西部編6-1
何者かの気配を感じる。音ははっきりとは聞き取れないが、吹き抜ける風の澱むような雰囲気を感じる。風上を探るために目を閉じて耳を澄ます。夕暮れの静寂に包まれた部屋に、微かな風の吹き抜ける音、どこか遠くの機械音、そして自分自身の音がする。左頬に風の当たる感触がし、目を開けて先を見る。
見覚えのある者がロープを垂らして降りてくる。
「何だナレルか」
ナレルは地面に降りて周囲を見渡し、レオンに歩み寄る。
「無事でよかった。この先には廊下があって、その先に祭壇がある。そこに何者かがいた。古い壁画に囲まれた階段の上に。途中の廊下からは何かの装置があるみたいだ、コードらしきものが幾つか見えた」
「そうか、分かった。そいつが親玉かな、後は任せろ」
「レオンに頼ってばかりだな…」
「そんなことない。適材適所というやつだ。俺たちは違う役割を担っている」
「……」
「頼みたいことがあるんだ、ちょっと」
「何?」
「少し休む。周りを見張っていてくれ」
「分かった。任せてくれ」
レオンは柱にもたれかかって地面に腰を下ろす。懐からお菓子のような保存食のようなものを取り出して、口に放り込んで溶かして栄養を摂る。目を閉じてゆっくりと息を吐いて力を抜く。
「不安なく休めるというのは最高だ。煩わしいことを一時何もかも忘れて穏やかに過ごす、これほどまでにすばらしいことはない。この旅でその場を用意できるのはお前じゃなきゃできない。この役割だけでもお釣りがくるくらいだ。少しでも返せるように俺も頑張らないと」
「ありがとう、でも買い被り過ぎだよ。それに損得勘定?貸し借り?で人助けをするタイプでもないだろう」
「…ちょっと洒落たことを言おうと思ったが、上手く言えなかった。もっと簡単に言えば良かったな。頼りにしてるぜ相棒」
「簡単というより簡潔だね。フフ」
「笑うようなことか?」
「ごめん。ここは任せてくれ相棒」
レオンは眠りに落ちる。5分と経たないうちに覚めるとしても、張った緊張を一度ほぐし、力を発揮できるように備える。
『その昔、魔族が朧界を訪れ間もない頃。
「私たちのいたところは魔界と呼ばれているわけか。いいじゃないか、そうしよう。さしずめ、私たちは魔族といったところか」
バーク門を有する塔の最上階、魔族たちの軍その幹部クラスたちが話していた。
「防衛のためにトップの名を隠しておきたい」
「おや、言霊を信じるような奴だったか?」
「バラバラの情報が名前によって繋がっては危ないという訳です。例えば私の名前が分からない状態で、私が糸を集めていて、同時にアイロコという人が竿を集めている。これだけじゃ何をしようとしているのか分かりません」
「裁縫でもするのかなと思うな」
「しかし、私の名がアイロコだと分かっていて、私の部下を名乗る人が針を集めていると分かれば、釣り竿を作ろうとしているのだろうと勘づきます。迷彩しておいて損はないでしょう」
「じゃあ将軍とでも…」
「王…魔王と名乗られてはどうです?」
幹部たちは凍り付く。
「シオラク、あなた自分が何を言っているか分かっている?」
「ああ、勿論。いいかリオグミカ、そもそもこれは軍だと考えるのはナンセンスだ。奴らが従わせるのに納得できる理屈が無いから、軍という枠に当てはめて強固な上下関係を作り上げただけ。俺たちの本質は棄民として捨てられたのだ」
「だからといって、何も本国を刺激するような名前は…」
「俺の方が情報を正しく把握している。たとえ離反しようが本国からこちらへ攻め込む力はない。敵対したとしても表立っての投資はしないが裏ルートがある。あの斜陽国の価値が危うい貨幣よりも価値の安定した芸術品を手に入れたい者たちがいる。俺がこの軍に同行した理由はそれだ」
「それにこの呼び名は祖国に見切りをつける衝撃を与えられる。上手く王を演じられるか不安だ。お前たちに力を貸して欲しい」
「王なんてやったことない初めてのことですからね」
「ハハハ、そりゃそうだ」
2人の会話に面食らっていた幹部たちはあっけにとられていたが、徐々になれてきた。
「…初めからこの予定だったのですね」
「隠していてすまない。しかし…ここは祖国から、魔界から十分に離れている」
「言わんとすることは分かりました。従います、魔王様。私は未来がある方を選びます」
光炎宮殿、倉の間。魔王は幹部たちを招集して説明をする。
