4.どうか許しを
本音と建前、そして信用。
太陽が半分ほど海に沈み、辺りの暗さが増してきた頃。
酒場を出た三人はティアに案内されて姉妹の家を目指した。
その道中、ティアが無理矢理言わせたという形ではあったが、カナンという姉の名前を聞く事が出来ていた。
姉のカナンは名乗る以外ほとんど喋る事はなく、代わりにティアが道中この村の事をあれこれと三人に教えてくれた。
そうして二、三分ほど歩き、酒場から幾らか離れた所にある姉妹の家に三人は到着した。
この村――漁村アクティアにおける家屋は、木材と藁を用いた簡素な造りをしている。
姉妹の家は、村の中でも比較的立派な造りの家屋だった。
「ここが私達の家だよ。さっ、入って入って」
やや薄い木の扉を開けたティアに中へ入るよう三人に促され、三人は声を揃えて「お邪魔します」と言ってから家の中に足を踏み入れた。
家の中は風通しが良く、涼しく心地よい夜の風が感じられる。
グラドフォスと同じ大陸にあるとはいえ、かなり南にあるこの村はグラドフォスよりも気温が高く、三人は幾らか暑いと感じていたところだった。
酒場でカナンと出会った時は、彼女への恐怖心のようなもので暑さを忘れていたが、変な汗が止まらなかった。
あの時の気持ちの悪い涼しさに比べると、家の中の涼しさがいかに心地よいものなのかを三人は一層強く感じていた。
「じじ様、帰ったよー」
そう言いながティアが入って行ったのは、家の中で最も広い間取りをしている居間だ。
彼女の後に続いて居間に入ると、中には一人の老人が椅子に腰掛けていた。
老人はおおよそ八十歳ほどの見た目で、老齢による白髪と同じ色の顎髭、姉妹と同じ黄色の瞳をしている。
そして、老人もやはりシャウム族で、魚のひれのような耳と部分的な鱗の肌を持っていた。
「おお、おかえりティア。カナンも今日は早いお帰りだね」
穏やかな柔らかい声で、老人は入って来たティアとカナンに声を掛ける。
ぶっきらぼうなカナンも小さい声ではあったが、その老人には「ただいま」と返していた。
「おや、ヒュム族のお客さんとは珍しい。ティアのお友達かい?」
「さっき知り合ったばっかりなんだ。巫女のお姉ちゃんに用があるから、家まで案内したの。あ、一応じじ様も一緒に話聞いてほしいな」
姉妹の後ろに続く形で入ってきた三人に視線を向け、老人――じじ様はティアに彼らの事を問う。
ティアはてきぱきと六人分のお茶の用意をしながら、三人がここを訪れた理由をじじ様に伝えた。
「そうなんだね。初めまして、ヒュムのお客さん達。私はこの村の長で、カナンとティアの育ての親でもあるモーリだ。よろしく頼むよ」
じじ様こと村長モーリは柔らかな笑顔を浮かべて三人に名乗る。
彼の挨拶に三人は軽く頭を下げてから、それぞれの名を彼に伝えた。
モーリが自身を姉妹の「育ての親」だと紹介しており、この姉妹には両親がいないのだろうかとマルス達は少々気になったが、今その話題は不必要だと思い、その気になった事から意識を逸らす。
互いの名を知ったところで、ティアがテーブルを挟んでモーリの向かいに三人を座らせ、淹れておいた茶を出してきた。
そして、彼女とカナンはそれぞれモーリの両脇に座り、話をする態勢が整った。
「で、話って何なわけ?」
変わらずぶっきらぼうな物言いでカナンに問い掛けられ、三人は顔を見合わせて、誰が用件を詳しく話すのかを耳打ちする程度の声で相談する。
村の長や巫女の手前、誤解されるような事態は避けねばならないと考えた三人は、最もしっかり者であるアイクにこの場を任せる事にした。
「私達はグラドフォスから旅をしております。その道中で、仲間のパルが海の方から私達を呼ぶ声を聞き取り、それを追ってこの村に辿り着きました。着いてすぐ出会ったティアさんに、その声の主は海に眠る聖霊様ではないか、と言われたのですが……」
アイクは隣に座っているパルに視線を向けつつ、まずはこのアクティアの村を訪れた経緯を語る。
この場では村の者達に合わせて、アイクは敢えて「聖霊様」という表現を用いた。
「パルちゃんね、ばば様と同じで動物や聖霊様の声が聞こえるんだよ。嘘じゃないのは、私が保障する」
パルの能力が確かなものである事を知っているティアは、アイクの言っている事が嘘ではないのだと信じてもらえるよう口を挟んでそう補足した。
ばば様と同じ、という言葉にモーリもカナンも僅かに反応を見せた。
