4.アストラ・サルダディオ
体も、心も、踊り出す。
いよいよ四人は祭りに繰り出した。
いつもより着飾っているせいか、パルに向けられる周囲からの視線は普段よりも多い。時折、彼女に向けて戯れに容姿を褒める言葉を投げ掛ける男もいた。
その様子に気が気でないアイクは、さりげなく、だが牽制するように彼女の隣を陣取って歩く。
やはりそんな彼が面白くて堪らないエヴァは、どこかからかうような視線を彼に送っては、彼に鋭く睨まれてを繰り返していた。
最初に四人が訪れたのは、先刻マルスが見たいと言った演劇が上演されている小さな劇場だ。
内容は、四人の英雄が世界を脅かす悪を封じる宝玉を探して冒険する、というよくある冒険物だった。
だが、役者達の巧みな演技と、見事なまでの舞台装置や演出が観客を物語の世界へと引き込み、誰もが英雄達と共に冒険を味わった気分になっていた。
特にマルスは感情移入の度合いが強かったようで、場面が変わる度に忙しなく表情を変え、フィナーレには涙を流して感動していた。
劇場を出てからも彼は、あの場面が面白かった、あの演技が凄かったなどと演劇の感想を語った。
語るほどに、観劇していた時の興奮が蘇ってくるようだった。
彼の感想に共感を示しつつ、三人も各々感じた事を口にしていく。
そうして感想を語り合いながら歩く内に、四人は最初に訪れた広場に戻っていた。
広場は先刻訪れた時よりも多くの人が集まり、中には楽器を手にした者も多くいる。
よく見ると、何カ所かで人々が手を繋いで輪になっているのが分かった。
「なんだか人が集まってきてるね。何かあるのかな?」
広場の様子を見たマルスが呟くと、それを耳にしたらしい若い女性が声を掛けてきた。
「ラエティティア・ルミノクスの名物、アストラ・サルダディオよ」
「アストラ・サルダディオ?」
マルスが聞き返すと、女性は急に声を掛けた事を謝り、自分は祭りの主催団体の者だと前置いてから詳細を語った。
「祭り名物の踊りの事よ。踊るのは勿論、演奏も自由参加なのが特徴ね。踊りも曲もわりと簡単なものだから、初めてでも楽しめるわよ。もうすぐ始まるから、あなた達もどう?」
女性に誘われて、四人は互いの顔を見た。
せっかくの祭りならば。それぞれの表情はそう言っているようだ。
だが、一人だけそうでない者がいた。
「俺は遠慮させてもらうぜ。どうも昔っから踊りは性に合わねぇんだよな」
そう答えたのはエヴァだった。
エストリア帝国の上流貴族であった彼は、貴族教育の一環として踊り――宮廷舞踏に限られるが――を嗜んでいた。しかし、幼い頃からどうにも踊りにはあまり気乗りしない方だったらしい。
自由奔放で堅苦しさを嫌う彼の性格を思えば納得はいくが、共に踊りを楽しめない事を思うとマルスは残念でならなかった。かといって無理強いは――とマルスが思い悩んでいたその時だ。
「なーにつまらない事言ってんだい!」
「うおッ!?」
不意に現れた恰幅の良い中年の女性が、エヴァの背中を軽く叩いた。
流石のエヴァも突然の事に思わず喫驚した声を漏らす。
「せっかくの祭りで、しかもアンタみたいなイイ男が踊らないなんてもったいない! つべこべ言わず踊りな」
「えっ、ちょ、ま、待ってくれ――」
女性はそのまま肉付きの良い腕をエヴァの肩に回すと、人々の輪の中へと彼を連れ去っていく。
必死に抵抗を試みるが、彼女の腕力の前では子犬がじゃれつく程度のものだった。
抵抗虚しく連れて行かれる彼を、マルスとパルは少々不憫そうに見送る。
ここに来るまで彼に散々からかわれ続けたアイクは、いい気味だと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「彼女も主催団体の一人よ。お節介なだけで、悪い人じゃないから安心して? まあ、彼にはちょっと可哀想だけれど……」
マルス達に声を掛けた女性も、エヴァに同情するような視線を送っていた。
