2.強いのね
背負う悲しみが大きいからこそ誰かに優しく出来るのが、彼の強さ。
女性と別れてから、三人は書店の向かいにある宿屋を訪れた。
周囲の宿屋に比べるとさほど立派な造りではないものの、料金は良心的で、あたたかな家庭のような雰囲気が漂う宿屋だ。
呼び込みをしていた従業員に案内されて中に入り、受付で宿泊の手続きを行う。
港町バルコで船に乗る事を考えると、なるべく余計な出費を抑えたい三人は同室で宿泊する事にした。
手続きを済ませると、部屋までは宿屋の女将が案内してくれた。
部屋に入って荷物を置き、上着を脱いで体が軽くなると、マルスはベッドに倒れ込むようにして寝転んだ。
柔らかい布団に体を受け止められると、途端に眠気が襲ってくる。
一眠りしてしまいたいところだったが、アイクに夕食を食べに食堂へ行くと言われて起きざるをえなくなる。
眠気と疲れを感じながらも食堂へ行って夕食を取り、順番に入浴を済ませて、ようやく三人が揃って落ち着ける時間になった。
そう広くはない部屋にベッドが三つ並べられ、三人はマルス、アイク、パルの順で各々のベッドに腰掛けている。
いつでも寝られるようにと、灯りはアイクとパルのベッドに挟まれた燭台の蝋燭のみにしており、部屋は夜の薄暗さと蝋燭のぼんやりとした灯りで穏やかな空気が流れていた。
眠いとは思いながらも、寝る前の何をするでも無いこの時間に二人と話す事がマルスは好きで、すぐに瞼は閉じず、今夜は何の話をしてから眠ろうかと話題を探す。
「あ、そういえばさ、クライスってずーっと長い間オレ達が来るのをあの洞窟で待ってたんでしょ。それって退屈じゃないの?」
あれこれと話題を考えていく中でふと頭に浮かんだ疑問をマルスは口にする。
クライスはシュトゥルム大氷窟で出会った時、何百年もの長い間マルス達が現われるのを待っていたというように語っていた。
その時マルスは何百年も同じ場所でじっと待ち続けている事を想像し、どんなに退屈だろうかと思った。
ふとそのことを思い出したマルスは、クライス本人に実のところどうだったのか聞いてみたくなったのだ。
「ふむ……退屈か……」
凜とした声の呟きが聞こえたかと思うと、アイクの右手の紋章から球状の青い光が放たれる。
光は床に触れると同時に大きくなり、青い輝きの中から煌めく銀髪と涼やかな青い瞳の青年――聖霊クライスが姿を現した。
「特にそう感じた事は無いな」
「ええっ、本当に?」
クライスからの答えにマルスは驚いた表情を浮かべる。
アイクとパルにとっても予想外の答えだったらしく、二人も僅かに驚いた顔で彼を見た。
「たまには洞窟の外に出てみたいとか、思わなかったの?」
「全く無い。神はいつかお前達が現れるのを、あの場で待つようにと仰った。神の命は絶対だ。身勝手な行動は慎まねばならん」
聞き返してきたマルスに、きっぱりとクライスは答えた。
神の命令は、神が直々に創造した存在である彼にとっては絶対的なものなのだ。
彼自身の生真面目な性格も相まって、その拘束力は一層強くなっており、外に出てみたいなどといった思いを抱く事はまるで神への反逆行為だとでも言っているかのようだった。
「……そもそも、外に出たいだとか、どこかに行ってみたいといった感情は、私には理解出来ん。お前達が今日の夕食はあれが食べたい、これが食べたいと言っているような時の感情もそうだな。その時の状況、その時与えられるものに従うのが私にとっては普通なのだが」
クライスには、地上界の者達の「あれをしたい」「これが欲しい」などといった感情が理解出来ないらしい。
よほど敬虔で煩悩を断ったような聖職者か、よほど人生に絶望しきっている者でなければ、大体の者は自分が置かれた状況の中で様々な欲が出てくる。
しかし、彼にとっては何も望む事はせず、ただただその時の状況に身を任せるのが普通だった。
それは彼が聖霊という神が直々に創り出した存在だからだろうか、と三人は思う。
「聖霊とは、皆クライスのように無欲な存在なのか?」
「いいや。私の知っている者は、あれはしたくないこれはしたくないだとか、綺麗になりたい、可愛いものが欲しいなどと散々言っていた。無論、理解は出来ん」
アイクの問いかけに、クライスは過去に自身と共に過ごしていた聖霊達を思い返してそう答える。
