鹿毛馬市の長い一日⑦
やがて日が傾き夕方になった。革命軍は攻撃の手を緩めた。市庁舎前広場には未だピリピリとした緊張が漂っていたが、昼間よりはるかにマシになった。連盟軍の兵士達は交代で見張りをしながらも、食事と休憩を取りはじめた。
報セがいつの間にかいなくなっていた凪を探していたので、翼が代わりに探しに行くと、凪は一人でぼんやりと広場の壁を見ていた。
「外が気になるのか? 」
と翼は尋ねたが、凪は答えない。
「外にいるの、革命軍だってな」
仲間が恋しくなったのかと思い、なおも尋ねたが、答えない。翼はしばらく凪の隣に立ち、ぼんやりと壁を見ていた。石造りの壁は厚く高かった。
「戻れないよ」
不意に凪が言った。
「二度と」
翼は凪の横顔を盗み見た。いつもと変わらない無表情。それなのに、いつもよりも幼く見えた。何か言葉をかけたかったけれど、考えあぐねて口を閉じた。せめて気持ちだけでも理解したいと、隣に立ってみたけれど、何もわかりはしなかった。当たり前だ。
まだぼんやりとしている凪を報セの元まで連れていき、翼はリンのいる広場の中央に向かった。姿を見られないようにはしていたけれど、霊能者が少なくとも一人はいることがわかっている以上、意味があるのかは疑問だ。
リンは昼間に見た知り合いの少女と一緒にいた。ふと視線を感じた。少女は丸い目を見開いて翼を見ている。また霊能者だったらまずいなと思いつつ、手を振ってみた。少女は指で三角形を作ると、翼目掛けて突進した。
「あくりょーう、たいさーん!! 」
いやいや、まさか。翼は身を捩って避けたが、少女の起こした突風に煽られ片膝をついた。
「痛ぇな、おい! 」
思わず口にした。しまった、と思った時にはもう遅く、翼は半透明な姿を晒していた。
「異教徒……」
唸るように少女は言う。あからさまな敵意にまたかと思う反面、翼は今更ながら理解する。停戦中とはいえ、帝国軍と鹿毛馬市のなんたらとか言う勢力は敵同士。明らかに青の民とは違う服装の、半透明の人間がいたら、悪霊扱いするのも無理はない。なぜ攻撃できるのかなど疑問は尽きないが、それは後でシイ神さまに尋ねよう。
「待て待て、俺は敵じゃない! 」
凪にも似たようなこと言ったな。翼は懐かしく感じた。ほんの三日前のことなのに、随分昔のことみたいだ。
「じゃあ、なんなの?異教徒じゃないの?なんでリンにつきまとってんの? 」
「つきまとってねえ!ちょっと心配で見てただけだ! 」
「なんであんたが心配すんのよ。あんたはどこの誰なのよ! 」
「そ、それは……」
翼は言い淀んだ。嗚呼、なんで俺がこんなに頭を使わなきゃいけないんだ。策略なんて俺は苦手だ。正解がわからない。
「名前は黒キ翼。たしかに俺は帝国の人間だよ。訳あって今は生き霊だけど、普段は本島に住んでる普通の中学生。君たちの敵じゃない。害はない。わかってくれよ」
策略なんて苦手だ。だから翼は、直球で勝負することにした。
「怨霊に負けそうになったとき、リンに助けられたんだ。だから、心配で見てただけ。報セさんって人を無事に送り届けるためにここまで来たんだ。俺が嘘ついてるように見える? 」
「……リン、それは本当? 」
「ええ、そうよ」
リンは力強く頷いた。その様子から、翼の言葉は信頼に足ると判断されたようだ。
「なら、いいわ」
子どもだからこそ、少女は勘が鋭く物分かりが良かった。翼の言葉に嘘がないことを理解したようだ。
「変な真似したらぶっ殺すけどね」
翼自体は信頼はされていないようだ。
「本当に生き霊なの?リンは見えないみたいだけど、カジカは霊がよく見えるの。あんたみたいな変なの、見たことない」
「カジカは俺が姿を消してても見えるのか。すごいじゃないか」
ふふん、と少女は得意げに鼻を鳴らした。少女の名前はカジカというらしい。
「そうよ、カジカはすごいのよ」
カジカは気をよくしたらしい。カジカはおさげに編んだ髪の毛を、指でくるくると弄んだ。
「カジカはすごいから、毎日誰も遊んでくれなくても気にしないわ」
「誰も? 」
「リンは遊んでくれるから大好き。カジカはリンと遊ぶから、あんたはどっか行くといいわ」
チラリとリンを見るとリンは眉尻を下げていた。困ったものね、と言いたげだ。リンだって、今日はもともと仕事のために山を降りようとしていたのだから、そう暇でもないはずだ。カジカの親は何をしているのだろう。リンは朝から面倒を見ているのだから、そろそろ疲れているだろう。
「うーん、俺は今暇だからさ」
「暇だから何よ」
カジカは再び三角形を作った。
「いや、そうじゃなくて。俺と遊んでくれない?俺も構ってくれる人がいないんだ」
本当だった。報セは無理が祟って休んでいたし、シイ神さまは報セにつきっきり。凪のことも見ていてくれている。
「……いいけど」
カジカはまたおさげ髪をいじっていた。
「どこか人があんまりいないところ知らない? 」
翼は兎角目立っていた。