7.狂った親友
彼はどうして狂ったのか。
アベルと別れたマルスは、宿屋への帰り道を急いだ。
鍛錬中にアベルと再会した喜びを、アイクとパルに話したくて堪らなかった。
胸を弾ませながら、小走りに街の中を進んで行く。
宿屋の前に着くと、部屋にいると思っていた二人は外におり、見知らぬ男と何やら話をしているのが目に入った。
「二人共、どうしたの?」
そこに駆け寄って、マルスは状況を尋ねた。
「ああ、マルス。この方はビリーさんの造船所の方なんだが……」
「あっ、あんたもユーリと一緒に行動してたよな?」
アイクが軽く男の事を紹介すると、男はマルスの方に体を向ける。
「ユーリを見てないか? アンタらをここに案内した後、部品の受け取りに行ったはずなんだが……まだ戻ってねぇんだ」
「えっ、ユーリが?」
男は困惑した様子でそう言った。
ユーリと別れたのはもう二時間以上は前のはずだ。
「部品の受け取り先にも聞いたんだが、ユーリは来てねぇって言っててよ。もしかしたら、アンタらのトコで油売ってんのかと思って来たんだが……」
「オレはさっきまで街外れで一人で鍛錬してたから、見てないです」
マルスが首を横に振って答えると、男はますます焦った表情になる。
逃げた? いやまさか、と男は独り言を呟く。
造船の仕事に誇りを持ち、師であるビリーの事も深く尊敬していた。
そんな彼が自ら仕事を放棄して姿をくらますなど、マルス達にも、何年も共に働いてきた男にも考えられなかった。
「おおーい、大変だ!」
不意に、通りの向こうから男の叫ぶ声が聞こえる。
どうやら彼もビリーの造船所の者のようで、三人と話していた男が「どうした!?」と返す。
息を切らしながらその男は走って来た。
「っ、ユーリが、誘拐された! アイツの……エドの野郎の仕業だ!」
荒い呼吸のまま男が告げた言葉に、皆が驚愕した。
「本当なのか!?」
「ああ、間違いねぇ。今し方、脅迫文が届いたんだ。ユーリを人質に取って、うちの造船所を潰そうとしてるみてぇだ。今親方があっちに向かってる」
「クソ……卑怯な真似しやがって!」
事情を聞いて、三人と話していた男は憤慨した声を上げる。
ユーリは敵対している造船所に誘拐され、人質にされているらしい。
「アンタらすまん、協力ありがとな。あとはこっちで何とかする」
「で、でも」
「これはウチらの問題だからな。アンタらを巻き込むわけにはいかねぇ。すまんな」
マルス達が何か返す隙も与えないかのように口早に言って会釈すると、男達は造船所の方へ走って行ってしまった。
残された三人は顔を見合わせる。
無関係と言われれば確かなのだが、今日を共に過ごし、明日も世話になる相手が危うい状況に置かれていると聞いて、大人しく宿屋に戻る気にはなれない。
そして何より、三人は困っている人がいると聞いたら、行動せずにはいられない性分だ。
「オレ達も行ってみよう」
マルスの言葉に二人が頷く。
三人は急いで先程の男達のあとを追った。
空は夕陽の放つ赤を飲み込もうとするように深く暗い紫色の空が広がっており、宵闇が迫ろうとしていた。
* * *
男達は案の定、敵対している造船所へと向かっていた。
彼らのあとを追って来たマルス達は、造船所近くの曲がり角に身を潜めて様子を窺う。
造船所の前では、ビリーの部下達と相手の部下達が睨み合っており、険悪な雰囲気が少し離れた三人の所まで漂ってきている。
「テメェら何考えてんだ!?」
ビリーの部下が声を荒げる。
「こっちが聞きてぇよ! オレ達はボスの指示に従っただけだ! 話があるからユーリを呼んでこいって言われて、連れてっただけだ!」
「ボスはここまで手荒な真似する人じゃねぇ! ビリーの野郎がボスの気を悪くするような事したんじゃねぇのか!?」
敵対する造船所の男達も声を荒くして返す。
どういう訳か、この状況に戸惑っているのはビリーの造船所の者だけではないようだ。
「どっかから中の様子見えないかな?」
入口付近は双方の部下達がいるため、中に入るどころか、近づけそうにもない。
他の場所を探すため、三人は造船所の裏手の方に向かう事にした。
* * *
一方その頃、造船所の三階にある所長室に、誘拐されたユーリはいた。
「俺に話があるって言われたから来たけど、これはどういうつもりですか、エドさん」
目の前の人物を睨むように見る。
ユーリは後ろ手に縛られ、椅子に括り付けられていた。
身動きが取れず、抵抗は出来そうにない。
「君の所の所長が、なかなか我が傘下に入ろうとしないからだよ」
エドと呼ばれた人物は、細身で背の高い初老の男。彼こそがビリーと敵対する造船所の所長である。
青がかった灰色の長髪は腰ほどまで伸びているものの、綺麗に手入れされているようで不潔な印象は全くない。
丸い縁の眼鏡の奥に見える淡いウィスタリアの瞳は優しそうな色だというのに、濁った光を宿していた。
「だからってこんな、人質を取るようなやり方は――」
「うるさいッ!」
言葉を遮った男の怒号に、ユーリは思わず肩を跳ねさせた。
「やり方なんてもうどうでもいい! 私は奴を……ビリーを潰したい! 私を置いていった奴を!」
