10.シュトゥルム大氷窟
声を追って辿り着いたのは、美しい氷の洞窟。
シュトゥルム大氷窟の内部に足を踏み入れた三人を出迎えたのは、非常に神秘的な空間だった。
洞窟の地面は一面氷に覆われ、天井には大小様々な氷柱が垂れ下がっている。
地表を覆う厚い氷は非常に透明度が高く、鏡のように周囲を反射して映していた。
反射されて映る風景や自分達の姿は、まるで氷の下にも同じ世界が広がっているのではないかと想像させられるほどだ。
「うわぁ……凄い……!」
マルスは海色の瞳を輝かせて、その神秘的な光景を見回す。
その美しさには思わず感嘆の溜め息がこぼれた。
ネジュス地方の人々がこの洞窟で作業するために備え付けてある大きなランプにパルが魔法で光を灯すと、氷が光を反射して洞窟の奥まで明るくなる。
光の反射は一層この空間を美しく、そして幻想的かつ神秘的なものに変え、その美しさに三人は息を飲んだ。
「凄いな……全て氷なのか……」
「綺麗……」
その美しさと神秘さに感嘆の溜め息をこぼしながら、アイクとパルは辺りを見回す。
美しい水晶の上に立っているような気分で、うっとりと二人は反射された世界を見つめていた。
「マルス、はしゃいで転んだりするなよ」
ふとマルスのすぐにはしゃぐ癖を思い出し、現実に戻ったアイクが彼に向けて転ばないようにと注意を促す。
透明度の高い氷は表面が非常に滑りやすいため、はしゃぐと周りが見えなくなるマルスはその辺で滑って転ぶ可能性が高い。
「うわーッ!」
しかし、アイクがそう注意を促した直後に叫び声が響いた。
アイクの注意も空しく、すでにマルスは氷に足をとられて滑っていたのだ。
「お前は言ってるそばから……!」
人の出入りが少なかったのか、ほとんど傷の付いていない氷はどこまでもマルスを滑らせていく。
注意した直後、あるいはその最中に既に氷に足を取られていた彼にアイクは呆れを滲ませながらも、彼を助けに向かう。
「助けてーッ!」
マルスは転ばないようになんとかバランスを保っているものの、ちょうど彼のいる辺りは軽く傾斜があるのかどんどん奥の方へと滑っていく。
何とかアイクもパルも彼を助けようとするのだが、氷の上にいる以上慎重に動く事を余儀なくされる。
彼の二の舞になってしまっては元も子も無いため、二人は滑らないよう気をつけながら彼を追うも、なかなかその距離は縮まらない。
慎重に自分の足下とマルスの背中を交互に見ながら後を追いかけている途中、何度目かにパルが彼の方に視線を向けた時、彼の前に雪の塊らしきものがある事に彼女は気がついた。
高さで言えば、マルスの身長より頭一つか二つ分ほど高い。
慌てふためきながらこちらを振り返って助けを求めているマルスは迫っている雪の塊に気づいておらず、このままでは彼がぶつかって怪我をするかもしれないと思ったパルは咄嗟に声を上げた。
「マルス、危ない……!」
「うぶふっ!」
パルの声に反応してマルスはすぐさま前を向いたが、もう遅かった。
注意喚起も虚しく、彼は氷の上にあった雪の塊に顔から思いきりぶつかったのだ。
ただ、皮肉にもそのおかげで、マルスは転ばずに止まる事が出来た。
「いったぁ……」
冷たさを感じた瞬間にマルスは雪の塊から顔を上げて、頭を振って付いた雪を落とす。
雪の塊には彼の顔の形がくっきりと残っていた。
「マルス、早く逃げないと……」
「何が?」
自分の顔の形が跡になって残っているが何とも面白く感じていると、パルから逃げるよう言われ、彼は何の事かと視線を上げる。
視線を上げると、自分が今抱きつくようにして掴まっている雪の塊の上部が何やら蠢いている。
呆然としながら首を傾げて様子を見ていると、上に二つ並んだ裂け目とそのやや下に一つの大きな裂け目が出来ていく。
それらの裂け目は、人間で言うところの目と口にあたるものだった。
「うわわっ!? なんだこいつ!」
雪の塊が魔物である事をようやく悟ったマルスは、慌ててその奇妙な雪の魔物から距離を取る。
慌てたせいでまた滑りそうになるが、ようやく追いついたアイクが止めてくれたおかげでそうならずに済んだ。
雪の魔物の裂けた目に、青白い炎のような不気味な瞳が現われたその直後、魔物はマルス達に向けてその体から何本もの氷柱を飛ばしてきた。
驚きに一瞬三人は足が竦みかけたが、ほぼ反射的に飛んでくる氷柱を必死に躱し、時には剣や魔法で防いだりしながら身を守る。
だが、数が多すぎて完全に避けきる事は出来ない。
手や頬には小さな切り傷がいくつもでき、購入したばかりの外套にも所々小さな裂け目が出来る。
「これじゃあ攻撃が出来ないな……!」
アイクはどうにか剣の届く所まで詰め寄ろうとしているが、飛んでくる氷柱に行く手を阻まれてなかなか距離を詰められない。
こうなれば魔法に頼ろうと彼が右手に魔力を集中させようとした時、傍らにいたマルスが声を上げた。
「これでもくらえっ!」
マルスはそう叫ぶと、いつの間にか手に持っていた雪玉を投げつける。
洞窟の中は氷がほとんどだったが、風で吹き込んできた雪が積もっている場所があり、彼はそこから雪をかき集めて雪玉を作っていたのだ。
剣による近接攻撃が出来ない事に加えて、魔法も使えない彼にはそれしか攻撃方法が見つからなかった。
