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運命の混紡者  作者: Ridge
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中部編11-1

 上の階へ行くと空へ浮かぶ宮殿のようだった。部屋を取り囲む窓ガラスは天井から床まであり、外に柱や非常用通路があって視界を一部遮るものの、下の町から遠い山まで見渡せるものだ。部屋の中は、丁寧な刺繍の入った絨毯に覆われており、その中にシンプルな机や椅子を始めとした仕事道具が佇んでいる。

 窓の前に副長の席があり、石板に何かタイプしている。レオンの姿に気づいて顔を上げて相手を見る。

「副長、話をしよう。悲劇というのは、どうしようもない力によるものでなければ、互いの理解不足を起こさなければ防げるもの」

「その意見には同意だが、もう十分話したと思うが?全てを赤裸々に話すことはできない」

「誰だってそうだ。しかし、もう少しこの組織を理解しておきたい。組織の色を決める最高責任者の考え方を知りたい」

 フォルスは椅子から起き上がり、窓の方へ歩き、レオンを手招きする。上着はそこの椅子にでもかけておけと指さし、レオンはそれに従う。

 フォルスは窓ガラスから外を眺める。窓ガラスには2人が並ぶ姿がうっすらと映っている。

「…では話そうか。その前に、この町はきれいか?」

「…正直なところ、隣の王都の方がきれいだと思う」

「そうだろう。それが正しい」

「?」

「私たちの仕事というのは端的に言えば、情報を集めて動きを予測することにある」

 レオンはフォルスの方を見るが、フォルスは下の町を眺めている。人が歩く姿が見える。

「また、人の言動は心の動きによるものだと私は考えている。状況や道具が揃うことですぐに行動を起こすとは思っていない。ナイフがあったからと言って人を刺すとは限らないのだ。刺すなら動機が必要だ。それが常人に理解できるものであるかどうかはさておき。まあそれでも、危ない物は易々と使えない方がいいがな」

 フォルスは目線を上げて虚空を眺める。

「ここで重要なのは、相手の心を読み取ることと理解することだ。情報を集める上でも、行動を予想するためにも。メティスは全ての諜報に使えるほど暇じゃないし、万能でもない。第一、入力するのが人間だから、人間の感覚で捉える必要がある、人力で行う必要がある。そのため、この組織の構成員はその才能があり、さらにそれらを鍛えている人たちだ。まず気づく力が要るのだ。それは感受性、感性だと私たちは考えている」

「感受性…芸術などで言うあの感受性?」

「その感受性だ。いくら目が良くとも耳が良くとも、感受性が無ければ気にせずに忘れてしまう。感受性が鋭ければ忘れない、気づくとも言う。感受性を上げるには出力の慣れが要るが、それよりもストレスを無くすことだ。人の心というのは、多くのストレスにさらされると自己防衛しようとして無心になる。楽しいことも辛いことも何も感じなくなるのだ。心が躍るのは強烈なギャンブルくらい…。これじゃあだめだ。私たちの仕事では使えない」

「ああ、それで…」

「なるべくストレスを減らし、繊細な感性を以って物事を見て情報を得る。これが重要。ただ、潜入調査においては、無心で周囲に考えを悟られないようにしないといけない時もある。心を殺すのは容易だが、生き返らせるには時間がかかる、何度も蘇らせることはできない。そう何度も潜入をやる人はいない。スパイを使い捨てになんかできない、そんな余裕もない」

「……」

「この町は美しくない。ギラギラとした広告が並び、無秩序に道路も居住区も広がり、調和のない色彩も大きさも不揃いな建物。空気も悪いし音も煩い、口を開けて舌に空気が触れると不味さが染み渡る。いや、挙げればきりがないが…醜さに耐えようとして感受性を鈍らせると私たちの仕事に支障が出るのだ。私は思うに、人間にとって感受性はこの組織の者ほど必要ではないにせよ、一般人にとっても良いものだと思うんだ。自分が樽の中に入って、水が頭の上から注がれていると想像して欲しい。感受性があれば不調に気づく。狭くて苦しいとか頭から水がかかってうっとおしいとか、そこから出たいと感じるわけだ。しかし、この程度のストレスは耐えないと…とやって心を殺していると、いつかおぼれてしまう。自身の不調や社会の不調に気づくことが我が国のさらなる繁栄のために役立つと私は思う」

「確かに…。しかし意外だ、余計なことに気づかれない方が都合がいいと思っているのかと…」

「統治陣営は全人口のほんの一握りだ。人々が自立してなければこの国は落日する。まあ、諜報活動には出来れば気づかないで欲しいが…」

 フォルスは少しずつ小声になる。その後、一度咳をいて話を続ける。

「この国の平和は国民が私刑や脱税を行えないようにその力を国家が取り上げていることにある。そして同時に、その強権を国家が持っていることを意味する。異常に気付かなければ、その力を以って国民は蹂躙されかねない。どんなに優れた人であっても老いると駄目になる。引き継がなければならない。新しい代が、俺たちにはもうどうしようもないと諦めてしまわないように…かといって内戦などという暴力に訴えることもないようにしなければと思う。…しかし、生物ならもっと暴力的な方が自然かもしれない。社会動物ならこれくらい穏健な方が良いかもしれない。私は答えを出せずにいるが、どちらかというと正解は平和な方であってほしい」

