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求めるもの

後半、ルナリア樹海都市迷宮部分を修正しました。

 帰ってくるなりルディはベッドに倒れ込んだ。

 「随分疲れているようだけど、どうしたんだい?」

 時間的にも随分と遅い。

 図書館から借りてきた本を閉じて、机からローレイはルディの方に向き直った。

 「リュレ様に呼ばれて‥‥‥特訓だったんだ」

 リュレに館に帰ってくるように言われ、外出許可を得てから、デューレイアを連れて転移した。

 待ち構えていたのは、リュレに招かれた家庭教師達であった。

 「礼儀作法と社交ダンス‥‥‥食事だって、食べた気しないよ」

 ああ、そういうことかと、ローレイは納得した。

 それは大変だっただろう。

 貴族の子弟であれば、親や、お金に余裕があれば専門の家庭教師を招いて、幼いときから教育されるものだ。

 ローレイも当然、礼儀作法については厳しくしつけられたし、社交ダンスも習った。

 上級貴族の継嗣となってしまったルディに、貴族(そういった)教育を施すのは当然のことである。

 時間のある時には今でも王宮儀礼をルディに教えているローレイからしても、ルディは教えやすい良い生徒だと思う。

 必要なことだと自覚しているから、真剣に学ぶし、素直で、覚えも良い。

 家庭教師達も、きっと熱心に教えたことだろう。

 しかし、礼儀作法は普段の立ち居振る舞いにも及ぶ。繰り返し、徹底して身体に覚え込ませなければならないものだ。

 貴族になりたくてなったわけではないルディだ。さぞかし苦行であるだろう。

 「リュレ様ご自身が名門伯爵家の出身であられるから、そこは仕方ないだろうね」

 「ローレイ君達に教えてもらってるから、少しはマシだったんだ。でも、見直すからって、日常のこともあるから、基礎からしっかりやろうって。‥‥‥そりゃあ、僕のためだってのはわかるんだ。でも、せっかくのケイレイさんの晩餐料理。緊張して味、わからなかった」

 しかもこれから休日の午後には、必ず帰ってきて、授業を受けろと言われたのだ。

 「それじゃあ、僕とネルフィル君で普段も注意してあげよう。復習もね。今まで以上に、厳しくいくよ」

 「ローレイ君‥‥‥」

 思わず泣きが入る。

 情けない声をだしたルディに、ローレイは楽しそうに笑った。

 この聡い友人は自分の立場を良くわかっている。

 だから愚痴をこぼしながらも、一生懸命学ぼうとするのだ。

 護られ、与えられた身分に溺れないために、必死で自分の力にしようと足掻いている。

 ほんとうに、この友人と一緒にいると、自分のこともよく見える気がすると、ローレイは思う。

 何度、自信が自惚れの境界を踏み越えそうになったのに気づかされたことか。

 ローレイは自分が出来の良い子供であると知っている。

 大国の侯爵家に生まれ、才能に恵まれ、努力もしてきた。それによって、魔法も武技も知識も、人並み以上のものを身につけつつある。優秀すぎて可愛げがないとみられていることも、ローレイは知っていた。

