Track-03.宇宙へ!(remix ver.)
学校から帰った杏子は、玄関を開けようとして、鍵が掛かっていることに気付いた。
買い物にでも行ってるのだろうか。家の横に併設された道場も鍵が掛かっていた。
そういえば、こんなこともあろうかと、ポストに鍵を入れていると言っていた母親の言葉を思い出し、玄関に戻り、ポストをまさぐるが、夕刊が入っているだけであった。
しかたなく、玄関に座り、鞄から取り出した参考書を広げた。
「き、杏子、帰ってたの?」
顔を上げるた杏子は、随分暗くなった道を、並んで歩く父親と母親に気付いた。
「うん。二人で出かけるなんて珍しいね」
参考書を鞄に直し、立ち上がった杏子は、二人が両手いっぱいに抱える買い物袋に気付いた。
「すごい買い物。誰か来るの?」
杏子は買い物袋を覗き込む。
「べ、別にね。たまにはいいかなって思って」
買い物袋を握り直した母親は、そそくさと、玄関のノブに手を掛ける。もちろん鍵が掛かっていた。
「私ったら、本当に」
母親は、照れ隠しに笑いながら、袋を地面に置き、鞄から鍵を取り出す。
杏子は母親が地面に置いた袋を掴みあげた。
随分重い。袋の一番上には、高級そうな牛肉が見えた。大好物のすき焼きだろうか。
杏子が袋から顔を上げると、母親はまだ、ドアの前で立っていた。鍵穴になかなか鍵が入らないらしい。
「おかしいな。目が悪くなっちゃったのかな」
独り言をつぶやきく母親がやっとドアを開けた。
*
台所で荷物を下ろし、居間に行くと、テーブルの上に封が開けられた封筒があった。鞄を置き、手に取る。
宛先は杏子。差出人は、コスモス食品株式会社。中から便箋を取り出す。
【当選通知。おめでとうございます】
やっとチョコバーの当たりを送った事を思い出した。
「へぇー、当たったんだ」
つぶやきながら、便箋を読み進める。
【集合日時:七月七日午前十時。
集合場所:桐山駅北側バスターミナル。集合日時に当社の専用車両が送迎いたします。 期間:七月七日から八月三十日。
場所:ブルネシア合衆国ネルダ州当社現地工場】
「が、外国! しかも出発明日!」
便箋を握り、台所に向かう杏子に、テレビを付け、ソファーに座る父親が話し掛けた。
「今日、母さんと準備した。学校にも連絡した」
父親は言いながら、テーブルの上にパスポートを置いた。
「で、でも急に、そんな」
明日も文化祭の練習をしなくてはいけない。サブボーカルとはいえ、行かなければまたサクラに怒られる。
「こんな機会は滅多に無い」
父親はソファーに座ると、行方不明になったトレジャーボートのニュースを流すテレビから、視線外し、笑顔で杏子を見上げた。
「ほら、早く準備始めろ。必要そうな物も買っておいた」
父親が買い物袋を持ち上げる。
頷いた杏子は、二階に駆け上がった。
取りあえずしなくてはならない事が沢山ある。まずは、皆に知らせなくてはいけない。
スマートホンを取り出した杏子は、勉強机に座り、画面をタップし始めた。
*
最上級の牛肉は伊達ではなかった。生卵に絡めて口に入れると、体温だけで溶けていく。
部活から帰ってきた弘志も加わり、牛肉争奪戦は白熱するばかり。
ダイニングテーブルの中央には、グツグツと白い煙を上げる鉄鍋。入る肉は、最高級のブランド牛肉。
「姉ちゃん肉食い過ぎだって。それ以上太ったら……」
弘志の精神的揺さぶりにびくともせず、杏子は特大の牛肉を口に運ぶ。
「あんたがこんないいお肉食べるの四年早いって」
肉を奪い合う杏子と弘志を父親と母親はただ笑顔で眺めていた。
台所に杏子と母親が並んで立つ。
もくもくと皿を洗う二人。母親は、今日はいいから準備しなさい、と言ったが、逆に落ち着かないので、杏子はいつもの通り、ゴシゴシと皿を洗う。
「水には気をつけなさい」
杏子が泡だらけにした皿を濯ぎながら母親がつぶやく。
「貴重品は持って歩かないように」
杏子はただ頷く。二ヶ月近く家を空けることになる。剣道の合宿でも長くて一週間。なにかと心配しているのだろう。
「あんた、何にも女の子らしいこと出来ないんだから心配で」
母親の言葉に、杏子は、とうとう我慢出来なくなり、吹き出した。
「結婚するわけじゃないんだから」
手を止めた母親が頷く。
*
翌朝、母親から借りたキャリーバッグを引く杏子は、見送りに来た父親と母親に手を振り、駅ビルに入った。
桐山駅はここから急行で四駅。切符を購入し、ふと、駅の外を見ると、まだ両親が杏子の方を見ていた。
親バカ。たった二ヶ月なのに。
呆れた顔でもう一度手を振ると、杏子は改札に向かった。
*
線路を走り去る急行電車。
母親はたまらず、地面に両膝をつく。
父親がしゃがみ、母親の肩をさする。
泣きじゃくる母親の足元に、涙の染みが広がっていった。
*
