ワイバーン襲撃
何故こんなことになったのかと、防壁へと護送される馬車の中で、リュシュワールは呟いた。
いつの間に自分はルディを憎むようになったのか。
「あいつが悪い。魔力なんてなければよかったんだ」
せめて普通の魔術師程度であったなら、まだよかった。
それが空魔法の異名持ちになるなど、悪い冗談だ。
「ルディは関係ない。そうでしょ、兄さん」
医務室で手当してもらってから、警備の騎士達が使っている建物の一室に、魔法封じの首輪を嵌められ、二人が移されたとき、アリアルーナは縋るようにしてリュシュワールに繰り返し訴えた。
「お願い、そう言って。あたし、死にたくない」
ルディを害そうとしたとなったら、反逆罪で死刑になると、怯えるアリアルーナは必死で頼み込んだ。
「反逆罪なんていくらなんでも、そんな馬鹿なことあるか。アイツは弟だったんだぞ」
兄弟喧嘩のようなものだと、リュシュワールは今になっても、その程度に考えていた。
「ルディは他人なの。騎士が言ってたのよ。王宮に護られているから、反逆罪になるって」
興奮して、終いにはリュシュワールを責めだした妹に、リュシュワールは呆然となった。頭に血が上っていた状態から覚めてきて、ようやく、自分のとった行動を思い出してきたのだ。
ルディに対する悪意で頭がいっぱいになっていた。自分に逆らう彼が許せなかった。
後悔するより、ルディや世の中への憤りの方が先に立つ。
だから納得したわけではないが、アリアルーナの言うように、ルディは関係ないと口にした。
騎士の口からも、今までにルディを殺そうとした者は、すべて処刑されていると聞かされたから、保身のためだった。アイツのせいで殺されるなど、割に合わないと、自分に言い聞かせたのだ。
護送の馬車に乗せられている受刑者は十人。リュシュワールの両側は、屈強そうな中年の大男と、自分とおなじ魔法封じの首輪を嵌められている三十代位の男である。
皆、手枷と足枷を嵌められ、手枷に付けられた鎖は、馬車の壁に固定されていた。
王都を出てから二日は船で、馬車に乗り換えて既に六日が経ち、乗り心地の悪い馬車に閉じ込められている受刑者の疲労はたまっていく一方だった。
二日前から馬車の揺れが酷い。大街道から利用の少ない道に入ったためだ。
滅多に人とすれ違うこともない、辺境へ向かう道である。天地の壁が日に日に迫ってくる景色も、外の見えない馬車の中にいてはどこにいるのかわからない。
突然、馬車が止まった。なんだと考えるのも億劫であり、そのうち動きだすだろうと思っていたら、地響きのような気配が響いてきた。
護送の兵士たちの怒声が馬車の中にまで聞こえるのに、何事かと受刑者達が顔をあげ、互いを見る。
「どうしたんだ?」
馬車の壁を叩き、誰かが焦った声あげたが、返事が返ることはなかった。横合いから凄まじい衝撃を受けた馬車が、横倒しに転がったからだ。
何が起こったのか、受刑者達にはわからない。
「‥‥‥ぐぅぅっ‥‥」
自身の呻き声は、周囲の悲鳴と怒声にかき消された。
リュシュワールは自分が馬車の残骸の中で、どのような状態にあるのかわからなかった。ただ、全身を襲う激痛のなか、必死に手足を動かし、同じように足掻く同乗者達を、互いに押しのけるようにして体の自由をとりもどそうとする。
「我が魔力を捧げ‥ダメだ‥‥」
詠唱しても魔力は魔法とならずに霧散した。そもそも魔力が足りない。
魔法が使えない。
こんな時にと空回りする思考は、魔法封じの首輪のせいだと、思い出すより、何故か、魔力がないとずっと蔑んでいた弟の顔が浮かぶ。
まるであいつのようじゃないかと思い、同時に俺は違うと叫んだ。
霞んだ目に、間近に迫ってくる二角獣が映る。
逃げられないという絶望に、何故魔法が使えないとリュシュワールは悲鳴をあげた。
「おい、止まれ。様子がおかしい」
