カレーズ侯爵邸
明日から試験だという息子を構わず呼びつけたカレーズ侯だが、その息子の方も頓着していなかった。その程度で成績に差し障りがあるはずがないという自信と実力があるからだ。
ローレイにとっては、むしろ父親との会話の方が余程厳しい試験のようなものである。
休日の夕方、ローレイは王城近くにある自邸で父親であるカレーズ侯爵エイリックと向き合っていた。その様は、親子の会話というより上司と部下であるようだと、唯一人同席を求められたハルシオ・レンクローダは思う。
なにより会話の内容がいちいち神経に悪い。いや、軍務卿の相手をしているのが魔法学校の生徒で、十四歳の少年でさえなければ、別に動じることもなかったのだ。
エイリックは書斎で執務用の机に座ったまま、机を挟んで前に立たせた息子と話していた。ハルシオはローレイの左後方に控える形で立っている。
銀の雛と呼ばれるルディシアールが最も優先する人物。一番の弱味になり得る対象の名を父親から教えられたとき、ローレイは納得の彩をみせこそすれ、意外だとは思わなかったようだ。
ハルシオなどは、ルディがブランを師として深く尊敬していることは知っているが、彼の幼馴染み達ではなかったことが予想外であっただけに、驚きの色を見せないローレイの反応を、興味深いものとしてみる。
「ルディ君は魔術師としての彼に、随分傾倒していますから、不思議とは思いません」
ローレイがそう言うと、エイリックは試すような視線を息子に向けた。
「それならば金の魔術師殿はどうだ?彼の恩人でもある」
「こちらの理屈ではかれるものでもないのでしょう。いずれにせよ、黒の魔術師殿であったことが計算外であったとしても、むしろこの時点で判明して良かったと思った方が建設的です」
父親の考えを代弁する答えを口にした息子に、エイリックは合格点を与えるように頷いた。
「まったくだな。これを使えるカードにしたいものだ」
ある意味、それはエイリックの本音でもある。彼はリュレからルディシアールが黒の魔法殺しを、魔法と同位置に置いているとの言を得ていた。
エイリックはこれを比喩として受け取っていたが、いずれにせよ魔法が存在と同意義である異名持ちにとって、何よりも重いといわれたも同じである。
黒の魔法殺しの扱いには、王国もかなり神経を使っていた。この国の出身ではなく、彼を繋いでいるのがリュレの存在であるからだ。
他国の異名持ちを殺した、魔術師の天敵といわれる力は、国としても正直恐ろしい。単身の戦力としては、おそらく黄金の天秤操者以上であり、敵に回すのは何としても避けたい選択といえる。
その黒の魔術師が、空魔法の異名持ちとなるだろうルディシアールにとって、魔法と等しい存在だというのだ。
普通に考えれば非常に危険であり、面白くない。
「それで、お前ならどう考える?」
コンコンと、指先で軽く机上を叩き、試験官のように息子に問うカレーズ侯爵が、どのような答えを望んでいるのか、ハルシオは計りかねていた。ただ、エイリックが期待し、頷かせる返答を、この鋼の髪の少年が持ち得ていることを、ハルシオは確信している。
「もし、その逆もあるとすれば、話しは変わります」
「逆とは?」
そして、興味深く親子らしからぬ会話を聞いていたハルシオは、続くローレイの言葉に自分の表情がわずかに変わったことを自覚した。
「黒の魔術師にとっての、銀の雛の存在です」
黒の魔術師殿が、彼の少年を非常に可愛がっていると知っていながら、何故そこに思い至らなかったのだろうかという自身の迂闊さに、ハルシオは舌打ちしたい気分であった。
彼にとってルディシアールは、初めてにして唯一の教え子である。弟子と言い換えても良い。訓練は厳しいが、ブランがルディシアールを特別大事にしていることは疑いようもなかったからだ。
「銀の雛が黒の魔術師の鎖となり得るのなら、我が国は二人を一纏めにして管理すれば良い」
一瞬、ハルシオはこの部屋の主とローレイを重ねてしまった。実際に目の前にしていてさえ、これがこの歳の少年の発言であるとは信じがたかった。
「僕の考えつくことです。父上には真っ先にその可能性を考慮におかれていると思いますが、いかがでしょうか」
間違いなくその通りだろうと、ハルシオは思う。
ローレイの方は、父だけでなく黒の魔術師の方もそれと察しているだろうと考えていたが、口には出さなかった。
この時点で黒の魔術師が動かないということは、黙認、あるいはそうしろと、言っているも同然だと、ローレイはとらえている。
