12.空へ
飛空艇、発進。
宿へ戻る道中マルスは飛空艇に乗る事への期待を口にしたり、天気を気にしたりと、不気味なほどにいつも通りの彼だった。
だが、一つだけ変わった様子があった。パルが彼の左頬の傷を治そうかと言った時、彼は「魔力が勿体ないから」と言って自前の回復薬で傷を治癒してしまった。
いつもならすぐに「パルお願い!」と答えてくるはずの彼が。
二人はマルスから暗に触れるな、これ以上踏み込んで来るなと言われている気がしてならなかった。
アイクとパルは胸に蟠りを抱えながら宿屋に戻った。
宿屋の前には既にユーリが待機しており、三人に気づくと手を振って呼び掛けてくる。
「ユーリ、お待たせ!」
マルスが手を振り返しながら駆け寄る。
「今来たところだから大丈夫。三人共、準備は良い?」
「大丈夫だ。荷物は全て持ったし、引き払いの手続きも終わらせている」
ユーリの問い掛けにアイクが答える。
念のためいつでも出発出来るよう、マルスを追う前に残りの準備は終わらせていたのだ。
「じゃ、行こっか! 飛空艇の発着所に向かうからついて来て」
三人はユーリの後に続いて歩き出す。
「あ、そうだ。これ、エドおじちゃんが昨日のお礼にって」
歩きながらユーリがそう言って袋を手渡してきた。
それは、三人が旅をしていると聞いてエドが用意してくれた物だった。
「これはありがたいな」
荷物持ちのアイクが袋を受け取り中を見る。
中身は保存食だった。
それなりの量があり、少しの間は旅中の食事に困らないだろう。
「後でお礼言えると良いんだけどなぁ」
「エドおじちゃん、見送りに来るって言ってたから会えると思うよ」
見送りにエドも来ると聞いて、マルスは嬉しそうな表情を浮かべた。
その後もマルスは特に変わった様子なく、ユーリと会話に花を咲かせながら進んで行く。
アイクとパルはひとまず彼の様子を気にしない事にして、自分達も会話に交じって歩みを進めた。
そして、一行は船着き場から少し離れた所にある飛空艇の発着場に辿り着く。
広い発着場は飛空艇の格納庫の役割も持っており、大小様々な機体が並んでいる。
中には近隣国の王族の紋章が刻まれている王族専用の機体もあった。王族の専用機はどれもエドの造船所の印が描かれている。
マルス達は並ぶ飛空艇に目を奪われながら歩いて行く。
進んで行くと円形に造られた広場に出た。
中央には一艘の小型飛空艇があり、そこに向かってユーリは声を張り上げる。
「親方、マルス達を連れて来ました!」
「おう、ご苦労!」
ユーリの大声を上回る声が返ってきたかと思うと、ビリーが飛空艇の中から出てくる。
「待たせたな! コイツが試験飛行をするオレ様の最新作! 魔石から抽出した魔力で、より長い距離を飛べるようにした『天翔けるビリー号』だ!」
マルス達が飛空艇の前まで来てから、ビリーは自信満々に飛空艇の紹介をした。
「天翔けるビリー号」なる飛空艇は、ずんぐりとした楕円球のような船体から櫂に似た装置が羽のように伸び、上部と後方には四枚の羽根のような部品が回転する装置がいくつか取り付けられた小型の機体だ。
空気抵抗を軽減するため、船体は前方に向かうにつれて細くなっている。
飛空艇の前方にある操縦室にあたるであろう場所は硝子張りになっており、中で出発準備に精を出す乗組員の姿が見えた。
「本ッ当に親方って、造船技術も魔石の応用センスもすごいのに、名付けのセンスないよね……」
傍らでユーリが小さく呟くと、そばにいた他の部下達は大きく頷いていた。
「おいユーリ、何か言ったか!?」
「いーえ、なーんにも!」
後からこっそりユーリが聞かせてくれたのだが、これまでにビリーが造り上げた船や飛空艇の名付けもなかなかに酷いらしい。
「麗しのビリー号」だの「荘厳なるビリー号」だの、何かと自分の名前を付けたがるのだそうだ。ちなみに彼の飛空艇第一号は「蒼天のビリー号」というらしい。
造船所を立ち上げたばかりの頃の部下達――彼の昔馴染である――はその名付けに反対していたが、今ではもう誰も何も言わない。
こんな名前が付いていても、彼の造る船は一級品だからだ。そして何より、彼の強面と気迫を前にして反論出来る猛者はそうそういない。
名付け以外では部下の意見も快く取り入れる彼だが、名付けだけはどうしても譲れないようである。
「相変わらずセンスのない名付けだね」
誰もが思っていた事を臆せず口にしながら現われたのはエドだ。
まだ黒魔法による後遺症があるようで、自身の部下に支えられて歩いてくる。
傍らでビリーの部下達が小さく首を縦に振って、彼の言葉に同意していた。
「どいつもこいつも、オレ様のすんばらしいセンスが分からねぇ奴ばっかで話になんねぇな」
「造船と魔石の加工技術に関しては理解しているつもりだけどね。名付けだけは一生、いや、生まれ変わったとしても理解出来ないね」
ビリーに言い返すエドの言葉に、またしてもユーリを始めとする部下達が頷いている。
ふて腐れたようにビリーは大きく鼻を鳴らすと、先に飛空艇の中に入っていった。
「あの、エドさん、保存食をたくさんありがとうございました」
頃合いを見計らって、マルスが声を掛ける。
