2、突然のきゅうり
終業のチャイムが鳴り響く。いつものようにこれからひとりでお家に帰っておやつを食べますがなにか?というような顔をして席を立つ。
騒ぎたてる同級生たちの間を華麗にすりぬけて教室を出る。彼女の方へは見向きもしない。すべてシナリオ通りだ。この上なくロマンティックでドラマティックなぼくの告白ショーが幕を開ける。
ぼくはひとり夕暮れの河川敷に立っている。夕日に反射してきらきらと輝く川面。秋の終わりを告げる少し冷たい風。遠くから響いてくる子供たちの楽しげな声。
高鳴る鼓動。手の平は汗でびっちょりと濡れている。でもぼくは落ち着いている。大丈夫だ。
強く、そして静かに、ひっそりと心の奥底で燃やし続けてきた炎。今こそ、きみの心のろうそくに火を灯す時。
そして、彼女がやってきた。
髪の毛が、風になびいて揺れている。真っ直ぐな視線がぼくを真正面から捉える。ぼくも真っ直ぐ見つめ返す。余計な言葉や振る舞いは不要だ。今この瞬間、ぼくの想いこそが世界の支配者である。
ぼくは酔っていた。自らの手で作り上げたこの完璧な舞台に。すべてはあるべき場所におさまっている。ほかの誰でもない、このぼく自身の作り上げた美が、一秒ごとに誕生と消滅を繰り返して流れていく。彼女が瞬きするたびに、ぼくは生まれ変わって彼女の目の前に現れる。
まだしばらくこの舞台の上に立っていたかった。まだなにもはじまってはいない、あらゆる可能性を含んだ瞬間。ぼくはそれを守るため沈黙し続けた。まだここにいたい。浸っていたい。この世界が微笑んでいる、ぼくに向かって…
「ねぇキュウリ好き?」
ぼくは自分の耳を疑った。ついでに目も疑った。さっきまでこの世界の美を必死に吸収しようとしていたぼくの五感は全部疑いにかけられることとなった。
彼女はいつの間にかきゅうりを持って突っ立っている。きゅうり?今、このタイミングで、きゅうり?なにが?は?
「どうなのよ?きゅうりのことどう思う?」
しかも、ぼくのきゅうりへの想いを問いただしてくる。あれ?ぼくは、さっきまで熱い想いを胸に抱いていたわけで、ぼくの存在意義がその中に凝縮されていたというのに、そんなもの一気に通り越して、なんかいきなりきゅうりの話?それって、付き合ってから、手を繋いでデートとかして、たまたま八百屋の前を通って、八百屋のおっさんが、「安いよ安いよきゅうりが安いよ~」なんていって、そんなあるかないかの状況下で、はじめて受け止められる質問事項ではなかったか?
そんなわけでぼくはとりあえず「すごくすきだよ」と答えた。
すると彼女ははにかんで笑った。なんだかよくわからないけどすごく喜んでいるようだ。その笑顔がとびきりかわいかったので、ぼくはもう全部どうでもよくなってしまった。そしてこれが、ぼくと彼女がはじめて交わした会話となった。