聖霊とは皆クライスやレジェンダの洞窟で出会った聖霊のように、高貴で欲らしいものを持ち合わせていないような、まさに神に近い存在だと三人は思っていた。
だが、三人の想像とは違い、聖霊は必ずしも無欲な存在ではないらしい。
そうなると、無欲である事はクライスの個性に近いものだった。
「……あんまり、私達と変わらないんだね……」
「私達聖霊は、神が地上界の者達に似せて創り出した存在だからな」
パルの呟きに対して、クライスはそう答えた。
地上界の者に似せて創られたのであれば、彼と違って欲のある者がいても何ら不思議では無い。
彼の答えに三人は興味深そうに頷いた。
三人が頷いた直後、マルスが大きな欠伸をこぼす。
己の聞きたかった事が聞けて満足したところに、一日歩いた疲れと眠気が再び襲ってきたようだ。
「そろそろ寝るか」
眠そうに目をこすっている彼を見て、アイクがそう声をかける。
空気を読んだクライスは小さな青い光球になると、アイクの紋章に吸い込まれるようにして部屋から姿を消した。
アイクは二人が横になったのを確認し、一言断ってから蝋燭の火を吹き消した。
夜の闇と静寂に包まれた部屋の中、マルスの「おやすみ」と言う欠伸混じりの声が聞こえてくると、アイクとパルも同じ言葉を返して三人は眠りにつくのだった。
* * *
翌朝、太陽が昇って一時間ほどが経ってから三人はベッドから起き上がった。
旅に出てからの宿泊の中では比較的ゆっくりと休めたためか、マルスは珍しく自分で起きる事が出来ていた。
着替えをして朝食を取ってから、部屋で三人は出発の支度をする。
まだ消耗品の買い足しをしていなかったため、支度だけ済ませると荷物を置いて部屋に鍵を掛け、三人は宿屋を出た。
朝を迎えた街はもう動き出しており、朝陽の眩しさに負けない賑やかさだ。
飲食店や食材を取り扱う店は特に繁盛しており、店からは料理や食材の良い匂いと共に客と店員の明るい声が聞こえてきていた。
商店街を進み、三人は薬屋で傷薬と救急の回復薬を、食料品店で保存食を購入すると、宿屋に向かって来た道を戻って行く。
その道中、すれ違っていく人の波の中に、ふと見覚えのある人物の姿をマルスの視界が捉えた。
彼が見つけたのは、赤茶色の髪と柔和そうな緑色の瞳の女性――昨日ブローチを落とした貴婦人だ。
今日の彼女は紺色のドレスを身に纏っていた。
折角だから挨拶をしようと思ったマルスは女性のそばに向かう。
先頭を歩いている彼が動けば自然と二人も彼に続く形になり、三人揃って女性のそばに近寄って行く。
アイクとパルは初め彼がどこへ行こうとしているのかと思ったが、彼の視線の先に昨日の女性の姿があるのに気がつき、彼が挨拶しようとしている事を理解して付いて行く。
「おはようござ……」
マルスは彼女のそばまで来て挨拶をしかけた。
だが、その途中で彼は挨拶を止めてしまう。
その理由はと言えば、女性の様子がおかしかったからだ。
青ざめた顔をして、柔和そうな緑の瞳は酷く落ち着きなさげに動いている。
昨日の明るく優しそうな雰囲気はどこかへ消えており、一瞬人を間違えてしまったかとマルスが思うほどだった。
「お、おばさん、どうしたんですか?」
女性の様子が気に掛かったマルスは、おずおずと彼女に声を掛ける。
彼女は力無く頭を上げ、マルスの顔を見た。
その顔は今にも泣き出しそうで、酷く儚げに彼の瞳に映った。
彼の後に続いてきた二人にも彼女の様子の異変は見て取れ、後ろで何事かと顔を見合わせていた。
「あ、ああ……昨日の……」
彼女の声は震えた弱々しいものだった。
弱々しい声をこぼした直後、突然彼女の緑色の瞳からぽろりぽろりと涙がこぼれ落ちる。
突然の事にマルスは慌てた。
「あ、え、えっと……どうしたんですか……?」
咄嗟にマルスは彼女の震える手を握って顔を覗き込み、混乱する心をどうにか静めて優しく問いかける。
彼女の手は驚くほどに冷たかった。
「ごめんなさい……ごめんなさいね……」
女性は心配をかけさせている事を謝るも、溢れてくる涙は止まらない。
マルスはひとまず落ち着いてもらわなければと思い、彼女の手を引いて人の波から外れた所まで連れて行った。
道の端にある膝ほどの高さをしている煉瓦造りの花壇の縁に、マルスは彼女のドレスが汚れないようにと自分の上着を敷いてその上に彼女を座らせる。
女性は腰を下ろした事で幾らか落ち着いたのか、深呼吸を繰り返しながら自身の持っていた白いハンカチで目元の涙を拭いていた。
