西部編2-2
ジャスミンは階段を走り降りて息を切らし、息を整えつつ歩く。
後ろから肩を掴まれる。足が地面を滑り、かといって傾くこともなく、足が前から後ろへ地面を滑るのみ。体を捻って後ろを見る。背の高い男が肩を掴んでいる。
「スレド家の者だな」
「…それで?」
「鍵を渡してもらおう」
「鍵…?」
ジャスミンは強まる肩への圧に反射的に体が動き、ビクッと瞬発的に掴む手から離れて振り返って後ずさりする。周囲を相手の仲間たちが囲む。
「とぼけるな!バーク門の鍵を持っているはずだ。元王家とは別に制限付きの鍵を1本、お前たちが持っているはずだ」
「私はそんなもの知らない」
「そうか、では一族の他の者が持っているのか?人質として来てもらおう」
「…いいわ。ついでに家の場所も教えてあげる」
口角が上がる。
「…どういうつもりだ?」
「罠なんて無い。私はただ、スレド家を完全に滅ぼして自由になりたいだけ」
「ほう。小娘、お前は一族に酷い扱いを受けているのか?」
「逆よ。保護されて、養われて、…生きながらにして死んでいる」
「贅沢な悩みだ」
「あなたには私の苦しみが分からないかもしれないけど、本気かどうか…分かるでしょう?」
「…いいだろう。案内しろ」
ジャスミンは右回りして、開いた囲みから歩き出す。
「名前を聞いてもいい?私はジャスミンというのだけど、親のつけた名前だからいずれ捨てるわ。さっきみたいに小娘と呼んでくれて構わない」
「ベーシだ。俺に任せな、完全に滅ぼしてやる」
「それは頼もしい。滅びるべきなのよ。求心力の無い跡継ぎがそれを補うため、上下関係を無駄に厳しくし、それを加算し続けた家の伝統というヘドロ。やらなきゃこっちが潰される」
「しかし未だに大きな壁であり、自分では昇れないと。俺たちに頼るのは正しい選択だ。クク…」
「フフフ…」
ジャスミンはスレド家の扉を開け、ベージたちは家に押し入る。作りかけの靴を持った壮年の男は、驚いて壁に背中を打ちつけて痛みでうずくまる。
「なんだ…痛っ…君たちは?」
「知る必要はない。バーク門の鍵を寄越せ。制限付きの奴だ」
「バーク門の鍵…?私たちは持っていない。本家が持っていたが、どこかへ行った。今頃…良くて盗賊の宝箱の中、悪くて砂漠の中だ」
「そんな嘘をついていられるのは…」
「本当だ。いずれ取り戻すために家の名を変えずにここで待ち、探してもいる」
「…それが本当ならばもうここに用は無い」
ベージは腕を振り上げる。
「待て!私が生きていれば、スレドの名を名乗っていれば、いずれ届けられる時が来るかもしれない」
「はあ?そんな悠長なことしてられるか!」
「あなた!」
部屋の奥から妻が出てきて叫ぶ。
「馬鹿!隠れてろ!」
「あああ…ああ…あの子は無事…?ジャスミン…」
「呼んだかしら?」
ジャスミンは不敵な笑みを浮かべてベージたちの後ろから姿を見せる。
「見ちゃ駄目!」
「いや、それより…お前…」
「分かった、お父さん?そう、この人たちを招き入れたのは私」
「そんな…」
妻はベージの前に走り出して、両手を広げる。
「どうかあの子だけは助けて…」
「あっ、お前…」
「ほう、そうか。なるほど。…うん、ではよく見ていろ。この娘の死に様を」
ベーシはジャスミンの首に手をかける。ジャスミンは悟ったようで目を閉じる。
両親はベーシに手を伸ばして近づく。
「死ぬな!」
閃光が当たりを照らし散らす。魔族たちは黒い霧となって消え、ベーシは体が痺れてジャスミンは地面に崩れ落ちる。下を向いたまま、母の伸ばした手を払いのける。
「誰だお前は!?」
