盲目のお嬢様
「……ふぅ」
そっと本を閉じる。静かな空間にわたしの吐いた息の音だけが響いた。
読んでいたのはこの家のお話を元にした童話。小さい頃から聞かされ続けていたこのお話だけは、何も見えないわたしでもページをめくることができる。
「お嬢様、本なら私が読みますよ?」
急に後ろから話しかけられてビクッとしてしまう。どうしてこの執事は、こうも音もなく現れるのだろう。音に敏感なはずのわたしでも、話しかけられるまで近づかれていることに気づかないことが多い。
そっと後ろへ振り返る。何も見えないけれど、誰かがいることは分かる。
「この本だけは自分で読みたいの」
「……そうですか」
わたし、ラルコット・アーネリアンは生まれた時から目が見えない。遥か昔からアーネリアン家に続く呪いのせいで。
遥か昔、アーネリアン家にはそれはそれは美しいお嬢様と、彼女に仕える執事がいた。二人はとても仲が良く、本当の兄妹のようだったらしい。しかし、執事の方の想いはそれで留まらなかった。隣国との戦争が始まり、執事は真っ先にお嬢様を一番安全な王都へ逃がそうとする。それに対しお嬢様は領地に残ると言い切り、自ら疲弊していく民に対して支援を始めた。壊れていく街、疲れた様子の民。それを見ていたお嬢様も、少しずつ疲弊していく。それを傍で見ていた執事はとうとう我慢の限界を迎え、お嬢様に目隠しをし、手足を縛り、無理矢理王都へ連れて行こうとした。仲の良かった二人は道中言い争いを続け、執事はそれまで抑え込んでいた気持ちを爆発させた。お嬢様に自分の気持ちを伝え告白するも、お嬢様はその気持ちに応えられないと言い領地に戻ろうとする。そんなお嬢様を見て諦めたのか、執事はお嬢様の目隠しを取った。やっと戻れると安心したのも束の間、執事の手がお嬢様の美しい瞳へと伸びる。
「お嬢様の瞳に何も映らないようにしてしまえばいい」
そう言ってお嬢様の瞳をくり抜いた。
このお話はこれで終わっていて、この後二人がどうなったのかは知れない。執事が何故お嬢様の瞳をくり抜いたのか。その真意は分からないけれど、きっと本当にお嬢様を愛していたのだろう。
それからアーネリアン家の長女は盲目で生まれる。そしてそれは、執事の呪いと言われている。
「お嬢様、今日は何をなさいますか?」
わたしに幼い頃から仕えている執事のカイ。髪の色は灰色、瞳の色は碧いらしい。聞いてみたら教えてくれた。
「何をしようかしら……」
目の見えないわたしに一人でできることは少ない。
「街へ行くのは……」
「駄目です」
最後まで言うことさえできなかった。
そう、あの昔のお話のように隣国との戦争が始まろうとしている。街の様子を知ることができないので分からないが、カイによると殺気立っている人もいるらしく、街へ行くことは禁止されている。
「じゃあ何をしてたらいいっていうの?」
「部屋の片付けをしましょう。そろそろ旦那様達のいる王都へ行く準備をしなくてはいけません」
この領地にいるのはわたしだけ。お父様、お母様、弟は王都にいる。戦争に巻き込まれないよう、わたしも王都へ向かわなくてはいけない。もしかしたらあのお話のお嬢様も、この領地に執事と二人だったのかもしれない。
そう考えると、本当にわたしの現状はあのお話と似ている。お嬢様はわたし。執事はカイ。始まろうとしている戦争。けれど、絶対にお話と違うことが一つだけある。わたしはカイに恋をしているけれど、カイはわたしのことを何とも思っていない。
カイがわたしに仕えるようになったのはわたしが7歳、カイが12歳の時だった。カイは孤児だったらしいけれど、見目の良さからお父様に拾われたらしい。それから三年くらいは兄妹のように過ごし、お互いに色々学んでいくうちに今の距離感になった。無口だったけれど優しくて、必死でわたしの喜ぶことをしてくれようとしている姿に気づいたら恋をしていた。だからある日、思い切ってカイに聞いてみたことがある。
「カイはわたしのこと、どう思っているの?」
「以前は可愛い妹だと思っていましたが、今では私の仕えるべき大切な主だと思っています」
以前は妹で、今は主。嘘がつけない彼だからこそ、わたしには痛いほど分かった。彼はわたしのことを好きにはならない。
それからわたしは彼に相応しい主であろうとした。心の奥に眠った想いが表に出ないように、気づかれないように。
そんなわたし達の関係が最近、綻び始めている。王都へ行かせたいカイと、王都へ行きたくないわたし。ここにはカイとの思い出がたくさんある。カイと出会い、遊んだのはこの家。例えここが戦場になろうとも、離れたいとは思わなかった。
「わたしは王都へは行かない。だから準備も必要ないわ」
「いいえ、お嬢様は王都へ行きます。無理にでも私が連れて行きます」
「昔話のように手足でも縛るのかしら。それとも瞳をくり抜く?」
「……」