 だが、それがなんなのだ。

 才能は磨けばいくらでも光るが、精進を怠ればたちまちのうちにさびていくものだ。力もまた、振るう場所があってのものである。

 力は、身を助けるも滅ぼすも使い方一つだ。

 ルディと一緒にいると、それがつくづくよくわかる。

 おかげで、退屈しない学校生活を送れているし、将来設計を見直すことにもなった。

 父の持つ地位、軍務卿など、面倒な身分だと思っていたが、この放っておけない友人と付き合っていくなら、権力はある方がよさそうだ。

 なにより、人任せにするのは面白くない。

 そんなふうに考えるようになった自分に苦笑する。

 入学して、彼と同室になったときには、まさかこんなふうになるなんて、予想していなかったと。




 遠ざかる王都を箱馬車の窓からヴェルは些か感傷にふけった気分で見ていた。

 自分が王都に来ることは、もうないだろうという確信とともに。


 外務卿ウルスレイル侯爵の邸宅からの使者が白兎亭を訪れた時には、弟子であるマティリアーナはもちろん、女将達も仰天したものだ。

 外務卿は代々芸術に造詣が深く、画家や音楽家などの優れた才能を持つ者達の後援者としても有名であった。

 芸術を口実に場を設ける等、外交に効果的な手段にもなり得るからであるが、当代の侯爵であるランドルド自身も、殊に音楽には煩く、有望な若手音楽家を援助している。

 その中には、つい最近王都の劇場で新作の歌劇を発表し、大いに評判になった実力者もいた。

 しかし、言ってはなんだが、一介の吟遊詩人をいきなり侯爵邸に呼びつけるなど、ないとはいわないが、非常に珍しいことだった。

 「王都に来る前に、故郷の御領主様ゆかりのお館で演奏したことがあったのですよ」

 ヴェルがセデスアルノの出であることは、皆が知っていた。

 「えーっ、すごいわ。御領主様ゆかりの館なんて、すごく偉い人のところでしょ」

 マティリアーナは素直に感嘆する。

 実際これは嘘ではないため、ヴェルも気を咎めることなく話すことができた。

 「その方は、以前よりわたしの歌をたいそう気に入ってくださり、贔屓にしていただきました。たまたま、その話が侯爵様のお耳に届いたのでしょう」

 実は、ヴェルの歌を気に入られたその方が具合を悪くされたという話になって、マティリアーナは納得し、破顔した。

 「お見舞いにってことよね。師匠を選ぶなんて、さすが侯爵様だわ」

 「わたしも、大任を言いつかって驚きです。‥‥‥そのような事情で、少し早いですが、故郷に戻ることになりました」

 「侯爵様の使者と一緒に行くんでしょ。タダでしかも安全に帰れるなんて、師匠ってば、運が良い。羨ましいわ」

 白兎亭を引き払うときに、ヴェルが話した事情は、話し好きなマティリアーナによって、あっという間に拡がるだろう。

 実際に、外務卿を通してウェスカ王国にはそのように話を通すことになっている。

 見舞いという名の外交として、エール=シオンの使者はウェスカからの使者を主に立てて、随行の形でセデスアルノを訪れる予定だ。

 エール=シオンとしては、ヴェルの身元を隠し、ウェスカからセデスアルノに入らせるために、そのような筋書きを用意したのだった。


 外務卿ランドルド・ウルスレイル侯爵の館に招かれたヴェルは、その夜に館の主との対面が許された。

 「ヴェラール・グラーノ殿、貴殿にアリアス領を継いで貰いたい」

 ランドルドは率直にエール=シオンとウェスカの要望を告げる。


 かつてのアルドグレイグ王国があった地に、現在国家として存在する国々。

 彼の国々を統べる家は、すべて旧アルドグレイグ王家と血縁があった。それこそ、百年前の婚姻であっても、国としての血統の基である。

 滅んだ国の王家とはいえ、旧アルドグレイグ王家の血はこの地を支配する正統な血統たることを主張できるのだ。

 セデスアルノ大公家もその一つであった。

 だが、公国の支配下にある伯爵領の後継者については、その直系がいないから養子を迎えるというのは、本来なら問題ないこと(それだけのこと)だ。

 その地、アリアス伯爵領が旧アルドグレイグ王都でなく、領主の妻がアルドグレイグ王国最後の王女の娘でさえなければ。

 むろん公式に、アルドグレイグ王家末裔の姫にしてアリアス伯爵夫人レニエに子がいないのだから、跡継ぎに養子を迎えるのは仕方ないことではある。

 しかし、その養子をアリアス伯爵の故国、マルドナーク皇家の縁戚から迎えたというのは、大きな問題となった。

 セデスアルノ公家の直系に、アリアス伯爵を継げる男子がいなかったことからも、マルドナークの申し入れを断れなかったのだ。苦肉の策として大公家の遠縁の娘を嫁がせたが、その娘はアルドグレイグの血を引いてはいない。

