第二王子
体勢を低くとり、浮走板で突っ込んでくるネリーネに、こちらも浮走板に乗ったフロアリュネは、ほとんど反射的に宙に跳んだ。
浮走板ごと宙返りする形で、ネリーネの剣を受け流し、そのままフロアリュネは後方をとって追走する。
「ちっ」
ネリーネは舌打ちしつつも、愉しそうな笑みを口の端に浮かべ、急反転、急停止と曲芸のように横っ飛びするように、フロアリュネにぶつかっていく。
それにフロアリュネは逃げずに迎えうつ。
互いに剣を繰り出し、もつれるように受け身をとって地に降りた。
「おおう!軽業師のようだな」
見学していたジルレール王子が、二人の身のこなしに思わず感嘆を口にする。
それに、まったくですと、エルは心の中で同意した。
もとより幼馴染みのフローネの飛び抜けた運動神経と、身の軽さはエルの知るところだったが、浮走板を使用した模擬戦における女剣士二人のそれには、感心するより呆れてしまう。
それにもまして、王子を前にした模擬戦で、まるで固くなっていない度胸の良さは相変わらずと言うべきか。
第二王子の訪問に、エル自身は萎縮してしまい、さりげなく距離を置いていた。
同様に、ジルレール王子の護衛騎士達に遠慮するように、リステイルもエルの近くに移動してきている。
「さすがフローネちゃんだ。ネリーネの突っ込みに対応できるとは、大したもんだよな」
正直、自分でも苦しいだろう変則的なネリーネの攻撃をしのげたフローネには、リステイルも高い評価を惜しまない。
自分の側まで戻ってきた浮走板に跳び乗り、ネリーネはリステイルの前に滑るように飛んできた。
「おっもしろいね」
身の軽さでは第二師団でも指折りであるネリーネだったが、この魔導具をあっという間に使いこなすようになった。
ネリーネもまた、予想外の観客の存在など知ったことかとばかり、いつも通りの振る舞いをしている。
王族など、遠い存在過ぎて、気にするのも馬鹿らしいと、ネリーネは思っていた。
「君がフローネちゃんと同じように乗りこなしているからだろう」
「剣を使うのに体重のかけ方がちょい難しいんだよね。そのへん、慣れるしかないんだけど。でもさ、魔法使えないあたしが、飛翔みたいに宙に浮けるんだ。足場の悪い場所での戦いに使えるよ、これ」
リステイルと会話しながら、ネリーネは軽く周囲を滑空する。彼女には玩具といった感じか。
一方で、ジルレール王子は、傍らに呼んだデューレイアと楽しそうに話していた。
「公開試合でも気になっていたのだが、あの娘は良いね。できれば将来はわたしの傘下に欲しいものだ」
「フロアリュネは竜騎士を目指しているそうです。将来、彼女が竜騎士となれば、近衛に配属されることもあるでしょうね」
「ははは‥‥‥そう警戒しなくとも大丈夫だ。無理強いはわたしの主旨に反する。デューレイアも知っているだろう」
「殿下が腕の立つ者を、好まれていることは存じております」
ジルレールが騎士養成学校にもたびたび足を運び、特に見込みがある生徒に眼をかけているのを、デューレイアは知っている。フロアリュネが、本人の望みに添わないような、将来を見込んだ引き抜きの対象となることを、彼女は警戒していた。
このままいけば、フロアリュネは一級品の魔導騎士となるだろう。
そして、彼女は容姿もまた優れている。
等しく腕が立つのであれば、見栄えの良い者を側にと望むのは、ある意味当然のことだ。
「無理な引き抜きはしない。約束しよう」
心配するなと、ジルレールは重ねて約する。
「ところで、デューレイアは知っているかな?明日にも公表されるだろうが、王太子妃殿下がお二人目の御子を懐妊された」
「それは、おめでとうございます」
「まったく、めでたいことだ。おかげで、わたしはより自由に動ける。結婚しろと煩く言われなくなったしね」
ジルレールの王宮で公然と囁かれている彼の性癖についての噂は、デューレイアも当然知っている。デューレイアだけでなく、こういうことに疎いカウルスでさえも、幾度も耳にしているのだ。
現在のエール=シオンには有能な王太子が存在し、まだ幼児ではあるがその跡継ぎである息子がいる。そして、さらに二人目の子を王太子妃が身籠もったというのだ。
