07
魔王ジャスティスと勇者ジュリアスの剣の戦いは続いていた。さすがに種族のつくりからくる問題か、一撃一撃にすべてをかけているジュリアスの攻撃を受け続けても余裕なジャスティスと、体は疲れきっているが真っ直ぐな目で聖剣を撃ち込んでいるジュリアスの姿がある。
「なかなかいい太刀筋だな、前髪オレンジ」
「お前に誉められるなんて光栄だ。赤マント」
今まで床に転がっていたツヴァイはまだ体を動かせないながらも目だけ動かして2人の戦いを見ていた。妙に仲良く、何か変な名前で彼らは呼び合っているような気がするが、今のは聞かなったことにしようとツヴァイは思った。ジュリアスが剣を交えている相手は紛れもなく、あの魔王なのだから。
それよりも、姿の見えないエキャルラットを白の霊力の気配で探すと何故か上から感じる。どうやらエキャルラットも自分同様に魔王にやられたようで豪華なシャンデリアにぶら下がっていた。
「いつ見ても強い白の霊力...いえ、あの霊力は...」
傷を直すために彼自身の強い白の霊力がエキャルラットを包み込んでいる...だが、良く見ればエキャルラットを守る白の結界も彼を外側から癒やすその白の霊力はいつも見ているエキャルラットの白の霊力ではない。
よく似てはいるが、違う白の霊力である。
「もしかして、ラットの母親ですか...?」
思い当たるのはそれくらいだ。直接エキャルラットの母親を見たことはないが、傷を癒す能力からものすごい愛情と優しさを感じる。それにしても島の人間なだけあって神巫女という一族は強い能力を持っているらしい。
エキャルラットの持つ白の霊力でさえ、人間にとっては桁違いだというのに、それ以上の強い白の霊力だ。
(“琉理に認められたい”、ですか。それだけ母親に会いたいという思いが強いのでしょう...これだけ大切に守られているとはいえ皮肉なものですね)
ツヴァイは心の中でそう思うと、そろそろ体が動かせるまで回復してきていた。まだ魔王に直接攻撃をするような事はできないが、能力を砲撃に使ってジュリアスを援護するくらいはできるだろう...なんとか床に手をついて体を起こしたツヴァイは自分の能力を反り返しのついた5本のナイフに姿を変えて魔王を狙い撃つ。
「ジュリアス、援護します」
「ツヴァイ?気がついたのか!?」
ジュリアスが一瞬だけ視線をツヴァイの声のした方に送ると、また目の前の魔王ジャスティスを真っ直ぐに睨み付ける。ジュリアスの視線の先のジャスティスは楽しそうにニヤリと笑みを浮かべて、ツヴァイの撃った5本のナイフを黒の魔力で弾き飛ばして器用にジュリアスへと進行方向を変えて攻撃を返した。
ツヴァイが狙い撃った時よりも遥かに速いスピードでそれはジュリアスの心臓を狙う。だが、先ほどまでのジャスティスとの戦いでジュリアスも彼の行動パターンや癖を見極め始めていた。
「っ、赤マントお前の攻撃のスピードにやっと体が慣れてきたところだ...っ!」
ジャスティスは聖剣を数回振り、ギリギリのところで高速で自分の心臓目掛けて飛んでくるナイフを全て叩き落とした。体がやっと魔王のスピードに慣れてきたとは言え、やはり人間という肉体、種族に限界を感じる。
もう立っているのも限界と言うように騎士として鍛えた体がぐらりと揺らぐ、聖剣を床に突き刺して支えて立つことすら難しいらしい。
「ジュリアス!」
床に突き刺した聖剣に体を預けることすらできずに倒れ込むジュリアスには、ツヴァイの声もまるで夢のように遠くに聞こえる。まだ完全には傷の癒えていないツヴァイがとっさに蒼色の翼を動かし、低空飛行をしてジュリアスが完全に倒れる寸前にジュリアスの体と床との間へと滑り込んだ。
無理に動かし、本来とは違う着地をしたせいでツヴァイの蒼色の翼は妙な音をたててあらぬ方向へと折れ曲がり、蒼色の羽が舞い散る。
「ぐっ!!...ジュリアス、ここで諦めては...騎士として、の恥ですよ...ッ」
懸命にツヴァイは痛みに耐えてジュリアスに声をかけるが、ツヴァイの体の上で浅い呼吸を繰り返すジュリアスは声を出すこともできずにいた。
“騎士としての恥”だと言われたことにも反論できない自分がとても情けない。本当にこれでライトシャイン王国の王族騎士と胸を張って言えるのか。
「人間にしてはよくやる方だけど、それが限界だろうな」
ジャスティスはもう立ち上がることさえできない2人の“勇者”を強者らしく上から見下ろしながら言った。それに、翼が折れた鳥類族の亜種も、未だに傷が癒えずにシャンデリアぶら下がっている黄緑頭の目隠しも、もう動けないだろう。
先代の魔王が気まぐれに始めた“魔王と勇者ごっこ”も、こいつらを人間の領土に帰せば“魔王の仕事”として終わりだ。それが終わればまた書類の山とにらめっこの第2ラウンドが待っているわけだが...。
「もう少し動けるようになったらお前ら勇者を人間の領土まで俺の黒の魔力で転送してやる。お前らなら、また来ても遊んでやるぞ?」
まるで、誰もが恐れる最強非道の魔王とはかけ離れた顔でジャスティスは笑いながら、黒の魔力で目の前の2人の傷を癒す魔方陣を彼らのいる床に描いた。シャンデリアにぶら下がっている黄緑頭の目隠しの子供は島の人間が傷を癒しているためほっといてもいいだろう。
