彼女との出会い②
明かりを持って近づいてきたのは、背の高い女だった。
「困ってるでしょう。ここは結界が張ってあるはずなのよ。ほら、紐で囲ってなかった? 」
そう言いながら、翼に近寄ってくる。怨霊は彼女を恐れているのか、道を開けた。
翼は驚いて女を見た。女は翼と視線を合わせると、口元に笑みを浮かべた。
「もう大丈夫。安心して」
背の高いその女は、冴えた青の服を着ていた。服は全身を覆い隠すゆったりとしたもので、澄んで軽やかな声を聞かなかったら、女だとわからなかったかもしれない。
長い髪を一本に編んで垂らし、顔周りに髪が落ちてこないようにしている。瞳が大きく、鷲鼻が目立つ顔立ちで、化粧をしていないのも相まって、あまり血色は良くない。右耳には金色の正三角形が輝いている。
落ち着いて威厳の漂う佇まいは物語の魔女のようだが、顔には皺一つなく、背筋はしゃんと伸びている。首から石のついた首飾りを下げている。
どのような見た目にしても、翼には天人のように見えたことは、書くまでもないだろう。この場面を翼は繰り返し繰り返し、思いおこすことになる。
「もうちょっと頑張れる? 」
翼は頷いた。女の先導であの紐の場所まで戻ると、翼は紐を固く結んだ。怨霊はたちまち消え失せた。
「ありがとう。この結界を結び直してくれたのでしょう?私には霊能力はないのだけど、不思議とあなたのことは見えるわ。あなたは何者なのかしら? 」
「黒キ翼。南風市立中学三年二組、現在は生き霊です」
自分でもおかしな自己紹介だと思ったけれど、翼は疲れていたのだ。女は吹き出した。
「現在は生き霊ですって名乗る生き霊、初めて見たわ。もっとも生き霊を見たのが初めてなのだけど」
笑い事ではないのだけれど、心は少しだけ軽くなった。
「でも、そうとしか言いようが……」
「まあいいわ。どうしてここに来たの? 」
翼は話した。自分のこと、報セのこと、シイ神さまのこと、凪のこと、機蛇のこと、怨霊のこと。初めて会った人に話すには、あまりに多くのことを話しすぎた。翼の話しは要領を得ず、時に迷走したけれど、女は黙って相槌をうっていた。全て話し終わると
「そう。よく頑張ったね。大変だったでしょう」
と再び穏やかな微笑みを浮かべた。
「……別に」
素直に大変だったと認めてしまうのは、翼の自尊心が許さなかった。本当は大変だったし投げ出したくなったこともあったけど。
助けてもらったことで翼は女をかなり信用していたが、よく頑張ったね、の一言でその信用は揺るぎないものとなった。いや信用というよりもこの時点で既に、翼は女に好意を寄せていた。
女は立ち上がって、服に付いた汚れを叩いた。
「じゃあ、その山藤とシイ神さんと凪を迎えに行こうか。私の家、すぐそこだから。元気になるまで、泊まっていくといいよ」
翼に背を向けて前を歩きだした。
「いいんですか? 」
「もちろん」
立ち止まって、くるりと振り返ると女はこう言った。
「それから、そのですます調の話し方はやめてほしいわ。堅苦しいのは苦手なの。私の名前はリンドウ。リンと呼んで」
この女は少し変わり者なのかもしれない、と翼は思った。そこが良いところだ。
「わかったよ、リンさん」
「ただのリン、よ」
リンは歩きづらそうな服装にもかかわらず、スタスタと歩いていく。翼は慌てて後を追った。
「リン、名字は?凪も教えてくれなかったんだ 」
「ああ、それはね。私もたぶん凪も名字を持ってないのよ」
「どういうこと? 」
「私達にはもともと名字の文化がないの。戸籍が導入されて、私達も名字を持つようになったけど、内戦になっちゃってよくわからなくなっちゃったのよね」
リンは天気の話しでもするように淡々と話した。
「……」
大変だねとか何かそういうことを言おうと、リンみたいになんでもないことみたいに話そうと、翼は口を開いたが、結局何も言わずに口を閉じた。
機蛇で縮こまっていた報セとシイ神さまと凪を連れて、リンの家に着いた時には、夜が明けかけていた。部屋に通されるとすぐに睡魔が襲ってきて、翼は眠りについた。
こうして彼女ことリンと翼は出会った。