「それで、あなた達はどうする?」
視線をエヴァから三人に戻して、女性は再び問い掛けた。
「オレ達も参加したいです!」
「良い返事ね。じゃあ、行きましょう」
女性はマルスの返事に微笑むと、三人を広場の中央の方へと連れて行く。
彼女が近くにいる者達にマルス達が初めて参加する事を伝えると、皆快く三人を迎え入れてくれた。
男女が交互に手を繋いで全員で大きな輪を作っているのに倣い、マルス達もそれぞれ輪の中に混ざる。
案内をした女性はマルスの右隣に立った。
「まずはこのまま全員で手を繋いで、八小節分踊るの。それから男性は右側にいる女性と二人一組になって踊る。あなたは私とになるわね。これも同じく八小節分。その次は、右隣の組の女性に相手を変えるのよ。相手がいなかったら同性でも構わないわ」
女性は丁寧に踊りの流れを説明する。
音楽の知識など持ち合わせていないマルスは「八小節」という言葉に首を傾げた。すると、女性は拍の取り方と小節の数え方をこれまた丁寧に教えてくれた。
近くではアイク達も周囲の者から踊りの流れを教わっていた。
そうして、マルス達が踊りの流れを粗方理解した頃、アストラ・サルダディオが始まるとの声が拡声魔法によって広場に響き、人々のざわつきが一気に静まる。
「動きは私の真似をしていれば大丈夫よ。すぐに覚えられると思うわ」
女性からの耳打ちにマルスは頷いた。
皆が動きを止め、声を潜め、静閑とした広場の片隅で控えていた楽器隊が、指揮者の合図で一斉に楽器を構える。
指揮に合わせ、広場に明るく陽気な音楽が流れ出した。
体が勝手に動き出すような軽快で単純な主旋律に、どこか宮廷舞踏を彷彿とさせる優雅な副旋律が混ざり合った曲調の音楽だ。
曲に合わせ、人々は手を繋いだまま左へ右へと、決められた足取りで動いていく。
そして、教わった通り最初の八小節が終わると手を離し、男性は右隣の女性と手を取って踊る。
マルスは案内をしてくれた女性の動きを真似て、彼女の言葉に耳を傾けながら踊っていく。
「右足前、後ろ、そうそう、なかなか飲み込みが早いわね」
「お姉さんの教え方が上手だから」
彼女に褒められ、マルスははにかみながらそう答える。
あっという間に八小節が終わろうとしていた。
だが、踊りは思っていたよりも覚えやすく、さほど不安なく次の相手と踊れそうだとマルスは思う。
「最後は半回転して、後ろの女性に相手を変えるのよ」
女性は拍を数え、回って相手を変える時機をマルスに教える。
彼女の声に従って、手を離し、くるりと半回転して後ろの女性と手を取った。無事に相手を変えられた事に安堵する。
次の相手は、中年の女性だった。
それからマルスは老女や同年代の少女、幼い少女など様々な女性と踊った。
踊りに慣れてきて少々余裕の生まれたマルスは、ふとエヴァを思い出して、視線だけで彼を探す。
彼が連れて行かれたのは自分達とは違う集団だったようで、少々離れた所でその姿を見つけた。
最後に見た彼は踊りに乗り気でない様子だったが、今やすっかり慣れた動きで踊り、表情も楽しげに見える。
なんやかんやで楽しんでいる事をマルスは嬉しく思う。それと同時に、端々に上品なしなやかさが現れている動きを見て、彼の元貴族という肩書きが伊達ではない事を感じていた。
そんな事を思っているうちに相手を変える時が来て、半回転して次の相手の手を取る。
踊りながら、今度はアイクとパルの姿を探した。
最初に見つけられたのはアイクだ。
彼は貴族教育の一環として踊りも嗜んでいるため、身のこなしは慣れたものだった。彼の気品溢れる身のこなしと美貌に、老若問わず彼と踊る女性は皆うっとりとした表情を浮かべている。
感心とほんの少しの嫉妬が滲んだ目で彼を見てから、マルスは視線を逸らしてパルを探す。
彼女は案外アイクから近く、あと二回相手を変えれば二人が共に踊れる場所にいた。
今彼女と踊っているのは幼い少年で、二人が楽しそうに踊る様子は微笑ましい。