 マルドナーク皇国の勢力が拡大することを恐れたウェスカ王国を始めとする近隣諸国は、アルドグレイグの血を少なからず引いているとされる者をアリアス伯爵の後継者に据えることを、セデスアルノ公国に申し入れた。

 これは他国への干渉行為であるのだが、かつてのアルドグレイグ王都であることと、レニエ姫の存在から、正統性を口実にしたのだ。

 名実共にアリアス領がマルドナーク皇国に実効支配されることを、ウェスカを始めとする周辺諸国だけでなく、実はセデスアルノも望んではいない。

 また現在においても、マルドナーク皇家の庶子であるアリアス伯爵が、マルドナークを極端に優遇する姿勢で領地を治めていることも、領民は反発心を募らせていた。

 未だアリアス領の民から、アルドグレイグ王都であったという誇りが失われてはいないのである。

 同時に、セデスアルノ公国は、マルドナーク皇国とエール=シオン王国の間に存在することで、両国間の緩衝の役割を果たしているといった事情があった。


 六十余年前にアルドグレイグ王国が滅んだように、現在も国家間の争いは皆無ではない。

 それでも、三大国の均衡により、西方大陸の多くの国は一応の平和を得ているといえる。

 だからこそ、一旦三大国が直接矛を交わすような事態が起これば、戦火はたちまちのうちに西方大陸すべてへと燃え広がるだろう。

 であるから、彼の国とは慎重に、適度な距離を持ってお付き合いをしたいのだといったことを、ランドルドは語った。

 「そのためにも、セデスアルノには良き隣人でいて欲しいのですよ」

 身勝手な大国の理屈であると、ヴェルはどこまでも穏やかな表情を崩さないエール=シオンの外務卿をみつめた。

 結局のところ、自国のために隣国に、自分という火種を送り込もうというのだ。

 行き着くところは、傀儡と操り手が変わるだけの話であり、アリアス領のことを思ってのことではない。

 しかし、そんなことはもとより承知のうえだ。

 身勝手なのは自分も同じである。

 この身を守る後ろ盾となり得るのが、エール=シオン王国以外にはなかったからだ。

 ヴェルもまた、エール=シオンを利用するのだから。

 「我が身可愛さに、生まれを隠し、吟遊詩人として生きてきました。母上に、先行き短いかの方に会わなければ、生涯名乗り出ることはなかったでしょう」

 「母君のためといわれるか」

 「そう思っていただいて構いません。最後に一つ、母上の願いを叶えて差し上げたい。わたしの望みを叶えていただけるのならば、精一杯良き傀儡を演じてみせましょう」

 魔導具店の店主に、わざと誤解させるような言い方をしたことへの意趣返しのように、亡き父の二つ名である黒曜を名乗って白兎亭を訪ねてきた黒の魔術師。

 最後の選択の機会となる彼を前にした時に、ヴェルは自分が引き返すつもりがないことをわかってしまった。

 自分がずっと求めてきたものを、得ることがかなう最後の機会だ。

 地位が欲しいのではない。安全で平穏な生活を投げ打って求めるものは、母の微笑み一つという、馬鹿なものだ。

 儚い笑みしか見たことのないかの人の、心底からの微笑みが欲しい。父の面影ではなく、自分を見て、自分に微笑んで欲しいのだ。

 彼女の願いをかなえると言ったなら、母は微笑んでくれるだろうか。

 ヴェルの本音はともかく、そんな馬鹿な望みを口にして、信じる者がどれほどいるだろう。

 少なくとも、最初は目の前の外務卿に、信じてもらえるとは思えなかった。

 だが、同時に真実を語ることがで示される誠意がなければ、ランドルドは自分を認めなかったに違いない。

 「ここは、良き領主になると言っていただきたかったものです」

