鹿毛馬市の長い一日12
「そのくらいにしたら? 」
リンだった。泣いているカジカの背をさすりながら、センジョを見る目は鋭い。
「子どもに怒鳴り散らすなんて。大人気ないわよ。翼が貴方に何をしたの? 」
引っ込め、と野次が飛んだ。リンは怯まなかった。
「貴方の敵は誰? 思い出して。翼じゃないでしょう? 憎しみに我を失わないで。これ以上犠牲を出さない為に、貴方は帝国とだって手を組んだ。それを忘れないで。貴方はみんなの為なら、感情を押さえられる人よ」
「黙れ」
「いいえ。黙らないわ」
センジョに睨まれても、リンは怯まなかった。
「論点を整理しましょう。貴方は最初、私がカジカをみていなかったことに怒っていた。これに関しては、全面的に私が悪いわ。私は翼の強さと信頼できる人柄を知っているけど、貴方は知らない。第一、口約束とはいえ他人の子どもを預かっておいて、保護者の許可も得ず他の子どもと遊ばせるのは、大人として軽率な行動だった。本当にごめんなさい」
興を削がれたのか、野次はだんだんと小さくなっていった。
「貴方はその後、センジョにかまってもらえなくてカジカが寂しがっていることを、翼に指摘されて逆上した。図星だったんじゃないの?よりによって帝国の人に言われて、腹が立ったのはわかるけど、怒鳴り散らすのはどうかと思うわ」
「お前……」
センジョは掴みかからんばかりの勢いで、リンを睨んでいた。
「翼は私たちよりずっと裕福よ。だけど、奪っていい幸せなんてないし、翼がいくら強かろうと恵まれていようと、まだ幼い、本来なら庇護されるべき存在であることに変わりはないでしょう?貴方は自分が何をしたかわかってる?貴方は一人の大人として恥ずべき行為をしたのよ。黙って聞いてれば随分なこと言うじゃない。帝国の支配はそりゃあ酷かったけど、いつまで経ってもイザコザばかりなのは、果たして帝国のせいだけなのかしら?市民は全員、貴方の味方だと思ってる?まあ嫌われ者の私が言うことに、貸す耳なんかないかもしれないけど」
リンもまた、静かに怒っていた。このまま口論をしたとしても、またリンを殴ったとしてもロクな結果にならないと察して、センジョは言いかけた言葉を飲み込んだ。息を大きく吸って、短く吐く。乱れた息を整えてから、呻くように言った。
「君たち、明日の為に見張り以外は休め。騒いですまない」
不服そうな顔をしながらも、人々は元いた場所へ戻っていった。
「カジカごめんな。悪かったよ」
センジョは泣きじゃくるカジカを抱き上げて、立ち去りざま翼に
「すまない」
と耳打ちした。その言葉に、翼の胸のうちで理不尽な罵倒への怒りは消えはせずとも薄まって、入れ替わった悲しみが翼の胸を満たした。センジョの言葉が耳にこびりついて離れなかった。翼に罵倒されるほどの非はない。けれど、センジョの言葉は心の底からの叫びで、悲鳴で、だからこそ真実であった。
翼は姿を消して、一人になれるところを探した。報セや凪にも会いたくなかった。市庁舎を囲む壁の上に登る階段を見つけ、それを昇った。見張りの横をすり抜け、壁の上を歩いて、見張りの死角に座り込んだ。
無性に家に帰りたくなった。あの日々が、今はお伽話みたいに思える。俺たちの犠牲の上に成り立っている、全部ぶち壊して構わない。そうセンジョが罵った生活が、これまでの翼の全てだった。
「生きていることで誰かを傷つけるのなら、俺は何故生まれてきたんだろう」
そんなどうしようもない弱音を吐くほどに、翼は無力感に苛まされていた。