机上の書類
翌朝、朝食の席に時間どおりにエルが来ないのでどうしたものかと思っていたら、エルと同室の生徒が、まだ寝ていると教えてくれた。
「起こしてくる!フローネは先に食べてて」
エルにたたき起こされ続けた過去のあるルディが、どこか張り切って食堂を出て行く。
「珍しいなぁ」
フローネが聞いたところ、エルの同室者も一応起こしたという。返事はあったが、起きてこないので、出がけにももう一度声をかけたが、今度は返事もなかったらしい。
彼は当番だったため、時間も押しており、そのまま部屋を出たという。それで、食堂でルディとフローネを見つけたので、気を利かせて教えてくれたのだ。
フローネはエルとルディの分の朝食も用意し、言われた通り先に食べ始める。ただ待っているより食べてしまって、余裕、あるいは動ける時間を作った方が良い。
そろそろ食べ終わってしまうところで、ルディに腕を引っ張られて大あくびをしながらエルが食堂に入ってきた。
「わりぃ。どーにも起きれなくってさ」
「昨日頑張りすぎたせいでしょ。早く食べちゃわないと、時間なくなるよ」
急かすフローネに礼を言い、エルは眠そうな顔をしていたが、早速朝食に手をつけた。
昨日は、ルディが飛竜とやり合った後、エルはデューレイアだけでなく、カウルスにも指導を頼み、随分と粘ったのだ。
それでなくともここしばらく、エルは鬼気迫った顔をして、剣や魔法の修練に励んでいる。それこそ、指導するデューレイア達も、呆れるぐらいの練習量だ。
「あんまり無理しない方が良くないかな」
「だから、お前に言われたくねえって。せっかく現役の魔導騎士、それもすっげー腕の立つ人達の指導を受けられるんだぜ。気が済むまでやりてぇじゃねーか」
心配するルディに、エルは多少の無理は当然だと笑う。フローネにも、わかるだろうと振れば、彼女も頷くしかない。
「公開練習試合終わったら、騎乗戦の訓練も始まるでしょ。わたし達、馬術は貴族の人達より頑張らないとダメだもんね」
馬術を教養として習得する環境で育った貴族の子弟と比べれば、それは仕方ないことだ。勘の良いフローネであっても、努力と時間は必要となるだろう。
「おう、そっちに時間取られることはわかってるもんな。今のうちにやれるだけやっときたいんだ」
「うー‥馬かぁ。それ、僕もだ」
野営訓練の時の反省でもあったルディは、自分もきっと特訓になると、情けない顔をする。過去のデューレイアによる馬術指導を思い出したのだ。
「頑張ろうね」
「う‥うん」
自分よりずっと上達の早いフローネでも、力を入れて頑張るというのだ。合格点をもらうために、自分はどれだけ頑張らないといけないか、ルディは考えると気が重くなる。
「でも、エルも無理しすぎはダメだよ」
フローネから見ても、この頃のエルは少し余裕がないようにみえる。ルディだけじゃなく、フローネだって気になっているのだ。
「大丈夫だって。あー‥‥ほら、一年次の時、ルディも毎日沈没してたじゃねえか」
同じ状況だと、エルは言ってみせる。
「そう、だけど」
「だろ。で、オレもそれ、今はすっげーわかるぜ」
傷は治癒魔法で治してもらえるし、気絶するくらいならば回復魔法もかけてもらえる。けれど、それも根底の生命力があってのことだ。
回復魔法は基本的に、施術者の魔力を使って自己回復力の底上げをするようなものだ。
たまにルディが、へたりきったり、酷いダメージを負った時に、ブランがかけてくれるような回復魔法は、魔力を体力に変えて分け与えるような効果もある回復魔法だが、余程でなければそこまでしない。
治癒魔法で傷は治っても、地力を回復をするために、精神や身体は休息の眠りを欲するのだ。
「いっくら寝ても眠いんだよな。けど、まだまだいける。大丈夫だって」
眠いのはしょーがないけどなと言いつつ、エルは欠伸を噛み殺し気合いを吐いた。
「ふああーー」
とはいえ、教室へ行くまでに大あくびを連発しながら、エルは目を擦る。
「しっかし、お前もさ。いきなり飛竜と喧嘩すんなよ」
びっくりしたぞと、今更ながらしみじみと言う。
「だって、喧嘩売ってきたのは向こうだし」
別に好きでやりあったわけじゃないというルディを、フローネが援護する。
「もし引いてたら舐められてたよ。あれで正解」
「そういうもんか」
「竜はね。それに僕は、先生の背を任せてもらえるようになりたいんだ。先生の騎竜に負けてられないよ」
はっきりと口にされたルディの目標。こいつならいつかかなえるだろうと思いつつ、エルは妙な胸の痛みを覚えた。