彼女の目元は泣き腫らして赤くなっており、涙をこぼしたのは今だけではないのだろうと三人は思う。
目元にはうっすらと隈も出来ており、昨夜はほとんど寝ていない事も想像がつく。
また、昨日はきちんと綺麗に整えられていた髪も今日はやや乱れていた。
「何があったんですか……?」
女性の様子を窺いながら、マルスは問いかける。
彼女は大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと事情を話し始めた。
「私の……大切なブローチが、盗まれたの……」
「えっ、ブローチって、昨日オレが拾った?」
マルスが聞き返すと女性は小さく頷いて、話を続けた。
彼女の話では、昨日マルス達と別れてから自宅である屋敷に向かっている途中、路地から現れた男にブローチを強奪されたらしい。
ブローチが彼女にとってどれほど大切な物なのかを知っている三人は、彼女が今どんな思いでいるのかすぐに想像がついた。
そして恐らく、彼女は昨日からほとんど寝ずに街を歩き回ってその悪党を探したのだろう。
女性は悔しさと悲しさに再び涙をこぼす。
「……ねえ、アイク、パル。出発するの、もうちょっと後でも良いかな」
マルスは彼女を宥めるようにその背中をさすりながら、二人に向けてそう尋ねた。
否、尋ねたという表現では誤解があるだろう。
彼の口調は、拒否は認めないと言っているようなものだった。
彼はその青い瞳に静かな怒りを浮かべていた。
両親を亡くし、兄も行方知れずの彼には、大切な家族を失う悲しみが痛いほど分かる。
だからこそ、最愛の家族を失った悲しみを踏みにじり、ブローチの中に込められたあたたかな思い出を奪い取ったその悪党が許せなかった。
彼女を見捨てられなかった。
「お前なら、そう言うと思っていた」
「大切な、家族の思い出を奪うなんて……許せない」
彼がそう言い出す事を見越していたアイクとパルは、頷きながら答えた。
マルスは二人に笑顔を向けて感謝を伝えてから、もう一度女性に視線を向ける。
「おばさん、オレ達が必ずブローチを取り返してきます。だから、盗まれた時の事、詳しく教えてもらえますか?」
「貴方達が……?」
マルスが優しい声で言った言葉に、女性は顔を上げて三人を見た。
彼の後ろでアイクとパルが彼女に頷いて、その言葉に偽りは無い事を伝える。
「これでもグラドフォスから旅をしている身なので、ある程度の戦闘も出来ます」
女性はまだ十五、六の、子どもと大人の境界に立っているような三人を危険に晒させはしたくないようで、不安の色を顔に滲ませて彼らを見ていた。
不安げな表情を浮かべている彼女に、アイクは自分達が旅人であり、きちんと戦闘経験もある事を伝える。
ほんの少し彼女の不安げな表情が和らいだところで、マルスがさらに言葉を続けた。
「オレも小さい時に両親を亡くしてて、兄さんも行方不明で……だから、おばさんの気持ちは痛いくらい分かる。だからこそ、力になりたいんです」
そう言ってマルスは微笑み、彼女の手を握る。
女性は彼のあたたかな優しさに包まれると共に、彼が抱える悲しみに触れた気がして何とも複雑な表情を浮かべていた。
この子はまだ若く幼いというのに家族の死を受け入れ、その悲しみを乗り越え、それどころか自身と同じ境遇の者に手を差し伸べられる強さがあるだと驚いていた。
なんて強い子なのだろう、そう彼女は思った。
「坊やは、強いのね」
女性は思った事をそのまま口にしていた。
突然そう言われたマルスは僅かに頬を赤くし、そんな事は無いと言いたげに首を横に何度も振る。
「強くなんか、ないです。でも……家族と一緒に過ごした時間も思い出も嘘じゃないし、ずっと胸の中に残っているから……その記憶さえあれば、会えなくなってもオレは前を向いていられます」
マルスはそう言って笑って見せた。
朝陽に負けない眩しいその笑顔につられるように、女性も笑顔を浮かべる。
「……貴方達にお願いするわ。でも、決して無理だけはしないでね」
「はい」
女性は瞼を閉じて少し考えてから、もう一度優しい緑色の瞳で三人を見るとブローチの奪還を彼らに頼んだ。
無理だけはしないようにと念を押して言うと、三人は力強く返事をする。
三人の若者達の優しく力強い声が、街の片隅に小さく響くのだった。