 これはまた扱いの難しい駒を用意してくれたものだと、ランドルドはレニエ姫の息子を評した。

 まだ、自身の出自を認められたい。レニエ姫の唯一の息子としてアリアスを名乗って、力や財を得たいのだと言ってくれた方が良かった。

 そのような野心を持つ俗物の方が、余程扱いやすい。

 たてまえではなく、真実ヴェルは地位とそれがもたらす権力に興味はないのだと、ランドルドは見て取った。

 刹那の望みのためだけに、人生を差し出したのだと。

 だが、だからこそ、この男は本物だと、疑いなく認められた。

 ヴェルの出した唯一の条件、あるいは望みは、レニエ姫との正式な対面である。

 それは良い。むしろ、こちらとしても望ましいことである。

 なにしろ、投入する時機とあわせて、あつらえたような絶好の駒である。それこそ、敵味方双方とも出自を疑いたくなるくらいに。

 レニエ姫の息子であると証明できるものはあるが、彼女自身の口で、己が産んだ子であるとの証言が得られれば、それ以上のものはない。

 だが、血統と名とともに、この男はレニエ姫の哀しみを継いでしまうだろう。

 愛する者を奪われ続けた女の望みを叶えることが、目的だというのだから。

 それがもたらすものは、平穏とは真逆のものだろう。

 だとしても、この駒を使わない選択は、エール=シオンにはなかった。

 使わなければ、さらに不利な手を黙認するしかないのだ。

 外務卿が打つべき手として、すでに決まっている。

 そして、自分にこの駒を寄越した同僚にも、苦労して貰えばよい。そのくらいは、折り込み済みであろう。

 要は、この駒を盤面に置いて、そう簡単に倒れないようにすればよいのである。




 エール=シオン王国の南西地方、ユエ共和国との国境近くにある、ルナリア樹海都市迷宮。

 その名の通り、古代の都市遺跡を内包した樹海迷宮である。

 迷宮化した樹海は約三十年周期で爆発的な増殖期を迎え、その姿を変えるため、樹海に沈んだ古代都市遺跡は未だに攻略されるどころか、その深部に足を踏み入れることすら難しい。

 その遺跡は、遥か古のエルフが存在した時代のものであるとも、彼の天空城とも繋がりがあるとも、噂されていた。

 稀に、都市遺跡に到達した探索者によってもたらされた貴重な遺物の中には、現代では作ることのできない魔導具があることも、その説を有力なものとしている。

 前の大繁殖が二十七年前だ。

 いつ増殖期が訪れてもおかしくないという状況で、遺跡の未知なる建物の扉が見つかった。

 大繁殖直前に新しい遺跡が発掘されることは珍しくない。

 だが、約三十年かけて樹海の深部に到り、遺跡をみつけることができたとしても、大繁殖が起これば姿を一変させる樹海迷宮は、それまでの路のすべてが失われるのだ。

 魔樹が異常増殖する間、樹海迷宮は人が足を踏み入れることができない死地となる。

 大繁殖を控えた今の時期は、予兆を見逃さぬように注意しなければならないが、最も深く樹海に踏み込み、遺跡に迫れる機会でもあるのだ。

 遺跡で見つかる失われた技術で作られた魔導具や宝物の中には、とんでもない価値がある物も少なくない。

 だからこそ、一攫千金を狙った遺跡目当ての探索者などが、この時期集中して樹海迷宮に潜るのだ。


 「クソ爺、何度も言わせんな。危ねえから、言うこと聞けねぇなら、来るなって言っただろうが」

 自分だったらきっと雇い主だろうと構わず、そう怒鳴っていただろう。というか、実は何度か言っていた。

 でかい長剣を背負った逞しい男は、この石造りの広間の、入ってきたのと反対側の壁、一部が崩れているその側で、雇い主と話をしているアインロッドを視界に入れつつ、壁に背を預け、左腕を治癒士にみせていた。