言ってしまってからカイが無言になったことに気づいてハッとする。カイは昔からあの昔話が嫌いだった。理由を教えてはくれなかったけれど、その話をするといつも無言になって雰囲気が硬いものになる。今だって同じ雰囲気。
「カ、カイッ、あの……」
「お嬢様は何も分かっておられない」
それだけ言って部屋から出て行ってしまった。最近、以前では言葉がなくても分かっていたカイの気持ちが分からなくなった。もしかしたら以前から知ったつもりでいただけなのかもしれない。わたし達はきっと、以前のように仲良くすることはできない。何かが変わってしまった。
やることがなかったので、仕方なく窓辺に座って外の音を聴いていた。色々な音が聴こえてくることを楽しんでいるうちにいつの間にかお昼になっていた。扉をノックする音に現実に戻される。きっとカイがお昼ご飯を運んできたのだろう。
「入って」
扉が開き、誰かが入ってくるとともに美味しそうな匂いが部屋に広がる。匂いで分かったけれど、今日のお昼はわたしの好物ばかりのようだ。
「お嬢様、先程はあのような態度をとって申し訳ありません」
きっと挨拶もなく部屋を出て行ったことを言っているのだろう。
「気にしていないから謝らないで。お昼の内容がわたしの好物ばかりなのは、謝罪のためかしら」
場が少しでも和むようにわたしはクスクスと笑う。いつもだったらこれでカイの空気が変わるのに、今日は変わらない。不思議に思い、カイがいるであろう場所を見えない目で見つめる。
「それもありますが……。お嬢様がこのお屋敷で食事をされるのはこれが最後なので、少しでも思い出が増えるようにと思いこのメニューにしました」
「……どういう、こと……?」
カイの言っていることは確かに聞こえているけれど、理解したくない。
わたしの動揺しきった言葉にも、カイの雰囲気は変わらない。
「お食事の後、私が無理矢理お嬢様を王都へ連れていきます」
それは有無を言わせない強さを秘めた言葉だった。わたしは何も言うことができず、呆然とカイのいる方を見る。
「さぁ、時間があまりないので急いでお食事を」
その後のことはあまり覚えていない。味のしない食事を済ませ、気づいたら手足を縛られて馬車に乗せられていた。その間考えていたのはカイのこと。何故こんなことをしたのか。わたしはもう、本当にカイの考えていることが分からない。
きっと王都まではあと半日ほどで着くだろうという所まで来た。手足は依然として縛られたまま。体に負担の少ないように作られ、たくさんのクッションを詰められた馬車の中は快適だった。私の座っている席の前には誰かの気配がするから、きっとカイだろう。
「カイ、何でこんなことをしたの」
もう聞くなら今しかない。そう思いわたしは声を出した。
「無理にでも連れて行くと言ったでしょう」
返ってきたのは感情のない淡々とした声。
「確かに言ったけれど……、本当にやるなんて……」
「私はお嬢様に嘘は言いません」
自然と溜め息が出る。きっといくら聞いたって返ってくるのはこの言葉だろう。だったらもう一つ、わたしには聞きたいことがある。
「確かその時、貴方はわたしが何も分かっていないと言ったわよね。わたしが何を分かっていないというの。教えて」
「……」
カイが無言になる。多分一番聞かれたくないであろうことを聞いた。
「……話してしまったら、きっとお嬢様は私を嫌いになる」
「どいうこと?」
絞り出したようなカイの声には不安が滲んでいた。
カイが私のことを嫌いになることがあっても、わたしがカイを嫌いになることなんて絶対にない。
「大丈夫、嫌いになんて絶対にならない。だから話して」
もうここまで来てしまったら自力であの家に帰ることなんてできない。王都に着いても、カイは無理矢理わたしを連れてきたことに責任を感じてわたしの傍から離れていくだろう。だったら最後にカイの本心を彼の口から聞きたい。
「……私があの昔話を嫌いなのは、嫌でもあの執事の考えが分かってしまうからです」
「考え?」
カイが諦めたように話し始めたのは、ずっと聞きたかったことだった。その話がどうわたしが何も分かっていないということに繋がるのだろうか。
「お嬢様には汚いものなんて見てほしくない。私だけを見てほしい」
「……え?」
思いがけない言葉に思わずポカンとしてしまう。私だけを見てほしい?それじゃまるで…。
「お嬢様の目が見えないことに私は何度も感謝しましたよ。お嬢様の一挙一動、全てに醜い感情を抱いてしまう私の顔を見られないで済む」
「何……それ……。そんな言い方、本当に……」
「そうです、私はお嬢様のことが好きです。ずっとずっと前から。そしてお嬢様はそんな私の気持ちを全く分かってない」
わたしが信じられない思いで震えた声を出すのとは違い、カイは何でもないことのようにはっきりと言った。カイがわたしを好き……?
