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Track-02.chocolate attack!(杏子ver.)

 電車の発車ベルが鳴り響く。

 車内に飛び乗る杏子のすぐ後ろでドアが閉まった。

 手摺りに掴まり、呼吸を整える。

 部活を引退するまでは、毎日朝練の為に始発電車に乗っていたが、最近はどうも気が抜けてしまう。

 

 軽い振動を伴い、電車が動き出した。釣り革が揺れる。

 杏子は手摺り横の座席に座った。窓に映る化粧化の無い顔。黒いショートカット。セーラー服。

 電車が駅ビルを出、車内に光が差し込む。

 杏子を映していた窓の外には、いかにも地方都市の風景が広がる。

 通勤時間ではあるが、町の中心である新浜駅を出て、市立新浜高校前に至るこの路線には、ほとんど乗客はいない。

 ガラガラの車内の天井で扇風機が、カラカラと羽根を回転させ、首を回して必死に空気を循環させている。

 

「杏子、おはよう」 


 声の方を見上げると、同じ剣道部に所属していた、宮永サクラと轟薫が手を振って歩いていた。

 二人は杏子を挟む様に並んで座席に座り、サクラは素足を投げ出した。

 

「昨日のミュージックステージ見た?」 


 サクラが杏子に話しかける。首を振る杏子。

 昨日は珍しく机に向かっていた。剣道全国大会準優勝の杏子にはいくつかの大学から推薦が来ていたが、地元の公立大学を目指す彼女は、最近は殆どテレビを見ずに勉強している。


「シルバリオン、無茶苦茶かわいかったよ」


 アイドルに憧れているというサクラが髪をかきあげながら笑う。

 部活中は、長髪禁止。今時珍しい命令だったが、引退した途端、サクラは髪を伸ばし始めた。人気アイドルグループシルバリオンメインボーカルの髪型を目指しているらしい。


「杏子も、練習来なよ。文化祭まで四ヶ月だよ」


 轟薫が、杏子の腕を掴む。抜けさせない。犠牲者は多い方がいい。そんな意思を感じる力の込め様だった。十一月に予定されている学校の文化祭で、サクラをメインに元女子剣道部員でシルバリオンの物真似をすることになった。すでに出場登録され、何回か練習に参加していた。意外と声がいいと言うことで、杏子はサブボーカルに任命されていた。メインボーカルはもちろんサクラである。


 文化祭で発表する楽曲の話をしていた時、電車がトンネルに入った。話題が止まり、窓にはセーラー服を着た三人の姿が映し出された。華やかな芸能界の話から、現実に意識が戻る。


「そういえば、洋平、彼女出来たって」


 薫が、俯きながら、電車の音に消え入るような声で言った。

 石川洋平。杏子の幼なじみ。小学生の頃から同じ剣道道場に通い、二人で日本一になろうと約束した。

 彼は約束通り、日本一になった。杏子は準優勝。

 別に特別な感情を持っていた訳ではないけど…… 。

 

「そう。あんなやつを好きになる女子なんていたんだね」 


 呟く杏子の顔を、二人は心配そうに見つめていた。


 トンネルを出た電車は、いつの間にか、終点である市立新浜高校前に到着していた。

 窓を見つめたまま、立ち上がろうとしない杏子の肩を二人が揺する。



     *



「…… 年、国際連合常任理事会において、地球及び太陽系は、銀河帝国オリオン管轄区に併合されたことを表明した。ここ、入試に絶対出るから、特に併合宣言文は丸暗記しておけ」


 近代社会の授業。教壇に立つ髭面の権藤(熊男)が、教科書を叩きながら唾を飛ばす。


「…… 、……ざき」


 杏子の背中を誰かが突く。顔を上げ振り返ると、後ろに座る南さやかが、慌てて前を指差していた。視線を前に戻すと、教室中が彼女に注目していたことに気づいた。


「大丈夫か?」


 さすがの熊男も心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 真っ赤に腫らした瞼を擦りながら杏子は頷く。


「勉強のし過ぎか。まあ、とりあえず、併合宣言文を読んでくれ」


 教科書を手に立ち上がった杏子は、その無機質な文章を読みはじめた。


 一つ、これより地球政府は銀河帝国オリオン腕管轄区に併合するものとする。


 二つ、銀河帝国は地球現政府への内政干渉は一切行わない。


 三つ、恒星間航行システム、及び恒星間通信施設は一切の権利を銀河帝国が有し、地球政府はこれを使用できない。


 四つ、地球政府は帝国のいかなる要望にも応じなくてはならない。


 五つ、今後の地球政府及び太陽系の処遇については、帝国辺境銀河管理省オリオン管轄局において決定される。



 所謂銀河帝国五大原則である。簡単に言えば、技術は供与しない。勝手にやっていろ。でも必要があればなんらかの手を下す。

 世間一般の人々は、銀河帝国人一人、宇宙船一つ見てもいない。ただ声明が発表されただけ。最初はオカルトニュースとして、怪しいスポーツ新聞の三面記事に載せられただけだったが、後日、血相を変えた総理事務次官の発表により、公式なものとなった。