そんなジャスティスに困ったような笑いを返したのはずっと聖剣を交えていたジュリアスで、ツヴァイは薄々気付いてはいたが、あの魔王がこんな奴でいいのかと苦笑いを浮かべていた。
「...赤マント、本当にお前が“魔王”なのか?」
ジャスティスの黒の魔力による癒しの魔方陣で喋れるくらいまで回復したらしいジュリアスが口を開いた。折れた翼の回復に時間のかかっているツヴァイも気になる様子でジャスティスを見上げている。
そんな視線に、ジャスティスもこいつらになら話してもいいかという気持ちになった。そのためジャスティスは“魔王”としてではなく、自分自身として答えることにした。
「今の魔王は俺だ。人間の勇者と戯れるのが魔王の仕事なだけだ、前髪オレンジ。それにお前らの言う“魔王”は...」
ーーー《殺せ!!我らと等じく破壊者となるがいい》
突然に、ジャスティスの纏う空気が変わる。瞳がいつもの漆黒から赤に変わって光っている。ジュリアス達の傷を癒すための魔方陣も跡形もなく消えてしまっていた。
ジャスティスの纏う空気が変わったことにジュリアスもツヴァイも驚き、それと同時に騎士としての長年の経験から距離をとった。今までのジャスティスからは感じ取れなかった威圧的な、圧倒的な黒の魔力の能力値...嫌な汗がジュリアスとツヴァイの背中を伝い落ちている。
目の前に、昔から伝承に語られる“魔王”がそこにいた。
「おい、赤マント?」
冗談だろと、自分達に容赦なく向けられる殺気がジュリアスには信じられない。今まで聖剣を交えていた“赤マント”ではない、そんな気がしてならないジュリアスだが再び立ち上がり聖剣を握りしめて構える。ツヴァイも同じく騎士の剣を正面に構えた。
「忌々しい...白の霊力など我が葬り去ってくれようぞ」
魔王は目の前の聖剣 ジャスティス・スウェアクロスを睨み付けていた視線を外して上を見た。天井のシャンデリアには我と相反する強き白の霊力を持つ者がいる。
魔王は憎悪で歪んだような顔をむき出しにして空中に浮き、シャンデリアにぶら下がっている子供の前に一瞬で移動すると、右手を上げて黒の魔力を指先に集めた。その照準を忌々しい白の霊力を持つ子供に向けて容赦なくビーム状にして放った。
「“忌々しい”って言いたいのは、うちだから」
魔王が纏う、魔王が作り出す、魔王の領域、漆黒の闇を祓うように魔王をまっすぐ見詰め返す黒い瞳、白の霊力を纏う女性がエキャルラットを護るようにそこにいた。風など吹いていないはずなのに、エキャルラットと同じライトグリーンの色の髪が少し混ざった綺麗な黒髪が舞い踊っている。空中に浮く、その立ち姿はエキャルラットととても似ていた。
「いったいどこから...我の黒の魔力を消し去るとは厄介な女だ」
「うるさいな。うちの大事な子をあんたなんかに渡すわけないでしょ」
その女性は魔王を見据えながらもスッと後ろに下がり、自分とあまり変わらないくらいに成長したエキャルラットを赤子を抱くように大切に、いとおしそうに抱き締めた。そして、エキャルラットのおでこにキスを1つ落とすと己の白の霊力を癒しのオーラに変えてエキャルラットの体を包み込んだ。
「大きくなったね、エキャルラット。でも白の霊力の使い方はまだまだだね」
「...ん、琉理?」
ぼーと夢でも見ているような目でエキャルラットは自分を優しく包み込む、自分によく似た顔の女性を見詰めていた。いつの間にか、エキャルラットの手は琉理の髪を掴んで放さないまま眠たそうにライトグリーンの瞳を閉じて寝てしまった。
そんなエキャルラットをくすりと笑い、琉理は再び目の前の魔王を、いやジャスティスを見た。
「正義・サンライト・イブリース。あなたはそれでも当代の魔王なの?」
琉理がそうジャスティスに問う言葉にはとても強い白の霊力がのせられている。今、この場を支配するのは魔王の黒の魔力ではなく、琉理の白の霊力に変わっている。
すると、赤く光っていたジャスティスの瞳はいつもの漆黒の色に戻った。そして、今まで“星の意思”に乗っ取られて“魔王”になっていた頃の記憶が琉理の白の霊力によって呼び起こされる。俺は、あいつの思い通りには...。
「...っ、俺は.....」
ーーー俺は、エヴィルを_____
自分がなにをしてしまったのか思い出した正義・サンライト・イブリースは声にならない声を上げ、両手で髪をむしるように頭を抱える。
そしてその事実に、現実に耐えきれなくなったジャスティスは人間の姿を維持できなくなり、本来の魔族の姿に戻った。人間サイズであるこの城があっという間に崩れ去るのと同時に、この城のもとに戻る力とぶつかり合った。
「っ...エヴィルッ...!!」
ジャスティスは魔族の大きな体で暴れ、大きな翼をバタつかせた。そして、現実から逃げるように、“魔王”から逃げるように飛び立った。厚い雲がいつも穏やかな青空を隠し、大量の雨が降り稲妻が無数に駆け抜ける、まるでジャスティスの心を表したような荒れ狂う大空がどこまでも続いていた。