王太子の第二子が誕生すれば、王太子の弟であるジルレールが、王位継承権を返上するのも認められやすくなるだろう。
実際、ジルレールは王族に留まるにせよ、臣籍に下るにせよ、王位継承権の返上の意思があることを、早くから公言していた。
それらの事情を踏まえ、ジルレールはデューレイアに、フロアリュネとは別の意味で欲しい者がいるとの宣言を口にした。
「これで心置きなく、口説けるというものだ。そうだろう?」
「殿下」
キツイ眼を向けるデューレイアに、慣れたものだとジルレールは、顔に貼り付けた柔らかな笑みを崩さない。
「正々堂々と口説くのであれば、文句はなかろう。君も、金殿も」
王子の堂々としたライバル宣言に、デューレイアは眉を顰め、黒と銀の師弟を見やった。
突然と言って良い、何しろ先触れが来たのが昨日のことだ、第二王子の来訪には、研究室の主であるブランもまた、顰めっ面をしたものの、さすがに相手が相手だ。格別の理由もなしに門前払いができるはずもなく、渋々王子とその侍従、護衛騎士五人とともに、研究室に迎え入れたのだった。
「無理を言ってみせて貰った甲斐があった。話に聞いたとおり、使い方次第では有用な道具になりそうだ」
侍従に命じ、呼び寄せたブランとルディシアールに向かって話しかける。
「問題は持続時間と乗り手に修練が必要なことです。後は、数になりますが」
「随分複雑な術式が仕込まれているのは聞いている。丸ごと写すなら、相応の職人で何とかなるだろう」
そこで王子は、フローネに目を向けた。
「あそこまでの技術を求めずとも良いと思うのだが」
「彼女達は易々と乗りこなしたように見えますが‥‥‥誰もがあのようにはできない」
ブランは自らの作品である浮走板の利点と欠点を冷静にあげていく。
「ただし魔導具であるため魔術師でなくとも使え、沼地や水上であっても移動できます。持続時間は浮くだけであれば半日、普通に移動するならばその三分の一、先程のような使い方をするなら更にその四分の一程でしょう。予備の魔石を予め付けておけば、その倍は延長できるにせよ、使用時間の制限は考慮しなくてはなりません」
「なるほど、黒の魔術師殿は百、千単位での運用を想定していると?」
「戦において数を揃えることは、第一と言って良いでしょう」
むろん「数を揃える」ということには、武器や装備、糧食など運用するために必要となる要素すべてを含めての話である。
「つまり最低でも千程度を想定せねば意味はないといわれるか。配備と訓練、なるほど一朝一夕にはできぬ話だ。だが、騎兵に勝る点はある。むろん、劣る点もだ」
それを理解できるだろう王子の聡明さに、ブランは表情を緩め、軽く頭を下げ礼をとる。
「軍における利用については、貴殿や軍務卿が考えるだろう。わたしとしては‥‥‥そうだな、わたしが使える物があれば良いのだが」
「はい?」
「以前、海軍の視察に出向くのに海沿いに移動した際、浜辺で地元の者が波乗りというものをしていたのを目にしたことがある。さすがに試してみることはできなかったが、これならば止められまい。波乗りならぬ風乗りというべきだな」
要するに、楽しそうだから自分もやりたいと、ジルレール王子は言っているのだ。
そういえば、ジルレール王子は兄である王太子とは七歳離れており、まもなく二十歳になるくらいである。若者の好奇心から、面白そうな玩具に手を出す気分なのだろう。
思わず、ブランは王子の護衛の責任者へ顔を向けた。
ジルレール王子の護衛は近衛の中でも腕利きで、その責任者たるアウデイル騎士爵は灰色の髪をした壮年の体格の良い男性であったが、困ったように苦笑してみせる。止めに入らないと言うことは、つまりはブランに一任、押しつけたということだろう。
「カレーズ侯に渡すつもりであった物がいくつかあります。それで、よろしければお使いください」
自分の見ている前で試してくれた方が、いくらかマシだとブランは考えた。あくまで、ここで試すだけだ。さすがに、進呈するつもりはなかった。
「あー、あれはダメだな。フローネちゃん首を傾げてる」
王子に請われて、フローネが実践してみせつつ、乗り方を教えているのだが、どうも、上手くいかないようだ。
ルディ達と離れた位置から見ているリステイルは、誰か代わった方が良いと言う。