「そうだな。二人ともこの国にとって貴重な人材だ。『扱いに気を付けなくてはならない』のは当然のことだ」
それがわかっていれば良いと、エイリックは息子の考えを肯定した上で、ハルシオに視線を向け、次の報告を促した。
「司法院における手続きは完了しております」
リュシュワール・シエロとアリアルーナ・シエロの起こした一件は、魔法学校内での処分に止めず、事件として処理することとなった。
そして、一連の手続きはハルシオの権限で行われている。本来であれば多忙な軍務卿に、一々このような経緯を報告するまでもないことだ。兄妹の処理を指示したのがエイリックであり、そこに空魔法の使い手と、異名持ちが関わってさえいなければ。
「その際、ルディシアール・クリシスの名は出さずに処理させるよう手配いたしました」
頷いて追認を与えたエイリックは、息子にその見解を口にすることを許す。
「はい。僕も彼の関わりは伏せるべきだと思います。王宮が彼を追い詰めるのは避けなければならないでしょう」
事実を公表して処刑する方が、他の多くの方面への牽制としても効果が高いのはわかっていたが、エイリックはあえてそれを選択しなかったのだ。
デューレイアの懇願を入れ、ルディシアールへの配慮をした結果だ。銀の雛と黒の魔術師との付き合いが深く、彼等をよく知る彼女の進言は、無視できなかった。
心情的に彼等に傾くのは無理のないことだが、デューレイアはそこに相応な理屈を絡めている。騎士としての立場での見識を保った彼女のバランス感覚を、エイリックはかなり高く評価しているのだ。
ゆえに、ルディシアールの心情と、周囲の反応を考え、それにそった処理を進めるようハルシオに指示をしていた。
何しろただでさえ、リュレが故意に流した噂で、ルディの評判は良くなかった。
最近では、ようやくそれも払拭されつつあったが、魔法学校の生徒達はルディとリュシュワール達が、元は兄妹であったと知っている。その元兄妹を、自業自得とはいえ、死に追いやったという評判が立つのは好ましくない。
また、必要以上に生徒達を萎縮させ、ルディシアールへの悪意や偏見を増長させるのは避けるべきだと、魔法学校の現状を鑑みたハルシオの具申もあり、エイリックは判断の秤をそちらに傾けることにした。
甘い措置であると思う者もいるだろうが、なにも好んで王宮に敵愾心を持たせることはない。特に、相手が異名持ちとその雛であるならば、尚更だ。
となれば、極刑を免れさせるためにも、ルディシアール本人の関わりは表にできない。これは最低限である。
彼の関わりが明らかになれば、減刑は不可能だ。それこそ何のためにルディシアールとシエロ家を絶縁させたのか、意味がなくなる。
温情をかければ、シエロ家の利用価値を示すだけでなく、付けいる隙をみせることになる。それはルディが大切に思う者達をより危険に晒すことにつながるのだ。
だからといって、なかったこととする選択肢は存在しない。ゆえに、ルディシアールの関わりのみを、消すことにする。
そのため現場の指揮をとるハルシオが、頭を悩ませることとなった。
「リュシュワール・シエロは現場で騎士に向けて火矢の魔石を使用しようとしました」
これはたまたま止められたから、発動しなかっただけだ。
「また、その前の攻撃も風楯が防がなかったら、火矢は騎士に当たっていたかも知れません。この事実を以って処分を求めます」
ハルシオのいう騎士は、リステイルのことである。
こじつけではあるが、リステイルは魔導騎士で貴族に数えられる。いざとなれば彼を表にだすことで、貴族の関わる事件として司法院へ裁きを持って行くのには十分だ。
兄妹については口止めは十分にしてある。保身を考えれば、自らルディシアールを殺そうとしたなどと口にはしないはずだった。
また、それが軍務卿の前でローレイに伝えられた意図は明らかである。すなわちローレイに望まれた役割は、学校で人々の目がルディに向けられないように動くことだ。
「シエロ兄妹は昨日、司法院へ送致しました。見込みですが、兄は強制労働、妹は神殿送りとなりそうです」
自分の予測としてのハルシオの発言だが、それはエイリックの意図でもあることは、言われるまでもない。
「強制労働ということは、防壁送りですか?」
疑問形ではあるが、ローレイのこれは確認だ。
強制労働の罪人は、大抵鉱山か防壁送りとなる。その中で攻撃魔法の使える魔術師は、防壁送りとなることが多いからだ。
防壁とは、天地の壁と荒野からの魔物の侵入を防ぐために築かれた壁と砦を指す。その戦力は王国軍とその地の領主の私兵、そして傭兵という名の狩人である。
