10.秘められた力
自分の力を強く信じて。
守護聖霊アテナと契約を結んだパルは、対峙していたルナに視線を向ける。
彼女は不機嫌そうな表情でパルとアテナを睨んでいた。
「どういうつもり? 断りもなくあたし達の戦いに入ってくるなんて」
「あら、ごめんなさい。だって、アタシのご主人様の危機だったんですもの。パルちゃんを守るのが、神から与えられたアタシの役目。当然の事をしただけよ」
ルナの睨みなどまるで気にせず、アテナはそう答える。
彼女のその態度がどうにもルナは気に食わなかった。
「さっ、いくわよパルちゃん! アタシが力を貸すわ。だから、絶対に助けられるって強く信じて」
アテナの呼び掛けにパルは小さく頷くと、すぐさま閉じ込められているマルスとアイクのもとに駆けた。
二人はもう完全に全身を水に飲み込まれており、どうにか沈む前に吸い込んだ空気で持ちこたえているような状況だ。
苦悶の表情を浮かべながら二人は縋るようにパルに視線を向ける。
「ちょっと、言わなかったかしら? シャウム族の姉妹、あたしは彼女達をどうにでも出来るのよ?」
パルとアテナに向けてルナはそう警告した。
ルナはカナンとティアを人質にしているとほのめかしていた事を思い出したパルは、咄嗟に動きを止めた。
苦しそうに顔を歪める二人と睨むような視線を送ってくるルナを、パルは困惑した様子で交互に見つめた。
「あら、本当にそうかしら?」
「なんですって?」
マルスとアイクが犠牲になるのか、カナンとティアが犠牲になるのか、その究極の二択を迫られ困惑するパルを宥めるようにアテナが彼女の肩に両手で触れる。
そして、ルナに人質にしているのが本当なのかと、どこか意味深長な物言いで問い掛けた。
問われたルナは僅かに眉間に皺を寄せて聞き返す。
「アタシはこの神殿の主よ。この中の状況なら何だって分かっちゃうわ。シャウム族の姉妹は神殿の入り口付近にいるようね。でも、その子達はせいぜいあなたに眠らされたくらいで、他に危害が加えられた、もしくは加えようとしている感じは全くしないわ。あなた……邪神の側についているわりには、随分優しいじゃない」
このキューマ神殿はアテナの領地のようなもので、内部で起きている事は大方把握する事が可能だ。
姉妹は神殿の入り口付近でルナの魔法によって眠っているらしい。
それ以外に危害を加えられた様子も、これから危害を加えるために何か魔法が仕掛けられている様子も、アテナには全く感じ取れなかった。
ルナの狙いはあくまで彼女が仕えている邪神を脅かす勇者達の抹殺であり、それ以外には危害を加える気などないのだろうとアテナは感じていた。
「知ったような口をきかないでちょうだい!」
図星を突かれたのか、ルナは苛立ちを露にして火球をいくつも放ってきた。
火球は凄まじい速さでパルとアテナに迫っていく。
だが、すぐさまアテナが水の壁を作り出し、火球は二人の手前で水の壁によって消えていく。
「さあ、今のうちに二人を助けましょっ」
アテナはそう言ってパルと共に視線を閉じ込められた二人に向ける。
後方ではアテナの結界を破ろうとルナが魔法を放ち続けていた。
守護聖霊というだけあってアテナの結界は強固なものだが、やはりルナも四天王の座に着いているだけの事はあり、徐々に結界に綻びが生じ始めている。
結界が破られる前に、二人の息が絶える前に、二人を解放しなければとパルは強く思いながら蹴りを放つ構えを取る。
そして、利き足である右脚に魔力を集中させる。
「さあ、眠っているパルちゃんの力を呼び起こすわよ」
アテナはパルに向けて両手のひらを翳した。
