5.砂塵の女王
これが、本当のわたし。
「姫様ッ! どうなされました!?」
「ぎゃッ!」
女王サリュの悲鳴を聞いて誰よりも早く駆けつけたのは、レオガルドとの戦闘でも王の間でも彼女のそばにいた褐色肌と白銀色の短髪をした女性兵だ。
勢いよく走り込んで来た彼女にマルスは突き飛ばされ、変な声を上げてよろけてしまう。
直後に、後から駆けつけた兵士達に二人は取り押さえられた。
「貴様ら、姫様に何をした!? いくら神の選んだ者達といえど、姫様に危害を加えたというのならば容赦はしないぞ!」
サリュを自身の背後に隠し、二人に向けてハルベルトを構え怒鳴る女性兵。
「ごっ、誤解です! オレ達は別に何も……」
「何も? 何もないわけがあるか! 姫様がこんなにも動揺なさっているというのに!」
マルスはどうにか事情を説明しようとするが、女性兵は強い口調で彼の言葉を遮る。
どう弁解しても聞き入れてもらえない雰囲気に、マルスもパルも困り果てた表情を浮かべる事しか出来ない。
「あ、ラ、ラティオ、聞いて、違うの……本当に、彼らは何も危害を加えたりなんかしていないの……」
「しかし……」
ようやく少し落ち着きを取り戻したサリュが、女性兵――ラティオにおずおずと声を掛ける。
ハルベルトを構え、二人を睨み付けたまま、ラティオは彼女の言葉に耳を傾ける。
「……っ、わたしのっ、この情けない姿を見られてしまっただけなの!」
「……え?」
勢いよく告げられたサリュの言葉に、ラティオは思わず間の抜けた声をこぼした。
そして戸惑いを隠せない様子で、サリュとマルス達を交互に見る。
二人に向けられているハルベルトの穂先がゆらゆらと揺れていた。
「あ……ええと、本当にそれだけ、なのですね? 危害を加えられはしていないのですね?」
聞き返されると、サリュは大きく何度も首を縦に振って見せる。
それを見たラティオは、戸惑いを滲ませながらも構えていたハルベルトをゆっくりと戻す。
「すみません! 私の連れが何を……!」
廊下の方からアイクの声が聞こえた。
騒ぎを聞きつけて来たようで、その声には焦りと戸惑いが滲んでいる。
「……すまない、こちらの早とちりだったようだな。その者達を解放し、全員持ち場に戻れ」
ラティオの言葉で、兵士達は取り押さえていたマルスとパルを解放し、女王に会釈をしてからテラスを出て行った。
ひとまず誤解が解け二人が安堵していると、兵士達と入れ替わるようにアイクがやって来た。
「陛下、私の連れが何かご無礼を働いてしまったのでしょうか……」
「いや、そういうわけではないようだが……」
恐る恐るアイクが尋ねると、ラティオが代わりに答えてサリュに視線を向けた。
彼女は俯いて胸の前できつく手を握りしめている。
「……妾は女王、威厳ある女王、妾は女王、威厳ある女王、妾は――」
俯いたサリュはぶつぶつと呪文のように口早に唱える。
何度か繰り返し唱えてから、息を大きく吸って吐き出す。
そして、胸元で握っていた手を下ろし、顔を上げた。
その顔は、出会った当初と王の間で見た凜としたものに切り替わっていた。
「――見苦しい所を見せてしまった。先程の事は忘れてほしい」
王の間で謁見した際のような威厳ある口調で女王は言う。
「……姫様、さすがに無理があるかと」
ラティオがすかさず声を掛けると、女王は小さく唸るような声を漏らして項垂れる。
彼女の言葉にマルスとパルは思わず頷いていた。
「ああ……わたしの女王生命、もう終わったわ……」
「いっそ正直にお話しになってみても良いのではないでしょうか」
「で、でも……」
困り果てた表情でサリュはラティオとマルス達を交互に見る。
一人状況が分からぬアイクは戸惑いで眉間に皺を寄せていた。