「で、でも……、それはわたしが貴方の主だからでしょう……?」
「いいえ、ちゃんと異性として好きですよ」
「そんなっ……、そんなの嘘……!」
今だけは自分の瞳に何も映らないことが本気で恨めしかった。きっとカイの表情が見れれば、彼が何を考えてそんなことを言っているのか分かるはずだから。
「嘘ではないです。どうしたら信じてもらえますか?あの話のようにお嬢様から何かを奪えば信じてもらえますか?」
わたしは緩く首を振ることしかできない。カイがわたしのことを好き…?信じられない気持ちでいっぱいで、カイが何か言い続けているけど頭に入ってこない。
「……見たい」
「え?」
「わたし、カイの顔が見たいの」
最終的に浮かんだのはこの願いだけだった。カイの表情が見たい。そうすれば、言葉だけでは分からないことも絶対に分かるはず。そうすれば、カイの言葉も信じられる。
「お嬢様は、私のことを好きですか?」
突然聞かれたことに慌てる。長年しまい続けてきた想い、こんな急に言えるはずがない。
「言ってもらえませんか?そうすれば、もしかしたら呪いが解けるかもしれません」
「本当に……?」
「えぇ、私は嘘を言いません」
その言葉につい少し笑ってしまう。昔から、不思議とカイのこの言葉は信じられた。
「好き、カイのことが好き」
わたしは笑って言えているだろうか。わたしの言葉を聞いて、彼はどんな顔をしているだろうか。
「カイ……?……っ!」
何も返事がないことが不安になり名前を呼ぶと、誰かに抱き締められた。
「やっと言った」
聞き慣れた声が耳のすぐ近くから聞こえる。すごく近くにカイがいることが分かり、体中の体温が上がった。
「お嬢様」
少し体が離れ、今度は真正面から声がする。今、わたし達の目は合っているのだろうか。そんなことを気にしていると、唇に何か柔らかいものが触れた。何か分からず体を動かそうとしたけれど、カイの腕が放してくれない。そして、カイの鼻息の有り得ない近さにわたしはやっと気づいた。わたし達、キス、してる。
「~~~っ!!」
わたしが恥ずかしさで声にならない悲鳴を上げると、カイがわたしから離れた。抱き締めてる腕はそのままだけれど。
「お嬢様、瞼を開けてください」
「……?」
「呪いは解けたはずです」
「本当に……?」
「私を信じて」
キスをしただけでずっと見えなかったわたしの目が見えるようになるなんて、普通なら信じられないだろう。でも、その時のわたしは何かの魔法にかかったかのように自分の目が見えるようになったのだと思えた。そして、恐る恐る長年閉じたままだった瞼を開く。
一番最初に見えたのは白一色だった。やっぱり見えないのかとがっかりしたけれど、だんだん何かが見えてくる。そしてはっきり見えたのは……。
「カイ、笑ってるの?」
「はい。お嬢様の瞳がやっと見れましたので」
わたしのことを愛おしそうに見つめる灰色の髪、碧い瞳をした青年だった。
「私がお嬢様を好きだということ、信じてもらえましたか?」
「そんな顔されたら、信じるしかないわよ」
わたしの見えない世界で、カイはずっとこんな表情をわたしに向けていたのだろうか。
「カイ、大好き」
「私もですよ、お嬢様」
あの昔話の最後は、きっとハッピーエンドに変わるだろう。
「取り敢えず、手足を解いてもらえる?」
「あ」
最後まで読んでいただきありがとうございます!楽しんでいただけたでしょうか?
短編の書き方には慣れず、回想のシーンなどが読みにくかったかもしれません。次に書く短編の時には必ず進化したいと思います!
もし上手くまとめられそうであれば、カイ目線も書いてみたいです。ラルコット、カイの二人は書いていて楽しかったのでまた書きたいなぁ、とは思います!
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!