その瞬間、パルの右手の紋章がグローブを透過するほどの光を放つ。
すると、感じた事もないほどの魔力が体の奥底から湧き上がってきた。
強大な魔力が急に湧き上がってきて、思わずパルは動揺し、その強い魔力に意識を飲まれてしまいそうになる。
意識が飲まれそうになる恐怖心から、パルは上手く魔力を右脚に集中させる事が出来ずにいた。
「大丈夫。これはパルちゃん自身の力よ。恐れないで」
恐怖と困惑に包まれるパルにアテナの柔らかな声が掛けられる。
彼女の言葉はパルの心を落ち着かせ、乱れていた呼吸を鎮めていった。
早く二人を助けたいと焦る気持ちを抑えながら、パルは瞳を閉じて慎重にその強大な魔力を右脚に集中させる。
そして。
「はあ……ッ!」
パルは閉じていた瞼を開けると同時に、強大な魔力を込めたその右脚で二人を閉じ込める結界に思い切り蹴りを放った。
脚が結界に触れても、最初に二人を助けようと蹴りを放った時のように電撃は発生しない。
パルが脚を振り切ると、結界に大きな裂け目が出来た。
直後に結界は泡玉が弾けるようにして消え、残された大量の水が音を立てて地面に落ちていく。
閉じ込められていたマルスとアイクも、水と共に地面に落ちてきた。
「マルス、アイク……っ!」
二人が水で濡れた地面に倒れ、パルは慌てて二人に駆け寄った。
「っ、はあ、けほっ、死ぬかと思ったぁ……」
「はっ、はあっ、パル、助かった……」
マルスは僅かに水を飲んでしまっていたようで、軽くむせながら安堵の表情を浮かべる。
アイクの方は荒い呼吸を繰り返しながらも、心配そうに見つめるパルに微笑んで見せた。
二人を無事に救出でき、パルは心底安堵して胸を撫で下ろした。
そして立ち上がり、ルナの方に体を向けて彼女を見据えた。
ちょうどその瞬間、アテナの水の障壁がルナの炎魔法によって打ち破られ、火の粉と雫が舞う中でパルとルナの視線がぶつかる。
先に動いたのはパルだった。
地面を蹴って駆け出し、再び自身の武術が届く距離を目指して突き進む。
ルナは右手を翳して、駆けて来る彼女に雷撃魔法を放った。
幾筋もの雷がどこからともなく発生し、不規則な軌道を描いてパルを狙う。
不規則な動きで襲いかかってくる雷をパルは必死に避け、躱しきれないものには自身の雷撃魔法をぶつけて相殺させていく。
しかしながら、ルナの魔力はやはり強く、アテナの力で魔力を底上げしていなければこうも上手くは相殺出来なかっただろう。
アテナが共に戦ってくれるという事がパルにとっての安心感に似たものになっており、彼女の中には僅かながら余裕が生まれていた。
(さっきまで焦っていたから、考えられなかったけど……)
襲いかかる雷を回避しながら、ふとパルは翳されているルナの右手を一瞬見る。
(ルナの右腕から感じた魔力……あれは……エヴァの魔力)
戦いが始まる直前にパルがルナの右手から感じ取っていた、彼女のものではない魔力。
その正体がエヴァのものであるとパルは確信していた。
そよ風のような優しい魔力は、彼の住む塔から突き落とされた時に掛けられた魔法から感じた彼自身の魔力と全く同じだったのだ。
なぜルナの右腕からエヴァの魔力が感じ取れるのかまではパルには分からなかった。
だが、これで今対峙しているルナこそ、エヴァの探すルナなのだと確かな答えがパルの中で出た。
「これならどうかしら?」
ルナが新たに魔力を解き放った瞬間、何本もの鋭い氷柱が矢のようにパル目掛けて飛来する。
咄嗟にパルは風魔法で自身の周囲に風を起こして氷の矢を吹き飛ばすが、魔力を溜められた時間が一瞬しかなかったために全てを吹き飛ばす事は出来ない。
