西部編2-1
レオンとナレルは谷奥へ進み、西部と南部の境界に立つ立て札の横を通って、西部へと入った。
しばらく歩くと蛇行した道が終わり、町が見え、その奥には雲一つない快晴の青空が見えた。植生は変わり、葉が小さく厚みのあるものが増えてきた。
歩を進め、ランジュの町に着く。
「ここで一休みしよう。最後の補給地点だ。それに、着替えないといけない。車はあるけど途中で止まることがあれば、礫や砂の上に立たないといけないからね」
「そういえばその車は運転できるのか?中部にあったのとは違うんだろ?」
「高速型は許可証がいるから無理だけど、一般用は多くの人が使える。地面に仕掛けなんかない。車輪を回して進むだけだ。しかし、圧電やら気化による圧力やら話すと長い」
「細かい説明はいいや」
町の奥に進むと左右の山に要塞や櫓が見える。
「ここは戦略的要衝の1つ。この町の北西部分は先に向かうほど高くなっていて、外側に対しての高低差を作れる他、貯水池を解放すれば中心市街地との間を水没させることができる。
「なぜナレルが知っているんだ?」
「聞いたから」
「そのギミックをバラしていいのか?」
「無謀な挑戦を防ごうということかな。それにまだ隠し玉はあるんだろう。あるいは、知らせておくことで、相手の戦略を制限しようというもの。僕もこれ以上は知らない」
「しかしそうなると、出入りが大変そうだな」
「そうでもないよ。厳しい検問があるわけじゃない。出入口まで長い廊下があるようなものだ。毎日をそこで過ごす住人にとっては面倒な家であっても、旅人にはそれほど大変なものじゃない」
「ならいいか…」
道の向かいから若い女が歩いてくる。虚ろな目で、その足取りは重く、体に力が入らずに無防備を晒していた。
横を通り過ぎた時に、揺れる長髪から芳香が漂う。
危なげなのが気がかりでレオンが後ろを向くと、その女も立ち止まって振り向いており、目が合う。目が合ったのだろうか、その目はどこを見ているのか分からない深淵が広がり、目が合った時のそれとは感触が違う。
「君…」
「ねえ、あなたたちは旅人?」
女はゆっくりと、レオンと振り返ったナレルを見渡して尋ねる。
「え…?ああ、そうだが…」
「どちらへ…?」
「これから西部首都スナビエへ」
「そう…、じゃあいいわ」
女は踵を返して歩き出す。
「待て」
レオンは女の腕を掴む。力をほとんど加えていないにも関わらず、レオンの胸へと後ろから倒れこむ。頭を後ろに倒してレオンの顔を見る。
「何?」
「平気に見えない。何を頼みたかったんだ?」
頭を下ろして腰の前で両手を組む。
「……。…町の外に出たかっただけ。でもあの町には私は入れないから」
「入れない?」
「私の一族は追い出されているから。だからあなたたちには頼まない」
足の先を浮かべてから勢いをつけて前に出て立ち、レオンから離れる。
「…何があったんだ?」
「…話してもいいけど、ここでは目立つから場所を変えたい。知らない男と話しているのを家の者に見つかったら厄介だからね」
レオンとナレルは後について行く。覚束ない足取りはヒヤヒヤさせる。
「まだ名前を言ってなかった。私の名前はジャスミン、ジャスミン・スレド」
「俺はレオン」
「僕はナレル」
ジャスミンの案内で高台に辿り着く。外側に近づけば町が一望でき、奥に居れば下から見えることはない。ジャスミンは石の上に腰かけ、目をやって2人はそのあたりの石に腰かける。
「スレド家は知らないようね」
「かつての英雄の一族だと…」
「先祖は英雄だったと言われている。貴族となって、この辺りにあった国で長いこと貴族を続けていた。古代語で中心を意味する国名だったものが、今は他と一緒くたにされて西部地方と呼ばれるのは皮肉なことね」
「……」