魔物の討伐が仕事ではあるが、防壁の防御が第一の任務としての契約であるため、傭兵という扱いになるのだ。
危険だが、魔物を討伐すれば報奨金がでるし、傭兵の場合契約によっては、倒した魔物の所有権も与えられる。大物を倒せば名も上がり、大金も得られるのだ。そのため、傭兵となって防壁を仕事場に選ぶ狩人も多かった。
だが、罪人の送られる防壁は相当危険な場所であり、逃亡を阻止する処置に加え、課せられる役務も重く、生存率は高くない。
「釣り針があからさまな餌に食いつくかどうかわかりませんが。いえ、護送中に逃亡を図る可能性もありますか」
逃亡の手引きをするのは、外と内側の両方が考えられる。それをとってつけたように口にするハルシオの意図は明らかだ。
「万一にでも逃亡を許すことがないように、手を打っておきます」
それは暗に逃亡した罪人がその場で処断されることになっても、やむを得ないと言っているのだ。
つまるところ、強制労働であるが、事実上の死刑判決となるだろうと、ハルシオの言葉をローレイは判断する。それを覆すことを求める発言は、無駄であるためする気にもならなかった。
ここでそれを口にしたのは、軍務卿である父の意向であるということだからだ。
「あまりに早すぎる訃報となっては、彼も心を痛めるでしょう。もしもの時には、彼には僕からうまく伝えなくてはなりませんね」
ルディが哀しむことは目に見えているが、ローレイ自身としては、ルディを殺そうとしたリュシュワールを許せなく思っていた。そのため、リュシュワールに対する同情はなく、将来のためにもこの処置が当然だと受け止めていた。
そして、ローレイはリュシュワールの死をルディシアールに隠す気がない。必ず知らせるようにするつもりだった。
妹の神殿送りは、いささか生温い気もするが、アリアルーナが成人年齢に達していないのと、魔法が「発動しなかった」ことを考慮すればそれが妥当なところだろうとローレイは考えた。
神殿送り、神殿預かりとは、神殿で贖罪修行と奉仕活動をすることで、更正を目的とした処置である。
だが、処罰であることに変わりはなく、贖罪修行者は外出はもちろん外部との接触は許されず、肉親との面会も許可なくしてはかなわない。そして、万一逃亡すれば重罪人として手配され、死罪もあり得るのだ。
通常は定められた期間を勤め、許されれば、神殿を出ることが認められるが、事情によっては生涯神殿から出ることができない者もいる。
また、実家については、当面静観するということだ。潰すという選択肢もないではないが、王宮が手を出すというのはある意味劇薬だ。放置はしないが、監視を置く程度に止めることにした。事情を知る者が見れば、中途半端、あるいは片手おちの感は否めないが、それも一つの手である。
「さて、学校への件の男の干渉も、これで少しは抑えられるかな」
鬱陶しいと、彼のユエの男の存在を引き出して、エイリックはウンザリした顔をする。この軍務卿をして、露骨に嫌っているのを隠す気にもならない相手だ。
「痕跡を残すことを何よりも嫌うようで、今回の彼等への働きかけも直接にではなく、第三者を動かしていました。それだけにやっかいなものです」
やり方は巧妙で、リュシュワール達に接触した生徒なども、どうやら何も知らずに悪意を煽るように仕向けられたものだと、ローレイは見ていた。
「ただ、今回の件では黒殿をかなり怒らせましたから、どうも一気に手を引いたようです」
調査の一端に当たっていたハルシオは、潮が引くように伸ばしていた手を一斉に引っ込めたとの感触を得ていた。
「ふむ。うまく追い打ちをかけられれば、なお良かったのだがな」
とりあえずの脅威が排除できたことで良しと考えるしかないだろう。欲張りすぎても仕方ないとエイリックは妥協している。
「黒の魔術師殿を随分と警戒していると聞きました」
彼のユエの男については、ローレイもいろいろと評判を耳にしていた。
「そのようだな。魔術師であれば無理はなかろう。まして、あの男のような魔術師にとっては、なおさらだな」
魔術師の天敵と呼ばれる異名持ち、黒の魔法殺しはルディシアールにとっての師であり、その存在はもとより大きい。その彼が銀の雛にとって最も重い存在であると判明した以上、これからは更にだ。
その彼は、このところ王都におけるユエの情報網を裏で巧妙に潰して回っているようだ。人的なものは当然だが、基幹となる空魔法の魔導具を芋蔓式に潰して回っているため、その損害は地味に情報網全体を圧迫していっているはずである。