カナンの方は先程よりも話を聞こうという思いを抱いたのか、用件を尋ねたきり逸らしていた視線をアイクに向けている。
「呼んでいた声が聖霊様のものであるならば、我々を呼んだ理由を確かめたい。そのために、聖霊様が眠るという神殿に行かせていただきたいのです」
アイクはひとまず聖霊とおぼしき声が聞こえ、それを追って来た事、聖霊が自分達を呼んだ理由を確かめるために神殿へ行かせてもらえないかという事を伝えた。
彼から用件を聞き取ったモーリは、顎髭を撫でながら何度か頷いて彼の言葉を受け止める。
「……君達の用件は分かった。しかし……いくら聖霊様の呼ぶ声が聞こえたからといって、外から来た者を簡単に神殿に入れるわけにはいかないものでね……。ああ、ティアの言葉を信用していないというわけではないんだよ」
モーリはやや苦い顔をしながらそう返してきた。
妻と同じ能力を持つ者がいて、孫であるティアが信用して連れて来た者達ならば、ある程度信用しても良いのだろうと彼は思っていた。
それはティアの祖父としての思いだ。
だが、この村で古くから守り続けてきた神聖な神殿に、他所から来た見知らぬ者を入れる事はこの村の長としての思いに反してしまう。
一方アイクは、確かにどこの馬の骨かも分からぬ連中を神聖な神殿に入れるのは、自分が村長であったとしてもそうそう簡単に許可を出せる事ではないと感じていた。
だが、モーリが幾らか葛藤している様子を感じ取ったアイクは、何かもう一押しあれば許可は貰えるのではないかと考える。
それならば、一番手っ取り早く確かな信用を得られるものは、彼の中に一つしかなかった。
「……この村のシャウム族は、古くから聖霊様の神殿を守っていらっしゃるようですね。それならば、神話についても幾らか詳しいのではないでしょうか。特に、村長であるモーリさんなら」
「君の言葉は正しいが……何が言いたいんだい?」
少し考えてから、アイクはそうモーリに問い掛けた。
彼の言う通り、モーリは先祖代々神殿を守ってきた村の長であるために、神話には世間一般よりも詳しかった。
だが、それが一体何の関係があるのか分からず、モーリは彼に聞き返す。
事の成り行きを見守っているマルスとパルにも、いまいち彼の真意が分からず首を軽く傾げて言葉の続きを待っていた。
「これを、ご存じありませんか?」
アイクはそう言うやいなや、着用していた右手のグローブを外し、モーリに向けて自身の手の甲を見せた。
そこには焼き印のような褐色をした紋章が刻まれている。
紋章を目にした途端モーリは椅子から立ち上がり、これでもかと目を見開いてそれを凝視した。
彼の隣にいたカナンとティアも、彼と同じ反応を見せている。
「こ、これは神話に伝わる、神がお選びになった者の証……!」
驚きに満ちた声をこぼしながら、モーリは手を小刻みに震わせてアイクの右手に触れる。
そして、本物である事を確かめるように紋章を指でなぞった。
騙すためにわざと焼き印をつけたり、描いたりしたものであるならば、火傷や乾いた絵の具のざらついた感触がするなど紋章の部分だけ手触りが違うはずだ。
だが、紋章は元々彼の皮膚の一部であるかのように、彼の皮膚の感触と何ら変わらなかった。
それは、紋章が彼の右手の甲にあって当然のものであり、生まれ持ったものなのだという事を物語っていた。
「私だけでなく、この二人にも同じく紋章があります」
アイクはそう言うと、横にいる二人に目配せをして紋章を見せるよう促す。
すぐさま二人はグローブを外して、自分達の右手の甲に刻まれた紋章をモーリに見せた。
「おお、おお……遂に選ばれし者達が……。全て言い伝えの通り……」
モーリは順々に三人の紋章に触れながら、驚きと感動が滲み出た声を漏らしていた。
彼の横に控えていたカナンとティアも、驚きの表情を浮かべながら三人の紋章に触れてそれらが本物である事を確かめている。
しばらく驚きの感情で我を忘れていたモーリはようやく我に返って椅子に腰を下ろし、茶を一口飲んで乾いた喉を潤した。
そして、三人を見据えて口を開く。
「このアクティアに住む我々シャウム族は遠い昔、偉大なる神からある使命を授かったんだ。いつか再び世界に闇が訪れようとする時、それを打ち払う力を与えた者達を神殿に導くように、というね。そして、神殿にはその者達を守護する力を持った聖霊様の一人が眠っていらっしゃる」