「貴族だった時代は終わった。きっかけは異常気象。旱魃や不漁が続いて今まで通りの人口を維持できなくなった。土でも海でも過酷に資源を取るのだから枯れ果ててさらに悪化した。そして、それから間もなくして訪れた統一戦争がトドメを刺した。スレド家は分家のほんの一部を残して絶えた。滅ぼしたのは東から来た軍ではなく、スナビエの住民」
ジャスミンは上を見上げて息を吐き、息を吸って続きを離す。
「長い年数をかけて悪い習慣ばかり煮詰めていたのだから滅びるのは命運だったと思う。異常気象がきっかけだったとはいえ、今の国を維持した方が敗戦で身勝手されるよりはマシだと思えないほどに駄目駄目だった。スレド家に今までの恨みで暴力の嵐が吹いた。その恨みがどれくらいかと言うと、当時と無関係である末裔の私がスナビエに入れないほど。…私の身を案じてのことかもしれないけどね」
「それで…どうして苗字を持ち続けている?」
「名は縛るものだから」
「…?」
「そういえば、スナビエに入れないことは分かった。しかし、君が町の外に出たい理由が分からない」
「…私は一人っ子。珍しいでしょう?親は一生、私を養うつもりでいる。私が働こうとすれば危険だとか汚いとか、お前の夢はそんなことじゃないとか、お前ならもっといい職に就けるとか、そんなこと言って仕事を辞めさせる。お前のことを想って言っているなんて言いながら、実際はただ、手放したくないだけだ。先祖はどうとか、家を継ぐとか、祖父母が悲しむとか、そんな風に育てたんじゃないとか、そういったもので私を縛りつける。養われて生きていたって、自分の意志が介在しないのならば、死んでいるのと同じだ。…分かる?」
ジャスミンは頭を垂れ、長髪がさらさらと下に垂れて顔を隠す。
「…私は両親を憎み、この血を呪っている。旅人について行って、私が遠くに行ってしまえば、滅茶苦茶にされてしまえば、あの両親は悲しみ苦しむでしょうね。英雄の血の権威は地に落ちる。これで私の復讐は完了する!なれるはずだった私の夢への弔いには、奴らの嘆きを捧げるとしよう」
ジャスミンは顔を上げる。顔に髪がかかり、その間の目からは鈍い輝きが見える。
「駄目だそれじゃ」
「ふん、結局話すだけ無駄だったようね」
「どうして外に出たいかと言うと、実感を持って生きたいからだろう。ならどうして、自分本位ではなくて家への復讐を中心に考えないといけない。そんなこと、離れることができてしまえばもうどうでもいいじゃないか」
「一撃与えて満足してそれから忘れる。それでいいじゃない?」
「そうじゃない、そもそも…」
「もういいわ」
ジャスミンは立ち上がって手のひらを突き出して止める。
「あなたたちに頼れないならいつまでも時間を使っていても無駄。戻らないと親に怒られてしまうしね」
「まだ話は…」
ジャスミンは涙混じりにキッと睨んで、レオンの手を払って階段を走り降りて行った。
「追いかけないと…」
「見つけるのは容易い。今行っても聞く耳を持ってくれるとは思えない」
「冷静になるまで少し時間を置くということ?」
「まあ、それもあるけど、解けていない謎がある」
「それは?」
「あの苗字を持ち続ける理由」
「彼女の言った通りじゃないか。彼女を縛るためだ。その苗字が祖先や親との血の繋がりを示して意識させる。家を出ることで一族への恩や立派な先祖に対しての後ろめたさを感じさせるんじゃないだろうか」
「本当にそれだけだろうか?」
「僕の諸族するダウン一族みたいに、家の名誉が一族を助けるということは無さそうだ。むしろ悪化させるじゃないか」
「そう、デメリットが大きすぎる。しかもスナビエから少し離れているとはいえ、同じ西部地方のランジュに住んで苗字を捨てないなんて、何か役割があるんじゃないか?」
「再興の神輿?…いや、そうであれば中部に移り住んだ王族の方を選ぶのが自然だ。どういうことだ…?」
「何かがあるはずだ。俺たちの知らない何かが」