今はルディシアールの守護を優先しているため、動きも限られ、目に見える綻びはさほどではないが、その刃は鋭く、少しずつ敵の優位を切り崩していた。
ともすれば、武力としての魔法殺しという能力に目を奪われがちであるが、ブランはかつて軍務卿の参謀格を務めた才覚の持ち主である。表に出なかったために、異名持ちという宝刀を示すための、名目だけの役職であったと思われがちであるが、エイリックの考えは違う。先代軍務卿であった父が、ただの飾り物として近くに置いていたはずはない。
それにしても、父である先代の軍務卿とは、もう少しうまい関係を築いていたようだが、自分とは相性が良いとは言えない黒の魔法殺しは、なかなかにやっかいな駒である。
もっとも、銀の雛の繋がりにより、場合によってだが、次代とは面白いことになりそうだと、エイリックはふと他人事のように予想した。
彼等異名持ちの特質として、政治的な野心、いわゆる出世欲や功名心、人を支配する欲を、ほとんど持ち得ないというのがある。もちろん、自身の生命、生活圏を侵すものに対しては、敵対をためらうものではない。
黒の魔術師は特にそれが顕著だ。政治的野心を警戒する必要がない代わりに、それらでつることもできないことは、最低限おさえておくべきである。
金の魔術師はその生まれもあり、エール=シオンに愛国心を抱いているし、今までの功績からも、王国の守護者と言っても良い。しかし、これは彼女の個人的な感情の賜物だ。好意がたまたま国に向けられたものであり、異名持ちとしては例外的なものといえる。
彼女は地位も権威も邪魔でなければ貰っておくし、あるものは使う。か弱い女に自衛の力は必要だろうと、婉然と言われてはなかなかに反応も難しい。だが、それでもリュレも常は政治から一歩引いた位置にいる。例外は、黒の魔術師や銀の雛が絡んだ時だけだ。
「父上、一つ許可を戴きたいことがあります」
ここでローレイが提案を口にした。
「僕は彼の幼馴染み達に、元の位置に戻ってもらおうと思います」
ローレイの提案は、ハルシオには意外なものであると聞こえた。ルディシアールが幼馴染み達を遠ざけた件には、ローレイも噛んでいたと、ハルシオは聞いていたからだ。それを元の鞘に戻そうとする意図を考えた。
「銀の雛には枷が必要でしょう。それも彼が承知で外せないものが良い」
ローレイのいう枷は、あるいは鎖といえるもの。彼をこの国に繋ぐものだ。
「悪くはないが、うまく嵌められるか?」
「黒の魔術師殿なら外せるでしょうが、危険を感じないうちは黙認してくださるでしょう。何しろ彼等はあの兄妹とは違って、使えますから。そう簡単には壊れないし、銀の雛に危険が及べば、おそらく自分から外れるでしょう。考えられる最良の枷です」
面白そうな目を息子に向けているエイリックはともかく、ハルシオはいい加減この軍務卿の三男を、十四歳の少年とは思えなくなってきていた。
「おまけに一人は女性であり、彼に好意を持っています。それに容姿も能力も秀でていますから、彼女が彼の側にいることは、いろいろ都合がいいと思います」
彼の幼馴染み二人のことは、ハルシオも知っている。どちらも酷く優秀な子供だ。
確かに、ローレイのいうとおりである。あの勝ち気で可愛らしい少女を押しのけて、彼に接近できる女性などそうはいないに違いない。
見たところ、まだ彼の少年は性には幼い面があるが、直に成長するし、そういう問題も考えなくてはならないだろう。彼を取り込もうと考える者が、娘を送り込んでくるのは、可能性どころか必ずある手だと言って良い。
「しかし、簡単に元の鞘に収まりますか?」
つい、口を出してしまったが、ローレイもハルシオに気分を害したようではなく、丁重に答えを返した。
「ルディ君ではなく、彼等の方から動くようにすればいいでしょう。きっかけは僕が提供します」
いい加減、エルトリードとフロアリュネもギリギリのところにきている。背を「少し」強く押してやれば、踏み応えることをやめ、崖から飛び込む覚悟を決めるだろう。あとは黙って見ているだけで済むと、ローレイは考えていた。
「手段は聞かずともよさそうだな」
その言葉を持って、エイリックはローレイの提案を承認すると告げた。
「極めて穏便な方法で済むと思います」
とても親子の会話とは思えないような内容だが、この二人が紛れもない父と息子であると、ハルシオはつくづく思う。
それにしても、この年齢で、そこまで思慮が及ぶものかと、いつの間にか自身の喉がカラカラに渇いていることに、ハルシオは気がついた。
漆黒の瞳に、どこか底知れぬものを見てしまった気になりつつ、いずれこの少年が自分達の上に立つであろうことを、ハルシオは自然と確信したのだった。
