最終話
西部首都スナビエ。レオンとナレルは湖の側のカフェで椅子に深く腰掛けてくつろいでいた。湖の中ほどにポツポツと船が見え、そこでは十数人で釣りをしている。
湖の一部は光を受けて白くはきらきらと輝き、まるで光の川のようだ。岩に波が昇っては泡を立てて引いていく。向こうの方に船の発着用の橋がある。冷気と湿気を含んだ風が頬を撫でる。目を閉じると瞼がひんやりとする。
湖の上に幾つか浮きをつけた草でできた浮島があり、紐で互いに繋がっている。その上に草が生えていた。ゆらゆらと波紋の反射光が風に揺れる草葉の裏に投影されている。
「あれは栽培をしているんだ。奥のは食用じゃなくて、魚の餌となる虫をつけるためのもの。魚の隠れる日影を作る意味もある。手前にある方はよく見ると違うのが分かるだろう?そっちは人のためのもので食用なんだ。冬は育たないがそれ以外なら約1か月で育つ。この町で主要な穀類だ」
「何でわざわざ水に浮かべるんだ?土でやった方が楽じゃないか?」
「ここではそうとも限らないんだ。辺り一面を熱しにくく冷めにくい水でできている湖では寒暖差に弱い植物でも育つ。寒暖差がある方が美味くなる作物だってあるけどね。それに、重力に沿って水は流れるから栄養が湖に集まるのでよく育つ。取り除いたり日陰を作らないとアオコが異常発生して大変だしね」
「なるほど。地域特有のものか。この湖に依存した生活なんだな」
「水に頼りっきりだよ。塩分は主に海から取って、それを含む排水は川を伝って海に戻る。しかしここには海に繋がる川が無い、通常期は。なので放っておくと塩分が溜まっていくと考えられている。この規模なら気にするまでもないとも言われている、希釈されてしまうからね。塩分の多い再生水利用や、ここより西の方で地下水を汲み上げすぎて海水が入ってきたことがあったから塩分濃度を考えられ始めた背景がある。ま、とにかく雨季になると川が出来て海へと流れていくんだ。それで塩分は流れていく」
「都合よくできているな。まあ逆に言えば、それができないところには住んでいないわけだ」
ピィピィと小鳥が囀り、パタパタと集まって飛んでは草むらに降りては散っていく。離れたところでは蛇や大型の鳥が獲物を探している。
「うーん、そろそろ動かないとな。理想は退屈に感じるまで休むことだが、いつまでも待たせるわけにはいかないな」
レオンは椅子から起き上がろうと手すりを手で押して体を持ち上げる。が、腕の力を抜き深くに腰かけてしまった。
「…もう少しだけ」
「それでいいんじゃない?頑張ったよ」
気を緩めきって湖を眺める。特に何か考えるのでもなく、ただ直観的に感受するのみ。
東部首都ザーク。魔族残党たちが町にいた。案内人の準備が整うまで建物の一室で待つ。
「シオラク様、命令を」
「準備は整った。ここからが俺たちの戦いの時だ。ダウン門へ向かう」
「了解」
案内人が戻って来て、彼らを連れ出す。
「案内人さん。この呼び方、よそよそしいと思わないか?名前を教えてくれ」
「……」
「俺の名前は知っているのに」
「すぐにお別れだというのに?」
「だから喋ってもいいじゃないか」
「別にいいか…。私の名前はジェーン。聞いたことはないでしょうね」
「うちの亀と同じ名前だ」
「ああ、そうですか」
森の中を歩き、ダウン門に辿り着く。鍵を開け、装置を点けて異界へと繋げる。
「鍵は開いた。俺たちが直接頼んだ所で開けなかっただろう。が、あの諜報機関との取引で、彼らを通して鍵を開けてもらった」
「本当に大丈夫ですか?途中で抜け出せなくなったりなんて…」
「東部の図書館、上層から魔界を含む各世界の位置の記録を得た。しかしこれは、流れる川の上で星の位置を記したようなもの。これだけではできない。魔王様たちがバーク門で取った記録と照らし合わせて、ダウン門経由で魔界へと行く道を割り出した。間違う訳がない」
「…信じます」
「時は来た。権力に巣くう害虫共を一掃し、輝ける未来を作り上げる。もう2度と、家族に捨てられ、遠く離れた地に放り出され、仲間を多く失う悲しみは作らせない。俺たちで最後だ!俺たちが大いなる歴史の一章を書く!」
