Track-26.ありがとう!
ーー 果てしなく長く、でも、あっけないくらい短い物語。
杏子は瞳を開いていく。 この五人でここに立つ事が出来たのは、想像を絶する位の小さな確率の奇跡だった。
出会った様々な人達が、教えてくれた事は、本当に大切な物が何かということ。
崩れかけた五人を結び付け続けた物は、その一番大切な物だった。
それは……。
開幕のブザーが鳴り、幕が上がってゆく。
メンバーと目を合わせた杏子は、マイクを握り、前を向く。
立ち込めた霧が晴れていくように、音もなく上がっていく緞帳。
徐々に開けていく視界に入ったのは、漆黒の闇だった。
ドームの天井に設置された非常灯だけが、空間の広さを白々と照らしている。
マイクから手を離した杏子は、ゆっくりと、舞台を前に向かって歩き出す。
異変を感じた四人も、そろぞれの持ち場を離れ、前に歩き出す。
しわぶき一つ無い、観客席。だが、暗闇の中から注がれる無数の視線だけが五人に突き刺さる。
「あっ」
思わず杏子が声を出す。
観客席のあちこちで、黄色い小さな弱々しい光が瞬き出した。
やがてそれは、観客席全体に広がり、星のように広がっていく。
手を取り合い、観客席を見つめる五人の前で、黄色い光が徐々に集まり出す。
黄色い光は、観客席のあちこちに、円形の輪を作りはじめた。
光の移動が終わり、五人は繋ぐ手に力がこもる。
次の瞬間、黄色い円を中心に、ピンク、赤、白の光が、放射状に広がっていった。
「これって」
優奈が、メンバーの顔を見る。
「コスモスのお花畑」
つぶやく杏子の瞳に、無限とも思える広大なコスモスの花畑が広がった。
風が吹きわたるように、揺らめく光のコスモスの上を、小さな花びらが舞い始める。
舞台に舞い散る花びらは、前に伸ばした早紀の手の平のを通り抜けて床に落ちていった。
ドーム内を舞い散る花びらが一斉に吹き飛び始める。
まるで、高原を吹き抜ける一陣の風に吹かれたよう。
「ありがとう」
花びらの吹雪の中、杏子は、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
一曲目、『chocolate attack!』。
遠く離れた地球の思い出。帝国に来て、始めて歌った曲。
バラード調で始まる静かな曲だったが、杏子バージョンに変更する際に、後半部分にスピード感を持たせるアレンジを加えた。
永遠の別れへの始まりを、あえて、明るく、ポップに歌い切る。
二曲目、『メインストリートで行こう!』。
銀河に張り巡らされた、メインストリートを行く五人。銀河中心に存在する特異天体の無限ともいえるエネルギーを使用することにより成立する特殊空間。
行き交う、様々な宇宙船に取り囲まれながら、高揚する気持ちと、不可逆性への恐怖を、スピード感溢れる曲調と、激しいダンスで表現していく。TKU5時代の代表曲である。
三曲目、『Debut!』
ほろ苦いデビューの思い出と、メンバーの決意を表現したコミカルな曲。後に、パフォーマンス用の音楽として、一番と二番の間に長い間奏が入る。
今日のライブで五人が着ている復刻版衣装は、ここでパフォーマンスを見せるためだった。隠れコスプレファンのエルザの腕が光る。
四曲目、『fight!』。
銀河帝国での、彼女達の支えであった、秋山の死。それは、彼女達の支えを失っただけでなく、銀河帝国が辺境惑星に対する慈悲に見せかけた、非常なまでの冷酷さを意識させた。
砕け散るメンバー達の心の悲しい叫びを、ロック調の激しいメロディーで歌いあげる。
五曲目、『Sincerity Flower!』。
バラバラになった五人の心を繋ぎ止めたものは、失ったはずの地球での思い出。それに気づかせたのは、この地で健気に咲き誇る、コスモスの花。
陰欝な前半のバラード調から一転、後半にかけてはスピードを加速していく。
六曲目、『fight!PARTⅢ』。
コス☆モスの楽曲のなかでも、最もハードな曲。ヤクトの機械兵を次々に倒していく様子をダンスに込めていく。
それぞれのソロパートを踊り、最後には、四人が組んだ手をバネにして、飛び上がった杏子が、スカートをひらめかせて空中で一回転して着地する。
曲の終わりと同時に、着地姿勢をとる杏子は、息を切らせながら、顔を上げて、証明に照らされた観客席を見渡す。
マイクを掴み、舞台に立つ杏子がスポットライト照らされて、照明が落とされたドームの中に浮かび上がる。
「今日はコス☆モスのライブに来てくれてありがとう」
観客席から地鳴りのような歓声がドーム内に響く。
歓声が収まるのを待ち、杏子が話し始める。
「私達が地球からここに来て、わずかな間でしたが、色々な事がありました。右も左も分からないまま、首都惑星に降り立ち、ご当地アイドルTKU5として活動を始めました。最初のライブの事は今でもはっきりと覚えています。お客さん、ほとんどゼロでした。早紀はぺルメテウスと喧嘩するしね」
杏子の横の早紀にスポットライトが当たり、早紀は恥ずかしそうに笑う。
「地球を資源化から守るために、どうしてアイドルをしなくてはいけないのか。自問自答の日々でした。ビキニ事件とかもあったし」
舞台の上で、五人が顔を合わせ笑いあう。
