2.襲来する爪牙
出会いは襲来と共に。
飛空艇が不時着したのは、幸運な事にオアシスの近くだった。
パルの浮遊魔法のおかげもあり、着陸による飛空艇への損傷も随分少なく済んだようだ。
とはいえ、最初に魔物がぶつかった時の損傷が大きいようで、すぐに再飛行出来る状態ではなかった。
三人が飛空艇から出て来た時には、もう既にビリー達は飛空艇の修理に取り掛かっていた。
「おう、お前ら無事だな!」
マルス達が出て来たのを見て、ビリーが作業の手を止めて歩み寄って来る。
ビリーを含め全員が無事な様子を見て、三人は安堵していた。
もう降ろして大丈夫だとパルが言うので、アイクは彼女の体を気遣いながら地面に足をつかせる。
少々力ない様子ではあるものの、自力で立てる程度には回復したようだ。
「嬢ちゃん、さっきは本当に助かった! こっちも風魔法で支えていたとはいえ、この飛空艇を一人で支えられるだけの魔法が使えんのは、大したモンだぜ。あんがとな」
そう言ってビリーはパルの小さな頭を大きな手のひらでガシガシと撫でた。
「親方、女の子相手にそんなガサツな事しないで」
「あっ、お、おう……すまんな……。ついユーリにする時の癖で……」
傍らのユーリに言われ、珍しくたじろぐような反応を見せながらビリーはパルの頭から手を離す。
「いえ……嬉しい、です……。ありがとう、ビリーさん……」
ばつが悪そうにしているビリーに、パルは微笑んで見せる。
頭を撫でて褒められた事が、パルは本当に嬉しかった。幼い頃に父がそうしてくれた事を思い出していた。
温和で細身な父とビリーは似ても似つかぬ人物で、頭を撫でる手付きも父に比べれば乱雑ではあったが、それでも父に似たぬくもりを感じていた。
彼女に微笑み返しながら、ビリーは今度は優しく彼女の頭をポンポンと撫でた。
「ま、おかげさんで飛空艇は無事着陸出来たが、魔物がぶつかってきた分の損傷が存外激しくてな。修理には二、三日かかると見た。だから、お前らは先にヴュステへ行け。こっからだと、昼前までには着くはずだ」
彼女の頭から手を離して、ビリーはそう告げる。
飛空艇が直るのを待っているよりは、歩いてヴュステを目指す方が早い。
なるべく先を急ぎたい三人は歩く事に決めた。
「ユーリ、お前も一緒に行け。恩人サマを送り届けんのと、修理に必要なモンや食料の調達を任せんぞ」
ビリーは言ながらユーリにヴュステで調達する物を書いた紙を手渡す。
「分かりました。じゃ、俺すぐ準備してくるね!」
紙を受け取って、ユーリは急ぎ足で飛空艇の中に駆けて行った。
彼が戻って来るまでマルスとアイクは地図で道のりの確認をし、パルは腰を下ろし体を休めて待つ事にした。
* * *
夜中の砂漠は、冷え込んでいた。
月が放つ銀色の光すらも、枯れ色の砂に覆い尽くされた大地を冷たく照らしているように感じる。
砂漠は暑いものだとばかり思っていたマルスは、その寒さに驚きを通り越して戸惑っていた。
砂が熱を溜め込んでおけない事と、空気中の水分が少ない事が原因だとアイクが教えてくれたが、マルスにはよく分からない話だった。
三人も、同行しているユーリも、寒さをしのぐために外套を羽織っていた。
寒さと辺り一面の代わり映えしない景色に、マルスはネジュス地方を歩いた時の事を思い出していた。
砂漠と雪原。正反対のような場所だと思っていたが、案外似ているのだなと不思議に思う。
冷えてきた手を擦りながら、ヴュステ王国があるという西の方角に進む。
* * *
飛空艇が不時着したオアシスを出発してから数時間が経ち、砂漠にも朝が訪れていた。
陽が昇った後の砂漠は夜中の気温が嘘だったのかと思うほどに、暑い。
暑いだけでなく乾燥もしているため、体中の水分を奪われてしまう気がした。
不時着したのがオアシスで、そこで飲み水を十分に確保出来た事に深く感謝しながら、四人は歩みを進める。
暑くて堪らないが、肌を焼き尽さんとばかりに照りつける日差しから身を守るため、外套を脱ぐ事は出来なかった。
太陽を背負っているのではないかと本気で思い込んでしまいそうなほど容赦のない暑さに、四人はほとんど喋る事なく歩き続ける。
ヴュステ王国はまだだろうか、そう思ってマルスは視線を足下から周囲に向ける。
だが、景色は数刻前と大して変わりはしない。
砂の平原、砂の山、砂の谷……視界に映る何もかもが砂だ。
いつか空すらも砂になるのではないかとマルスは頭の片隅で思っていた。
ふぅ、と彼の口から短い溜め息が漏れる。
それからまた砂の平原や山谷を越え、一時間が経った。
飲み水も底が見え始め、四人は言葉には出さないものの早くヴュステに着かないかと焦り出していた。
その時、ふとパルが足を止める。
「この先……」
眉を顰めながらパルが声を発する。