「朧界は魔界と近い座標にあるとはいえ、結構な違いがある。魔界から持ち込んだ兵器は多くが動かない。この世界の薄い魔力では動かすことができないのだ。しかし悪いことばかりではない。おかしな変化を引きおこすこともある。これは体温を使って魔力を収束させる装備だ、数が限られているので君らの分と予備が少し。これで魔力を集めれば人間の魔術師たちのように特殊な力を発揮させられるようになる。発現する力は人によって異なる」
砂漠の中、岩で日差しを遮ってシオラクと練習中のズチが話している。
「強い力は恐ろしい。それによる影響を考えれば手加減してしまう。卑怯ではないかという考えも浮かんでしまう。それを納得させる理由が必要だ。その理由とは、魔王様への忠誠のために、というものだ。その根拠の前には小さい悩みなど無意味」
「やぶさかではないが、本当に必要なのか?」
「ズチ、考えてもみろ。相手を殺すことにためらいがあり、剣がそれに表れる者は弱い。そこで例えば、騎士道に準じた戦いだから死んでも文句は言わない、のような根拠があれば迷いなく剣を振り下ろせる。そういう奴は融通が利かないが強い。小回りが利かずとも上手く采配できれば良いだけの話。甘い見通しでできるほど楽じゃない」
「お前の方が利口だ。その判断に従おう」
「ああ、お前の期待は裏切らない」
』
レオンは目を覚まして起き上がって伸びをする。息を強く吐いてゆっくりと吸う。
「よし、もう十分だ。行こう」
ナレルは頷き、2人は奥へと進む。
廊下には扉が等間隔に並び、いくつか部屋がある。
「大体あの辺りだ。上から見ると何かコードらしきものがあった。何か見えるかい?」
「何かが座っている。しかし、眠っているように動かない。見張りか何かがいるが、罠らしきものもない」
レオンは扉を開け、光線で見張りを打ち抜く。
ナレルは手招きを受けて部屋に入った。そこには椅子に座って眠る女性の姿があった。背もたれを後ろに傾けた椅子に座り、腰をベルトで固定され、両腕は手すりに置いてある。ずり落ちないように固定しつつリラックスした状態で眠っているみたいだ。目は閉じ、唇は止まっている。後ろ髪を左右で縛って肩から前に垂らして無表情で眠りについている。だが、違和感を覚えるものがある。銅線のついたシートが額に張られているのだ。その銅線は椅子横の箱に繋がり、その箱は太いコードを地面を這わせ、壁を昇らせ、屋根裏を通ってどこか遠くへとつないでいる。
レオンは額のシートに手を伸ばす。
「不用意に触らない方がいい」
椅子の側にあるスピーカーから音が出る。
「誰だお前は?見ているのか?」
「私は魔王。それを強引に引き離せば彼女の意識が戻らなくなるだろう。そういうものだ」
「何だと…?」
「紹介しよう。そこにいるのが運命を見通す魔女フォルトゥナだ。魔力の研究者は捕まえられ無かったが、予備として走らせたプランが役立ったわけだ。彼女の仕事に集中できるように眠らせている。せっかくだから寝ている間に小便でも飲ませてみるかね?」
「貴様…」
意識を無くすことができたのにしなかったのは何らかの重要な役割であるのなら、生かしておきたいという訳か。ただの嘘の可能性もあるが。
「魔術師は魔力を常人以上に生成可能で操作が可能。そして場合によっては自我の奥へと突き進み、混ざりあい、固有の魔法を発現させる。彼女の発現させた魔法は運命の糸を見て、対象の過去も未来も見通す力。この影の世界に伸びる影糸を辿ることによってだ」
「自慢したくて仕方ないと見た」
「1割くらいはそうだな。しかし話すには意味がある」
「……」
「彼女には影糸が見えており、その距離…厳密には距離とは正確な表現ではないが、まあとにかくそれに似たものが分かる。光源…これもまた正確な表現ではないな。この世界を通過する際に魔力や重力として顕現するものを放出する本体…。その光源への距離は、数々の影糸の先を探って計算すれば出せる。問題は、光源は一つではなく、正確な計算が難しいということだ。膨大なデータを入力してやる必要があった。そのためのエネルギーも必要だ、それには…」
そうか、こいつは俺を怖気づかせたいのだ。凍界の座標を出せたのは、彼女の力で探ったため。同様に、またはそれ以上のこと…光源に近いところと繋げることができると脅しているわけだ。
「俺が彼女の意識を連れ戻す」
レオンは小声でつぶやく。
「できるのか?」
「やってやるさ。俺を誰だと思っている?数多の困難から人を救い出した男、狩人レオンだ、できないことなんてない」
レオンは片足を立ててフォルトゥナの手を握り、目を閉じた。連れ帰る旅に出た。
そろそろ完結です