聡明な彼女ではあるが、感覚的なものを伝えるのは難しかったようである。
容易に乗りこなしてしまった彼女にしてみれば、できない者の感覚がわからなかったのだろう。何故できないか理解しえない者が、教えることは難しい。
「ルディがやれよ」
「僕よりエルのが上手いじゃないか。それに僕は、人に教えるの下手だし」
「馬鹿言え、王子様だぞ。お前、一応製作者の一人だし、伯爵令息だろ」
「それとこれとは別だって。エルの方が絶対上手い」
リステイルの言うとおり、フローネが教授役として役立たずだということは明らかで、どちらが代わるか、こそこそと、二人で押しつけ合う。
ここにいる乗りこなせている者はネリーネ、フロアリュネ、エルトリード、ルディシアールであるから、ネリーネはその性格から最初から論外であり、もうエルかルディしかいないのだ。
「大丈夫、先生がちゃんと危険がないように見ていてくれるって」
エルは思いっきり辞退したのであるが、こういうときに何故かルディには勝てない。
「殿下、エル、エルトリードにコツをお聞きください。彼も上手く乗りこなせていますので、適任かと存じます」
エルの背を押し、ルディはささっと推薦してしまう。
横で、フローネがほっとした顔をしたのに気づいたのはエルトリードだった。
「あ‥あの‥‥殿下。自分は‥‥その‥エルトリードと申します」
なんだかんだ言っても、エルは面倒見が良いし、気を遣える。相手が王子とあって、極限まで緊張していても、結局一番適任ではあった。
「それでは頼む、エルトリード。‥‥‥そのように固くならずとも、もっと気安く話しかけてもらえれば、わたしも嬉しい。銀殿もだ」
「あの、仰せではありますが、僕はまだ異名持ちではありませんので、どうかその呼び方はお許しください」
銀は己の髪の色であり、いずれ己の異名に冠される名となる。
すでに一人歩きをはじめている名であり、自らが背負う名だ。
けれど、自分はまだ呆れるほど未熟であり、雛でしかない。
黄金の名を背負う養母や、黒の名を背負う師と同じように呼ばれる資格は、まだないと、ルディは思っている。
「そうか。ではルディシアール、いやルディと呼んでも構わないか?」
「えっ?‥‥‥」
「私的な場でだけだ。‥‥‥ああ、黒殿が睨んでいるな。君を困らせるつもりはないのだが。なるほど、カレーズ侯に言われたとおりだ。彼も存外、心が狭い」
後半は愉快そうに独りごちる。
ジルレールはルディとの会話はそこで終わらせ、エルに乗り方のコツを教えてもらうことにした。
その後、何度か落ちながらも、ジルレール王子は筋が良いのか短時間なら乗っていられるようになったのだった。
「ねえ、護衛騎士様、あたしと手合わせしてくれないかな」
風乗りと、王子が呼んだそれに夢中になって興じる間、ネリーネが護衛騎士に手合わせをふっかけた。
「近衛っていうからには強いんでしょ。同じ第三師団の竜騎士様とどっちが強いの?」
ネリーネは、近衛連隊が属するのと同じ第三師団のリステイル相手には、勝ち星が先行しているが、あまり相手をしてくれないというのもあるが、カウルスにはまだ勝ち星がない。
腕が立つという前提で、使い捨てても良いとルディの護衛に抜擢されたものの、第二師団の平兵士であるネリーネが近衛騎士と手合わせできる機会など、普通ではありえない。
この好機に、ぜひともやり合いたいと、半ば喧嘩をふっかけるように手合わせを申し込んだのだ。
「またアンタは」
デューレイアが渋い顔をする。
平兵士であるネリーネが、プライドの高い近衛騎士に喧嘩を売るのは好ましいことではなかった。
自分や、まだカウルスのような目下の者に対し面倒見の良い者ならともかく、とかく近衛騎士は格が高いという矜持を持っている者は少なくない。
もめ事を起こされるのはゴメンだ。
「殿下の護衛勤務中にそんなことできるわけないでしょ。大体、カウルスはともかく、わたしにだって勝ってないでしょう」
「言っておくけど、負けたわけじゃない。丁度良い、決着つける?」
「アンタとマジにやると殺し合いになるからね」
そこでデューレイアは護衛騎士達に視線を流す。
この会話でネリーネの実力を彼等に知らせたのだ。