護送車に付いている馬に乗った兵士が、御者に指示する。前方の様子を見に向かった兵士が、馬首を回らせ血相を変えて駆け戻ってきた。
「まずい、二角獣の群れだが、暴走している」
「こっちにくるか。あそこまでいければ、やり過ごせるんだが」
「後ろの連中を先に行かせろ」
護送隊に追従している狩人のパーティを先行させ、慌てて馬車の進路を変える。
「ついてねぇ」
狩人のリーダーが左側の木立を回り込むために、荷馬車を全力で走らせる。
護送隊と同行することで、防壁への旅程の安全率を上げるつもりだった。護送隊はこのあたりの地理に詳しく、戦える人数が増えることは、身を護ることにつながる。互いに利があるため、同行を断られることは少ないのだ。
「おい!あれまさか」
狩人パーティの一人が空を指さして叫んだ。
「ワイバーンか」
弓術士であり、遠目のきく男が、派手に揺れる荷馬車に両手でしがみついたまま、風使いの指した先を見て悲鳴を上げた。
「二匹!番か。バイコーンはあいつらから逃げてるんだ」
「木立に逃げ込むぞ」
「馬車はどうすんだ」
「運がよけりゃ残るさ。それよりこのままじゃ、ワイバーンの目を惹いちまう」
罠を仕掛け、追い込んで魔物を狩るスタイルの彼等では、こんな状況でのワイバーンは荷が重すぎる。下手に手を出して、獲物認定されるよりは、身を隠し逃げに回る方が生き残る確率が高い。
狩人達が慌てて馬車を捨て、木立に身を低くして逃げ込んだ。
バイコーンの群れが、彼等の隠れる木立の直ぐ近くまで迫ってくる。
「ひっ」
低い悲鳴を上げて、木立に身を寄せた彼等の耳に、馬の嘶きが届いた。
続いて木の枝を揺らす羽音と衝撃、大きな物が倒れたような重い音が響き、兵士達の怒声と悲鳴が響き渡る。
荒々しい馬蹄音に紛れ、木材が砕けるような音に、彼等は首を竦めた。
「我が敵を射よ〈火矢〉〈火矢〉〈火矢〉」
「立て直せ」
「馬車を盾にしろ!」
護送隊の魔術師が火矢でワイバーンを牽制する間に、破壊された護送馬車の残骸を盾にして、陣を組んでいた。
「我が魔力を捧げ世界の理に誓願す。
固き盾となりて我を護れ〈水楯〉」
槍や矢で牽制し、水の魔術師が楯を作る。
その間に、最大の攻撃力を持つ火の魔術師が、詠唱を唱えた。
「我が魔力を捧げ世界の理に請願す。
火の元素を喚起するものなり。
招請に応じ火精よ、
猛き炎の槍よ我が敵を撃て〈炎槍〉」
水楯に阻まれ、射かけられた矢に気を取られた隙に、火の魔術師は炎槍を広がった翼目がけて撃ち込んだ。
「くそっ」
当たったものの手応えは弱い。
連続する魔法の行使に威力は落ちていた。そのせいか火勢が予想より落ちたのか、芯を微妙に外されたようだ。それでもさすがに炎槍を片翼に食らったワイバーンは大きく体勢を崩す。そこに弓術士が矢を射かける。
「我が魔力を捧げ世界の理に誓願す〈水矢〉」
威力は小さいが、追い打ちをかけるように負傷したワイバーンに水矢を撃ち込む。
「我が魔力を捧げ世界の理に誓願す。
土の元素を喚起するものなり。
招請に応じ土精よ、
地を立ち上がらせよ〈土壁〉」
狩人が逃げ込んだ木立から土が盛り上がり、腰ほどの高さの壁になった。わずかな障害だが、バイコーンの足がかかり、数頭が転倒した。
そこへ槍が投げつけられ、倒れたバイコーンに深手を与える。それはそのまま障害物となり、バイコーンの足を止めた。
「我が敵を射よ〈火矢〉〈火矢〉」
降下してきたワイバーンの鼻先を狙い撃たれた火矢に、怯んだように進路を変える。
肩で息をしている火の魔術師の援護で、水の魔術師は複数の水球を打ち上げた。
襲えば火や水の魔法で応戦されるが、追撃はこない。それを数度のやり取りで学習したワイバーンは、上空から様子を伺うように飛んでいたが、逃げ去っていくバイコーンの群れの方に首を回らせた。