「そんな中、私達の心の支えであった、秋山さんが宇宙線病で亡くなりました。本当に優しい人でした。病気にも関わらず、何十回と営業先に通い、私達にライブの機会をくれました。秋山さん、無茶苦茶安全運転で私達を営業先に運んでくれてました。ハイウェイを人が歩くようなスピードで走るんです。いつもクラクションの嵐でした」
『King Of Freeway!』の元となったエピソードである。王は、従臣を引き連れて、クラクションのファンファーレの中、五人の王女を連れて凱旋する。エピソードを知る観客から笑い声が起きた。
「後で知ったのですが、秋山さん、私達が来る以前は結構運転荒っぽかったみたいです。私達に怪我をさせられない、とあんな超安全運転になっていたと聞きました」
一度マイクから顔を離した杏子は、目を閉じて、頭を下げる。
「私達、何にも分かってなかったんです。秋山さんがどうして、あんなに必死になっていたのか。自分達の故郷の星が無くなってしまうことの意味を。ヤクト事件の後、ペルメテウスからメッセージを貰いました」
*
今回のライブの少し前、ペルメテウスから録画データが送られて来た。
病室らしき場所で、ベッドに腰掛けるアンジェラ。笑顔で手を振る彼女は、五人に語りかけた。
「ライブ決定おめでとう。いつか、私達もあそこで歌ってみたかった。正直、うらやましいし、悔しいです」
視線を下ろし、しばらく無言のアンジェラが顔をあげる。整った美しい瞳が画面に向けられる。
「あれから、あなた達の歌をずっと聞いてます。それでね、気付いた事があるの。あなたた達は、いつも、故郷の星に向かって歌を歌っていたんだね。だから、故郷を離れた私達の心に響いたんだと思う。私達は、銀河帝国に向かって歌を歌っていた。銀河帝国に憧れて、その一員になりたくて。そう思えば、今の状況は願ったり叶ったりなんだけどね」
アンジェラは、目を伏して笑いながら、手元に置いていたヘルメットを取り上げた。
「これ被ると、一瞬で手術は終わるみたい。記憶も、体も、何もかも銀河帝国人になれるの」
ヘルメットから繋がるチューブを指に巻き付けながら、彼女は画面に視線をやる。
「銀河帝国の大いなる慈悲で、手術の開始は私のタイミングにしてくれた。本当は故郷にメッセージなんだろうけどね。いろいろ考えて、あなた達に最後のメッセージを送ります」
アンジェラは、ヘルメットを持ち上げていく。
「アイドル、楽しかったなあ。最後は目茶苦茶になっちゃったけど」
ヘルメットを持ち上げる彼女の手が震えていた。
「お父さん、お母さん、私、ヤクトを守れなかったよ。私の思い出の中のヤクトまで消えてしまう。大切な思い出、やっぱり消したくないよ」
強く閉じた彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「命よりも大切な物。こんなぎりぎりになって気付いてしまうなんて。こんな時間なんてくれなかったらよかったのに」
頭上にかざしたヘルメットが徐々に、彼女の頭を覆っていく。
「せめて、あなた達は」
額までヘルメットに覆われたアンジェラが、涙で濡れた瞳を画面に向ける。
「大切な物を守ってね」
画面が揺れ動き、病室の窓が映し出された。晴天の空に、超高層ビルが立ち並ぶ光景が映る。
言葉にならないアンジェラの叫び声とともに、ディスプレイが暗転し、二度とアンジェラの姿を映し出すことは無かった。
*
杏子は顔を上げて目を開く。
「本当に大切なもの。それは……」
ドーム全体が、まばゆい光に包まれる。
深く真っ青な空。地平線から沸き上がる白い雲。
緑の稜線に続く草原には、まるで絨毯を敷き詰めたような、コスモスの花畑。
吹き抜ける風に揺れるコスモスの中に立つ杏子は、舞い踊る黒髪を抑えながら、右手を胸に当てる。
「それは、私を作り出す、このすべての思い出達」
七曲目、『前だけを向いて走りつづけろ!』
八曲目、『STARBURST!』
九曲目、『SUPERNOVA!』
最終曲、『追い風はいつも前から吹いて来る!』
舞台に並んで手を振る五人の前に幕が下りていく。 鳴りやまない歓声。拍手の音。
幕が下りた舞台の上、杏子は、メンバーを振り返る。玉のような汗を滴らせながら、五人は、舞台の中央に集まる。
「終わったね」
優奈が髪をかきあげながら言う。
「全力出し切ったったわ」
綾香が、白い歯を見せて笑う。
「楽しかったあ」
祐子が、眼鏡を外して、舞台袖から駆け寄るスタッフから受け取ったタオルで汗を吹く。
「まだ、終わりじゃない」
タオルをスタッフに渡しながら、早紀が言う。
メンバー全員が早紀の言葉に頷いた。
彼女達の耳には、分厚い緞帳の向こうから響く、アンコールの声が聞こえていた。
「まだ、歌えるよね」
丸めたタオルを、スタッフの側に置かれたカゴに投げ入れる杏子が、メンバーの顔を見渡す。
「もちろん」
「当たり前や」
「はい」
「しかたないわね」
四人が、杏子に続いてタオルを投げる。
綺麗にタオルが収まったカゴを、スタッフが慌てて舞台袖に運んでいく。
「歌うって、なんでこんなに楽しいんだろうね」
杏子は、前を見ながら、言い、そして頷く。
それは、無限に広がる銀河系に存在する、多種多様な環境、文化の違いを超えて、あまねく響き渡るものだから。
銀河の人々が、文化の違いを超えて、一つになる事が出来るから。
幕が上がり、割れんばかりの歓声が五人に襲いかかる。
アンコール曲は、『curtain call!』。