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荒波にもがけ、少年  作者: 刻露清秀
黒キ翼の冒険譚〜出会いと別れと一夏の恋〜
15/80

彼女との出会い③

 翌朝、


「おはようございます。朝のお天気の時間です。低気圧が北東に接近している影響で、天気が崩れやすい傾向があります。にわか雨に注意してください」


翼は無線放送の声で目を覚ました。放送局から放たれた特殊な音声を、受信機で聞き取っているのだ。


「それでは音楽です。『黒猫と星空』で『ある猫の一生』どうぞ」


翼は嬉しくなって耳をすませた。放送局員が紹介したその一曲は、翼のお気に入りの曲だったからだ。『黒猫と星空』は翼の好きな演奏家兼作曲家集団である。首都近郊育ちの四人組で、幻想的かつ青春の一場面を切り取ったような、切なくも温かみのある歌詞と、時に軽快で時には力強い幅のある曲調を武器に、学生など若い人々から人気を得ている。


氷上帝国はこの三十年ほどで大きな変化を遂げた国家である。今まで武人が独占していた心石の使用や、異国との交易が平民にも開放された。これにより急激に異国の技術が流入し、大きく生活が変わった。無線放送もその一つで、今まで全国で共有できるものなど何もなかった人々が、その日あった出来事や、流行っている音楽を共有できるようになった。


演奏家達は今や、無線放送で演奏することで、わざわざ出向かなくてもたくさんの人に音楽を聴いてもらえるようになった。『黒猫と星空』のような集団の人気には、そんな背景がある。


さして文化的な趣味があるわけでも、造詣が深いわけでもない翼でも、お気に入りの曲や演奏家がいるのはそういうわけだ。黒キ家では、朝食や夕食の一家団欒と無線放送が切っても切れない仲である。学校や道場で嫌なことがあっても、食事をとって音楽を聴けば、元気が湧いてくるのだ。人間というものは、他人の陰口だの悪意だの、些細なことで傷ついてしまう面倒な生き物だけれど、その分些細なことで立ち直れるようにできているのかもしれない。


「嗚呼、私が明日冷たくなっていても

嘆かないでおくれ

けして泣かないでおくれ

私はいつでも力のかぎりを尽くし

誰にも恥じぬ生き方をしたのだから」


無線放送に合わせてリンが歌っている。男が歌っている原曲よりいくらか高い音で歌っているが、それがまた放送と調和していて、かなり上手だ。聴いていて快い。


 リンは瑠璃色の着物の下に、裾の窄まった白い袴を履いていた。昨日は編み込んでいた髪を、今朝は左側にまとめて耳の下で結んでいる。


 リンも『黒猫と星空』が好きなのか? と翼は純粋な好奇心で、扉をすり抜けて洗濯物を干しているリンに声をかけた。


「おはよう、リン」


ところがリンには不意打ちだったようで、持っていた洗濯物を落とした。


「お、おはよう翼。ずいぶん早く起きたのね」


心なしか顔が赤い。どうやら翼がまだ寝ていると思っていたらしい。翼は悪戯心を起こしてニヤニヤ笑った。


「朝歌うのって気持ちいいよね」


リンはぷいと翼に背を向けた。


「起きたついでに山藤と凪を起こしてきてくれない? 朝ごはんできてるから」


もう少しからかっても良かったが、機嫌を損ねてはいけないのでそれくらいにして、翼は部屋に戻り、道場仕込みの大声で叫んだ。


「おっはようございまーす!朝ですよー! 」


報セと凪はなかなか起きなかった。無理もないがなんとか起きてもらい、食卓につかせる。リンは一人暮らしらしく、椅子は二脚しかないので、自分には籐でできた箱を用意していた。食卓も小さいので、四人と一柱で囲むと手狭だった。


