Track-01.overture(序曲)
銀河系の大半を支配下に置く、銀河帝国の首都惑星テクスチカヤルナフカ。
空を飛び交う小型艇の間を縫うように、雲を貫く軌道エレベーターの足元。丸い貝殻を芝生の上に置いたような建物が、夕陽の中、淡い虹色にライトアップされて浮かび上がる。
レブリアリア・ウィリアリア・アルブレスト四十世記念劇場大ホール。
銀河帝国で生まれ育ったアーティストの誰もが、一度は立ってみたいという憧れの地。
ロッカーが並ぶ薄暗い控室。静かな室内には五人の少女がいた。
控室の化粧机に座り、壁面に取り付けられた鏡を見つめる少女。剣崎杏子。
剣道の胴着を模したという、前合わせの白のブラウスに、同じく白のロングスカートを着た彼女は、ショートカットの黒髪に付けた花の髪飾りを触ると、鏡に映る控室内を見渡す。
椅子に座り、背中の弓入れを気にしながら、ギターのチューニングをしている長い黒髪ポニーテールの少女。中野優奈。衣装は弓道の衣に袴をモチーフにした、黒い胸当ての付いたブラウスに紺色のスカート。ギターの弦を調節しているように見えるが、緊張を隠すためのいつもの作業。チューニングはここに来る前に既に終わっているはず。
優奈と向かう様に腰かける少女。両手に持つバチを器用にクルクルと回している。黒髪にツイン団子。レオタードを意識したタイトな黄色いワンピースの衣装を着た松田綾香が極度に緊張している時の癖である。
ソファーに深く腰かけて、今日のプレイリストを眺める少女。広川祐子。長い黒髪を撫でながら、何度も眼鏡を触り、合気道の道着を模した衣装の胸元を気にしながら、傍らのベースギターをチラチラと見ている。いつも気丈に振る舞う彼女でも、緊張することがあるのだろう。
控室の出入口にもたれかかり、紙コップの水を飲む、栗毛の少女。伏し目がちの目で、歌詞カードを見つめ、ウェーブのかかった髪に指を絡ませている。白を基調にした衣装、腰に黒い帯と大きなリボン。篠山早紀。ここまで皆を引っ張って来てくれた。彼女がいたから、メンバーは過酷過ぎる現実を受け入れることができた。
杏子は、背筋を伸ばして瞳を閉じる。まぶたに映る世界。遠く離れた幸せだった日常。古びた電車。天井の扇風機。長い坂道。密かに思っていた彼の笑顔。初夏の風に揺れる梢。友達とのお喋り。家族。
もう存在しない美し過ぎる思い出。
瞳を開く。
地球を守るため。たかがアイドルごときと人は笑うかもしれないが、皆は、結構本気でそう思っている。 杏子は自分の瞳を見つめる。パッチリとした二重瞼の奥、茶色がかった瞳の中には、揺るぎ無い決意をこめた意思が見えた。
一人頷き、化粧机を撫でてみる。
近代的な建築物にも関わらず、懐かしい木の感触。触れる指先に、不規則なでこぼこを感じる。文字が彫り込まれていた。
『やっとここまで来れた』
『憧れの舞台』
『嬉し過ぎて鏡が見えない』
彫り込まれた文字の後には、帝国内でも一流と言われる歌手や劇団の名前がある。
ここは、歌い手や表現者にとって、聖地と呼ばれる場所。どんな一流の表現者であっても、初めてここに座った彼らは、今の杏子達と同じ様に緊張し、限りなく集中力を高め、誰も登ることのできない高みに上がり、夢を現実に成し遂げていったのだろう。
杏子達には成し遂げなくては為らない理由がある。
ここは、彼女達にとっては、聖地などではなく、自分達の生存理由を勝ち取るための戦場。
彼女達の生存理由。それは、決して忘れることの無い、脆く、はかなく、愛おしい、遥か五万光年果ての故郷の星。
控室の扉が開き、息を切らした男性が走り込む。
「ホールマスターと話してきたよ。テレビで見たまんまだった」
プロデューサーの田端猛。いつものだらし無い格好ではなく、着慣れないスーツを着、髪の毛にムースを塗りたくっている。
一斉に振り返ったメンバー達は、田端のあまりの興奮ぶりに、自然と笑みをこぼす。
「なんていうかさ。俺達、えらいところまで来ちまったんだなあ」
頭をかきながら、へへっと笑う田端。
「プロデューサーのあんたが興奮してどうするのよ」
早紀が田端を睨みながら、空になった紙コップを握り潰し、部屋の隅のごみ箱に投げる。
弧を描き、空を舞う紙コップ。皆が不安げにその軌道に見入る。
壁に当たってバウンドした紙コップは、当たり前の様にごみ箱に入っていった。
「入った!」
綾香が手を叩きながら飛び上がる。
彼女が勝手に提唱した、紙コップ占い。
「入りよった!」
優奈がギターを置いて立ち上がる。
「壁にバウンドさせるとは、また腕を上げたわね」
祐子が眼鏡をずり上げ、ベースギターを背負い、立ち上がる。
「ライブの成功間違いなしだよね」
杏子が立ち上がり、皆を見渡す。
誰からともなく、メンバーが控室の中央に集まりだした。
皆の顔を見渡し、杏子が右手を輪の中央に差し出す。綾香が、優奈が、裕子が、最後に早紀がそれぞれ、右手を重ねていく。
「こんな事いっちゃうと、あれなんだけど」
もう一度、皆の顔を見渡す杏子。
「悲しかったり、悔しい思いもしたけど」
杏子の言葉に頷くメンバー達。
「地球を守るために、銀河一のアイドルになろうよ!」
頷いた皆が笑顔で叫ぶ。
「コス☆モス、ファイト!」
*
古びた鈍い色を反射する階段を上がる。誰もが夢見る、栄光の舞台への階段。
幕の内側の舞台上には、淡いライトに照らされた、四本のマイクとドラムセットがあった。
中央に二本並ぶマイクの前に、杏子と早紀が立つ。
「なんか、ふっ切れちゃったね」
杏子が早紀に話しかける。
「馬鹿なこと言ってないで、一曲目のキー、ちゃんと合わせてよ」
いつも通りの早紀の言葉に、杏子は笑顔で「うん」と頷く。
マイクを握り目を閉じる。
鮮明に蘇る、此処までの道のり。
泣いて、笑って、泣いて、泣いて……
泣いてばかり。
今、栄光へのこの舞台で、そっと、振り返る物語。