報セ山藤という男④
シイ神さまはため息を吐いた。
「我から話しても良いか」
「どうぞ」
「……あの子をなぜ連れて来た? 」
「誰のことです? 」
「とぼけるな。凪のことだ」
「いやぁ。翼が連れて来たので」
困ったような微笑みは崩れない。
「質問を変えよう。なぜ連れて来るのを了承した?翼が凪を助けるのに手を貸した?翼が凪を助けたいと願うのと、お前が凪を助けるのでは、責任も覚悟も違うだろう」
シイ神さまは厳しい表情である。
「う〜ん。確かに、成人である僕が親権者の同意なしに、明らかに未成年である凪を連れ回しているのは、誘拐にあたるかもしれませんね。というか誘拐ですね。困ったな〜。捕まったらまずいですね。本当は翼と行動してるのも怪しいところですよ。生き霊に法律は適用されないかもしれませんが」
報セはヘラヘラと笑っている。
「そういう話ではなくだな」
ため息混じりにシイ神さまが突っ込む。
「そういう話なんですよ。翼と僕の立場の違いなんて。僕は一応は大人ですから、法律や情勢を翼よりよく知っているし、法律は守らなきゃいけませんけど、困っている人を助けたいとか自分より弱い者を守りたいとか、そういう気持ちは翼と何も変わらないんです……なんてね。僕は責任とか覚悟とかそういうものに唾吐いてる側の人間です。成り行きです、成り行き」
「……あの子は兵士だ。お前の師を殺したかもしれないのだぞ」
微笑みは消えた。
裏口から独立革命軍の根城に潜入した報セが見たのは、変わり果てた師の姿だった。
壁に向かって目隠しと手枷をつけたまま、師は倒れていた。息絶えたことは明らかであった。蝿がたかっていたから。
その時、報セは静かに手を合わせ、何も言わなかったけれど、怒りや憎しみを、感じないはずはなかった。
「……先生がなんの写真を撮っていたかご存知ですか? 」
報セは尋ねた。
「いや」
シイ神さまは首を振った。
「子ども達です」
ずっと抱えていた背嚢から、報セは写真機を二台取り出した。一つは報セ自身のもの。もう一つは先生のもの。この世界の写真機は、機蛇と同じような『脳味噌』に映像を記憶する。写真機は二台とも壊されていた。もしかしたら記憶は残っていないかもしれない。
この写真機を取り戻すために報セは大立ち回りを演じ、一行は偵察もそこそこに強行突破する羽目になったのだ。
「先生はもともと児童労働について取材してらして、帝国に逃げてきた島民から、この菱の島の武装組織では子どもが兵士として扱き使われているという実態を知ったそうです。いてもたってもいられなかったんでしょうね、取材に行ってそのまま帰らぬ人になってしまった」
遠い目をしてとうとうと語る。
「それで? 」
「それで?それだけですよ。先生はお人好しの子ども好きでした」
「だから、そのお人好しの子ども好きに代わって、子どもを助けたいとでも言うのか?お前が先生と呼ぶ、その人を殺したのは他ならぬあの子かもしれないのだぞ」
シイ神さまはあくまで厳しい。
「先生はこうおっしゃいました。先生の使命は、一つ、災いをなるだけ多くの人に知らせること。一つ、強き者の横暴を阻むこと。一つ、何よりも弱き者を救うこと。僕は先生のことを尊敬しています。先生の遺志を尊重したい」
「その使命に従った結果がなんだった?その使命を尊重する結果がなんだ?仇討ちもせず、法を犯し、廃人も同然の子どもを助ける?満足に動けない、感謝の言葉も口にしない、自らの意思など何処にも感じられない、ただひたすらに哀れで、だが確かに罪に汚れたそんな子ども一人、命を助けるのがお前の使命なのか?まあ随分とお偉い使命なのだな」
「偉くはありません。偉くはないんです、全く。ただ先生の信条を、踏みにじることはしたくない。貧しいが故に罪を重ねる子どもがいる、大人に虐げられたが故に道を踏み外す子どもがいる。けれど生まれながらの殺人鬼や強姦魔はいない。人間は宿業を抱えていると同時に善なる一面を持っている生き物。先生なら凪を廃人とは言わない」
語気を荒げたりはしないが、報セの言葉には圧があった。
「綺麗事は余裕がある者の特権なのだ」
「綺麗事に唾を吐くほど、落ちぶれたつもりはありません。確かに余裕のある生活は送っていませんが、汚い事言ったってしょうがないんですよ。その他大勢にも特別な誰かにもなれなかった僕は、社会から爪弾きにされ、どうしようもない子どもでした。警察の世話にもなりました。でも先生は僕を信じてくれた。自分の助手として雇ってくれ、写真機の使い方を教えてくれた。だから今の僕がある。先生の阿呆みたいな綺麗事に、僕は救われたんですよ」
報セの表情は固かった。
「法律は大多数の人を守ることができます。だからこそ守らなければならない。道徳も同じです。法律も道徳も偉大です。しかしながら所詮は大多数のための決め事です」
口元がわずかに歪んだ。
「法律や道徳が目の前の人を見捨てる理由になるのでしょうか。この法律も道徳も死に絶えた島で?これは僕個人の考えですが、目の前の人に手を差し伸べない者が、どうして社会や世界の助けになるでしょう。法律なんて糞食らえですよ。……随分恩着せがましい言い方をしてしまいました」
報セは眉を八の字にした。
「要は僕は、凪を信じることで、昔の僕を信じたいんです。子ども頃の僕を救えるのは、大人になった僕だけだから。凪が人殺しだろうとなんだろうと、僕には彼を責める資格はないでしょう。彼の境遇は、一歩間違えたら僕だったかもしれない。僕は極めて利己的な人間です。本心では凪を助けたいなんて思ってないのかもしれません。凪には謝らなければなりませんね。選ぶ余地もなく、僕みたいな大人と行動しなければならないんですから」
報セ山藤は聖人でも極悪人でもなく、利己的で遵法精神に欠ける、ただの大人である。積み重ねた知識と経験とほんの少しの経済力で、その他大勢と殴り合う、ただの大人だ。殴り合いの理由は、子どもじみた理想だったりする。
「信じることで救われる、宗教みたいですね。でも僕は先生のようにありたい。綺麗事吐きながら、誰かを信じてみたい。少なくとも子ども達の前では、そういう僕でありたい。僕には才能も金もない。社会や世界にとって特別な誰かにはなれない。それでも絶望するほど老いぼれてはいないので」
迷いがないわけではないけれど、報セ山藤には凪を見捨てるという選択肢がなかったのだ。凪に背を向けることは、かつての自分に背を向けることだから。この時点では、それだけだった。