17.立つ鳥跡を濁さず
瞼の外側で光が弱まったのを感じてゆっくり瞼を開くと、三人はクライスが描いた魔法陣の上に立ったまま宙に浮き、滅茶苦茶になった洞窟の入り口にいた。
パルが炎魔法を使用した辺りでは氷が溶け出し、砕けた氷柱の破片がそこかしこに散らばり、地表の氷に突き刺さった氷柱は氷窟の奥の方へと亀裂を作り出していると、何とも酷い有り様だ。
透明度が高く、鏡のようだった地表の氷は亀裂や傷のせいで白く濁ってしまっている。
想像以上に荒れたその光景に、マルスに背負われているパルはますますばつの悪い顔をした。
「荒れているのは、この辺り一帯だけか」
クライスは周囲を見渡して、被害がどの程度なのかを確認する。
不幸中の幸いか、入り口からそう遠くない所で炎の熱による融解やそれに伴う氷柱の落下や亀裂は止まっていた。
「主よ、炎魔法を使用出来るか?」
「ああ一応。ただ、俺とあまり相性が良くないから、大した威力はないが」
「ひとまず、入り口の辺りに炎魔法を放て。氷を溶かして水に戻す」
一番魔法を得意としているパルが魔法を使うには不適な体調だと考えたクライスは、アイクにこの辺りの氷を溶かすよう言った。
炎魔法との相性の悪さを気にしたアイクはどことなく自信なさげな表情を浮かべつつも、言われた通りに手を地表に向けて魔力を集めて炎魔法を放った。
彼の手から放たれた赤い炎は洞窟の入り口とその周囲の地面を形成する、美しさを失った氷をゆっくりと溶かしていく。
だが、アイクが自分で言ったように炎魔法は彼と相性が悪かった。
魔法が持つ炎や氷といった属性は、魔法の使用者ごとに相性が分かれるものだ。
属性魔法との相性は、各属性の精霊の力と使用者の魔力の親和の問題であり、二つの力の親和が上手くいかない状態が相性の悪さである。
二つの力が上手く交わらなければ、当然その魔法は威力が弱まってしまう。
炎属性とはあまり相性の良くないアイクの炎魔法は威力が弱く、雪国の冷気の前では一層その熱が弱くなっている。
しばらく炎魔法を使用するも、荒れた氷の一部しか溶かす事は出来ていなかった。
どうにか出来ないものかとクライスは表情こそ変えないものの、頭の中で打開策を考える。
「風よ……」
クライスが打開策を考えていると、ふとマルスに背負われていたパルが地表の氷を溶かして燃えている炎に向けて風魔法を放った。
魔力不足と体調不良が相まって、放たれた風魔法は大した威力のものではない。
だが、アイクの炎を大きく広げ、熱を上げるには十分だった。
「ここら辺の氷、全部溶かせるだけの魔法……今は無理だけど……このくらいなら……」
膨大な魔力の持ち主である彼女は普段ならばいくらか苦労は要するものの、この辺り一帯の氷を溶かす事はアイクに比べれば容易に出来る。
しかし、先程アイクを治療するために使った治癒魔法の負荷が大きく、今は補助するのが精一杯だった。
「ありがとう、パル」
アイクは感謝を伝えつつ、彼女の助力を無駄には出来ないと思いながら炎魔法に一層魔力を込める。
彼の力になれた事にパルは嬉しげに微笑むと、可能な限りの魔力を風魔法として放ち、彼の炎を支えた。
そして、幾らか時間はかかったものの、気づいた頃にはすっかり入り口一帯の氷は溶けて水になっていた。
溶けた氷の持つ熱に反応するように、氷窟の奥でも氷の融解が始まろうとしている。
その様子を見たアイクとパルが魔法を止めたところで、クライスが間髪入れずに自身の持つ強大な氷の力を解き放った。
その瞬間、氷窟内に凄まじい冷気が立ち込める。
突然氷窟内に立ち込めた極寒の冷気に、三人は思わず体を震わせた。
クライスが冷気を操りながら三人を守っているおかげで凍死する事は無いのだが、感じる寒さは強烈なもので、まるで体中の体液という体液が全て凍ってしまうのではないかと思わされるほどだ。
三人が身を寄せ合って震えている内に、冷気に包まれた水はたちどころに凍りついていき、再び氷になっていく。
気づけばゆらゆらと揺れて反射していた景色はぴたりと止まり、氷窟内を反射して映し出す一枚の美しい大きな鏡となる。
「こんなものか」
クライスが右腕を一振りすると立ち込めていた冷気が止み、三人を襲っていた強烈な寒さは空気に溶けるように消えていった。
つい先程まで寒いと感じていた氷窟内の通常の気温が今の三人には温かく感じられる。
冷気が消えてから地面を見下ろすと、溶けて傷だらけになっていたはずの氷はすっかり元通りになっていた。
流石に天井の氷柱はただ凍らせるだけでは出来ないものであるために元には戻らなかったが、地表の氷は洞窟に足を踏み入れた時と変わらない、鏡のように美しいものに戻っている。
「凄いな……あれだけの水を一瞬で……」
驚きを隠せない様子でアイクが感嘆の声を漏らし、彼の隣ではマルスもパルも驚いて目を丸くしていた。
水を凍らせる事はアイクにもパルにも可能だが、この辺り一帯というそれなりに広い範囲をごく僅かな時間で凍りつかせるなど、今の二人には不可能と言っても過言ではない。
「私は氷の力を司る聖霊だ。氷魔法に特化した存在であり、お前達が魔法を使う際に使役する精霊よりも上位の存在である以上、この程度は当然の事だ。……とはいえ、氷魔法に限った話だがな」
自身の右手のひらに視線を落としながら、クライスはそう言う。
確かに彼の言う通り、彼がどういう存在なのかを考えればこれだけの芸当は出来て当然なのだ。
無論、氷の力を司る聖霊であるために氷の力しか使えず、氷属性でしか強大な力を発揮出来ないのだが、それでもこれほどの力を持った存在が新たな仲間となった事を三人は心強く感じていた。
「氷窟の修復は完了した。あとは、転移魔法でお前達を外へ連れて行こう。この地方内に限られるが……どこへ向かう?」
地表の氷もすっかり元通りになり、ここにいる理由も無くなったところで、転移魔法を用いて三人を氷窟の外へ連れて行くと言ってきた。
転移魔法は、術者が訪れた事のある場所まで瞬時に移動する事が出来る魔法だ。
クライスは神によって生を受けてから今まで、天空界とこのネジュス地方しか訪れた事が無いため、移動が可能なのはネジュス地方内に限られていた。
ちなみに、天空界は神が住まう所であるため神に危険が及ばぬよう、たとえ聖霊であれど転移魔法で自由に行く事は出来ないようになっており、地上界のとある場所からのみ行く事が出来るとされている。
「それなら、ネーヴェの町まで頼みたい」
「了解した」
アイクがそう頼むと、クライスはゆっくりと頷いてから先程のように手で再度印を組む。
すると、再び足元に広がる魔法陣が輝き出し、四人の体がそこから溢れた青い光に包まれていく。
洞窟内が青く照り輝いた次の瞬間、四人の姿はもうどこにも無かった。