 それから二十年余り、人々の生活は何ら変わっていない。



     *



 夕焼けのオレンジ色に染まる空。

 杏子は一人、学校の門を出て、駅に向かう長い坂を下っていた。

 帰宅ラッシュになる時間帯を避け、呼び止めるサクラを「用事があるから」と振り払い、自分の影を眺めながら坂を下る。


 この気持ちは何なのだろうか。朝、薫達から洋介の話を聞くまで、本当に何とも思っていなかったのに。


 同じ町の剣道道場に通う洋介は、剣道界の神童と呼ばれていた。

 厳しい練習に何度も、もう辞めたい、という杏子を勇気つけてくれた。

 幼なじみというよりは、戦友、いや、兄のような存在だった。


 まさか、まさか、これが失って初めて気付く本当の気持ちという物なのだろうか。

 

「杏子!」


 首を振る杏子に背後から声が聞こえた。

 洋介の声だった。

 振り返る杏子。と、目の前に小さな細長い物が宙を舞っていた。反射的にそれを掴む。


「チョコバー、やるよ」


 チョコバーの袋を両手で掴む杏子の横を、自転車に乗った洋介が坂を下っていく。

 胸が弾み、声をかけようとして、口をつぐんだ。

 自転車の荷台に、両足を横に伸ばし、洋介の腰に両手を回す女性の長い髪が見えた。


 手を振る洋介の自転車が坂を曲がり、見えなくなった。

 足を止めた杏子は、握りしめたチョコバーの袋を見つめた。


 なんでだろ。


 涙が止まらなかった。チョコバーが涙で霞んでいく。


 そうか。

 

 部活が終わるといつも、皆で寄っていた売店。いつも洋介が買っていたチョコバー。引退してからは、食べることがなくなっていた。

 握りしめた袋を胸に当てた。


 私、このチョコバーと同じだったんだね。


 私、洋介に恋していたんだね。


 チョコバーを鞄に突っ込んだ杏子は、涙を拭き、また坂道を下り始めた。



     *



 夕食を終えた杏子は、居間のソファーに寝転がり、テレビを見ていた。

 偶然チャンネルをあわせた歌番組にシルバリオンが出ていた。

 きらびやかな光の中、弾けるように踊る四人の少女達。


「ったく、勉強しないなら、だらだらしてないで、片付け手伝ってよ」


 母親が、ソファーから飛び出した杏子の足を押しのけながら、台所に戻っていく。きらびやかなテレビの中とは似ても似つかな現実。

 鼻水をすすった杏子は、そばにほったらかしにしていた、鞄からチョコバーの袋を取り出した。

 ピリピリと袋を破り、チョコレートでコーティングかれたスコーンを取り出し、袋をごみ箱に捨てた。


 一口かじる。甘いチョコレートの中に、少し苦いコーヒー風味のサクサクスコーン。

 現役の時によく食べていた。引退してからは、太るからと、余り食べていない。懐かしい味は、厳しい練習を思い出させた。

 最後の大会。四回に及ぶ延長の末、杏子が繰り出した面に対して、相手の出小手が決まっていた。

 洋介に教えてもらった、必殺のさし面だったのに。 


「あ、姉ちゃん、いいもん食ってんじゃん」


 チョコバーを口に入れたまま見上げると、弟の弘志がパンツ一枚の姿で立っていた。シャワー上がりだろうか。

 洋介から貰ったチョコバー。弟に奪われないように一気に口に入れた。


「ちっ。チョコバー、当たり付きだぜ。見たか姉ちゃん?」


 舌打ちしながらしゃがみ込んだ弘志は、ごみ箱を漁り、チョコバーの袋を取り出した。


「あっ、ほら姉ちゃん、当たってるじゃん!」


 確かに、弘志の手の中で広げられた袋の内側に【当たり】の文字があった。


「俺が見つけたんだから、俺のもんだからな」

 

 弘志は、袋の文字を読み出した。しかし、しばらく袋を見た弘志はため息をつくと、杏子に袋を投げて寄越した。


「工場見学だってさ。だっさー。興味ねえわ」


 手を振りながら台所に向かう弘志。


「母ちゃん、腹減ったぁ。なんか食うもんない?」


「さっき晩御飯食べたばかりだろ」


 台所で繰り広げられるいつもの会話を聞き流しながら、杏子は袋を眺めていた。

 

せっかくくれたものだし。


杏子は頷くと、袋をポケットに入れた。



     *



 朝、杏子はいつものように、時間ぎりぎりに家を飛び出す。


「お、いってらっしゃい」


 剣崎居合道場の看板の下で打ち水をする父親が杏子に声をかける。


「いってきます」


 打ち水を避けながら駆け出す杏子。

 しばらく走った杏子は、近所の郵便局のポストの前で足を止めた。

 鞄から、【当たり】部分を切り取り、裏面に貼付けた葉書を取り出す。

 宛先は【コスモス食品株式会社御中】。住所のある本社は随分遠い大都市。 ポストの市外用投函口を指で押し上げて、葉書を入れ。指を離す。

 ポストの中に貯まった手紙の上に葉書が重なり落ちる音が聞こえた。

 

 杏子はその音を確認すると、駅に向かって歩き出し、一度ポストを振り返る。不思議と気持ちが吹っ切れた。

 いつもと違う行動で気が紛れたのだろうか。



     *



 ポストの中の一枚の葉書。

 

 この一枚の葉書が、彼女の人生を、地球の未来を大きく変えることになることに気づくはずもなく、杏子は軽快なフォームで駅に向かって走り出した。

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