もともとの容易い獲物を狩ることにしたのだろう。翼に火傷を負ったもう一匹は、傷を庇うような飛び方をして、距離を取っている。
「そうだそのまま行っちまえ」
兵士らの願いが通じたわけでもないだろうが、ワイバーンは離れていった二角獣を追うようにして飛び去っていった。
「‥‥‥た‥助かったのか‥‥」
恐る恐る木立から出てきた狩人は、地に倒れた瀕死のバイコーンに注意を向けつつ、空をみる。
「ああ、どうやら命拾いしたようだ」
被害も大きかったがと、護送隊の隊長は横倒しになり、大破した馬車を覗き込む。
下敷きになったが、息のある受刑者を、手分けして引っ張り出す。周囲を見れば、バイコーンの角や蹄に蹂躙された馬車の残骸に混じり、馬車を引いていた馬の死骸や、無残な人の姿があった。
腕や足を失った者、首の骨が折れていたり、身体が大きく裂けているなど、一見して生命がないとわかる死体を一所に集める。
その中に、極秘の特命を受けた者の死体を見つけ、彼は首を軽く横に振った。膝を付いてその死を、念のために確認し、部下と顔を見合わせた。
息のある者の応急手当をしつつ、これからのことを相談する。戻るか進むかだ。
「防壁に向かう」
ここからなら防壁は馬を飛ばせば一日の距離だ。知らせを走らせ、この先にある今日の野営予定の場所で、救援を待つ。
血の臭いをかぎつけて、別の魔物が寄ってくる可能性があるため、早急に移動する必要があった。
土魔法を使う狩人に頼み、死体を埋める穴を掘らせる。
負傷者は狩人の馬車に乗せ、彼等は急いで襲撃地を後にした。
先頭はフローネ、次にローレイ、真ん中にルディ、その後ろにエル、最後尾がネルフィル。
竜騎士を目指すだけあって、フローネは勘が良く、バランス感覚も優れていることもあり、乗馬も上達が人一倍早かった。
斥候役であり、万一の時には突破力もあるフローネを先頭に置き、馬術に優れ、フローネと後続を繋いで速度を調整する指揮役のローレイが二番手に位置する。ローレイと同様に、軍閥系の貴族であり馬術に優れたネルフィルを殿として、意外と護りに固いエルをその前に、そしてルディを護りの位置に置いた順番である。
既に森で待機している教師と、別々に移動する一組の生徒達の最後方から付いてきているはずの教師とは別に、少し離れたところにはデューレイア達がいるはずだった。上空では騎竜を駆るカウルスが見守っていた。
「大丈夫かい?」
「うー‥‥ゴーレムと違って感覚が慣れない」
途中の休憩で弁当、これは食堂に依頼して作って貰った、を食べたが、一番へばっていたのはルディだった。どうも生身の馬の扱いに、気を遣っているせいらしい。
「お前、魔法に頼りすぎ」
「そうかなぁ」
ルディを除けば、班の中で最も馬の扱いに慣れていないエルが、それでもお前よりマシだと優越感を抱いて言った。
「乗馬はデューレイアさんに習ったんだろう?」
あのお姉さんに手取り足取り教えてもらったなんて、羨ましいぞと、剣で散々扱かれたのを忘れたようなエルに、ルディはムキになって反論した。
「基本は教えてくれたけど。‥‥‥教えてくれたよ、でも、簡単に乗りこなせたら苦労しないよ。姉さんも先生も、そこ絶対わかってない」
コイツがブラン先生に対して文句なんて珍しいこともあるものだと、エルは思ったが、実は魔法以外については、それなりに言いたいことがあるルディであった。
「先生なんて、騎馬での戦闘だって、剣でも槍でもデューア姉さんに負けないし、弓だって苦手な方だって言いながら、馬、走らせながら射って的ほとんど外さないんだ。僕なんて初心者だよ。無茶だと思うだろ」
「あー‥‥‥」
結局いつもの先生讃辞になっている幼馴染みである。それにしても、騎士のデューレイアより剣も槍も上とは、黒の魔術師はどんな怪物だと、エルは改めてしみじみ思う。
「初めて聞きますけど、黒の魔術師様のことですわね?あの方、剣を使えるのですか?」
