譲れない望み
真っ青な顔色で研究室に直接転移してきたルディに、ブランは顔を顰めた。
指示された場合はともかく、普段どんなに慌てていても、ルディは直接研究室内に転移はしない。礼儀上、扉からちゃんと入ってくるのだ。
「‥‥先生‥‥‥‥」
「どうした?」
張り詰めた目で自分を見る教え子に、ブランは座ったまま、魔導具を弄っていた手を止め、落ち着いた声をかけた。
ブランの顔を見て、ルディは自分の中にあった選択を思い知る。
「‥‥‥僕は‥‥‥‥‥」
自分はとっくに選んでいたのだ。
決して捨てられない魔法と等しい存在。
家族でもない、エルやフローネでもない、唯一のもの。
‥‥‥馬鹿だと、ルディは自身を罵る。
何をやってんだろうと、泣きたくなった。エル達と絶交した時に、わかったはずだ。自分が選ぶものが魔法しかないことを。
捨てられないものがあるのに、なくしたくないと泣くなんて、欲張りで我が儘だ。
そして、唯一を失うことが怖い。それはルディには耐えられない恐怖だ。
何も言えずに立ち竦むルディの尋常ではない様に、ブランは落ち着いた声をかける。
「とにかく座れ。話はそれからだ」
それでも動けないルディを、せかすことはせず、ブランは取りあえず机上の魔導具を横に動かした。
机に向きあわせに座るよう促されても、ルディはまだ動けなかった。
「僕は、先生の重荷ですか?」
小さな掠れた声が、躊躇うように喉から零れた。
「‥‥‥ルディ‥‥‥」
「僕は先生に迷惑ばかりかけて」
声が震える。
「馬鹿。弟子が師匠に迷惑かけるなど当たり前だろうが」
何を言い出すかと思ったらと、ブランはやれやれと頭をかいた。
「ババアなんか、マルドナークの異名持ちをブチ殺した俺を引き取ったんだ。それに比べれば、お前なんか可愛いもんだ」
「でも、僕は先生に護られてばかりで」
「ガキが、一人前の口利くのはまだ早い。自惚れるな」
ブランはそれこそ呆れたように言う。
怯える教え子に、居場所を与える言葉を選ぶ。
何があったのかはわからないが、ルディが怯えていることを見て取ったブランは、当たり前のようにここにいろと態度で示してやる。
ドンドンと、乱暴なノックとともに扉が開かれた。
「失礼します」
息せき切ったカウルスが、ルディの姿を認めてあからさまに安堵した顔をする。
びくりと、身を震わせたルディにあえて声をかけず、カウルスは姿勢を正してブランに請う。
「申し訳ありませんが、ルディシアール君をしばらくこちらにお願いいたします」
ルディはブランに任せておけば、まずは安心できるとカウルスは判断した。
「デューアはどうした?」
「自分の口からは。事情は後ほど彼女からお聞きください」
デューレイアの名を出すことで状況を問うブランに、カウルスは返答を保留することで、事態の収拾をはかっていることを告げる。
視線に鋭い光を纏わせたブランに、ゾッとする戦きを無理矢理飲み込んで堪え、カウルスは浅く上半身を折った。
ブランのそれが王宮に向けられたものであることは察したものの、やはり目の当たりに受けるのは恐ろしい。
「片付いたらデューアを寄越せ。それまでコイツはここに置いておく」
「はっ。よろしくお願いいたします」
わずかな間に、カラカラに渇いた喉を動かし、カウルスは即座に身を翻す。
教え子の絡んだ黒の魔術師の気配に晒され、生きた心地がしなかった。こんなもの、自分一人が味わうなどこれ以上御免被りたい。
最低限の礼儀をもって、研究室から退散したカウルスから、さっさと意識を外したブランは、立ち上がって調理場へ向かった。
背を向けていても、教え子から注意を離さない。頼まれなくても、今の状態のルディを一人にすることなど論外だ。
取りあえず、発作的に逃げ出さないように手を打つ。
通常、研究室に張られている結界は、いわば壁だ。許された対象以外は、人も魔法も通さない。
許可の対象から一時的にルディを外すことで、外に出ることを禁じた。転移魔法を使おうとすれば、魔法殺しで即座に魔法を消す。