第一師団の殲滅の紅焔ことデューレイアの強さは、王国軍でもよく知られている。
二つ名持ちとはいえ女と侮って、デューレイアに叩きのめされた騎士も多い。もちろん、彼女より腕の立つ者も少なくないが、そういう者達は大抵、互いの実力を尊重し、彼女に喧嘩をふっかけたりはしないのだ。
「お願いします。アウデイル隊長、少しだけ彼女の相手をしていただけませんか。殿下には、わたしから許可をいただけるようお願いします」
「ふうん。つまり隊長さんはアンタより強いんだ」
デューレイアが、アウデイル隊長をわざわざ指名した意味を、ネリーネは違わず受け取った。
第二師団の腕利きとはいえ、平兵士に喧嘩を売られて近衛騎士がそうそう負けるわけにはいかない。となれば、確実に勝てる腕があるから、デューレイアはアウデイル隊長に頼んだのだ。
「美女の頼みを断るのは野暮ですな」
腕の立つ者を好むジルレール王子だ。自身の護衛騎士を、身分や見栄えで選ぶ真似はしない。
女性に殺し合いになるような立ち合いを、させるわけにもいかないと、騎士の精神を発揮してくれた隊長に、デューレイアはニッコリと微笑む。笑顔一つで男が気持ちよくやる気になってくれれば、惜しむものではなかった。
まだ乗りこなすとまではいかないが、なんとか真っ直ぐに進むことができるようになり、ジルレールはひとまず満足したようだ。
「これはわたし用に貰っていきたいところだが、勝手はできないか」
今の時点では進呈できないとブランは言う。
それは相手が王位継承権を持った王子であるからだ。
まだ試用段階の魔導具で、王子が大怪我をすれば問題になる。
「ところで、黒殿というか、ルディシアールに一つ頼みがある」
ジルレール王子の望みを、ルディはブランから聞いて仰天した。
「えっ?夕食を?」
「殿下がそう言われている」
侍従が、驚きに目を見開いたルディに、その通りだと頷いてみせた。
「無理をいっているのは承知のうえです。ですが、殿下はカレーズ侯が褒められていたという貴方の料理を食べてみたいと仰せです」
「あの、失礼ですが、カレーズ侯爵様が僕の料理を褒めたと、殿下が仰られたのですか?」
「なかなか美味かったと、随分と称賛されたようです」
「えっ?ええええっ!」
寝耳に水で、思わずルディは叫んでしまった。
「先生っ」
カレーズ侯とつながる線といえば、ルディの心当たりはローレイかブランだ。
ローレイには校外学習の時とかに供したが、それだけだった。
「昼食時に訪ねてこられてな‥‥‥最近はずっとたかられて困っていた」
「せっ先生ったかられたって、部下の方とかじゃ」
ルディも、ブランに昼食時を狙ってくる困った奴がいると聞いてはいた。だから、空間収納具があることだし、常に余分に料理を持って行ってもらったりしたが、ブランの口ぶりから部下の誰かではないかと思っていたのだ。
「奴らは最近じゃ昼食の時間には寄りつかん。無理はないがな」
「だっだからって、カレーズ侯爵様に、僕の‥‥‥」
「強請られてな。口にあったのか、味を占めたようだ。俺がいるときには昼食をたかりにくる。まったく、侯爵ともあろう者が‥‥‥ルディ?」
顔を蒼白に染めた教え子に、ブランはまずったかと思う。
もう少し柔らかく、ショックの少ないように知らせておくべきだったかもしれない。
「食わせろと言ってきたのは向こうだし、気に入ったからたかりにくるんだ。文句があるなら食わなければ良いだけの話だ。お前が気にすることはない」
今回の王子の望みも同じだ。
「そ‥そういう問題じゃ‥‥」
「そういう問題だ」
とはいえ、ルディの心情を思えば、一応断ってやるべきだろう。
「殿下、申し訳ないですが、そのご希望にはいささか応えかねるかと存じます」
興味深そうに、いやはっきりと面白がって、少し離れたところで師弟のやり取りを目の端にとめていたのであろうジルレールに、ブランは頭を下げた。
「料理に文句はつけないと約束しよう。わたしの我が儘だ。‥‥‥それでもだめだろうか」
ダメだろうかって、王子にそこまで言われて断れるはずもない。
ルディが泣きそうな顔で、ブランと侍従、それからアウデイル隊長を見るが、皆、緩くクビを横に振ってみせる。