「じゃあ、あの、せめて場所を変えてからにしましょう……」
* * *
場所を変え、三人はテラスから一番近い客間に通された。
三人の向かいには、ラティオと気まずそうな面持ちの女王サリュが座っている。
「改めて自己紹介をしよう。私はラティオ・シエンティア。姫様の近衛兵だ。先程は勘違いをしてすまなかった」
ラティオが改めて名乗ったのに合わせ、三人もそれぞれ名乗る。
向かい合うと、彼女の右頬から右目下に刻まれた大きな傷跡に思わず目が行く。刃物で斬りつけられて出来た傷なのだろう。
「いえいえ! オレ達も、まさか女王陛下がいるなんて思ってなかったですし、その、覗き見なんて失礼な事をしてしまいましたから……本当にすみませんでした」
「すみませんでした……」
マルスとパルは深く頭を下げて自分達が覗き見をしてしまった事を謝罪する。
「テラスまでは立ち入りを禁じていなかったですし、今日は異例の事態続きで疲れて気が抜けていました。わたしにも、落ち度はあります……。騒ぎを起こしてごめんなさい……」
サリュも二人に頭を下げた。
「か、顔を上げてください! 陛下は本当に何も悪くないんですから!」
自分達と年齢はそう変わらない少女とはいえ、一国の王に頭を下げさせるなどとんでもない事だ。
マルスは慌てて女王に顔を上げるよう言う。
「もう気づいていると思いますけれど……この情けないわたしが、本当のわたし。わたしは、強く威厳ある女王なんかじゃなくて、弱くて情けない人間なんです」
俯きながらサリュは膝の上で拳をきつく握る。
「姫様、そんな事は――」
「そんな事あるのっ!」
咄嗟に否定しようとするラティオの声をサリュは強く遮った。
その剣幕に、ラティオは出掛かっていた言葉を飲み込まざるを得なくなる。
「……ラティオ、お客様にお茶の用意をしてくれるかしら」
「……承知しました」
自身を落ち着かせるように息を吐いてから、サリュはそう命じる。
何か言いたそうなに唇を動かすラティオだったが、言葉を飲み込んで返事をし、茶の用意をしに部屋を出て行った。
彼女が部屋を出て行くと、サリュは小さく溜め息をつく。
「見苦しい姿ばかり見せてごめんなさい。こんな話、誰かにするのは初めてで、つい……。ここまで話してしまったから、もう少し聞いてもらえますか……? あなた方になら、話しても大丈夫そうだから」
サリュはまた小さく頭を下げる。
神が選んだ者とはいえ、マルス達はヴュステの王族でも、臣下でも、国民でもない。王国を脅かすような存在にも思えない。
サリュは自分にとって誰でもない三人だからこそ、胸の奥に押し込めたものを吐き出したかった。
恐縮しながらも三人はその申し出を受け入れ、彼女の言葉に耳を傾ける。
「どうしてこんなに情けないわたしが女王なんだろうって、ずっと思っているんです……。魔族に襲われた時だって、皆が懸命に戦っている中で、わたしは一番安全な所で震える事しか出来なかったのに」
俯いて言う彼女の言葉に、マルス達は返す言葉が見当たらない。
「先代女王――母は、とても立派な女王だった。常に凜々しく、けれども優しい女王で、民からも慕われていました。でも、二年前に母が不慮の事故で亡くなって……わたしが女王に即位する事になったんです」
ヴュステ王国は、王族の女性のみに王位継承権が与えられている。
先代女王の一人娘であるサリュには当然、第一王位継承権が与えられていたが、こんなにも早く王位を継がねばならない日が来るとは彼女を含めて、この国の誰しもが思っていなかった。
「父は、母が亡くなってから気を病んで臥せってしまって……。だから、わたしがしっかりしなきゃと思うんですけれど、政治の事もまだ勉強中で政務官に頼りきりだし、国防だって……」