その気になれば魔法でも行動でも、ブランには今のルディシアールを封じることなど容易いことだ。
「ルディ、いつまで突っ立っているつもりだ」
柔らかな香りのする飲み物が入ったカップを二つ机に置き、自身も腰掛けたブランが、固まったままの教え子を促す。
ようやく、ルディはゆっくりと足を進め、ブランと向かい合わせて座った。
「いただきます」
カップの中身は沈静と身体を温める効果のある薬草茶だ。まだ熱いそれに息を吹きかけ、恐る恐る口を付ける。
わずかに含んだ薬草茶の柔らかな香りと、蜂蜜の甘さが口の中に広がった。
喉から抑えていた何かが、急激にせり上がってくる。
お茶と、ブランの存在に張り詰めていた心が緩んで、無意識に涙が零れていた。
「‥‥‥済みません‥‥」
しばらくそのまま手に持ったカップに視線を落とし、必死で心を落ち着かせようとする教え子を、ブランも無言で見詰めている。
静かな空気に、昂ぶった心が少しずつ鎮まってきた。ルディは嗚咽を堪え、手で涙を拭いながら少しずつゆっくりお茶を飲む。
ルディが落ち着くまで、ブランは黙って自分の薬草茶を飲んでいた。抑えはしたが威嚇のような気配を乗せた視線を、カウルスに向けてしまった。
自分もまだまだだと、教え子が絡むと自制が甘くなる自分にブランは自嘲する。
冷静な判断を下すためにも、彼もまた、気を鎮める必要を感じていたのだ。
かなり時間をかけ、薬草茶を飲み干したことで、ルディはようやく事情が話せるくらいに落ち着けた。
「僕がもっときちんと対処できていれば」
何があったのか聞き出したブランは、王宮の仕業に眉を顰めた。もと兄妹達の浅慮な行動も腹立たしかったが、表に出さずに抑えたのは、自身を責めるルディをさらに追い詰めることはできなかったからだ。
「お前がのこのこ付いていったのは、まずかったとはいえ、今更言っても仕方ない。常にそつのない対応などできるもんじゃないからな」
まして、最初からルディとかつての兄妹達を対決させるように、騎士達が計っていたのだ。避けることは難しかっただろう。
「でも、僕がもっと‥‥‥僕は、わかっていたはずなんです。なのに」
心のどこかで期待してしまったのだ。
もう一度、話ができると。嫌われているのは知っていたけれど、家族だった過去がルディの未練を呼び起こした。
だけど、殺したいほど憎まれていたなんて、思ってもいなかった。
護りたければ、嫌われても、憎まれても、受け入れなくてはならないと、リュレにも言われていたのに、まだ覚悟が足りなかったのだ。
「逃げればよかった。転移でもなんでも。‥‥‥とっくに なくしていたものを、僕は」
未練がましくつかもうとして、災厄を引き寄せてしまったと、ルディは後悔にうちひしがれる。
「血のつながりだ。そう簡単に思い切れるもんじゃねぇぞ」
ブランにとっても、それは実感としてわかるものだ。
かつて、ブランの桁外れの魔法の才を知った祖父は、孫であり、弟子でもあった存在に嫉妬し、憎悪に染まった目を向けるようになった。
自分以上の才能に嫉妬せずにいられる者は滅多にいない。まして、人並み以上の才に矜持を持つものであれば、なおさらだ。
それが肉親であっても、一旦抱いた感情を消すことは難しく、増大するそれを抑えることはできるものではなかった。
ブランの才を妬み、そんな想いを抱いた自身を卑下し、それがやがて憎しみに変わっていったのだ。
そして祖父は最期まで彼を疎んじて死んだ。
肉親に嫌われるのは辛い。それを実体験で知っているから、ブランにはなおさらルディの気持ちがわかる。
家族に対する未練を残していたルディを、責める気にはなれなかった。
また、だからこそ排除に動いた王宮の思惑もわかる。
肉親という駒は使い方次第で、非常に切れる札となるのだ。まして、それが危険を呼び寄せようとしているとしたら、あのカレーズ侯が放置しておくはずがない。
だが、ルディを直接関わらせる手段を取る可能性は低いと見積もっていた自分の甘さを、ブランは悔いる。
「僕は‥‥どうしたら‥‥‥‥」
自分の弱さが、この事態を招いてしまった。