シオラクたちは門の中へ入り、どこかへと去っていった。ジェーンは門を閉じ、鍵をかける。
「ごめんなさい…」
遠く離れた地。情報庁の西部支部にて通信機で通話していた。レオンとナレルは職員に呼ばれて部屋に入り、分からないまま受話器を渡されていた。
「フォルス、これはどういうことだ?」
「シオラクたちが魔界へと戻ることは予測できた。そこでダウン門から帰ってもらったわけだ」
「そんなこと俺は聞いていない」
「君の許可がいるのか?あれはダウン一族が管理している」
「……。別方向へ行ったらどうするつもりだった?奴らの協力は裏切りと受け取られても文句は言えないぞ」
「私の立場からすれば、朧界から脅威が去るのであればそれで良い。私はこの国の情報庁の副長官。君の故郷を守るのは、君の国の仕事だ」
「では、俺と敵対的な関係を築くことが仕事だと言うのか?それが国益になると?」
「この国に魔族が留まることと君の機嫌を損ねること、どちらがより損かと考えれば前者だった」
「そのどちらでもなく、俺を使って残党を倒した方が良かった」
「潜った奴らを探し出せるのか?いつまでもこの問題にかかわっていられるほどこちらの持つ資源は豊富ではない。今でも様々な問題があって、全部に対応できないから優先する方から取り組んでいるのだ」
「……。…それが限度だったと分かった。これ以上は追求しない。調べに行かなければならないので、これで切る」
「すまない。お詫びとして幾らか出す」
「それで一応の和解としよう。いつまでも敵対している時間はない」
レオンは通信を切った。
「バーク門を開ける。本界に帰って調べてくる」
「開けて大丈夫なのか?」
「誰が出てこようとどうとでもしてやるさ」
レオンとナレルは門へと向かった。
鍵を開け、手帳を開いてメモを探している間に異界と繋がり、何者かがやって来る。2人は身構える。痩せこけた老人が出てきた。骨ばった手であるが、足取りは見た目に反してしっかりとしたものだ。
「誰だ?」
「博士!お久しぶりです」
「知りあいか…」
ナレルは武器を下ろす。
「久しいなレオン。元気にしていたか?武器はまだ使えるか?」
「この通り元気です。そろそろ限界ですね。パーツを交換したのですが、本体に限界を感じます…。それよりも、そちらへ敵が来ていませんか?」
「いや、最近ではもう来ていない。戦線は押し返して本界への脅威は消え去った」
「それなら…良かった…」
「君はレオンの仲間か?私はセオドリクと言う。彼が世話になったね」
「いえ、こちらこそ。助けられてばかりで…」
「この様子だと、こっちでは終わったようだな?」
「いえ、取り逃がした者が…。本当に魔界へと帰っているのならいいのですが…」
「こちらで調べておこう。レオン、ご苦労様。帰ろうか、みんなが待っている」
「…もうしばらく待っていて下さい。こっちでまだやることがあります」
「……。そうか、分かった。お前の元気そうな顔を見れただけでも良かった。満足行くまでやるといい。一度帰ったらもう、こっちへ来ることはないだろうから」
「…はい。ご理解、感謝します」
別れ際にレオンと博士はハグした。
「背が伸びたか?」
「成人ですよ。そんなわけないでしょう。博士が小さくなったんです」
「そうか…私も歳だな。なに、心配は要らない。私に関係なく、お前が選んでやれ。活力に満ちた弟子の邪魔をする気なんてない。お前は自分で選べる強さを持っている」
「ありがとうございます。お元気で」
博士は手を振って門に入って、見えなくなった。
「レオン…」
「さあ、同じルートでザークに戻ろう。お別れはその後だ」
「うん、行こう」
「その前に占いに行くか。ファンの人にも帰ったと伝えないと」
「言わなくてももう知っていると思うよ」
レオンとナレルは朧界で2人の最後の旅に出た。魔族は去ったが、困難が消えることはない。これまで乗り越え、時として迂回したように、これからも困難を前にしても進んでいけるだろう。
青い空の下、来た道と同じ、しかし何かが変わった道へと踏み出した。
これで終わりです。ご読了ありがとうございます。完結の安心とうまくできたかという不安が、頭の中で混沌としてます、奇妙な気分ですね。それではまた。




