感に対する反応が、それで良いものだろうか。


「リンの親友の話を聞いたうえでコレだよ? 」


リンは少しだけ間を置いた。


「知ってるわ。いじけてるなあって思ったわ」


「そんな軽い話じゃないんだけど」


リンは足をぶらぶらと揺らした。

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