中部編7-2
「ああ,そうそう.こっちにあるのが私たちの支部.外見はただの家でしょう?中身も大体ただの家なんだけどね.今日はそこで泊まってもらうわ.私は別行動かもしれないから場所覚えておいてね」
ジェーンは建物を指さしてレオンとナレルにその場所をさらっと伝える.
王都内にある工場の1つ.ここでは,港に面した町と違って成果物はすぐ近くに送られる.この工場は大河や道路から運ばれた部品を組み立てて商品にする.
客室で2人の男が話している.
「やかましい奴らは抑えておいた.これで続けられるな」
「ありがとうございますエルイチさん.続けられさえすれば生き残れます.止められてしまったらどうしようもなかった」
「また困ったことがあったら読んでくれ.一丸となって戦わなければいけない」
「ありがとうございます」
工場内,若い女性が工場長と話をする.
「何?休みたい?どうして?」
「疲れで手元が狂いそうです」
「まだ狂ってないじゃないか」
「それは…怪我をしてから言えというのですか?」
「そんなもの認めていたらズル休みする奴が出るだろう.悪いのはお前だ.手際が悪くて休み時間が減ったお前が悪い」
「…しかし…」
力ない声を聞いて周囲は2人の話に耳を傾ける.
「うちにはね,大層な設備も手法もない.それでもそういうのを持っている相手と勝負して仕事を取ってこないと給料が出せないんだ.足りない分は気合で勝つしかないんだよ.こんな話を知っているか?王国陸軍烈火部隊は5倍の戦力差がある戦いにおいて城砦を守り切って勝利した.武器も食料も医薬品も足りない状況においても気合で乗り切ることで勝利をしたのだ.分かるか?足りない分は気合で乗り切れる.全てはやる気次第なのだ」
「(当事者が聞いたらキレそうな話だ.学者から聞いたことがあるが,あの戦いの決着は,相手が別方面で攻め込まれたために取り残されないように引き上げたことが一番大きい.不利な状況で耐えたという美談を誇張するために,気合だけで耐えたように言われるが,むしろ無理のない運用と絶え間ない連携あってこそ続けることができたというもの.気合は確かにあったというが,それは戦力差を覆すためとして考えてはいない.大体,どちらも本気なのに気合にそう差が出るものか.むしろ物資が底をついた方が気力が低くなっていたくらいだ.が,余計な口答えして面倒なことになるのは嫌だな,忘れよう)」
「分かるか?文句を言って潰れたらお前たちだって困るんだぞ」
「……」
「返事はどうした?」
「はい…」
「ったく…もっと元気よく言えないのか.まあいい,分かったら作業に戻れ」
「はい…」
周囲は何も感じずにただ淡々と作業を続ける.女も作業に戻る.
「(はあ…しんどい…)」
女の頬には黒髪が数本汗でくっつく.それを気にすることなく無表情で黙々と組み立て作業を続ける.
客室から1人出てきて女の方へ近づく.女は何も反応なく作業を続ける.腕を掴まれて作業を止め,腕を見た後に手の元を辿って見上げる.
「こいつか?」
エルイチは強引に引っ張り,女は引っ張られてよろよろと体を寄せる.客室のドアの前にいる男は首を縦に振る.
「な,何ですか」
「いいから来い」
手を引っ張って連れていかれる.周囲はそれに気づいて女を見る.困惑した顔を見た後,気の毒に何かやらかしたのかと考え,仕事に戻る.
女は乱雑に投げ出され,客室の壁に当たって膝から崩れ落ちる.衝撃で髪留めが外れ,髪留めで癖のついた長い黒髪がばらっと垂れる.
「……」
「なぜ呼び出されたか分かるか?」
「いいえ…」
「これに見覚えはないか?」
女は恐る恐る見上げる.
「痛い痛い痛い!」
鈍い動きにイラついた男は髪を引っ張って顔を上げさせる.
直後にドアをバン!と開け,誰かが入って来る.