マルス達は足を止めて彼女の方を見た。
「この先に……強い力、二つ感じる……。すごく澄んだ魔力と、もう一つは……魔族、かもしれない……」
「魔族!?」
驚いた声で聞き返してくるマルスにパルは頷いて答える。
感知出来た力の一つは、以前戦った魔族のものと似た感じがしていたのだ。
「二つの力……すごく、近くにある……。襲われてるかもしれない……」
「じゃあ急いで探さなきゃ!」
二つの力は互いに近い場所にある。
それはつまり、もう一方の力の持ち主が魔族に襲われている可能性があるという事だ。
慌てて言うマルスの言葉にアイクとパルは頷く。
「待って、どういう事? 魔族って何?」
「あーえっと……とにかくすごく強い魔物みたいなのに襲われている人が近くにいるかもって事!」
戸惑うユーリにマルスは適当な返答をして走り出す。アイクとパルもそれに続く。
「……なんかよく分かんないけど、一大事ならしょうがない!」
誤魔化されたとはいえ、一大事なのは間違いないのだろう。
一旦気にするのはやめて、ユーリは三人の後を追いかけた。
砂に足を取られそうになりながらも、パルが言う方向にマルス達は駆け足で砂漠を進んで行く。
すると突然、前方に砂の竜巻が視界に入る。
同時にいくつかの悲鳴も聞こえてくる。
「あそこに、いる……!」
感知した力の持ち主が砂の竜巻が発生している場所にいるのだとパルが言う。
そこで何か良くない事が起きているのは明白だった。
「グハハハハッ! 地上界三大国の王を討ち取ったとあれば、ハデス様も喜ばれるだろう! そしてあの地上界の者共に代わって、吾輩がアヴィス四天王となるのだ!」
竜巻が収まり、砂煙から野太いがなり声が聞こえてくる。
声の主は、間違いなく邪神ハデスの手の者だ。
砂煙が徐々に薄れていき、その姿がついに明らかになる。
現われたのは、灰色の体毛に覆われた筋肉隆々とした肉体と、背中に翼膜の張った翼を持つ巨大な獅子の魔物だった。
顔の周りには深緑色の鬣が雄々しく生え、巨大な口と鋭く尖った牙を持つ恐ろしい顔を一層強調している。
砂の大地を踏みしめる四肢から伸びる鉤爪も太く鋭い。
そして、縦長の虹彩をした大きな赤い瞳は、その獅子が魔族である事を物語っていた。
獅子の前には、高貴な身なりの少女とその護衛であろう兵士達の姿がある。
「姫様、お逃げ下さい! 王都に行けば増援も――」
古傷が残る褐色の肌と白銀の短髪をした女性兵士が、武器であるハルベルトを敵に向けながら叫ぶ。
その言葉は、黒髪と神秘的な金色の瞳を持つ高貴な身なりの少女に向けられていた。
「妾がここで逃げてどうする! 敵の狙いは妾! 王都に逃げれば、民が危険に晒される! ヴュステの女王として、そのような事は出来ない!」
護衛の女性から陛下と呼ばれた少女は、ヴュステの女王であった。
女王は強い口調でそう返す。
だが、その手足は震えを隠せてはいなかった。
「グハハハッ! 口先だけは勇ましいようだな! だが、震えているのが隠しきれておらぬぞ。そのような情けない小娘が女王とは、ヴュステの兵も民も哀れなものよ!」
「貴様ッ! 姫様への侮辱は断じて許さん!」
怒声と共に短髪の女性兵がハルベルトを突き出した。
だが、獅子の長い尾が鞭のようにしなり、突き出されたハルベルトを横から弾く。
武器を手放しはしなかったが、弾かれた衝撃で女性兵は大きく体勢を崩してしまった。
それを見逃さず、彼女に向けて獅子の鋭い鉤爪が振り下ろされ――
「風よ……!」
「ガアッ!?」
間一髪のところで、パルの放った突風が獅子の体を直撃した。
その巨体は大きな音を立てて砂の上に倒れ込む。
「大丈夫ですか!?」
「お前達は……? いや、今は助かった。感謝する」
駆け寄りながらマルスが声を掛けると、女性は簡潔に感謝を伝え、ハルベルトを構え直す。
「油断しておったわ……吾輩の体が地につけられるとは! だが、増援が来ようと同じ事よ!」
豪快な笑い声と共に獅子が翼をはためかせて立ち上がり、宙に浮かんでマルス達を見下ろす。
「むう、貴様らどこかで……ああ、ああ! 思い出したぞ! 我が神ハデス様に仇なすアジェンダに選ばれし者共か!」
武器を構えて警戒するマルス達三人の顔を獅子はじっくりと眺めてそう言った。
「グハハハハ! なんと幸運な事よ! ヴュステの女王だけでなく、神の選んだ者共まで現われるとは!」
大口を開けて獅子は笑う。
邪神ハデスの僕である彼にとって、地上界三大国の一つであるヴュステの女王と神に選ばれし者達が一堂に会しているこの状況は、好都合に他ならなかった。
「このレオガルド様が、貴様らの命もらい受けるッ!」
魔族の獅子レオガルドが翼をはためかせ、上空から襲いかかって来る。
鋭い牙と爪が降り注ぐ陽射しによって、ぎらりと剣呑な光を宿していた。