先程までの穏やかな口調とは打って変わって、エドは声を荒げる。
「エドさん、今ならまだ間に合う。あなたは優しい人のはずだよ。こんな事やめてください……!」
その変わり様に戸惑い、怯えながらもユーリは努めて穏やかに言った。
まだ自分が幼い頃、柔らかな声で「ユーリくん」と呼び、抱き上げて遊んでくれたり、船の知識を分かりやすく噛み砕いて教えたりしてくれたエドの姿が頭に浮かぶ。
ビリーとエドはかつて、コライユで最も名の知れた造船職人に師事していた。
その師の一番弟子であった二人は、互いに切磋琢磨し合う好敵手であり、また親友であった。
伯父であるビリーの親友であったエドは、ユーリが幼い頃――まだ二人の仲が良好であった頃――は彼を可愛がっていたものだ。
穏やかで優しく、博識なエドは、血の繋がりこそないものの、かつてはユーリにとってもう一人のおじのような存在だった。
そんな彼がビリーと険悪な関係になってしまったのは、おかしくなってしまったのは、いつからだっただろうか。ユーリは考える。
「エドさん、どうしちゃったんだよ……。エドさんはこんな酷い事する人じゃない。親方だって、エドさんとの和解を望んでる。だから――」
「黙れッ! 黙れ黙れ!」
再びエドの怒声がユーリの言葉を遮った。
「和解だと? ふざけるなッ! 奴は、私が邪魔だから、不要だから、私を見捨てたんだ!」
憎しみ、悲しみ、怒り。柔和そうな顔が負の感情に醜く歪む。
どこか泣き出しそうにも見える表情でエドはそう吐き捨て、頭痛を抑え込もうとするように両手で頭を押さえた。
朦朧としてきたエドの視界に、ユーリの姿が映る。
亜麻色の髪と緑の瞳。
彼の中でユーリの姿が、ビリーの姿と重なった。
「ああ……ああ、憎い憎い憎い!」
「うぐッ!」
エドが狂ったように声を荒げた。
その直後、ユーリの右頬に彼の左拳が勢いよく当たる。
身動きの取れないユーリは椅子ごと床に倒れた。
頬には鈍い痛みが広がり、口内で血の味を感じる。
「うっ……エドさん……お願い、もうこんな事やめよう。優しかった頃の、エドおじちゃんに、戻ってよ……!」
痛みに顔を歪めながら祈るようにユーリは言う。
エドは何かを振り払おうと、自身の頭を両手で押さえ左右に振っていた。
「ユーリ! 無事か!?」
その時、不意に入口の扉が外れんばかりの勢いで開き、ビリーが駆け込んできた。
拘束され床に転がっているユーリを見つけ、咄嗟に駆け寄る。
縄を解いてやりながら愛弟子の顔にある暴行の痕に気づいたビリーは青筋を立て、怒りを宿した瞳でエドを睨み付けた。
「エド! テメェ、オレの弟子に何しやがった!」
部屋に怒号が響く。
猛獣の咆哮に似たその声は、鼓膜を突き抜け心臓に直接響いてくるかのようだ。
ユーリは思わず心臓を大きく跳ねさせる。
だが、直接その怒号を向けられているエドに怯む様子はない。
「ああ、やっと来たかビリー」
左手を頭に添えたまま、エドはビリーを見る。
落ち着きを取り戻したのか、先程の狂ったような様子ではなかった。
だが、纏う雰囲気はどこか異様なもののままだ。
久し振りに姿を見る旧友が纏う異様な雰囲気に、ビリーは眉を顰めた。
性格が歪んでしまったからといって、こんなにも人は邪悪な雰囲気を持てるものなのか、と疑問が湧き上がってくる。
「前にも言ったはずだ。オレはお前の傘下には下らねぇ。造船所を明け渡す気もねぇってな」
「ほう、これでもかね?」
エドが左手を掲げると、そこに魔力が集まっていく。
次の瞬間、左手から放たれた魔力が縄のような物を形成しユーリを拘束した。
ユーリの体は宙に浮いて不安定な状態になり、抵抗が出来ない。
「ぐアアッ!」
直後、ユーリを拘束する縄に電流が走った。
全身に強烈な衝撃と痛みが走り、堪らずユーリは悲鳴を上げる。
「チッ、クソがッ!」
ビリーは大きく舌打ちすると同時に、護身用に持っていた手斧を弟子を拘束する縄に振り下ろした。
だが、魔力によって形成された縄は簡単には断ち切れない。
もう一度、手斧を力一杯に振り下ろす。
鍛え抜かれた腕力から繰り出された一撃は、遂に魔力の縄を断ち切った。
解放されたユーリの体が音を立てて床に落ちる。
「ふざけた真似しやがって……! エド、お前どうしちまったんだ!? お前はこんな卑怯な、クソみてぇな事するような奴じゃなかっただろ!?」
「どうしたかって? 全部……全部お前のせいだ。お前のせいだッ!」
叫ぶと同時に、再びエドの左手から縄と化した魔力が放たれる。
その速度は驚くほど速く、気づいた時にはもう身動きが取れなくなっていた。
今度はユーリだけでなく、ビリーも拘束されてしまった。
ビリーはもがくが、先程より強い魔力によって形成された縄はどれだけ力を込めようとも緩む気配すらない。
元々魔法が得意でないビリー達には、もがいて暴れる以上の抵抗は出来そうになかった。
「苦しみを味わえ! 私の憎しみを知るがいい!」
「う、ぐ、オオオオッ!」
電流が走り、全身を強烈な衝撃と痛みが支配する。
ビリー達の悲鳴が、そしてエドの狂った笑い声が部屋に響く。
絶体絶命。ビリー達は、死をも覚悟した。