それなのに、肉親を思う気持ちの反対側で、自分は捨てられないものを選んでいる。ルディを苛んでいるのは、自責の念だ。
「ルディ、王宮が欲しがっているのが、意思を持たない道具だというのは変わらない事実だ」
今でも王宮はルディの身柄を抑えたくて仕方なく、ブランはそれを許さない。
リュレの息子の立場と、ブランの存在が、ルディに学校にいる自由を許しているのだ。
耐えられなければ、もう一つ選択肢があると言うブランに、ルディははっと顔を上げる。
「目を閉じ耳を塞ぎ、命じられるまま魔法を使うだけの従順な人形になることだ。王宮は喜んでお前を引き取るだろう。大事に閉じ込め、一生護ってくれるぞ。この上なく貴重な人形として」
誘惑する声で、囁くように甘く告げる。王宮が望むのはまさにそれだ。決して逆らわず、いうことを聞く魔法を使う道具。
知らずに首を横に振っていたルディに、ブランは彼の意思を代わりに口にする。
「嫌だろう?」
その通りだと、ルディは認めた。嫌だと思うから、足掻いているのだ。
ブランはそのまま黙って教え子を見つめた。
ルディは幾度も深く息を吸い込み、吐いて、きちんと声を出せるように呼吸を落ち着かせる。
自分を見詰める薄紫の瞳。この瞳に導かれてここまで来た。
この手を取ったのは、ルディ自身だ。
自分の気持ちを引き摺り出して、言葉にした。
「道具だってのはわかってます。でも、僕は僕として生きられないのは嫌です。意思を捨てたくないです」
辛くても、ここにいることを選んだのだ。
後悔はある。
これからもきっと一杯泣くし、悔やむ。
何度も立ち止まって、迷うだろう。今のように。
でも、逃げないと決めたはずだった。
それを忘れたわけではない。うつむいた顔をあげれば、まだ見失ってもいないと知る。
弱音を吐いた自分の手を掴んで導く、この手を握り返す。今はまだ縋るしかないかもしれない。立ち上がる力を得るために。
それでも、諦めないと決めた想いはここにある。
忘れなければきっと耐えられると、ルディは唇をかんで見失いそうになった決意を見つめ直す。
この先へと続く道を踏みしめるために。
そのために、自分の弱さが招いた結果がどのようなことになっても、受け止め、背負わなくてはならないと、痛む胸を指が食い込むほど強くおさえた。
ドンドンと、叩き付けるようなノックに間髪を入れず、乱暴に扉が開かれる。
「ルディ!」
デューレイアの声に、ルディの心臓が大きく鳴ったが、彼女の方を向こうとはしなかった。
ルディの姿を見て、心底良かったと全身で息をついたデューレイアは、恐る恐るブランの顔を見る。
はっきり言って怖い。
カウルスが同行を断り、ハルシオ達に付いていくことを選んだ気持ちがものすごくわかる。そちらもあまり気が進まない役割だが、二者択一ならデューレイアもできればそっちを選んでいただろう。
「えええっと、リステイルには一発入れておいたわ」
リュシュワール達が場所を移された後、カウルスを押しのけ、デューレイアが腹に一発キツイのを見舞った。
リステイルにも命令されたという情状酌量の余地はあるが、ここは八つ当たりも兼ねた一発を容赦なくぶち込ませてもらった。抉るように腹にめり込んだ拳に、リステイルは悶絶して吐いていたが、場所が医務室であったため、問題はないとデューレイアは曰う。
カウルスではなくデューレイアがしゃしゃり出たのは、彼とリステイルとの関係を慮ったのと、女の立場を利用したためだ。
先輩の立場にあるカウルスが、命令に従った後輩に手を出せば問題になるが、女であるデューレイアならば、どうとでも言い抜けできる。
「可愛い弟にちょっかい出されて、わたしが黙ってられるわけないでしょ」
何しろデューレイアが弟と言いつつ、ルディの初めての女になるのを狙っていることは、彼女が堂々と口にしている公然の事実だ。理由に男に手を出された女の怒りをもってこられては、話が一気に変わる。
そう言い放ったデューレイアを咎める者は、誰一人としていなかった。
いや、一人だけ笑っていた者がいた。
「色惚け騎士が狙ってる男を殺られかけて、ヒス起こしたってか」
