3.不屈の獅子
女王を守れ。
魔族の獅子レオガルドの攻撃は、凄まじかった。
鋭い爪と牙、強靱な長い尾、筋肉質な巨体――彼は全身が武器と言っても過言ではなかった。
爪による引っ掻き攻撃、巨大な口から生える牙での噛み付きは、直撃すれば致命傷では済まないだろう。
マルス達も兵士達も必死に攻撃を回避しながら、反撃の隙を探す。
だが、回避に気を取られていると鞭のような長い尾が死角から襲いかかって来る。
それに加え、風魔法で周囲の砂を巧みに操り、視界を遮って攻撃の手を緩めさせる。
女王を守らねばという焦燥感も相まって、戦闘開始から僅か数分だというのに皆の顔に疲弊が滲み始めていた。
「っ、わた――妾の防御魔法を……」
震える声で女王が言う。
この状況をどうにかしなければならないと思っているのは、マルスや兵士達だけでなく女王もだった。
防御魔法で自分の身を守るよう言われていた女王だったが、自分だけが安全な結界の中にいる事が耐えられなくなっていた。
「陛下はどうかご自分の身をお守り下さい!」
顎髭を生やし、屈強な体格をした中年の男兵士が女王に向かって叫ぶ。
彼の鎧の胸元にはヴュステ王国兵長の証である紋章が刻まれていた。
「っ、は、はい……」
女王は今にも泣き出しそうな顔で自身を守る結界に魔力を送り続けた。
「これでも……ッ、ぐあッ!」
上手くレオガルドの後方に回り込んだマルスが、鞭のような尾をめがけて剣を振り下ろす。
だが、それより一瞬早くレオガルドが逞しい後ろ足を彼に向けて蹴り上げた。
間一髪のところで剣で防御したマルスだったが、蹴り飛ばされた体は宙を浮いて後方に飛ばされる。
背後にいた彼に一瞬だけレオガルドが気を取られている隙に、兵士達が一斉に襲いかかった。
「フン、小賢しいわ!」
レオガルドがそう吐き捨て咆哮すると、巨体の周囲に凄まじい風が巻き起こった。
風は迫っていた兵士達を弾き飛ばしてしまう。
さらに風は砂を巻き上げてレオガルドの周囲を包み、風と砂の防壁が出来上がった。
兵士達が矢を放つも砂風の防壁に弾かれる。
「いったたぁ……」
地面に落ちた衝撃で咳き込みながらも、マルスはどうにかアイク達の近くに戻って来た。
パルが治癒魔法を彼にかけてやる。
『主、私達が力を貸そう』
不意にクライスの声が聞こえてきた。三人は彼の言葉に耳を傾ける。
『以前戦った三体の魔族よりも奴は強い。それに、ヴュステの女王という要人がいる以上、形振り構ってはいられぬぞ。私達も実体化して力を使うのが確実だ。主、実体化の許可を』
「そう、だな。今は女王陛下をお守りする事が最優先だ。クライス、頼む」
アイクの言葉に呼応して彼の紋章が輝き、そこから青い光球が出現する。
『アタシも出ちゃうけどいいわよねっ、パルちゃん』
「うん……お願い……」
パルが頷くと彼女の紋章も輝き、シアン色の光球が出現する。
二つの光球が弾け、一瞬まばゆい輝きが周囲を包んだ。
光が収まると、そこには聖霊クライスとアテナの姿があった。
どこからともなく現われた神々しい雰囲気を纏う二人に、ユーリも女王も兵士達も戸惑いを隠せない様子だ。
「まさか、聖霊……!? それに、あの紋章……」
女王は瞬時に二人が地上界の者ではない事を――聖霊である事を感じ取っていた。
そして、アイクとパルの右手に光り輝く紋章を見て、驚愕の表情を浮かべていた。
「ほう、貴様ら守護聖霊とやらか! ようやく少しは楽しませてくれそうであるな!」
砂風の防壁の中でレオガルドが嗤う。
「貴様らの役目は知っているぞ。わざわざ実体化すると言う事は、契約主とまださほど力が親和しておらぬ証拠! 守護聖霊もろとも一掃する好機よ!」