例によって翼とシイ神さまは食事をとる必要はないが、会話に参加したいのでリンが用意してくれた箱に腰掛けた。シイ神さまは翼の肩に乗った。


リンが台所から茶碗を三つ持ってきた。中身を見ると芋粥だった。他にも何か持ってくるだろうと翼は待っていたが、リンはそのまま箱に腰掛けた。


翼は改めて茶碗の中身を覗き、その粗末さに愕然とした。芋粥は粥と言えるのか怪しいほど米が少なく、名前も知らない雑穀が混じっていて、おまけに量も少なかった。水がほとんどなので、覗き込むと顔が写った。その驚きを口には出さなかったが、表情に滲み出ていたのだろう。リンは顔を曇らせた。


「ごめんね。あまり食料に余裕がないのよ」


「なんで謝るんだよ。リンは何も悪くない。用意してくれてありがたいのに、失礼な顔してごめんよ」


慌てて取り繕ったけれど、翼は自分が生き霊であることに感謝した。生身の人間だったなら、昨日ろくに食べていないこともあって、腹が減ってたまらなかっただろう。


幸い、凪と報セは気にしていないようだった。気にしていても表情には出さなかっただけかもしれないが。翼は自分の幼稚な態度を恥じた。その間に


「神よ感謝します……」


凪はもう食べ終わったらしい。


「おい凪、食べるの早すぎだろ。もっとゆっくり食べていいんだぞ」


「……」


凪は相変わらずだ。


凪はさっさと食器を片付けると、元いた部屋に戻ってしまった。


「なんだよ……」


不満が口からこぼれた。


「まあまあ、凪も疲れてるから」


報セが取りなす。彼はまだ食べている。


「まあそうですけど」


「信頼関係っていうのは、そう簡単に築けるものじゃないんだよ。難しいもんだね、人間は」


報セはしみじみと語る。翼は毒気を抜かれてしまった。


「ご馳走さま。食器は僕が洗うよ」


「あら助かるわ。ありがとう」


リンは報セにも敬語を使わせなかったし、使わなかった。リンの信条なのかもしれない。報セにも凪にもシイ神さまにも、自分のことはリンと呼ぶように言っていた。


 シイ神さまとの間には一悶着あった。リンがさまを付けることに難色を示したのだ。曰く


「翼や山藤があなたを信仰することを悪くは言わないけれど、私があなたを信仰するわけにはいかないし、あなたが私より上位の存在だとも思わないわ。あなたにだけさまを付けるわけにはいかない」


とのことである。例によってシイ神さまは怒ったが、リンは『シイ神さん』と呼ぶことで決着がついた。


 そのシイ神さまはいつの間にか報セの肩の上に移動している。


リンは報セに台所の使い方を教えると、食卓に戻ってきた。


「翼は凪と仲良くなりたいの?  」


「うん、まあ……」


煮え切らない返事になってしまった。


「なら凪のことをよく見ることよ。相手のことをよく知らなければ、仲良くはなれないわ。それから無理をしなくても、翼が親切にしているのは伝わっているはずよ」

親切、という言葉にチクリと胸が痛んだ。俺が凪を助けたのは、本当に親切心からなのだろうか?自分がただ、悲惨な凪の姿を見たくなかったから、正義の味方のふりをしたかったから、後先も考えず連れてきてしまっただけではないのか?


「リン」


「なに? 」


「教えて欲しいことがあるんだけど」


「私が知っていることなら、よろこんで教えてあげるわ」


「リンと、凪の宗教のこと。神さまが一人だってことぐらいしか知らないんだけど、ほらあの『神よ感謝します』ってやつだけは、凪が喋るから気になって」


「ああ、あれは食事の時のお祈りね。私達には親から子へ口で伝えられる戒律があってね、食事の前と後には必ず神に感謝の言葉を伝えることになっているのよ」


「戒律って口伝なの?本になってるわけじゃないのか」


「そうよ。私達はもともと文字のない生活をしていたからね」


それから少しばかり青の民の生活について話を聞いた。正直なところ、ただリンの話を聞いていることが、翼には嬉しかった。そんなことをしているうちに、報セが洗い物を終えて戻ってきた。

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