ケラケラと笑って混ぜっ返したネリーネは、デューレイアの意図を理解して突っ込んだのだろう。単純に面白がっていたのかもしれないが。
ともあれ、同じ騎士とはいえ、男が女に殴り倒されたというのは、プライドが邪魔をして表沙汰にはしにくいというのもある。馬鹿なようでも、男としての見栄の問題だ。
さしものハルシオも見て見ぬ振りをした。というか、自分に向けられたデューレイアの瞳に内心でたじろいだのだ。
いくらなんでも上官である自分に怒りの矛先を向けるほど、デューレイアは愚かではない。感情に訴えたように見せているが、あれで結構冷静な計算をしていることが、ハルシオには見てとれた。
周囲の者も、リステイルが自分達の分までデューレイアの怒りを引き受けてくれたことがわかるから、言葉にこそしないが同情の目を向けていた。
代表してけじめを付けられた形のリステイルには、ハルシオも心の中で謝意を告げる。彼には気の毒だったが、ある意味彼にとっても悪いばかりではない。
現に、女騎士の報復を一身に受け、沈められた後輩の哀れな姿に、カウルスもごっそり怒りをそがれたようだった。自分だったら、さすがにここまではやらなかっただろうと思えば、とても追い打ちをかける気にはならない。
「しっかし、アンタほんとにあの子のこと気に入ってるんだね」
のたうち回っているリステイルを見下ろして、ネリーネがしみじみと言う。さすがにハルシオが、リュシュワールの治療後、控え室に席を外していた治癒士を呼び、治癒魔法をかけるように頼んだ。
「当たり前でしょ、可愛いんだもの」
デューレイアは即答する。
「はあ、この面食いってば、少しは年の差考えれば?」
「美形に歳は関係ないわ。男の場合、今なら上は六十四から下は十三歳まで許容範囲よ」
やけに具体的な数字に、周囲の騎士や兵士は頭を捻り、そう言えば、ルディシアールは十三歳だったと思いつく。
戸惑うような周囲の視線に、デューレイアはあっけらかんとしていた。
「まだ手は出してないわよ。大きくなるまでお預け」
「そのわりには、訓練じゃ容赦なく叩きのめしているじゃないのよ」
「だって、あの子ってばとってもいじめ甲斐があるのよね」
「だからって他人が虐めるのは許せないってわけ?」
「当たり前よ」
貞操を狙っている上に、この発言だ。
「ねえ、この女騎士が護衛って、なんかおかしくない?」
とても本気で言っているデューレイアに、ネリーネはけっこう真剣にそう思ったが、周りは沈黙を保っていた。
そんな会話は他所でやってくれというのが、男達の共通した心情だった。
医務室でこのような一幕があった後、デューレイアはルディを心配する気持ちと、ブランに報告するという恐れから逃げたいと思う心を叱咤するという、相反する感情を抱え、研究室に足を運んだのだ。
「デューア、大体のことはルディから聞いた。確認しておくが、王宮はどこまで狙った?」
「今回のことは、ルディシアールへの影響力を計りたかったみたいね。彼等の処分の内命もあったようだけど、その場での処断までは考えていなかったと思うわ。まさかここでルディを殺そうとするなんて、部隊長も予想外だったと言っていたわね」
隠すことなく、デューレイアは語った。ブランがルディの前で、デューレイアに問う意味がわかっているからである。酷なようでも、ルディは知るべきなのだ。今回の場合、隠すのは後々災厄を呼び寄せかねない。
王宮はかつての兄妹をぶつけることでルディシアールを揺さぶり、彼の心が何処に振れるのか、その針の先を見極めたかった。ルディにとって最も大きな存在であるのは誰かを探る切っ掛けにしようとしたのだ。もちろん、彼等元兄妹の処分の口実を狙ったのも否定しない。
ルディを挟んで、デューレイアは扉の横に立ったままブランと話をする。今のブランにあまり近づきたくない気持ちから、少し距離をとったのだ。気休め程度だが。
全身を強張らせたルディの後ろ姿を、いたましそうに見つめながらも、デューレイアは冷静さを保つように落ち着いた口調を心掛けた。
