序・夜雨
心の中で雨が止まなくなったのはいつからだろう。
朝昼晩と降り続くこの雨はまるで途切れることがない。人生最後の日くらい晴れてくれればいいものを、この世界でも生憎の雨だ。
ふうっと深く息を吐き出し、斎はたった数十センチの、この世と別れを告げる位置にそっと上る。
いまにも倒れそうな足場の上でバランスをとり、見慣れた部屋を、いつもと違う目線から眺めれば、ふと机の上の遺書が目にはいる。
大したことは…書けなかった。
両親への感謝と謝罪。友人へのメッセージ、そして世界でだだひとり必要としてくれた彼女への思い。
書きたいことはたくさんあったし、書けると思っていた。しかし、いざペンをにぎると心に浮かんでいた言葉は霧のように立ち消えた。それでもなんとか言葉にして、斎は人生最後の手紙に封をしたのだった。
日常と非日常はたった数十センチの違いでしかなかった。だが自分はもうこの日常に帰ることはないのだ、と理解してしまえば、心の雨は一層強さを増した。
それでもこれでやっと終わりの時間だ。
ぐらぐらと心許ない足場から落ちないように気をつけ、用意した縄に体を委ねる。
「いいのか――?」
誰でもない誰かが問いかける。
後悔はない。―――いや嘘だ、後悔しかない。本当はもう少し生きたかった。
やり直せないだろうか。―――できるなら死んでない。もう終わってるんだ。いまさらなにも変えることはできない。
最後の問いは生きたいと望む彼が生んだ幻聴だったか、それは誰にもわからない。
そして、意を決して彼は行く。
足を離せばドンとした衝撃とともに自重がすべて首にかかる。今まで感じたことのない苦しさと二度と戻れない一線を越えてしまった後悔。しかしこれを乗り越えられば終わらせることができる。
体感では永遠にも等しく、実際には数分の後、そのときは来た。
だんだんと意識が溶けていき、やさしい、眠気にも似た、抗えない死が、斎を包む。
最後に浮かんだのは幼い頃の思い出。もう二度と永遠に取り戻すことのできない幸せな時間の記憶。
己の生涯に対する後悔と共に斎は意識の最後の一片をゆっくりと手放し、目覚めることのない眠りについた。
自己満足の小説を誰かに読んでいただきたくて
投稿しました。
とても遅筆なので連載ペースにはあまり期待しないでください、すみません。