扉から家に差し込む逆光の中、黒い人影があった。
「夢路の旅人、狩人レオンだ」
「もうここまで来ていたか…。だが、これ以上先には行かせない」
ベージは飾ってある皿を持ち上げて構える。レオンはベージに歩み寄る。レオンが地面を蹴って加速すると同時に投げる。レオンは姿勢を前に倒し、皿が頭上を抜ける。家に黒い影が伸びる。
ナレルは玄関前を横切って壁に当たって砕けた皿の破片を避ける。レオンは、影の先のナレルに気を取られたベージの横に回り込み、腹の横から斜め上に向けて光線を放つ。天井が少し焼け、ベージは霧となって消滅した。
「もう脅威は去った」
レオンはジャスミンの手を引いて起き上がらせる。ナレルは玄関から入ってくる。
「助けてなんて頼んでいないけど?」
「生きることを望んでいたはずだ」
「ああ、そんなことも考えたっけ…忘れて頂戴」
「君は元々、自分のために生きたくて反旗を翻したはずだ。それなのに、倒すべき相手を潰すことに執着するあまり、自分が二の次になっている。冷静になって思い返して欲しいんだ」
「……」
レオンの目に怯えて両親はジャスミンに近づくことなく、遠くから問いを投げかける。
「ジャスミン、どういうことだ?あんな奴らを招き入れるとは?」
「スレド家を滅ぼして、私は鳥かごの中から解き放たれる。バーク門の鍵を取り戻すためにこの家名を守っていたようだけど、もう無理ね」
「それが理由か…」
「…違う」
父は、湧き上がる思いを声に乗せ、震えた声を出す。
「まだスレドの名を名乗っているのは、ジャスミン、お前のためだ」
「どういうこと…?」
「英雄の血を引くお前が立派になれるようにと、その思いを込めて…」
「ならどうして邪魔をする訳?」
「お前が相応しくないことをするから。お前には綺麗でいて欲しい…」
「そうよジャスミン、あなたを想って…」
「もう私の名を呼ばないで!」
「そんなこと言ったら、天国の爺さんが悲しむぞ」
「そうよ、あんなにかわいがってくれたお爺ちゃんに申し訳ないと思わない?」
「もういい…」
「考え直せ。お前に期待してなきゃ、こんなに言わない。それは子供の我が侭だ」
「あなたをそんな風に育てた覚えはないわ。跡継ぎとしての自覚を持って」
「もういい!」
両親は娘に近寄るが、ナレルに阻まれる。
「あきれた奴らだ。結局は手放したくないだけで全て方便に過ぎないじゃないか。家を言い訳に使って罪悪感を塗りつぶしている」
「この子はお前たちの人形じゃない、トロフィーでもない。一人の人間だ」
「助けてくれたことは礼を言う。しかし、他所の問題に口を出さないでいただきたい」
「……」
レオンは屈んでジャスミンの耳元で囁く。睨む目が緩んで大きく開く。
レオンは背を伸ばして相手を見る。
「やることを終えたら、またこの谷を通ってザークへ帰る。谷のどこかでまた会おう」
「うん」
「帰ろうナレル」
「いいのか?」
レオンは頷き、屋敷から出る。両親は警戒して2人を目で見送る。
町の北西に出て車に乗り込む。
「耳元で何て言ったんだ?」
「止まるな行け、と。それと、攫いに行くとも」
車は動き出し、窓枠で区切れず繋がる内と外、青く塗りつぶした空の下、薄らぐ白い空の先へ、礫砂の上を進んでいく。
同刻、高台の上で1人ジャスミンは言われたことを思い返す。
「お前は俺たちを動かし、あの魔族たちも動かせた。すごい奴だよお前は。あいつらにお前はこんなことじゃ立ち止まらないってこと、教えてやればいい。今度はお前を攫いに来る」
口元が綻ぶ。瞬きすると鮮やかな世界が広がっていた。