「利用はするが、手札として確保するより、排除を選択したか」
処分するついでの有効利用であるとは、身も蓋もない表現だが、そんなところだろうとブランは思う。
「僕が‥‥‥僕のせいだ。‥‥‥僕がいたから」
自分の存在がシエロ家に不幸をもたらせたと、ルディは自分を責めずにはいられなかった。
だが、ルディが自分を否定するのを、ブランは許さない。
「言ったはずだ。俺はお前が無事ならそれで良いと」
ブランの薄紫の瞳は揺るがず、ルディの存在を肯定する。
この存在が自分にとって、どれほど大きなものになっているか、ルディ自身でさえきっとわかっていない。リュレが自分にルディを与えてくれたことを、口にこそ出していないが、ブランは何よりも感謝していた。
身勝手だろうが、それが本音だ。
何度でも、ブランはルディに言ってやる。
そして、真実だからこそそれはルディにも伝わるのだ。
自分を認めてくれる人がいる。
他の誰でもない。ルディに魔法を与え、導いてくれる人だ。ブランはルディに、ここに居ていいと言ってくれている。
その想いを否定できないなら、ルディも自身を認めなければならない。自分を否定する言葉を言ってはいけないのだ。
「アンタが自分を責めることはないわ」
デューレイアは、ルディを苦しめる者の方を責めたいくらいだ。
「仕組んだのが王宮で、騎士であるわたしが言い訳するのもなんだけど、ある意味彼等の自業自得よ。考え無しにも程があるわ」
もう少し周りの状況を読んで、自分達の置かれた立場を自覚していれば、こんなことにはならなかっただろうとデューレイアは思った。
「王宮が強行手段に出たのは、推測だが、見過ごせない事態とみたからだろう」
ブランが自分で言うように、確証はない。だが、逆に王宮、カレーズ侯が動いたと言うことが、それを肯定していた。
あの男は時に非情ではあるが、理由なく強硬な手段で人を処断するような真似はしない。必要と思えば、躊躇なく切り捨てるということでもあるが。
また、そうであればブランにも思い至るものがあった。
「お前を狙う者は少なくないが、ルディ、お前の存在を排除したい筆頭は誰だと思う?」
「ちょっと、ブラン」
不意に容赦のない問いかけをしたブランに、デューレイアは驚く。ここで重ねて随分と酷な質問をするものだと思う。
しかし、あえてブランはルディに現実を直視させることを選択した。
知らないことは、害になり、これは隠すべき事ではない。
「‥‥‥マルドナークですか?」
少し考えてから、ルディは小さな声で答えを口にした。自信がないのか、疑問形だ。
「どうしてそう思う?」
「あの‥‥‥今までの優位がなくなります」
魔法鞄を始めとした空魔法の魔導具による恩恵を、軍事力に注ぎ込んできたマルドナーク皇国が持つ優位性が損なわれる。そう答えたルディに、ブランは頷いた。
「まともに考えればそうなるな。もともと三大国として並ぶマルドナークとユエ以外にとっては、エール=シオンが空魔法の恩恵で優位に立とうと、あまり関係がない。もとよりエール=シオンと張り合える地力を持っていないからな。むしろ、魔法鞄を他国にも流すことがわかれば、表立っての下手な手出しは控えるだろう」
リュレの進言通り、エール=シオン国内を優先させはするが、魔法鞄など一部の魔導具は他国にも出すことが決まっていた。それだけでも、喉から手が出るほど欲しがる国がほとんどだ。
その恩恵に与れることがわかれば、空魔法の使い手の排除に動くことが、必ずしも得策でないと判断するだろう。
もちろん、様々な利害関係から一概には断言はできないが、国力の差が埋め難いものである以上、エール=シオンと敵対したいと思う国はそうはなく、進んで火中の栗を拾う国もまた同様である。
ただ、空魔法の使い手が他国の手に渡る恐れや、エール=シオン一国が抜きん出るのを望まない国も多いし、潜在的な危険を忌避しようという心理はあるから、気は抜けないという。
「着眼点は悪くない。お前の命を欲しがる筆頭はマルドナークではなく、ユエの住人だ。お前を狙って、これまで送られてきた刺客の出処の大半が、此奴だろう。証拠はないがな」