「任せて!」
後方からアテナの声が聞こえたかと思うと、パルの両脇を突風が通り過ぎた。
その風は彼女が弾ききれなかった氷の矢を全て弾いた。
アテナの生み出した風によって、ルナに向かう道を邪魔するものは全て消え去った。
好機を見逃さずパルは再び地面を蹴って掛ける。
「その程度で満足しないでちょうだい」
ルナは不機嫌そうな表情でアテナとパルを睨むと、次なる攻撃魔法を放とうとした。
「させるかっ!」
だが、彼女が魔法を放つよりも早くアイクの声が響き、それと同時に彼の剣からいくつもの氷の刃が放たれる。
氷の刃達は凄まじい速さでルナに向かって行く。
完全に意識の外にいたアイクからの攻撃にルナは反応が遅れてしまい、彼の放った刃が自身の一歩手前まで来る事を許してしまった。
咄嗟に意識をパルから迫る氷の刃に移し、ルナは己を守るための結界を張る。
だが、アイクはクライスの力を借りずにその攻撃を放っており、この程度ではいくら咄嗟に張ったとはいえ魔力の強いルナの結界を壊せるだけの威力はない。
ルナは存外大した事のないその攻撃を軽く鼻で笑った。
しかし、その笑みは一瞬の内に驚愕の表情へと変化する。
「はああ……ッ!」
意識が逸れた隙に距離を詰めていたパルが、ルナの張った結界にアテナから引き出された渾身の魔力を込めて蹴りを放ったのだ。
アイクの攻撃に対して張られた結界はあくまで彼の攻撃を防げる程度でしかなく、パルの渾身の魔力を防ぐだけの力がない。
結界にひびが入り、硝子が割れるかのようにそこから結界は破壊された。
結界を破壊したパルの脚は、振り切られると同時に爪先で僅かにルナの鼻先を掠める。
直撃こそしなかったものの、蹴りの勢いでルナはその場に尻餅をついて倒れ込んだ。
パルはそれを見逃さず、倒れた彼女の上に跨がって両腕を押さえつけ、身動きを封じる。
「放しなさいよっ!」
ルナは暴れるが、パルの怪力の前では大した抵抗にならない。
魔法を使えばさっさとパルの拘束から抜け出せるのだが、驚きの感情は人から冷静な思考を奪ってしまうものだ。
まさかこうなるとは思ってもいなかったルナは思考が追いついておらず、じたばたと暴れて抵抗していた。
「ねえ、ルナ……」
「っ、何よ」
彼女の紫色の瞳を見つめ、パルは静かな声で呼び掛ける。
ルナは睨むように視線を向けながら聞き返してきた。
「あのね……あなたの右腕から……エヴァの魔力を、感じる……。あなたが、エヴァの探しているルナ……?」
パルはそう尋ねた。
エヴァ、その名を聞いた瞬間ルナの紫色の瞳が僅かに見開かれ、揺れたようにパルの目には映った。
「…………っ、知らないわ、そんな男」
小さな動揺の混じった声でルナは一言だけ返した。
そして、一瞬だけ泣くのを堪えるかのように眉間に皺を寄せて数秒の間だけ瞼を閉じる。
「どいてちょうだい」
再び開かれた紫のアネモネと同色の瞳はどこか潤んで見えた。
その瞳に見上げられた直後、ルナの両手から突風が発生し、パルの体を軽く吹き飛ばしてしまう。
吹き飛ばされて軽く尻餅をつき、その痛みに少々顔を歪めながらパルがルナを見た時には、もう彼女は立ち上がっていた。
「興が削がれたわ」
ルナはそう一言だけ呟くと、右腕を一振りする。
すると、彼女の足下に紫の魔法陣が現れて光を放った。
「待って……!」
彼女がこの場から退散しようとしているのだと察したパルは、尻餅をついたままなのも気に留めず咄嗟に彼女を呼び止める。
だが、彼女は全く反応を示さずに魔法陣の光と共にどこかへと姿を消してしまった。