「お前、それすっげぇデカい目標だろ」
負けられないと願う強い気持ちの影に、エル自身でも自覚しない置いて行かれる恐れが混じる。
「うー‥そうだけど。でも、絶対諦めないって決めたんだ」
必死に前へ進もうとしている幼馴染みの邪魔をする気など、毛頭ない。けれど、追い越され、置いて行かれる自分なんて、エルは絶対に認めたくなかった。
魔法だけが、戦う力だけが全部じゃない。それでも、どこか焦る気持ちがエルを追い詰めていた。
机に積まれた書類の山を見据え、ブランは怒りを抑えつつ喉を鳴らす。
「あのクソ狸が」
それも口には出さなかったが、間違いなく元凶たる軍務卿に対する悪口雑言を心の中で連ねていただろう。
当面は名目だけというのも構わないが、王宮に顔だけは出せと、涼しい顔をして告げた軍務卿は、もちろんそれだけで済ますつもりはなかったのだ。
ルディシアールの指導をやめろとはいわない。
ただし、軍務をやらなくて良いとも言っていない。つまりは、そういうことだ。
長いブランクを埋めるためにもと、自身が決裁するべき書類の山の大半を、ブランに与えられた机上に、ごっそり移動させた元凶に怒鳴り込みたい気分だった。
王国軍をまわすうえで必要な書類であり、最終的に軍務卿に回ってくる代物だ。現状を説明するより、この山を片付けろというあたり、まったくあの男らしい。
「あの‥‥‥アルダシール閣下?」
ブランの補佐としてつけられた副官兼秘書官二名が、怯えつつも申し訳なさそうに机の脇に控えている。
王宮内にある軍務卿の執務室に隣接する補佐官用の執務室は、かつてブランが使っていた部屋だった。
軍務卿カレーズ侯爵エイリックには、もともと執務を補佐する秘書官、軍事面での助言と補佐を担当する参謀が複数存在する。
先の軍務卿の元でブランが就いていた職務は、軍事面での参謀ではあるが、必要に応じて実戦もこなすという、正しく軍務卿の懐刀であり、しかし役目上書類仕事にも手を染めざるを得ない役職だった。
ただし、さすがに先代軍務卿も、ブランに向いていない政治向きのことまでやらせはしなかったし、またブランも、王宮での勢力バランスを崩さないためにも、できるだけ表に出ず、軍事上の仕事のみに徹していた。いらぬ腹を探られないためでもある。
ともあれ、地位からして、機密の山でもあるこの書類を見ることが許されている立場ではあるが、いきなりこれはないだろうと思う。
「目を通しておけ」ということで、決裁しろとは言われていないが、それに近い処理を命じられているのと同じだ。
重ねていうが、当面は名目上の復帰であり、ルディシアールへの教授をやめろとは言われていない。
いないが、復帰した以上、軍務卿の下で軍務に就くことは拒否する以前の問題だ。つまり、この書類仕事も同じで、やるしかない。
ルディへの教授と警護に差し障りがでるようなら、文句も言えるが、敵も然るもので、先代軍務卿の下で軍務に就いていたブランの能力を、ほぼ把握している。
ルディシアールの警護面についても、今まで刺客をすべて返り討ちにしており、これまで以上に王宮も矜持にかけて手を回しているし、デューレイアを始めとする騎士もついている。また先の校外学習でルディが一人で手練れの刺客を殲滅したなど、銀の雛の実力も知れ渡った。
暗殺の手練れであっても、否、手練れであるほど自らの手に余る仕事をわざわざ請け負う馬鹿はいず、王国の圧力もあって、現状魔法学校でのルディの安全はかなり確保されていると言って良い。
黒の魔術師がつきっきりで護らねばならない状況ではないということは、つまり、ブランが軍務に割ける時間がかなりのところで確保されるということだ。
そういう状況で、書類仕事もやればできると見透かされているし、さらに助言や説明のできる部下を用意しているあたり、まったく食えない狸であった。
いざとなれば、連絡もつくと、ブランは左耳の魔導具を意識した。更に隠し持つ転移の魔石もある。
過保護と、リュレやデューレイアには言われているが、ブランもそれこそ異名持ちに匹敵するような相手でない限り、ルディでも対処できるし、万一のときでも自分が駆けつけるまで持ちこたえられるだろうという信頼もあるのだ。
そんなわけで、ブランは頭を切り替え、仕方なく席につく。
「済まない。よろしく頼む」
補佐官に現状の説明などの手伝いを頼んで、ブランは書類に手をつけた。
とにかく一枚ずつ片付けていくしかない。時間が許す限り、この山を崩していくしかないだろう。
遅くなったあげく、短くて済みません。