簡単に尻尾を掴ませるほど生やさしい相手ではない。
特に、一番最初に学生街で襲ってきた刺客達だ。捕まえた暗殺者はそこそこ手練れだが、ブランの顔を知らず、標的に異名持ちが付いている可能性を知らされていなかった。
護衛が付いていることはさすがに情報として与えられていたが、訳ありの貴族に関わりのある子供だと匂わされたらしい。
急ぎの仕事として高い報酬を前払いされたというから、完全に使い捨てである。
直接暗殺の依頼をした人物は既に消されており、その先を辿ることはできなかった。だが逆にその周到さと動機、更には暗殺の手配の速さから、黒幕が誰かは明らかである。
「ユエの‥‥‥国じゃなくて?」
「コカ・ラン・デテ、ユエの情報屋だ。奴の情報網は空魔法あってのものだ。お前の存在は障害でしかない」
「ましてアンタは異名持ちの卵よ。自分より強大な空魔法の使い手なんかには、いて欲しくないでしょうね。嫉妬は人を殺す理由になるわ」
びくりと、ルディは息を飲んだ。
「お前に力があったのが間違いだ」と言ったリュシュワールの顔が脳裏に浮かぶ。彼に向けられた憎しみの根源も、また嫉妬であった。
「奴については、それだけじゃない。奴とマルドナークの侯爵夫人、それにルディ、お前を入れて三人だ。空魔法の使い手が少なすぎるとは思わないか?」
現在、世界にルディを入れて三人。稀少といわれる四属性外魔法、光や闇と比べても空は余りに少ない。
「それは、思います」
「そうねぇ、アンタは例外としても、転移クラスの使い手はともかく、空属性自体がここまでいないっていうのも考えてみればおかしいわよね」
「過去の記録を調べてみたが、魔力の少ない者を含めて、大戦以前には、二桁を数えるほどには存在していた」
「それ、どういうこと?」
ブランの言ったことに、デューレイアが声を上げる。
調べ始めたのはルディの空魔法を明らかにしてからだから、調査時間は十分とは言えない。未確定や憶測も混じっているとブランは断った。それ以前に手を付けなかったのは、空魔法に関わる調査から、ルディにつながることを恐れたためだ。
「ババアと調べたが、近年においても空属性がまったく生まれていなかったわけじゃない。原因は様々だが、幼少時、あるいは力が表にでて間もなく、ほぼ全員が死んでいる」
「死んでって、ほんとなの?」
「不慮の事故が最も多いが、病死となっているのも怪しいところがあったようだ。拉致されて行方不明というのも、その後、生存の記録がない」
「もともと空魔法の使い手はいろんなとこから狙われやすいとはいえ、おかしすぎるわよ」
「大戦と戦後のゴタゴタで多くが死に、一時的に数自体がかなり減っていたのは確かだ。だが、空魔法使いの不慮の死と、新たな使い手が出なくなったのが、五十年から六十年前、ユエの情報屋の先代が台頭してきた時分を境にしている」
「まさか」
デューレイアは息を飲む。ブランが何を言いたいのかがわかったのだ。
今存在する空魔法の使い手は、ルディ以外に二人。ユエの情報屋の二代目、そしてマルドナーク皇国の侯爵夫人だ。
「確証はない。が、マルドナークの侯爵夫人は、空魔法の使い手と知れた時には、すでにミーティ侯爵が抱え込んでいた。一時期、皇国は琥珀の魔術師を付けていたそうだ」
「マルドナークを怒らせる危険を冒すほど、彼女の魔力は高くない。でも、空魔法の異名持ちはさすがに見逃せないってこと」
「考え過ぎなら良かったんだがな」
「馬鹿言わないで」
確証はないと言ったが、否定するのは危険過ぎる。
「言っただろう、お前は運が良いと」
表情をなくしている教え子に、ブランは柔らかい口調に変えてそう言った。
「‥‥‥でも」
「信じたくないか?」
ルディは首を横に振る。
「いえ‥‥‥可能性として否定しちゃ駄目だってことですよね」
良くできたと、ブランは頭の良い教え子の答えを肯定した。
「こちらが大人しく付きやってやる必要もない。やっかいな相手ではあるがな」