 この広間に入る入り口で、襲ってきた毒トカゲの魔物を切り捨てたとき、毒液を浴びてしまったのだ。

 毒液のかかった左袖は、肩口から破り取り、水球の魔石を使って出した水で急いで毒を洗い流す。

 生臭い、黄色い嫌な匂いの毒液に顔を顰めながらクロマは、水で洗い流し、毒消しの薬をぶっかけ、爛れた左腕に治癒魔法をかける。

 一度の治癒魔法では、完治とはいかなかった。皮膚が赤く腫れて、部分によって火傷したように引きつった傷が残っているのに、もう一度治癒魔法をかけようとしたのを、当のホーンに止められる。

 「後は薬を塗っとけばいい。戻ってから余裕がありゃもう一回頼む」

 「でも、これでは痛みが」

 「利き腕じゃねぇし、我慢できんほどじゃねえ。魔力はとっとけ」

 振り回して、痺れといった毒の影響がないことを確認し、ホーンは平気だと言い切った。

 現場慣れしている探索者の判断だ。素人に毛が生えた程度の見習いとしては、従うしかないだろう。

 幸いというか、遭遇した毒トカゲは大型だったが強酸性の毒液を吐くタイプで、直ぐに傷を洗って処置をすれば、毒の影響はほぼ免れる。

 「念のため、毒消しの薬も飲んでおいてください。俺の魔力では解毒魔法まで使っちまうと、後がキツイんで」

 「おうよ。解毒の魔石も高えしな」

 樹海迷宮には毒を持った虫や爬虫類、その系統の魔物なども多い。解毒の魔石は多めに用意してきたが、万一の時に無いなんてことになったら、真面目に命に関わる。だから、使いどころを考え、消費を抑えるのはケチとは言わない。

 クロマも王都魔法学校の治癒士である。治癒魔法は多くの魔力を必要とするし、一部とは言え中級の治癒魔法を使えるクロマも、世間一般の治癒士と比較すれば魔力はそこそこ大きい。

 ただ、それでも迷宮内では魔力の使用は極力抑えるべきだった。特に治癒士の魔力を温存するのは、当たり前のことだ。

 クロマが薬を塗り、包帯を巻くと、ホーンは左腕を振り回した。

 「見習いにしちゃ、うまいもんだ。ありがとよ」

 入ってきた広間の入り口は、迷宮を構成する絡み合った樹木の枝やら蔓を切り開いたところに、偶然見つかった石壁を突き崩してできたものだ。

 大人が一人、屈んで通れるくらいの穴である。それは適当な木材で作られた板と、崩した岩壁の材料を使って、ふさがれていた。

 彼等はそれを開けて入ったのだが、今はツェリズナルドとクアーラ、マリーノの三人が、再び穴を塞ぐ作業をしている。

 内側に石材を簡単に積み上げ、穴を塞いでしまうと、地面に置いたカンテラを持って、石造りの扉の前で行われている話し合いの様子を、ちらちらと伺いながら、クロマ達の方に近づいてきた。

 先程のホーンの本音を、もう少し穏やかな言い方で雇い主たるテオドア・クレリックに何度目になるかの諫言をしつつ、この先の打ち合わせをしているのは、ホーンとマリーノの属するパーティ、黒砂の腕輪の初代リーダーであるアインロッド・メイナーだ。

 発見された遺跡の扉、目的地は崩れた壁の向こう側にある。

 アインロッドは腕の立つ弓術士で、傭兵と迷宮探索者の両方をこなすパーティ、黒砂の腕輪を立ち上げた人物だ。年齢は六十を超えており、この仕事を最後に、孫息子にリーダーを譲り、引退を決めていた。

