中部編4-2
クラスで担任が1人の少女を教壇に立ててその横で話している.少女は自分に注がれる生徒たちの視線に気圧され,何だか悪いことをしているような気がしつつも緊張を起こすまいと何も考えないようにしていた.
「みんな,キアラは家庭の事情で長いこと休学していた.分からないことも多いだろう,皆で助けてあげなさい」
「はーい」
復学した少女は一抹の不安は残りながらも悪意のない雰囲気を察知して頑張ろうと決めた.
キアラは友人たちとケンケンパをして遊んでいる.担任は会議室から自分の研究室へ戻る途中にそれを見つけ,立ち止まって様子を見る.キアラは上手に身をこなし,得意げに振舞っている.
「(良かった…,馴染めている…)」
「すごーい,さすがヒトゴロシの娘だー」
「もう,そればっかり!」
「待て!人殺しなんて言葉どこで覚えた…?」
担任は子供たちに近づいて尋ねる.青ざめていく担任とは対照的に子供たちの顔は無邪気そのものである.しかし,恐れている空気を感じて子供たちへ恐怖が伝染する.
「お母さんたちがそう言ってたから…」
「う…,そうか….いいか?それは良くない言葉だ.滅多に言うもんじゃない.分かったか?」
「はい…」
担任は目を閉じ,血の気が引き狂った呼吸を整え,子供相手の優しい顔に戻す.
「よし,えらいぞ.中断させて悪かったな.それじゃ仲よくな」
担任はしゃがんで頭を撫で,自分の研究室へと戻っていく.その途で振り返って様子を見,自分が要るから緊張が抜けないのを理解し,その場を後にした.
「見て見てキアラ,綺麗でしょう?」
友人がキアラの前に紐に通した色付きガラスを見せる.様々な色があり,向こうをのぞき込むと色がついた歪んだ世界が見える.
「それだけ?私もっときれいなの知ってる」
「えっ,そう…,そうだね」
友人は恥ずかしそうにそれをしまおうとする.
「えー,かわいいー」
「プロみたい─」
近くの子がそれを見てはしゃぎだす.その談笑がキアラに焦りと悔いを起こし,心が凍えるように寒くなった.
「(なぜ…?なぜ,私はあんなことを言ってしまったのだろう.今更謝っても…,それでも謝る方がいいかもしれない,でも…でも,今はタイミングが悪い.楽しそうにしている,それなのに私が冷や水を浴びせるようなことはだめだ…)」
「これどこにあったの?」
「えっとね,連れてってあげる」
その場にいた子たちは席を立ってどこかへ行ってしまった.
「(どうすればいいの…?タイミングを失った,今行っても邪魔なだけ….それに今言ったら,みんなが褒めるから考えを変えたみたいで惨めじゃない…)」
キアラは視線を感じて上を向く.教室のドアを超えたところで立ち止まっている子と目が合い,目をそらす.視界の端からその足は見えなくなった.
キアラは係として集めた宿題を研究室の先生の場所へ届ける.教科ごとに研究室があり,それぞれの教科の先生がいる.
「ありがとう.…何か困っているのか?」
「いえ,別に…」
「そうか?気のせいならいいんだが…」
「あのっ!それが…実は…」
キアラは悩みを話す.
「…なるほどね.僕に相談したのは正解だよ.じゃあ僕が君に特別に宿題を出そう,それを終えたら悩むこともなくなる」
「本当ですか?」
「ああ,本当だとも…」
「ありがとうございます.ジーシチ先生」
ジーシチはキアラの耳元で囁く.キアラは頷いて外へと出ていった.
空き教室.
「やあ待っていたよキアラ.今日までたくさんの宿題をこなしたね」
「ジーシチ先生.ここで何をするんですか?」
「その前に説明しなければならないことがある」
「?」
「君が素直に相手を褒められないのは,君が恥ずかしいと思っているからだ.これまでの宿題は慣れや自信をつけることで恥ずかしさへの抵抗を減らす準備運動だった」
「それじゃ…」
「準備運動は終わりだ.大人はあまり恥ずかしがらない,なぜか?」
「ごめんなさい…分かりません」
「それはね,もっと恥ずかしいことを経験しているから,その程度恥らないのさ」
「私も大人にしてください!」
「そのつもりだ」
「ジ,ジーシチ先生?」
ジーシチはキアラの両手首を掴んで上に挙げ,右手1つで掴む.キアラは全身を使って体を横に振り,腕を抜こうとする.フードにかかる金色の髪がサラサラと揺れる.
