彼女は18歳という若さでなくなった
畑と畑の間を一本の舗装された立派な道が、ずっと先まで続いています。
私はバスに乗っていました。
運転手さんの真後ろにある座席に座っているので、バスが進んでいる道路の先が、延々と続いていて、一点に収束しているのが見えます。
野比のび太が「ちだいらせん」と読んで両親からガッカリされた地平線が、夏の終わりに青い空と畑の緑を境目にしてまだ残っているこの景色というものは、この辺りがどれだけ田舎であり、そして自分が田舎者であると言うことを強く再認識させてくれる景色です。
そんな辺鄙で何も無い場所、砂漠で見つけたオアシスのように存在している私が通っていた高校の社会的位置というものを、如実に表していると言うことは否定するする必要も無い事でしょう。
むしろ必然と言えます。
釈明するするならば、さらにこの道を三キロ進んだところに別の高校があるのですが、私が受験する事ができた学区の中では申し訳ないけれどもそちらが最底辺であって、私が通っていた高校は、その一つ上のランクであったという事実を声高く訴えたいところではあります。
そんな二つの高校が、少子化で入学してくる生徒の減少に伴い統廃合されることが決まり、本日の閉校式をもって正式に消滅する事になりました。
正直言えば、高校時代に桃色に溺れた淫欲の日々とか、勝負に負ければ涙を流すほど熱中した部活動などいう事には全く縁もゆかりも無く、ただ学力と金銭面の事情が合う学校がそこしか無いという理由だけで通っていたので、たいして思い入れもありません。
あえて言うならば、無駄に過ぎていった三年間と言っても過言ではないくらいなのだけれども、それはそこに存在しているからそう思えていただけであり、やはり無くなってしまうと思えば多少でも残念に思う気持ちが湧き出た事に、自分で驚いてしまうくらいです。
新設される高校では、建物自体は私が通っていた高校の校舎を使うそうなので、ただ単純に名前が変わるだけなのですが、それはやはり私が通っていた高校とは別物に思えます。
制服も男子は学ラン、女子はセーラ服に蒼いスカーフだったものがブレザーにネクタイ、女子はチェック柄のスカートに替わるそうで、市内からセーラー服が消滅するそうです。
世の中の偉い人の中にはセーラー服に何か怨みでもある人がいるのか、それともチェック柄のスカートに強く性的興奮を覚える人がいるのかどうかは知りませんが、最期の灯が消えてしまうと言うことは、セーラー服マニアとして残念でしかありません。
同窓会から閉校式の開催を伝える手紙が来たのは先月のことで、今となってはクラスメイトの名前も顔もほとんど覚えていない私が出席する理由は無いのですが、唯一、インターネットのFBで繋がりのある友人に誘われたので、顔を出すことにしました。
卒業から26年も経っており、頭部の薄さと腹部の突出は当時の私をまるで別人に変えているので、クラスメイトや知り合いがいたところで私と気がつく人はいないだろうなと思いながら、その高校に向かう生徒しか下りないと言うバス停で下りると、私は校舎に向かって歩き始めました。
「佐藤くん、久しぶり」
そう声をかけてきたのは当時、寝れないほど大好きで、告白をして振られた事もある小鮫さんだった。
小鮫さんはもちろん私と同じように歳を取っていて、私が最期に卒業式で見た18歳の頃の彼女とは当たり前だけれども、すっかり変わっていたのでした。