落ち着いた穏やかな口調に戻り、モーリはこの村で暮らすシャウム族の言い伝えを三人に話した。
いずれ再び訪れるであろう闇――邪神を討ち払う力を与えた者達を、彼らを守護する力を持つ聖霊――すなわち守護聖霊の眠る神殿に導く。
それこそが、神からこの村のシャウム族に与えられた使命だった。
「まさか、私の代で使命が果たされる時が来ようとは……。その紋章も偽物ではなさそうだ。君達の神殿への立ち入りを許可しよう」
「はぁ?」
本当ですか、と三人が言うよりも早く、カナンの納得いかないという思いの滲んだ声が部屋に響く。
三人は出かかっていた言葉を引っ込め、彼女に視線を向けた。
「いくら言い伝えにある紋章を持ってるからって、それが本物なんて確証はないじゃない。アタシは賛成出来ない」
腕を組んでカナンは三人に鋭い視線を向ける。
上手く話が進みそうだったが、彼女にその良い流れを堰き止められ三人は小さく唸るような声をこぼし、どう返すべきかと頭を悩ませた。
確かに、この紋章が本物である確証などない。
手触りがいくら皮膚と同じもので、元々三人の体の一部だと感じられても、それだけでは証拠としては薄いのだ。
それならば、聖霊の一人であるクライスを呼び出してみるべきかとアイクは考え、彼にこの場に出て来てもらっても良いか、意識を通じて確認しようとした。
だが、それよりも早くモーリが口を開く。
「カナンの言う事も一理ある。けれど、この子達の紋章が本物かどうかは、神殿が教えてくれるはずだよ」
「どういう事?」
モーリの言葉の意味が分からぬカナンは、首を傾げて彼に視線を向けた。
不満を抱いている様子ながらも、カナンが祖父に向ける視線は三人に向けるものと違って鋭さのないものだ。
流石の彼女も祖父は大切なのだという事が窺える。
「神殿の扉を開けられるのは、その年の巫女だけだとしかお前には教えていなかったね。私も、まさかこの時代に選ばれし者が来るとは思っていなかったから」
モーリには今の巫女であるカナンにまだ言っていない事があるらしい。
それを言わなかった大きな理由が、まさか自分が村長を務め、孫のカナンが巫女を務める時代に神の選んだ者達が来るなどとは思っていなかったからだった。
「神殿の扉は、その年の巫女の他にも開けられる者がただ一人……いや、この場合は三人と言うべきだね。神がお選びになった者には、神殿が自ずとその扉を開くはずだ。神殿に入る資格を持つ者だからね」
神殿の管理と儀式等での祈りを聖霊に捧げる役目を担う巫女は、神殿の扉を開ける事が出来る。
そして、その他に唯一、神が選んだ者達だけが神殿の扉を開ける事が出来るらしい。
神殿に眠るのが、神の選んだ者達を守護する力を与えられた聖霊なのであれば、選ばれし者達が神殿に入る資格を持つ存在である事は当然と言っても過言ではないのだ。
「彼らの紋章が偽物であるならば、神殿はその呼び掛けには応えないだろう。もしそうなった場合は、然るべき罰を彼らに受けてもらえばいい。これで、少しは納得出来るかい?」
マルス達の紋章が偽物で、彼らが神に選ばれた者を騙っていたのであれば、神殿がその入り口を彼らに開く事は決してあり得ない。
もしもそのような事態になった場合は、三人に然るべき罰を与えるという条件を付け足し、モーリは横で眉根を寄せたまま話を聞いているカナンに問い掛けた。
「……まあ、多少は」
変わらず不機嫌そうな顔付きではあったが、カナンの顔には幾らか納得の色が滲んでいる。
彼女の様子を見ながらマルス達は、存外彼女は村の伝統を大切にする人物なのだろうと感じていた。
神殿や聖霊の話を持ち出してから向けられていた、出会った時よりも鋭い眼光も、村で代々守り崇め続けてきたものへの想いがあるからだと思えば三人も納得がいった。
酒癖が悪く、他者に厳しい性格の彼女だが、この村が代々守ってきたものや伝統を重んじる心は人一倍強いのだろう。
でなければ、直前までたらふく飲むにしても、大の酒好きで自分には甘そうな彼女が律儀に儀式の十日前にはきっちり断酒する事などあり得ないはずだ。
「……それじゃあ改めて、君達に神殿への立ち入りを許可するよ」
「ありがとうございます!」
渋々とはいえカナンの了承も得られたところで、モーリは改めて三人の神殿への立ち入りを許可した。
どうにか上手く話が進み、許可を得る事の出来た三人は椅子から立ち上がってモーリ達に向けて頭を下げ、声を揃えて感謝の思いを伝えるのだった。