ネルフィルが興味深そうに聞いてきた。実のところ、異名持ちは名前は知っていても、個人情報などは知る者は少ないのだ。
「第一師団でも、純粋に剣で先生に勝てる人いない。っていうか、今までみたことない。槍は、魔槍使いの人のがちょっとだけ強かったけど」
「魔槍使いとは、まさか轟槍のディケドクルス殿ですか?」
王国に名の知られた魔槍使いは何人かいるが、最も有名で腕が立つのがディケドクルスである。その強さは王国だけでなく、他の国々にも鳴り響いていた。
「そう。惜しいとこまでいったんだけど」
残念そうに言うルディの証言は、どうも身贔屓を差し引いても事実であるようだと、皆、黒の魔術師はどんな化け物だと心の中で身震いした。
「デューア姉さんも、基本理屈より慣れだって感じで教えてくれるから」
できる感覚で言うから、何故できないのか理論で説明できないのだ。
「ああ、何となくわかる。天才は教師に向いていないというからね」
できない理由がわからないから、教えられないのだとローレイは言った。
そのあたり、魔法に関してはルディも他人のことは言えないのだが、自覚は皆無だ。
「でも、乗馬は慣れというのは大きいでしょうね」
自分も小さい頃から練習したから、今これ程に乗りこなせているのだと、ネルフィルは自身の体験を語った。
「つまり?」
「頑張れ」
いや自分もだけどと、エルはルディを励ます。
一班は、なかなか良いペース配分で、ルディがへたる前に、目的の森に到着した。
入り口で到着の確認をギュレイノスにしてもらった時には、まだ日暮れまで大分時間があった。
「よーし、さすが良い感じだな」
一班は三番目の到着だったが、遅すぎることはない。むしろ馬や人の疲労も少なく、非常に良いコンディションを保っているのは、ギュレイノスからみても高評価だった。
早く到着していた班では、飛ばしすぎて、乗馬に不慣れな者が脱落しそうになったり、疲労を蓄積しすぎているなど、問題点もあったからだ。
この辺りのさじ加減は、ローレイの絶妙な差配によるところで、班の全員が彼を信頼して従っていたことも大きい。
「この先にファルニア先生の居る拠点がある」
先生達の拠点に顔を出して確認が終わったら、後は自由行動だ。狩りと野営で一晩を過ごし、昼前までに、再度先生の拠点に行き、確認と点呼を受けたら帰路につく。
竜騎士のカウルスは、王都から上空で見守っていたが、ルディのいる一班が森に着いたところで、周辺の様子に異常がないことを確認して引き上げている。
障害物だらけの森では、竜騎士の利点がないばかりか、飛竜が上空を飛んでいたら、狩りの邪魔でしかないからだ。
ルディ達よりわずかに遅れて到着したデューレイアの率いる一隊は、この後は拠点に詰めることになっていた。
万一に備え待機はするが、側で護ることはしない。
最初、この方針を知らされたときには難色を示したデューレイアだが、ブランが認めたため、しぶしぶながら納得した。
「そりゃあね、いつまでも囲い込むわけにはいかないわよ。わたしもそのつもりでいたんだし‥‥‥」
ルディの実力は認めているが、如何せんまだまだ未熟な生徒である。自分以上に心配性なブランが、よく認めたものだと思った。
当初、自分が考えていたものの上を行く成り行きに、デューレイアは不安を隠せない。
だが、森を軍で囲い込むでもなければ、同じことだと言われれば反論はできなかった。
何かあれば逃げるか喚ぶかするだろうと、配下として同行するネリーネが軽く言うのに、できなかったらどうするのかと言いたくなるのを、かろうじて抑える。
異変があったら、即座に逃げてくれるなら、デューレイアもむしろここまで不安には覚えない。
「試されているのはルディだけじゃない」
そう口にしたブランの言葉の真意をデューレイアが知ったのは、事が収拾した後であった。