侍従は、王子の食事だけで良いと言い、アウデイル隊長は、自分たちは任務中であると固辞した。同じく抜けさせてくれというリステイルとネリーネに、ルディは彼らの分を含め、作り置きであるがバゲットのサンドイッチを渡した。
デューレイアとカウルスには、ブランが問答無用で同席を言い渡していた。
また、話を聞いて逃げ出そうとしたフローネとエルは、涙目のルディに引き止められ、手伝いをすることになった。当然、食事の席にも強制参加だ。
侍従の人が、料理の味見と称し、その実、毒見をしにきたが、これは彼の役目であり、仕方ないことだと、ルディも承知した。
すでに下拵えをしてあった角兎のフリカッセが、夕食の献立である。
それに作り置きがしてある岩猪のベーコンと茸に香草のジュレと、コンソメスープ、ポテトサラダを収納空間からだす。今日に限ったことではなく、パンまでは焼く時間が取れないため、人気パン屋の焼きたてを買いだめしてある。もちろん収納魔法のおかげで、それらも作りたてと変わりはない。
食器も普段使いの物しかないが、仕方ないだろう。
まさか、研究室での食事に王族が同席するなど想定外だ。
まあ、身分でいえばブランは准将軍という高位武官で子爵、ルディは伯爵令息で、デューレイアも自身は魔導騎士爵で伯爵家の出である。それにカウルスは実は男爵家の跡取りだったりする。とはいえ、ブランやルディは別に本人達が望んで貴族になったわけではないし、デューレイアもカウルスも基本無頓着だ。よって普段はそんなものは出番がない。
ルディは恐縮していたが、王子はまったく気にしていないようだった。
旅で野営するときなどは、騎士たちと一緒に大鍋料理を食べるのだとか、愉しそうに話していた。
王城へ帰る馬車のなかで、ジルレール王子は至極機嫌が良かった。
馬車は高級品ではあったが、高位貴族が普通に使用する程度のものだ。とはいえ、乗り心地は一般の物とは格段に違うし、堅固に造られ、万一の襲撃にも対応できるよう防御の魔導具が組み込まれている。
「気の置けない食事とはいいものだ」
なるほど、ルディシアールの作った料理は美味かった。もちろん、王城の料理人といった専門家に勝るとまでは言わないが、ほっとするような味わいで、舌の肥えているはずの王子であっても十分に堪能できた。
「それに思っていたとおり可愛いな、銀の雛は。口説き損なったが」
残念そうに、向かい側に座る従者にジルレールは語った。
今日、伴った彼はジルレールより四歳年上で、第二王子付きの従者のなかでも、特に側近の位置にいる者である。執事であり、秘書に近い存在でもあった。
「殿下のお好みは黒殿とお聞きしていましたが、やはり銀の少年も気になるとおっしゃいますか?」
「あれだけの美少年だ。しかも、困った顔といったら、ふふふ‥‥‥そそるではないか。黒殿には睨まれたが、つい虐めたくなる」
主の本音に、侍従は毎度のことながら困ったものだという表情を隠さない。
「それ以上に、黒の魔法殺し‥‥‥あれを組み伏せ、啼かせたら、たまらないだろうな」
怜悧な美貌を己の下で歪ませたいというのは、至極支配欲を刺激する願望だ。
「殿下」
主の性癖を知り尽くしている侍従としては、ため息を飲み込むしかない。
「デューレイアにはああ言ったが、案ずるな、手はださん。出せぬよ。その位は心得ている」
戯れで口説けるような相手ではないし、本気で欲することは、自身の破滅につながると、ジルレールは理解している。だからこそ、己の感情をある程度抑えて付き合うし、その術は王族として身につけているつもりだった。
いくら兄である王太子の立場が盤石といってよくても、考えなしの行動は、第二王子であるからこそ許されるものではない。
異名持ちを欲することは、力を欲することだ。
いらぬ野心があると勘繰られるのは、面白くない。
ただし、「ちょっとばかり」弄る程度はかまわないだろうとは考えていた。某侯爵閣下同様に。
「早く継承権を返上し、臣下に下りたいものだ」
その方が、おそらく自分はこの国のより役に立てるだろうと、ジルレールは確信している。
なにより、王などという、重くやっかいな地位など、彼は一度も欲したことはなく、その座に着く恐れるある立場からさっさと逃げ出したいと思っていた。
更新が遅いです。申し訳ありません。