「あら、随分な物言いじゃない。あんまり舐めてると痛い目見るわよ、化け猫ちゃん」
互いに煽り立てるような言葉を投げ、レオガルドとアテナは視線で火花を散らす。
アテナの挑発的な言葉に、マルス達は肝が冷えるようだった。
「……やるか」
気を取り直して、アイクは剣に魔力を込める。
青い光と冷気に包まれ、彼の剣が氷の魔力を纏った。
「えっ、えっ、えっ! 武器に属性魔力を付与出来るの!?」
アイクの剣が氷の魔力を纏っていく様子を見たユーリが、不意に興奮した声を上げる。
攻撃の威力を上げるため武器に魔力を纏わせて戦う方法は一般的だ。
だが、炎や氷といった属性を持つ魔力を纏わせる事は、聖霊と契約した者――神に選ばれた者にだけ可能である。
「……後で詳しく説明する。ユーリ、パル達が奴の防壁を破壊したら、一瞬でも良い、奴の注意を逸らしてくれ」
「了解っ! 任せといて!」
アイクがそう返すと、ユーリは期待に目を輝かせながらも戦いに意識を戻す。
「よぉーし、いくわよ、パルちゃんっ!」
「うん……!」
パルとアテナがレオガルドに向けて両手を翳し、魔力を集中させる。
「風よ……!」
「いっけぇッ!」
パルの放った風魔法とアテナが放った水魔法が空中で合わさり、水風となってレオガルドの砂風の防壁にぶつかる。
風はパルの魔法で相殺されていき、アテナの水魔法が砂を濡らし地面に落としていく。
ついにレオガルドの砂風の防壁が消え去った。
防壁が消されたレオガルドは、咄嗟に二人の方へと突進していく。
「くらえッ!」
二人の前に躍り出たユーリの魔導砲から氷塊が放たれ、突進して来るレオガルドの顔面を直撃した。
「グアアッ! 小癪な!」
顔面に直撃した痛みと衝撃で足が止まる。
だが、それに抗うように吠えながら、レオガルドはユーリめがけて尾を振るった。
「うおおッ!」
駆けながら、マルスが尻尾に向かって力一杯剣を振る。
尾が剣とぶつかり破裂音に似た音が響く。
マルスは大きく体勢を崩したが、レオガルドの尾は勢いを失って宙を漂っていた。
「アイクッ!」
どうにか倒れぬよう踏ん張り、マルスは大声で呼び掛けた。
すぐさまアイクが氷の魔力を纏わせた剣を、宙を漂う尾めがけて振るった。
「凍れッ!」
アイクの紋章が強く青色の光を放つ。
レオガルドの尾が半分に斬られる。
鮮血が吹き出るよりも早く、その斬られた所から瞬時に尾は凍り付いていく。
気がつけば、レオガルドの尾から臀部、後ろ足は凍り付き動かなくなっていた。
そして、クライスが左腕を振り上げた瞬間、濡れた地面から巨大な鋭い氷柱が何本も突き出してきた。
身を捩って回避を試みるレオガルドだが、無慈悲にもその体には氷柱が突き刺さり、鮮血を溢れさせる。
「今だ!」
身動きが取れなくなったレオガルドに、アイクの氷刃とパルの風刃が襲いかかる。
「撃て!」
兵長の掛け声と同時に、魔法が使える兵は魔法を、そうでない兵は矢を放ったり槍を投げたりした。
「ガッ……グアアアアアッ!」
耳を劈くようなレオガルドの悲鳴が響く。
攻撃が止み、獅子の巨体が音を立てて砂の上に倒れる。
灰色の体毛に覆われた体は、氷柱が刺さった痛々しい痕が残り、血で汚れていた。矢や槍も数本刺さったままだ。
「やった、のか……?」
女王のそばでハルベルトを構えたまま、短髪の女性兵が呟く。
「……グ、グゥゥ……まさか吾輩が、ここまで、追い詰められるとは……」
レオガルドは絶命してはいなかった。
苦しげな唸り声をこぼしながらよろよろと立ち上がる。
屈強な肉体は今の攻撃ですら致命傷になるのを免れていたようだ。