「その人から手を離しなさい」
「まあいいだろう.お前は誰だ?」
「ここがあの子の職場…あなたがここの責任者?」
ジェーンは無視して尋ねる.ナレルは壁に掛かっている棒の前へと移動する.
「私が工場長です」
「健康庁からの警告は届いていない?」
「何のことでしょうか」
「……」
「……」
エルイチは黒髪の女に手を伸ばす.ナレルは棒を振ってエルイチの首元を押して後ろへ押しのける.ジェーンはその隙をついて黒髪の女を引き寄せて外へと走る.ナレルは横目で見送った後に棒で机をひっくり返して外へ出る.
「あ…あの…」
「あなた見せしめにされるところだった.奴らを潰すのはまずあなたを逃してから」
「この感触は覚えがある.この程度の武器では勝てない」
「え?それじゃ…」
「隠れろ!」
目にも止まらない矢がナレルたちの上を抜ける.矢は木製の箱をぬるりと貫通して石造の建物の壁に激突してひび割れる.
「諦めて出てこい.暴れると壊してしまって厄介なんだ」
「エルイチさん,そんな過激な」
「何寝ぼけたこと言っている.奴らを生かして返せばここはもう操業停止.暗殺しかない」
「確かに」
「人間の薄皮など弓矢で容易く貫通できる.人間を1人や2人殺すのであれば,ややこしい仕掛けの武器は不要.逃げようと思うなよ,苦しむことになる」
エルイチは弓を引き矢を放つ.木箱を貫通し,地面に刺さり破片がジェーンに向かって飛ぶ.光の刃で阻まれて地面に落ちる.
「どこに行ってたの?」
「ああ,ちょっと道草を…」
工場の裏には黒い霧が幾つも渦巻き,風で消えていった.
エルイチは動き出して場所を変える.
「しかしこのままでは相手の位置が分からない.隠れて止まっている間に回り込まれたら…」
黒髪の女が急に喋り出し,ジェーンたちは虚を突かれる.
「生きた目をしてる.そうでなくちゃね」
「心配しなくていい俺には見える.この壁を透過する光線を捉える」
「壁を透過するなら体も透過するんじゃ…」
「いいや成分が違うから見える.そうでなくとも屈折による視界の歪みから人影は見える」
「…何?何者なんですかあなたは?」
「何者も俺の目からは逃れられない.遥かなる追跡者,狩人レオンだ」
物陰の隙間から光線を放つ.光線は矢と正面から当たり,瞬時に黒焦げにしてエルイチの胸を貫いて黒い霧の塊へと変えた.弓が地面に落ちる.
レオンや従業員たちは物陰から出る.ジェーンは足早に工場長へと近づく.
「ち,違う…!魔が差したんだ.査察団を黙らせるって言うから,それで…」
工場長は体を縮こませてビクッと目を閉じる.
パン!
左頬にビンタを受けて立ち尽くす.
「あなたを連行する.そっちの人もね.詳しいことは向こうで聞きましょうか」
「はい…」
どこからともなくジェーンの仲間が4,5人やってくる.
「レオン,ナレル,私は合同庁舎に行っているわ.ウチの支部でまた会いましょう.ここに来る前に指さした場所」
「分かった」
ジェーンは鍵を投げ,レオンが受け取る.ほどなくしてジェーンたちは円盤車で遠くへ行ってしまった.
「ああ,私は明日からどうしたら…?」
「ジェーンのことだ.何とかしてくれるさ」
「目に光が戻っている.やっぱりこうじゃないとね」
「少なくとも今日よりも良い明日が待っている.悲観ばかりしなくていい.大丈夫だよ,君は人並み以上の苦しさを乗り越えてきたんだから.次は報われる番だ.運命の糸を紡ぐ女神はきっとそうする」
「…!」
レオンは頭をポンと叩いて外に出る.ナレルは手を振って外に出ていった.
「ありがとう…視界が晴れたみたい…」




