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荒波にもがけ、少年  作者: 刻露清秀
黒キ翼の冒険譚〜出会いと別れと一夏の恋〜
13/80

彼女との出会い①

 時を遡ること数時間、翼は


「承知しました。大丈夫ですよ、自分は生き霊なので」


と、胸を張って意気揚々と出発した。


 針葉樹の森の中で、人一人分の道を見つけて、そのまま民家を探した。時々


「誰かいませんかー」


と呼んでみたが、応える者はなかった。しかしながら、翼は悲観的ではなかった。森を抜ければ誰かいるだろう、と信じて疑わなかったのだ。


 森の中は明かりもないので、細い月と星々がよく見えた。地方都市とはいえ町育ちの翼にはなかなか新鮮な景色であった。


 翼は氷上帝国の本島南部の霜夜県で生まれ育った。本島だけでも三百ある県の中で、三番目に小さい県で、三方を山に囲まれ、港の作りにくい遠浅の海を持つ、いわば天然の要塞である。その攻めにくい地形を活かし、古くから軍事的な要所として栄えてきた場所でもある。氷上帝国における県は、市が五つほどで成り立つ行政区画である。


 本島に次ぐ大きさを誇るにもかかわらず、菱の島県というなんとも適当な名前の県で一括りにされている菱の島と比べればずっと小さな県だが、ずっと栄えた県なのだ。


 ずんずんと進んで行くうちに、翼は行手を阻むように一本の糸が張られていることに気がついた。どうやら霊体でも通ることができないらしい。翼は刀を抜くと、糸を切って前に進んだ。


 しばらく歩くとガサガサと物音が聞こえた。翼が立ち止まると物音は止み、歩くと物音が聞こえる。


「おーい」


最初はためらいがちに、徐々に大声で誰かに呼ばれている。甲高い子どもの声だが、シイ神さまではない。


 押しつぶされそうな妙な空気に耐えられなくて、だけど戻る気にもなれなくて、翼は走った。足音はしない。


「おい」


また誰かに話しかけられたような気がした。無視しようと思った。俺は今忙しい。走ってる人間に話しかけるな、馬鹿野郎が。


「おい、おーい」


誰だよ、本当に。いよいよ気味が悪くなった翼の耳に、赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえた。


「誰かある!」


精一杯格好をつけて呼ばわると、泣き声は止んだ。あーよかった。安堵して歩きはじめたところで、何かに思い切りぶつかった。四歳から五歳ほどの小さな子どもだ。


「ごめん、前見てなくて。大丈夫? 」


思わず声を掛けてから、翼はおかしなことに気がついた。子どもは『翼に思い切りぶつかった』のである。


「お腹すいた」


子どもは呟いた。俯いて指をしゃぶっているのでよく聞こえなかった。


「え」


「お腹すいたぁ」


牙を剥き、形相の変わった怨霊に噛み付かれ、翼は思わず膝をついた。その隙に何人もの怨霊がひしめき合いながら、翼の髪をむしり腕を引っ張り、たちまち翼は床に縫い付けられたように動けなくなった。子どもの姿に似合わぬ怪力だ。


「お腹すいたぁ」


「お腹すいたぁ」


「お腹すいたぁ」


そう呟きながら噛み付いてくる。


「放せよ! 」


怨霊を引き剥がそうともがいても、また別の怨霊がのしかかってくる。噛み付かれたところから血が流れ、痛みが全身を襲った。


「放せ!叩っ斬るぞ! 」


翼の脅しも聞かず、鬼と人間のあいの子のような見た目の怨霊どもは、翼を喰らおうと涎を垂らした。


 翼は身をよじって刀を抜き、怨霊を斬った。ゴロリと転がった怨霊の腕に、総毛立つ思いだったが、そのまま走った。


 また赤ん坊の泣き叫ぶ声がした。


「うるさい!うるさい! 」


子どもの姿の者を斬った自責の念と、純粋な恐怖から半狂乱になって翼は叫んだ。


 しばらくして翼は立ち止まらざるをえなくなった。周りを怨霊が囲んでいた。


 全員が六歳にも満たないような幼児だ。ある者は指をしゃぶりながら、ある者は涎を垂らしながら、こちらを見ている。


 一、二、三、……駄目だ、数が多すぎる。負けるかもしれない、と翼は思った。そう思う時点で負けていることを、翼自身よくわかっているのに。


不意に、初めて刀術の稽古をした日を思い出した。模擬刀を持った師匠の気迫に押されて、翼の精一杯の攻撃は、いとも簡単に跳ね返されてしまった。何度立ち上がっても倒されて、ヘトヘトになって、それが悔しくて泣いた。帰り道でも泣き続けて兄を困らせ、母を心配させた。父はそんな家族を黙って見守っていた。


 翼の家族はいつもそうだ。翼が何かをするたびに、兄は困り、母は心配し、父は何も言わずに見守ってくれた。困らせ心配させたにもかかわらず、仲の良い家族だった。何人かの下働きは、冷やかしたり茶化したりしていたけれど、家族に負けないぐらい優しかった。


 幼い頃と比べれば、翼は随分と強くなった。師匠相手の稽古でも粘れるようになったし、誰と手合わせしても臆することはなくなった。負けず嫌いは相変わらず。けれど、翼は思う。


負けたらどうなるんだろう。肉体を持っていないにもかかわらず、襲ってくるこの痛みはなんなんだろう。俺は、俺はどうなるんだろう。消えるのか。消えたら、それは死なのか。


 そういえば俺の肉体はどうなっているんだろう。山の中で眠っているのか。ここで俺が負けたら、眠っている肉体は屍に変わるんだろう。根拠はないが、そんな気がする。俺の屍はやがて朽ち果て、蟻やら蛆虫やらに食い尽くされて骨だけになって、その骨もやがて崩れ去り、土に還っていく。神隠しに遭ったとか、いや攫われたのかもしれないとか、適当に騒がれて、忘れられる。母上は嘆くだろう。父上も兄上も、悲しむだろうな。兄上はああいう性格だから、今度こそおかしくなってしまうかもしれない。それは気の毒だな。兄上、貴方のせいじゃないよ。


ああ、そうか。俺は死ぬのか。石を蹴ったらよくわからん神に呪われて、生き霊になってよくわからん怨霊に敗れる。剣の腕前で敗れたわけではない。数に負けて噛み付かれて敗れるのだ。嗚呼!我が一生のなんと間抜けな事か。


 翼が諦めと感傷に浸っていたその時、


「そこにいるのは誰? 」


話しかけてくる人がいた。

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