「自分は動かず、他人を操るのが得意って、ヤな奴よね」
評判はデューレイアでも聞いている。彼女が一番苦手とするタイプだ。
「あ‥‥まさか‥?今回のことって」
デューレイアが思いついたように視線を向ければ、ブランも頷く。
「奴が糸を引いていたとしても不思議じゃない。もともとあった、ルディに対する憎しみを煽るなど容易いことだろうな」
「だから、王宮は危険の芽を摘むために、彼等の排除を選択したというわけ?」
こんなにも急に強硬な手段にでた理由を、それでも納得しかねる心情で唸りながら口にするデューレイア。
「カレーズ侯は、放置すれば更に事態が悪化すると判断したんだろう。仮にそれでルディが王宮に対して隔意を抱くとしても今更な話だ。それより、悪意の芽が剣に育ちきる前に、危険を取り除くことを優先した」
血のつながりは時に最も危険な刃となり得る。まして、それがルディシアールに悪意を抱いているとなればなおさらだ。そんな危険な存在を、ルディシアールの近くに置いておくなど、カレーズ侯には許容できなかったのだろう。
「確実でなくても、ね。ルディだけじゃなく、貴方達の反感を買ってでも、そうすべきだと判断したってことね」
カレーズ侯の判断が間違っていたとはいえない。それでも、もう少し手段を選べなかったのだろうかと、デューレイアは思う。
「俺たちの反感など、侯にとっては取るに足らない問題だ。極端な話、侯はこいつが所属する国として、エール=シオンが最良だという前提を崩さないように動くと考えて良い」
逆に言えば、ルディがそれでこの国を捨てるほどのことではないと承知しているからこその、強権の行使だ。奢りといえばそのとおりだが、王宮というのはそういう存在である。
「ルディが所属する国として最良、ね。それは貴方もそう思っているってことで良いの?」
ルディにとって、最も影響力のある男の意見をデューレイアは問う。
「そうだな、俺もこの国は、そう悪くないと思っている」
それはブランの本音でもあった。国なんて多かれ少なかれ、良い面も悪い面もある。誰にとっても、理想通りの国など存在しない。
ルディにとっていえば、ここは生まれ育った国だ。そして、現在の状況も、二人の異名持ちの加護があればこそであっても、王宮相手に交渉できる余地があるのだから、悪いとはいえない。
仮に、エール=シオン以外に生まれていたら、ルディの運命は今とはまるで違っていただろう。
コカ・ラン・デテの件がなかったとしても、マルドナークであれば命はあっても、早急に国に取り込まれ、ユユレナ・ミーティ侯爵夫人のように、自由のない雁字搦めの扱いを受けていたかもしれない。また、弱小国であればより力を持つ国にでも拉致されるか、殺されていたかもしれなかった。
それを思えば、ブランの言うようにルディは運が良い。
「この国に、俺たちを受け入れられる力があったことは、互いにとって幸いだな」
そういう意味で、今の答えは自分を含めてという意味でとってもらって構わないと、ブランは言った。
そもそも、いくらリュレの存在があっても、気に入らない国にブランが留まっているはずがないのだ。
ブランの返答に、デューレイアはほっとする。
少なくとも、これ以上悪い事態にはならずにすみそうだからだ。
「貴方がそう言ってくれて、正直助かるわ。今回のことも、やり方はともかく、王宮はルディを護ろうとしたのでしょうし」
でも、とデューレイアはルディの背中に声をかける。
「ごめんなさい、ルディ。わたし達が貴方を傷つけてしまったのも事実だわ」
自分のミスだと、謝罪するデューレイアに、ルディは首を振った。
「姉さんが悪いんじゃない。僕が甘かったんだ。僕の甘さが‥‥‥」
デューレイアはともかく、王宮やそれに従った騎士達を責める気持ちは、少なからずルディの中にもある。
それならいっそ、全部を王宮のせいにすれば、まだ楽だっただろう。けれど、どうしてもルディの性格では、人のせいにできず、自身の中に抱え込んでしまう。
「お前に家族を捨てさせたのは俺たちだ」