最愛の母を亡くし、父は気を病んで臥せっている。
そのような状況の中、十代半ばにもならない年齢で女王となり、王国の全てを背負う立場となったサリュの心細さが三人にも痛いほど伝わってくる。
「我が国の女王は皆、地上界でも最上位の結界魔法を使う事が出来て、それによって代々国を守ってきました。女王の座を継承する時に、その力を覚醒させる儀式をするんですけれど……わたしは、即位して儀式を受けてから二年経とうとしているのに、未だその力が覚醒しないんです……。きっと、女王としての覚悟が足りないから……」
サリュの話では、女王のみが使えるという最上位の結界魔法は、王国全てを覆う事ができ、悪意ある者の侵入や攻撃を防げるのだそうだ。
また、それに付随して、その代の女王固有の恩恵を国にもたらす力もあるようだ。先代女王――彼女の母親は、城壁や武器の増強に利用出来る鉱石が採れる鉱脈をもたらしたという。
地上界において女性は、どちらかと言えば男性よりも立場が弱い。
王が女性でありながらも、三大国に名を連ね、他国からの侵略を受ける事なくヴュステ王国が存在出来ているのは、その結界魔法によるところも大きい。
サリュが女王の力に目覚めていない今は、兵団の魔法部隊が仮の結界を張り、外部からの入国者には入念な身体検査をする形で国を守っている。
「女王としての口調や振る舞いは、全部お母さまの真似。真似をしていれば、いつか本当にお母さまのように強くなって、女王としての覚悟が出来ると思ったんです。でも、そんなに上手くいくわけないんですよね。わたしが威厳ある立派な女王のフリをしているのだけなのは、みんなにバレているんです。こんな弱くて情けないわたしを『砂塵の女王』なんて揶揄する民の声を聞いた事だってあります」
自嘲めいた笑みをこぼしながらサリュは続ける。
「それに……女王として未熟なままだから、ラティオはわたしの事を未だに『姫様』って呼ぶんです。ラティオにとって、わたしはまだまだ手の掛かる幼い妹みたいなものだと思うから。一番そばで、誰よりも時間を共にしてきたラティオに認められていないのに、国民に認めてもらえるわけがないですよね」
膝の上で握られたサリュの拳が切なげに震えていた。
マルスは必死に彼女に掛けてやれる言葉を探したが、今の彼女にはどれも無意味に思えてしまい、閉口するしか出来なかった。
* * *
一方その頃、客間の入り口前に、自身の心の内を吐露しているサリュの声を聞く人影が二つ。
人影の正体は、茶を運んできたラティオと、ヴュステの兵団長ガーディだった。
「……だそうだが、ラティオ」
ガーディは隣で立ち尽くすラティオに視線を向ける。
静かに息を吐き出してから、彼女は口を開いた。
「私は、姫様が女王という立場に気負いすぎてしまわないようにと思っていました。史上最年少での即位……覚悟など決まらなくて当然です。けれど、姫様は一生懸命なお方。今はそうでなかったとしても、必ず立派な女王になると私は信じている。だから、無理に変わろうとしなくてもいいのだと思っています。そう思っていたから、未だに『姫様』と呼んでしまう。それが、姫様――陛下を気落ちさせてしまっていたとは……」
眉間に皺を寄せ、ラティオは俯く。
手元の盆に載った茶に映る自身の顔が、ゆらりゆらりと揺れていた。
「私も、陛下に女王としての素質がないとは思っておらん。陛下はそう思われていないようだが……。陛下がご自身を認め、女王として歩んで行けるようお支えするのが我らの役目。そして何よりラティオ、お前の役目だ」
ガーディに言われ、ラティオは一度瞼を閉じる。
「無論、心得ております」
顔を上げ、目を開いてラティオは答えた。
その青い瞳に迷いはなかった。