洞窟に吹き込んで積もった雪を固めては、夢中でそれをいくつも投げつける。
考えてもいなかった彼の攻撃にアイクは呆気にとられていた。
「ど、どうだ……?」
「……おい、マルス」
かなりの数の雪玉を夢中で投げ、流石に少しくらいは怯んだだろうとマルスは投げる手を止める。
彼が大人しくなったところで、アイクが低い声で彼を呼んだ。
「お前が投げた雪のせいで、奴が巨大化しただろう! どうしてくれるんだ!?」
何事かとマルスが首を傾げると同時に、アイクの怒声が洞窟内に響いた。
突然の怒鳴り声に、その怒りを向けられているマルスだけでなく、少し離れた所にいたパルも思わず驚いて肩を竦める。
アイクが言うように、雪の魔物はマルスの投げた雪玉が体にくっついて巨大化していたのだ。
よく考えてみれば、体が雪の塊である魔物に雪を投げつけたところで、その魔物にとっては痛くも痒くも無いのだとマルスはようやく気がつく。
「うーん……やっちゃったなぁ……」
マルスは巨大化してしまった雪の魔物を見て目を泳がせる。
「やっちゃった、じゃない! 余計な事しやがって……!」
「だってこのままじゃ、攻撃なんて出来っこなかったじゃん!」
怒りで無意識のうちに口調が荒くなりながら怒鳴るアイクに、マルスも思わずむきになって反論する。
魔法のような遠距離の攻撃手段を持たないのならば、何か自分に出来る事をと思って雪玉を投げたというのがマルスの主張だった。
だが、それならば魔法が使える自分やパルに任せて身を引くべきであり、そうしていれば魔物が巨大化する事も無かったと考えたアイクは、彼の主張を受け入れる気にはなれなかった。
気づけば口喧嘩に発展してしまい、二人は向かい合って言い争いを繰り広げる。
隙が出来たと踏んだ雪の魔物は、そんな二人を狙って再び氷柱を飛ばしてきた。
言うまでも無く、巨大化した体から放たれる氷柱も同様に巨大化している。
「だいたいお前はいつもそうだ! 考え無しに軽率な行動を取っては迷惑をかける!」
「だって今のは仕方なかったでしょ! 他に抵抗する方法なんて無かったし!」
一体どこにそんな優れた能力があるのか、二人は飛んでくる氷柱を回避しながらも口喧嘩を続けていた。
互いの顔を睨んだまま視線を逸らさずに飛んでくる氷柱を避けていく様は、見事と言う他無い。
魔物の攻撃はかわしているものの今の二人にとっての敵は互いであるため、二人に魔物を倒そうという意思は全く見られないどころか、魔物の存在すらあって無いようなものになっていた。
(……また喧嘩してる……)
口喧嘩が始まったばかりの時はハラハラとした気持ちで見ているしかなかったパルだが、次第に呆れを感じ始めて小さく溜め息をついた。
マルス一人ならまだしも、アイクまでこうなってしまってはいつまで経っても収拾がつかなくなり、このままでは魔物を倒せそうにないと判断したパルは、両手を雪の魔物に向けた。
二人の言い争う声が響く中で彼女は意識を集中させて、魔力を両手に集めていく。
精霊の力と合わさった彼女の魔力は凄まじい熱を生み、彼女の周囲の氷が溶け出し始めた。
「炎の精霊よ、全てを焼き尽くせ……!」
パルが雪の魔物に向けて、凄まじい熱を帯びた魔力を解き放った。
その瞬間、魔力は猛火となって大蛇のようにうねりながら魔物へと向かっていき、絡みつくように炎が魔物を包み込んだ。
抵抗しようと雪の魔物は氷柱を飛ばし、裂け目のような口から冷気を吐き出すが、その全てを炎が飲み込んでしまう。
離れた所にいるパルの肌にも炎の熱が伝わり熱く感じているうちに、燃え盛っていた炎は徐々に小さくなり、音も無く消えた。
雪の魔物は、その周辺の氷ごと溶かされて蒸発し、もうどこにも姿は無い。
「二人共、もう倒した……」
雪の魔物を倒した事を確認したパルは二人にもそう報告するが、その声はまるで二人に届いていない。
先程の炎魔法にすら気づいていなかったのではないかと思わされるほどだ。
パルは再び小さく溜め息をつきながら、今度は二人の喧嘩を止めに行く。
ある意味、パルにとっては二人の喧嘩を止める事の方が魔物を倒すよりも面倒だった。
「もう……喧嘩、やめて……」
気づけば取っ組み合いを始めかけている二人をパルは力ずくで引き離した。
だが、引き離されても二人は互いに睨み合っている。
つい先程まで仲良く雪合戦などしていたというのに、それが嘘のようにいがみ合っている二人を見ていると、パルは何となく悲しい気持ちになった。
「お願いだから……喧嘩、やめて……」
パルはその悲しさと僅かな怒りを滲ませた空色の瞳で二人を見た。
彼女の気持ちを察したのか、二人は視線を互いから彼女に向ける。
ようやく目に入った彼女の悲しげな顔に、二人はようやく冷静になってばつが悪そうな顔をした。
「パル、ごめん……」
「俺も、少し度が過ぎたな……すまない……」
彼女に悲しい思いをさせてしまった事に対して、二人は申し訳なさそうに眉尻を下げて謝る。
そして、どこか気が進まない様子ではあったが、二人は互いに自分の態度の悪さや理解の無さを謝り合った。
何とか二人の口喧嘩がおさまり、パルは心の中で胸を撫で下ろしつつ、きちんと互いに謝罪をする二人を見て微笑んだ。