ジーシチは左手でキアラの口を塞ぐ.その大きな手を耳と頬,口で感じ,逆らえない体格差を頭よりも先に体が理解し,血の気が引いていく.
「光栄に思うがいい.お前はこの学院が終わる鍵となれるのだから」
扉が蹴り倒され,光線がジーシチの背中に当たり,手が麻痺してキアラを手放す.キアラは膝と尻をついて虚ろな目でジーシチの向こう側に黒い影を見る.
「誰だい?君は?」
「勇気の伝道師,狩人レオンだ」
レオンは部屋に入り,ジーシチを軸に弧状に歩く.
「ああ,君が…」
ジーシチは首を動かして相手の姿を追う.レオンは立ち止まり,ジーシチも体の向きを変える.
「気に入らないな.もの知らぬ子供を騙すような振舞い」
「教育とは洗脳,社会へと馴染める人にすることさ.健常者なら洗脳を受けて社会に迎合される」
「たとえそうだとしてもお前の行動とは矛盾している」
「人間の社会に馴染めなくとも,僕たちの支配する新しい世界では馴染むんだ.矛盾などない」
「なるほど,しかしお前たちの支配する世界はない」
「ほう,それはどうして?」
「単純な話だ.その支配者はいない,お前たちは魔界へと還るのだから」
「できるかな?」
ジーシチはコードを引っ張る.コードの先,ガラスのはめ込まれた石板がレオンを襲う.しゃがみつつ横に避ける.ジーシチは石板を片手で受け止め,コードを縦に振ってレオンの頭上へ石板を振り下ろす.レオンは剣で応戦し,石板がひび割れて煙が噴き出す.
ジーシチはコードを手元に引き寄せる.直後に煙の中からが腕が伸び,コードを引き留める.ジーシチが強く引こうとした瞬間に手放し,ジーシチは後ろによろめき,煙の中から飛び出した光線を体の側面に受けて黒い霧になって消滅した.
レオンは柄から光る扇を出して身の回りの煙を吹き飛ばして出てくる.頭や肩の埃を払っているとナレルとジェーンが部屋に入って来た.
「僕が思うに,奴は彼女を殺めて,事件を起こすことで魔術師の存在を揺るがす予定だったんじゃないか.仮に誰が犯人だと分かったとしても,この学院がから出ていたことは確かであるし,その判明に至るまでに様々な憶測が飛び交う.自らの脅威となりうる魔術師たちの力を削ぐことになる」
「だろうな.あるいは爆弾を抱えさせるか.ともかく計画の実行者は消えた」
レオンは立ち上がれないキアラを抱え上げた.静かに優しく抱くと震えが止まって緊張も解け始めた.
「大丈夫だ,もう心配はない」
「……」
レオンは教壇に腰かけてキアラを下ろす.キアラは両手でレオンの手を掴んで離さない.
「奴は君を騙していた.君が悪いんじゃない,悪意のある大人が悪い」
「私は…どうすれば良かったの?」
「君は関わるべき相手を間違えた.でももう失敗を知ったんだ,今度は前よりうまくやれる」
「どうすれば恥ずかしくならない?どうすれば相手を傷付けない?」
「…….とりあえず,恥ずかしさを全てなくそう,傷つけることを全てなくそうというのは良くない.時には必要なこともあるからだ.…俺の勇気を分けよう,もう少しだけ素直になれる」
レオンは目を閉じて胸にキアラ寄せて後頭部に軽く手を当てる.
「(ああ,そうか….ジーシチ先生からはこの温かさはなかった.何でもできそうな気がする,力が沸いて来る…)」
キアラは動き出してレオンは手を離す.
「ありがとうございます.助かりました,もう大丈夫です」
「そうか,それはよかった.じゃ,行っておいて」
「はい!」
レオンたちはキアラを見送った.金色の髪が小波のように揺らして走る後ろ姿があった.
「いいのか?行かせても」
「大体わかった.それに,探ろうとまたすぐにあの子を騙して近づくのは酷だ」
「……」
「そうだね,きっとそれが正しいんだろう」