だから、ハルシオは気づかなかったのだ。
ローレイが彼に気づかせない一面を。エイリックが指摘することなく許容したローレイの甘さに、思いが至らなかった。
「名目はこれでいいでしょう」
父親の書斎を辞したローレイは、自身の部屋へ向かいながら人の気配が絶えたところで、口の中で独りごちた。
今の彼等を見ているのは、あまり気分が良くない。
すべての危険がなくなるわけではないが、銀の雛の枷という名目であれば、王宮も最低限、彼等を護る方向に動く。彼等を排除する理由がなくなるなら、ルディと共にいることもできるだろう。
ルディの支えとなる、彼等の存在は必要だ。
こんな自分の浅い考えは、父親には見透かされているだろう。それでも、動かずにはいられなかったのだから仕方ない。
これは一石二鳥であると、甘いだけでは済まないものを含むがゆえに、罪悪感を誤魔化すための偽善と、ローレイは自身の中では理由づけた。
故に、ローレイはこれを好意であると自分で認めず、当然表にも出しはしない。それこそ、放っておけない彼の同室者にも、見せる気はなかった。
年代物のワインを丁寧にグラスに注いだ執事は、主人の不機嫌そうな雰囲気を読み、無言で下がる。デキャンタを淀みなく置いて、主人の声の届く位置に控えた。
「早まってくれたものだ」
コカ・ラン・デテはグラスを揺らして、深紅のワインの色を堪能しながら呟く。
せっかく舞台の支度を調えていたというのに、肝心の役者が退場してしまったのだ。
「使えない物にも価値を見いだすのが、商人の腕だとは、先代の口癖だったね」
「はい、旦那様」
先代から仕えている古株の執事は、主人の問いに簡潔に答えた。
「だが、思った以上に使えなかった。いや、別の舞台の前座に使われたと言うべきかな」
憎悪をあおり、殺意に育てる。だが、その実行はもっと巧緻な仕掛けの中でこそ、成功の目もあるというものなのに。
異名持ちの足元を掬ってやろうと狙ったが、抜け目のない別の座長に先手をとられたと自嘲する。あそこの軍務卿は、実にやっかいな人物だ。
「それで、いかがなさいますか?」
「使い回しもできなくはないけどね」
ワインを口に含み、その深い重さを愉しむ。
「うん。やめておこう。今更お前に言うことではないだろうけどね、商品には見切り時がある。それを見誤るとね、損害をより大きくしてしまうものだよ」
「はい」
「それにね。収穫もなかったわけじゃない。欲をかきすぎてもねぇ」
別の幕を上げたがっている者も、何人かいるから、ここは気分を変えて見物と洒落込むのも悪くはないと、ランはワインの味を堪能する。
すぐに手は引かせたから、こちらの関わった痕跡も消せ、今以上の損害を被ることなく、高見の見物もできるだろう。
黒の魔法殺しかと、喉の奥でその名を呟く。
アレの矛先を直接向けられないように立ち回らなければならないと思えば、慎重にもなるというものだ。
少なくとも今は国という縛りがある以上、こちらを直接討ってくる真似はしない。そんなことをすれば、最悪ユエとエール=シオンの戦争になる。
よって動かさないようにすることが肝要だ。今はエール=シオンが抑えとなっているし、矛盾だが、金の魔術師と銀の雛の存在がある以上、あの男は自身を捨て石とする選択ができない。
なかなかやっかいなパズルだと、ランは思う。
搦め手を使うのも良いが、それで下手を打って万一にもエール=シオンを捨てさせ、銀の雛を護ることだけを選択されでもしたら、こちらには最悪だ。国の掣肘が解かれた魔法殺しなど、考えたくもない。
やはり傀儡を踊らせる。いや、こちらとは無関係なところで勝手に踊るように仕向けるのが良いだろう。幸い、適当な駒は幾つかあると、前に置かれた皿に目を落とす。
「大角鹿のモモ肉でございます」
ランは一口食べて、その味を評価した。
「うん、例の南海の果実をソースにつかってあるね。悪くない出来だ」
バルも褒めていたが、ここの料理人は腕が良い。気難しいランの口に合う料理を提供できる腕は一流である。
「珍しい材料ですので、苦労したようです。お褒めいただき、さぞ喜ぶことでしょう」
「そうかい。エール=シオンが魔法鞄を広く売り出せば、こういった物も、他所でも出回ることになるだろうね」
それはあまり面白くないと、ランは言いたかった。
新年最初のUPですが、なかなかに陰鬱な話になってしまいました。
登場人物が皆腹黒です。済みません。
いろいろと書き直していたら、結構ギリギリの時間になりました。