 「爺さんが世話になった知り合いに頼まれて、断れなかったもんで受けたけどな。素人連れて樹海迷宮に潜るはめになるとは、まいったぜ」

 ホーンはやれやれと短く刈った淡い金髪の頭をボリボリとかく。

 迷宮探索者もやっているとはいえ、本業は護衛が主な傭兵寄りだ。迷宮にも潜るが、鉱石となった魔石の発掘などでの護衛など、補助的な役割を負うことがほとんどである。

 「年寄り一人だ。いざとなりゃ担いでいけばいいだろうさと、甘いこと言ったのはテメエだぜ」

 手当が終わったのを見て、話しかけてきたのはパーティの槍使い、マリーノだ。

 ホーンが二十六歳であるのに、マリーノは四十四歳のベテランであり、黒砂の腕輪の立ち上げ時よりいる先輩でもあった。短槍を持った彼の背はホーンより少し低く、引き締まった良い体格をしている。

 「悪かったな。まさかあんな爺とは思わなかったんだよ」

 爺とはいえ健脚なのはいいが、自身の興味を引くものを見つけるたびに、人の制止を無視して寄っていくし、注意しても言うことをきかない。

 何しろ樹海迷宮は古代都市遺跡を内に取り込んでいるのだから、彼方此方にその痕跡や欠片が散在している。

 エルフの遺跡研究に血道をあげているテオドアにしてみれば、興味深々といったところだろう。目に入った途端、他のことが頭からすっ飛んでしまうのだ。

 雇い主である以上、その要望は無視しきれないのがやっかいなところである。

 元は商人というが、引退して念願の研究に没頭できる環境を得たところで、過去の常識は綺麗さっぱり頭の隅に追いやられたか、こぼれ落ちてしまったに違いない。そんなことを、リーダーであるアインロッドは早々にマリーノにも愚痴混じりにこぼしていた。

 「そうかよ。俺は学者って聞いた時に、やっかいじゃねえかって思ったぜ。ったく、あいつらはなあ、自分の研究のことしか頭にねぇ迷惑な人種なんだよ」

 マリーノの言うことが、今回しみじみと実感できてしまったホーンは、舌打ちすることで反論を諦めた。

 二人が揃って、せめてここで待っていてくれねぇかと、アインロッドの説得に期待しつつも、無理だろうと思った通り、雇い主は頑としてこの先へも同行する意思を翻さなかった。

 「遺跡のなんたるかも知らん素人に任せられるかい。ここまできて貴重な遺物を見逃されでもしたら、ワシは丸損だわ」

 屈強な迷宮探索者相手に平然と言ってのける老人は、髪はもとは薄茶だが、半ば以上は白くなっており、かなり風通しが良い状態である。背は中肉中背といったアインロッドとほぼ並ぶくらいである。歳はアインロッドより上らしく、筋肉は大分落ちているものの背筋もまだまだ真っ直ぐのび、足腰もしっかりしたかくしゃくたる老人であった。

 崩れた壁の向こう側、下への階段を有した元は建物らしき遺跡の内開きの扉は、今は片側が開けられた状態だ。

 「だーめだ。入り口付近は見事に空っぽ。なんもねーぜ」

 下の偵察に行っていた三人が、階段を上がってきた。扉から顔を出すなり、ウィンドレッドは予想通りの結果を気の抜けたような声で告げた。

 「あったりまえよ。発見されてどれだけ経ってると思ってるの。見つかってすぐに、目敏い連中が粗方さらっていっているわ」

 黒砂の腕輪唯一の魔術師である女性、ミナエがわかっていたことじゃないのと、皮肉っぽく笑う。

 最後に出てきた迷宮の案内人であるセディアスが、それは前もってお断りしたとおりと、言い訳を口にする。先へ進むのが、気が進まないのは彼だけではない。

 「今更潜っても、お宝は見つからないと思いますが。本当に行かれますか?」

 「中はでかい魔物の気配はしねぇが、はっきり言ってめぼしいモン、全部かっさらわれてるぜ。なんもねぇからって文句いわねぇなら、行ってやる」

 さもなければこの爺さんの気がすまねぇだろうと、ウィンドレッドが言うのに、皆、諦めと納得の表情で応えた。


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