「難しいな。多分、恐れすぎてもいけないんだろう」

「そうかもしれない」

 2人はしばし沈黙する。先に口を開いたのはフォルスだ。

「感受性はあまり評価されないもので、そんな見た目の優れたものより安上がりなものにしようとこの町では考えられる。合理的だと彼らは言うが、私からすれば近視眼的だと思える。しかしどちらも正しいところがあって、実現とはその妥協の上に成り立つものなんだろう。でも…金持ちが稼ぎを使ってきれいな家や庭を建てるのなら、最初から町全体をそうしてくれれば…と思ってしまう。感受性の経済的な評価については、研究所に研究を依頼しているので、そのうち分かるだろう。私が在任中に結果が出ればいいな…」

「そうか…。少し羨ましいな」

「ん?」

「俺は戦いの中に身を置くから、戦いの興奮や惨状に慣れてしまって感性は鈍っている。これまでの人生に、もしかしたら、見落としていったことがあるかもしれない」

「君と私は違う道を歩んでいる。できることは違う」

「そうだな。うん、その通りだ」

 レオンは僅かな心残りを顔に浮かべて自答するように言葉を零す。この話は終わりだという雰囲気に包まれる。

「ところで、君に向かってほしい場所がある」

「メティスの予測か…?寄り道などせずに敵の頭を叩きたいが…」

「ルード・ザイベイン…」

 フォルスはゆっくりと丁寧にその名を口にして、レオンの顔色を伺う。レオンは体を引き締めて、聞く耳を持ったような態度だった。

「覚えているか?東部の陽炎離宮に勤務しており、今は一時的にミセオドア近郊へ来ている者だ」

「知っている。それで、彼に何かあったのか?」

「分からない、メティスがその名を出すようにと。…彼女の指定した場所へ向かってほしい」

「そういうことなら…分かった。行こう」

 レオンは椅子に掛けていた上着を取る。

「地図を渡しておく。政府関係者しか持っていない正確なものだ。必ず持ち帰ること」

「了解。地図の読みはナレルに任せよう」


 棟を出て少し歩き、郊外の病院の前にレオンとナレルは着く。

「あの人は信用できるのか?」

「どうだろう…。ジェーン同様に、自分の考えではこうだが、上の指示によって止む無く…という論法を使うのではないか…?しかし、共通の敵を前にして邪魔をする気は無いとは思う。ただの勘だが…」

「信じるというのは難しいものだね」

 ナレルは入口で武器を預ける。

「まあ病院だもの。しかしこれじゃあ僕の出番は無さそうだね」

 病院に入るとすぐに聞き覚えのある声が聞こえる。

「また会ったな、レオン、ナレル!」

「ルード!また会えてうれしいよ。…少し痩せたか?」

「そうかもな。最近、あまり味を感じないんだ」

「それって…」

 ナレルが言いかけると、その発言を遮るようにルードが強い語気で覆い隠す。

「この病院で知った雑学なんだけど、その前に、この地域では川の水だけでなく雨水も飲み水にするんだ。地下水は飲み水に使えない」

「空中同様に地下についてももう少し環境に配慮すれば地下水も飲めるらしいんだけどね。それより川から引いた方が安いとか」

「それで、飲み水の7割くらいが雨水らしい。雨水ってのは山の中を流れた水じゃなくて容器に溜めたものだからミネラルがほとんどない。それを常飲しているものだからミネラルが欠乏気味だった。全国から来た人は故郷にいた時から一気にミネラルが減るのでより深刻だった。しかしそれはもう過去の話だ。解決したのは何だと思う?」

「鉱石で作った容器にした?」

「ハズレ。逆に多すぎて中毒にならないか?いや鉄だけなら…」

「海藻を食べるようになった?海の方から運べるようになったから」

「ハズレ。それほど浸透していないし、中部の人間には何とかっていうミネラルの一種が多すぎる。まあ、いい線いってるよ」

「ふふふ、分かったぞ。ナレル、俺たちは東部から来た。東部に関することだろう」

 ルードは頷き微笑んでいる。

「ずばり!東部の水を飲むようになった!」

「違う。重くて運ぶのに向かない」

「あ…あれ?」

「時間も無いし、もう答えを言おう、東部で採れるナッツ類を食べるようになったことだ」

「惜しかった…」

「惜しかったか…?」

「中部のミネラル欠乏問題の大筋は解決、交易の力だ。東部の塩不足も解決。交易が広がって良いも悪いもあるが、これはいい例の1つとして挙げられる」

「へえ、それじゃ悪い例は?」

「…悪い例の1つは、妹の病気だ」

「あ、ごめん…」

「いや、いいんだ。最初からそれを話すつもりだった。でもいきなりは言いづらくてな…。まあ、一度見てから話そう」

 3人は病室に入る。白い部屋に、ベッドに座り、外を眺める少女がいた。腕は筋肉が落ちて痩せ細り、顔色が内臓の不調を示している。前髪が目にかかっても気にする様子はなく、虚ろに外を眺めていた。

「妹のノーマだ。頼む、この通りだ、彼女に希望と勇気を分けてやってくれ」

 ルードは妹を手のひらで示した後に、レオンとナレルに頭を下げる。少女は顔色を一切変えることなく声のする方を振り返った。

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