「ああ、受け取ってくれたんだね。あの程度の物しか用意出来なかったけれど……君達が旅をしているとユーリ君に聞いて、何か役立つ物をと思ってね。もし他にも私に出来る事があればいつでも言っておくれ。命の恩人である君達の頼みであれば、いつでも力を貸すよ」
「エドさん、ありがとうございます!」
マルス達の感謝の言葉をエドは微笑みながら受け止める。
その時、不意に低い唸り声のような轟音が響いた。
音の出所は飛空艇で、動力源が作動した音のようだ。
喫驚してマルス達は飛空艇の方を見ると、出入り口からビリーが顔を覗かせた。
「おう、お前ら! そろそろ出発すんぞ! 別れの挨拶が済んだら乗り込め!」
三人に向けてそう言うと、彼はまた飛空艇内に戻る。
その言葉を聞いて、まだ外にいた試験飛行に参加する部下達が飛空艇に乗り込んでいく。
「じゃあ、俺達も乗り込もっか。エドおじちゃん、行ってきます!」
「くれぐれも気を付けて。マルス君達もね。旅の無事を祈っているよ」
エドからの激励に三人は力強く返事をした。
挨拶を済ませた三人は、ユーリに案内される形で飛空艇に乗り込む。
「へぇ、飛空艇の中ってこんな感じなんだ。普通の船に似てるんだね」
乗り込んですぐ上下左右に忙しなく視線を動かし、体をゆっくりと回転させながらマルスは飛空艇の中を観察する。
飛空艇の内装は普通の船とそこまで大差はない。
目に見えて分かる違いと言えば、窓が小さい事だろうか。
円形の窓は直径四十センチほどで、分厚い硝子が填められている。
出発の声が掛かるまで、ユーリは三人に飛空艇の中を案内した。
飛空艇内は中央に客室、前方に操縦室、後方に動力室という造りになっている。
三人はまず動力室を訪れた。
そこにはビジュ洞窟にあった照明をつける装置を倍以上に大きく、複雑化したような装置が鎮座している。
「ここで魔石から魔力を抽出して、その魔力を船底に送る。それで飛空艇が浮く。その後は、魔力と風の力で飛ぶんだ」
興味津々に装置を眺める三人にユーリは飛空艇が飛ぶ仕組みを簡単に説明した。
船底に送られた魔力が浮力を発生させる事で飛空艇が浮く。そして、ある程度の高さまで到達したところで、操縦席で切り替えを行い、魔力を推進力に変える。
後は推進力と自然の風の力を利用して空を飛ぶのだ。
着陸の際はその逆だ。
飛空艇が飛ぶ仕組みを三人が理解したところで、ユーリは三人を操縦室に案内する。
操縦室は前方が硝子張りで、外の景色がよく見えるような造りになっており、外にいるエドの姿もそこから見えた。
そして、その巨大な窓の手前には見た事もないような装置が所狭しと並んでいる。中央には船と同じような舵があり、それを使って飛空艇を操縦するのだという。
「動力稼働、異常なし!」
「魔力供給、異常なし!」
操縦の装置前に座った部下達から「異常なし」という威勢の良い声がいくつか上がる。
「おし、異常はねぇな。んじゃ、離陸といくか!」
全ての「異常なし」という声を聞いてから、操舵席に座っていたビリーが気合いを入れるように腕を回し、両手で舵を握った。
「揺れるから掴まって」
ユーリに言われ、三人は壁に取り付けられていた手すりに掴まる。
「魔力を浮力に変換完了! いつでも離陸出来ます!」
「よっしゃ、離陸だ!」
部下の報告を聞いて、ビリーは舵を手前に引いた。
ぐらり、と船体が揺れた直後、浮遊感に一瞬体を支配される。
手すりを強く握りながら、マルス達は外に視線を向けた。
「わあ! 浮いてる!」
マルスが興奮の声を上げた。
ゆっくりと飛空艇が上昇し、外に見えるエドの姿が徐々に遠く小さくなっていく。
気づけば飛空艇は街の上空数百メートルまで浮き上がり、硝子越しに見える景色は青空が大半を占める。
下方に見える街は、建物が豆粒ほどに小さくなって視界に映る。オモチャのように見える街の中に、つい先程まで自分達がいたと思うと不思議な気分になった。
飛空艇がゆっくりと回転し、進行方向に体を向ける。
「切り替え準備!」
「推進力への切り替え完了しました!」
ビリーの指示に部下が応える。
「お前ら舌噛むなよ! 発進!」
ビリーが舵を押し込んだ。
その瞬間、飛空艇が勢いよく発進する。
発進の瞬間、大きな横揺れが起こり、マルス達は再度手すりを強く握り締めて体を支える。
揺れが収まってから視線を外に向けると、雲が窓の外を流れるように過ぎ去っていくのが見えた。
「しばらくは大きく揺れないから、動いて大丈夫だよ。飛空艇からの景色、よく見てみて」
ユーリからそう言われ、三人は手すりから手を離し、一番近くにある窓に近づいた。
「わああ……! すごい、本当に空を飛んでる!」
自然とマルスの口から感嘆の声がこぼれる。アイクとパルも空から見る景色に目を見張っていた。
珊瑚色と茶色に彩られたコライユの街、若草色の平原、深緑の森、群青色の海。遠くの方にはアストルムの街も見える。
眼下に広がるエムロード島の景色は、まるで一枚の絵画のようだ。
ビリーの造船所、エドの造船所、宿泊した宿屋、そしてアベルと再会した場所。
マルスは眼下に広がる一枚絵の中から自分が訪れた場所を探す。
アベルと再会した場所を見つけたマルスは、しばらくそこから目が離せなかった。
下方に見えていたコライユの街が遠ざかっていく。
目指すは、砂漠の国ヴュステ王国。
一行を乗せた飛空艇は空の彼方へと飛んだ。