美しく着飾った彼女は今日は特別輝いて見え、マルスの目にはどこかの国の姫のように映っていた。
他の三人もそれぞれ楽しんでいる姿を見て、マルスも一層気分が盛り上がる。
それに合わせるかのように、曲はフィナーレへと向かって盛り上がっていった。
アストラ・サルダディオも終盤を迎え、いよいよ次が最後の八小節となる。
慣れた足取りで半回転して、マルスが手を取ったのは少々年上の女性。エヴァは十にも満たないであろう幼い少女。
そして、アイクはパルの手を取った。
アイクとパルは互いに恥じらいながら視線を合わせ、二人揃って急にぎこちない動きになって踊る。
触れ合っている手から、いつになく近い体から、異様に速くうるさい鼓動が伝わってしまうのではないかとどちらも不安に思っていた。
緊張しながらも、パルはどこか夢を見ているような感覚だった。
こんなにも近くに彼の美貌があり、こんなにも近くに彼の体温と息遣いを感じる。
夢のようで、けれど、握られた手の感触は紛れもなく現実で、目の前にいる彼も間違いなく本物で――。
このままふわふわと宙に浮いてしまいそうな気分だった。
一方のアイクも同じような感覚に囚われていた。
いつにも増して可憐な彼女が目の前にいて、今その視界に映っているのは世界で自分一人だけで――。
形容し難い高揚感が押し寄せてくる。足が地に着かないとはこういう事かと、頭の片隅でどこか他人事のように感じていた。
二人揃って夢と現実を行き来するような感覚に囚われたまま、アストラ・サルダディオは終わりを迎えようとしていた。
二人で両手を繋ぎ、くるりと一回転。
そこで音楽は終わり、踊っていた誰もが動きを止めた。
僅かに訪れた静寂の中で、恥じらう二人の視線が交わる。
アストラ・サルダディオを称賛する拍手や指笛、歓声が広場に響くが、未だ夢と現実の狭間にいる二人には随分遠くから聞こえるように感じていた。
「お兄さん、踊りの最後の相手には、手の甲に口づけるのがアストラ・サルダディオの礼儀よ」
アイクは後ろにいた中年女性から不意に小突かれ、そう耳打ちされる。
ようやく意識が現実に戻って来た彼は周囲の者を見た。
彼女の言う通り、どの二人組も相手の左手を取って、その甲に口づけている。
それも、男性から女性にだ。
――無理だ!
アイクの頭にそんな己の声が響く。
手を繋ぐだけでも、見つめ合うだけでも精一杯だというのに、パルの手の甲に口づけるなどとても出来る気がしなかった。
アイクが耳打ちされた事など一切分からぬパルは、踊りが終わったというのに手を繋いだまま、のぼせたのかと思うほどに赤い顔で硬直している彼を心配そうに見つめる。
数秒すると、ぎこちない動きで彼は繋いでいた片手を離した。
だが、左手は彼に握られたままだ。その意図が分からずパルは首を傾げる。
意を決したアイクは、彼女の左手をそっと持ち上げた。
そして――。
「おおい! ちょっと匿ってくれ!」
突如、熱く甘い雰囲気に風穴を開けられる。
猛烈な勢いで駆けて来たエヴァが、二人の肩を引っ掴んで壁になるように横に並んで立たせ、彼自身は二人の後ろに身を隠す。
その弾みで、まだ繋がっていたアイクの右手とパルの左手があっけなく離れてしまった。
訳も分からず壁にされている二人が困惑した表情を浮かべていると、年若い娘達が集団で押し寄せて来た。彼女達は皆エヴァに一目惚れした者達だった。
二人の体で上手く隠れているエヴァに彼女達は気づかず、二人の前を勢いよく通り過ぎていく。
彼女達が通り過ぎて少ししてから、エヴァは警戒しつつ二人の後ろから出て来た。
「いやぁ、悪いな。追いかけ回されてて困っててさ。助かったぜ」
「……お前は本当に余計な事ばかりしてくれるな」
アイクは今日一番の鋭い目付きで彼を睨み付けた。
「なんか怒ってる?」
「いや別に」
口早にそう返すアイクの声はいつになく低く、不機嫌さが滲み出ていた。
流石のエヴァもばつの悪い表情を浮かべた。