県庁所在地である桐山市の玄関口、桐山駅。駅の南側は再開発が進み、高層ビルが立ち並ぶビジネス街になり、一方、北側は、線路の跡地に建築中のマンションが立ち並んでいる。
駅北側のバスターミナルは、ビジネスマンや、百貨店目当ての少女で混雑していた。
高校生の身分で、平日のこの時間、しかも制服ではなく、七分丈のパンツ、白いTシャツ姿でウロウロしている後ろめたい気分の杏子は、桐山駅の改札を抜けて、北口に向かう。
封筒に入っていた便箋を取り出し、内容を確認する。
北バスターミナル十三番乗り場。時計は、九時四十分を指している。
便箋をポケットに入れ、バスターミナルを歩き、十三番乗り場の看板を見つけた。
安心して回りを見ると、すぐ近くのベンチに、高校生らしい女の子が、大きなリュックを横に置いて座っている。
長い黒髪に眼鏡、整った横顔。長めの紺色のスカートに、白のブラウス、誰も見ていないのに、きちんと背筋をのばしている。
チョコバーの当選者の可能性が高いが、違っていたら恥ずかしいので、杏子は、少し離れた花壇の縁に腰を下ろした。
しばらくすると、今度は、ポニーテールの少女が十三番乗り場の看板に走り寄ってきた。ジーンズのパンツに白のチュニックの彼女は、手に持つ紙と看板を何度も見て頷いている。チラチラと辺りを見回す彼女は、杏子やベンチに座る少女から離れた電灯の下に鞄を下ろし、電灯の柱にもたれかかった。
バスターミナル中央に立つ時計台が九時五十分を指した時、十三番乗り場に、高級外車が横付けに止まった。
運転席から降りた男性が後部席のドアを開ける。
軽いウェーブのかかった栗毛色の少女が車を降り、男性がトランクから取り出した旅行鞄を受け取る。
ピンクのワンピースを着た少女は、十三番乗り場の看板の真下に立ち止まる。 男性が何度も頭を下げ、車に乗り込み走り去った。
十時ちょうど。十三番乗り場に、ボンネットバスが滑り込んできた。
車体には、チョコバーの絵。間違いない。
杏子は立ち上がりキャリーバッグを引いて、バス乗り場に歩く。
栗毛の少女がバスに乗り込み、眼鏡の少女が続き、杏子が乗り込む。
階段を登る途中、一瞬、足が止まる。
運転席に座っていたのは、茶色い体の怪獣。いや、チョコバーの袋に描かれているマスコット『チョコザウルス』だった。
着ぐるみだろうが、乗り込む杏子に頭を下げ、座席を指さしている。指ではなく、蹄みたいな何かで。
一列目に座る眼鏡の少女に軽く会釈して、バス中央付近の座席に座る。バスの中を見ると、最後部に栗毛の少女が座っていて、目が合ったので、また頭を下げた。
「うわっ。趣味悪!」
声に前を向くと、ポニーテールの少女がチョコザウルスを叩いていた。
彼女はしばらく車内を見渡していたが、目が合った杏子の側の座席に腰を下ろした。
時計が十時五分を指したころ、バスに黒髪をお団子に結った少女が駆け込んで来た。
「あぶなー。寝坊したわ」
ジーンズ生地のホットパンツ、ピンクのTシャツの少女はチョコザウルスに一瞬驚き、声を上げ、三列目の座席に座った。
バスの搭乗口が閉まる。ゆっくりと走り出し、バスターミナルを出る。
記憶はそこまで。
強い眠気に襲われ、杏子は瞳を閉じた。
*
あまりの静寂。目を覚ました杏子は、頭痛に頭を揺する。
窓の外は、星空。見たこともないような満点の星。 それも、三百六十度。
飛び起き、窓に手を着く。
道路が見えない。街も。
車内を見ると、少女達が目を擦り、ちょうど起きたところだった。
お団子の少女が窓の外を指さす。
「ねえ、あれって」
指の先の窓の外には、漆黒の闇の中に広がる、美しい輪に取り囲まれた土色の球体が浮かんでいた。
「やっぱり、土星だよね」
皆が、窓の外を見ながら黙って頷く。
「番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします。ブルネシア合衆国ネルダ州において、現地時間七月十六日午前七時二十分頃、日本人観光客五人を載せたプロペラ機が、海上に墜落した模様です。現場付近海域には、機体の残骸が散乱しているとの情報が入っています。繰り返します……」
「プロペラ機に搭乗していたのは、名簿から、シノヤマサキさん、ヒロカワユウコさん、ナカノユウナさん、マツダアヤカさん、ケンザキキョウコさん……」
「悪天候の中、飛行を強行した、主催者のコスモス食品株式会社に非難が集中していますが」
「そうですね。現地の気象センターでは、低気圧の接近にともない飛行制限が……」
「では、今回の被害者である剣崎杏子さんの葬式会場に中継がつながっています。現場の藤田さん」
「はい。こちら新浜市の市民会館前です。現在、しめやかに葬儀が行われています。葬儀会場では、同級生達の啜り泣く声の中……」