「今は、分が悪いようであるな……。今日のところは見逃してやろう。だが、次相まみえる時は必ずや貴様らの命、貰い受けるぞ! その時まで精々首を洗って待っているがいい!」
そう言うと、レオガルドは翼をはためかせて宙に浮かび、魔法によってどこかへと姿を消してしまった。
「はぁ……良かったぁ……」
レオガルドが去ってから、マルスは安堵の溜め息をつく。
同時に皆の緊張も解けたようだ。
「姫様っ!」
不意に短髪の女性兵の焦った声が聞こえた。
マルスがそちらを向くと、その場に膝をついている女王と、彼女を支えている女性兵の姿が視界に入る。
「ご、ごめん、なさい……妾、わたし、震えで足が……」
先刻までの勇ましい口調が嘘だったかのように、女王の声は弱々しく震えていた。
「ご無事で何よりです。急ぎ城に戻りましょう」
「ええ……ありがとう、ラティオ……」
短髪の女性兵――ラティオの手を借りながら、女王はゆっくりと立ち上がる。
「兵長、サブルが一匹生き残っておりました」
二人の傍らにいた兵長の元に兵士が駆け寄って来る。
彼は手綱を握っており、その先に繋がれていたのは、太く逞しい後ろ足で立つ一匹の小型の竜だった。
サブルとは、砂漠に生息する小型の竜で、正式にはサブルドラゴンと呼ばれる。
少々ごつごつとした砂に似た枯れ色の皮膚と、大きな琥珀色の瞳が特徴的だ。
砂漠の猛暑にも夜の凍えるような寒さにも強い上に、足場の悪い砂漠を高速で移動する事が出来る。
それに加え人懐こい性格で、ヴュステ王国では乗り物として重宝されている生き物だ。
「ラティオ、お前は陛下と共にサブルに乗り、先に城へ。我らは後を追う」
ラティオは兵長の言葉に返事をし、兵士からサブルの手綱を受け取る。
女王を先にサブルの背に装着されている鞍に乗せてから、その後ろに彼女も跨がった。
女王は深く息を吸って吐き出すと、顔を上げて兵士達を見た。
先程までの不安や怯えの表情はもうどこにもない。凜としているように見える。
「皆よく戦ってくれた。旅の者達、そなたらにも感謝する。王国へ着いたら我が城へ来てほしい。先程の聖霊と紋章について話がしたい。ガーディ、旅の者達の案内を頼む」
「承知致しました」
兵長――ガーディの返事を聞いてから、女王はラティオに出発するよう言った。
ラティオが手綱を打つとサブルは走り出す。
王国へ向かって行く女王達を見送りながら、マルスは心の中でアストルムの祭りで見た演劇とその終演の光景を思い出していた。
マルス達が見た演劇は、終演後に役者全員が舞台に出て来て観客に挨拶をしていた。
その時に役者達の、劇中で演じていた役と素の様子の違い、切り替わりに彼は衝撃を受けた。
極悪非道の悪役は、観客に深い感謝の言葉を述べて、柔和な笑みと共に誰よりも丁寧に頭を下げていた。
主人公の泣き虫で気弱な仲間は、眩しい笑顔を浮かべて大きく手を振り、溌剌とした声で挨拶をしていた。
一匹狼で他人と馴れ合おうとしなかった仲間は、実は劇団の弄られ役で、他の役者達にちょっかいを出されては嬉しそうに笑って一発芸を披露し、観客の笑いを誘っていた。
マルスは、女王が役者に似ていると思ったのだ。
こんな事を口にすれば不敬だと非難されると思い、心の中に留めておく。
「君達、先程の助太刀、感謝する。私はヴュステ王国の兵長ガーディ・クラァトだ」
ガーディがマルス達に向けて名乗る。
「陛下の申しつけ通り、君達を王城まで案内させてもらいたい。ご同行願えるかな?」
「……はい」
女王からの申し出には、拒否権などない。
アイクとパルに視線を送ってからマルスは頷いた。