捨てられないものを、ルディから奪った。ルディを護るためと言いながら、自分達の都合を優先させたとブランは言う。
「‥‥‥それは、僕のためです」
ルディにも理解できる理由を提示された。それで仕方ないと、受け入れたのはルディ自身だ。
「お前だけを護ることを選んだ。お前以外のものを切り捨ててだ。だから、お前には責める権利がある」
最初から、ルディ以外を切り捨てることを考えた。護れたかもしれず、失わずに済むかもしれないのに、最悪の事態を想定し、可能性を潰す選択を強いた。
「そういう意味では、俺やババアも王宮とそう変わらん。それにもかかわらず、今回のようなことを許してしまったしな」
少し甘かったと、ブランの中にも後悔がある。もっと早くに別な方法で、あの兄妹をここから遠ざけておくべきだったと思う。
親友や家族を捨てさせ、苦しんでいたルディを、それ以上に傷つけたくなくて、結果として後手に回ってしまった。
「いいえ」
リュレやブランだとて、すべてを見通しているわけではない。全部に手を回すことなど不可能だ。
それがわからないルディではない。
それに、家族を捨てる選択を強いたのは、想いを無視するような酷いことだったと言われても、ルディにはブランを恨む気持ちなど浮かばなかった。
むしろ嬉しいとさえ思う。
この人に選ばれたことに、何にも勝る喜びを感じてしまう自分は、本当に酷い人間だ。
「僕だって選んでいたんです。僕は魔法を選んでここにいます」
身勝手なのは自分も同じ。
全部を飲み込んで、ルディは自身の望みを口にした。
「後悔ならいっぱいあります。でも、それよりも僕は強くなりたい。先生の横に立てるように」
これだけはずっと抱いていた、ルディシアールの譲れない望みだ。
「いつかきっと、僕は貴方の背を任せられる存在になります」
「大きく出たわね」
やっぱり男の子ねと、デューレイアは護られるだけであるのをよしとしない気概を喜ばしく思う。
黒の魔法殺しが背を預ける存在になると言い切った少年に、デューレイアは素直に感嘆した。
無理だとは思わないくらいには、自分はこの少年を認めていたのだ。
そして、思っていた以上に、この少年は強いのだと知った。
傷ついているし、苦しんでいる。それでも、前へ踏み出せる強さがルディにはある。
「いいだろう」
ブランもまた笑い出したい気持ちを堪えていた。
この少年が、自分の望んでいる存在になると言い切った歓びゆえにだ。
一度は得られると思い、なくしたもの。望むことを諦めていたものだった。
可能性を前にして、待つことは苦ではない。この存在に、半ばは叶えられたようなものだからだ。
「ルディ、彼等の処分が決まったら知らせるわ」
「姉さん?それじゃ」
殺されていない。リュシュワールもアリアルーナも、生きているということだと、ルディは悟る。
「どうなるか、まだわからない。正直、貴族相手の殺人未遂だけでも、死罪になる可能性はあるわ。それだけは覚悟しておいてちょうだい」
見逃すことはできない。そう言われて、ルディは表情を硬くしたが、取り乱しはしなかった。
「もし、貴方が知りたくないと言うなら」
「教えてください。‥‥‥僕は知らなくてはならない。そうですよね」
デューレイアも最初、ルディには知らせずにおこうと考えもした。期待を持たせておいて、厳しい結果となったら、余計に残酷だと案じたからだ。
どんな結果となっても、ルディが傷を負わずには済まないからである。
「そうよ、貴方は知るべきね。でも、自分を責めるなと言っても無理だと思うけど、全部の責任を負おうと考えるのは傲慢よ」
貴方にすべてをうまく運べる力などない。だからこそ、自分の無力を必要以上に悔いることは、愚かしい行為でしかなく、許されないことだとデューレイアは言う。
「貴方のするべきことは、受け止めること。それだけで十分よ」
そして、デューレイアは事実を受け止めることができると、信じている。
それだけの強さがこの子にはあると知ったからである。
ずっと迷っていましたが、保険として ボーイズラブ、ガールズラブのタグを追加しました。保険です。




