女剣士の対決
三人目の空魔法の使い手。それだけでも各国の関係者が、自国へ急使を立てる‥‥‥知らせを送るには十分なものである。それに、その者が将来の異名持ちの可能性、それはほぼ確実であるという追い打ちをかけられればどうなるか。
その一つの結果が、今の自分の状況だとウェリンは思った。
試験前だというのに、朝から外出することになったのは非常に不本意である。
それを強要したユルマルヌ公国の公使の心情は、ウェリンでも察して余りあるものだったとしてもだ。
まして、その結果が失望と落胆を隠せない顔である。予想されていたものの、それを向けられたいらだちは、元凶ともいえる存在を前にして、八つ当たりに転化した。
ルディシアールが悪いわけではない。
そんなことはウェリンにはわかっている。けれど、彼が異名持ちの卵でさえなければ良かったと、彼女はどうしても思ってしまうのだ。
「ルディシアール・クリシス、貴方が異名持ちになるというのは事実ですの?」
図書館で、参考書を返すべく自習室から出てきた廊下で、ルディと顔を合わせたウェリンは、無礼を承知で問いかけた。
彼が将来の異名持ちであると聞きつけたからこそ、彼女の国の公使は、ウェリンと金の魔術師を対面させるよう急遽手配したのだ。
そして、彼女は昼過ぎに学校に戻ってきた。寮の自室でひとしきり気を落ち着け、それから図書館を訪れたから、気持ちの整理はできていたつもりであった。
たまたま、このタイミングでルディシアールとばったり出会わなければ、こんな真似はしなかっただろう。
「僕の魔力はいずれ人の境界を超える。リュレ様にはそう言われた」
今更隠すことではなかったから、正直にルディは答える。
リュレ、ブラン、そして琥珀の魔術師。将来自分が彼等と同じものになるというのは、ルディ自身も認めざるを得ない。それこそ理屈ではなく、感覚、同類を見分ける本能のようなものが、何よりもそれを事実であると教えている。
「何故、何故貴方でしたの!」
何故といわれても、ルディに返せる答えは一つしかなかった。
自分は、そのように生まれついてしまったのだと。
ユルマルヌ公国の公使が、自国の四属性持ちである子爵令嬢を金の魔術師の元へ寄越す理由は、異名持ちであるか否かの判定でしかない。
リュレの館を訪ねてきたウェリンとユルマルヌの公使は、家令のハルドレッドに案内され、応接間の長机を前に座り、女主人を待った。
女伯爵の王都の館は、豪奢ではないが上品な佇まいであったが、ウェリンには周囲を見る余裕はなく、固く口元を引き締めていた。緊張もあるが、それ以上に怖かったのだ。
黄金の天秤操者の告げるものが、隣に在る公使の、ひいては公国の期待を裏切るものであると、予想できてしまうからだ。
黄金の髪と瞳を持った麗しい女主人が、優美な姿を現したのに、二人は立ち上がって礼を取った。
自己紹介を終え、客人と机を挟んで向かい合わせに座ったリュレは、真っ直ぐに黄金の瞳をウェリンに向ける。
そして、前もって依頼されたことの答えにあたる決定的な言葉を紅い唇から紡ぐ前に、ひとつの前置きを問いかけの形にした。
「ふむ、貴女はわたしの息子、ルディシアールの魔法を見たことがおありかな?」
ルディのクラスメイトであるウェリンに、リュレは尋ねる。
「はい」
揺れる瞳の奥、ウェリンの脳裏に甦る圧倒的なルディシアールの魔法。
無詠唱で、息をするように行使される魔法は、底の見えない魔力とともに、絶望的な違いを彼女に見せつけた。
技量とか、魔力量の問題ではない、根本的に彼は違うのだと否応なく知らされた記憶。
「では、そういうことだ。貴女にはおわかりだろう」
リュレの言う通り、ウェリンにはそれで十分な答えだった。
彼女は硬い表情をしたまま、黙って頷いた。
しかし、公使にはそれでは伝わらなかったようだ。それは仕方ないだろう。彼にはルディシアールの魔法を見る機会がなかったのだから。
「金の魔術師殿、失礼ながらそれはどういうことでしょうか?」
「公使殿、異名持ちとはなるものではない。まずはそれをご承知いただきたい」
一国の公使であっても、異名持ちという存在について、誤解しているものがある。
そのうえで、リュレは問いかけについての答えを口にした。
「ウェリン嬢は優れた才能をお持ちだ。その才を正しく磨かれることで、良き魔術師となられよう。だが、異名持ちはそれとして生まれるもの。貴方は貴方として生まれ、異名持ちではない。それと同じだ。ゆえに、くれぐれも本人の責ではないことを、忘れられぬように願いたい」
つまるところ、ウェリンは異名持ちにはならないと、公使にも理解できた。
同時に、そのことでウェリンを責めてはいけないと、リュレは言っているのだ。
四属性持ちであるから、周囲が勝手に期待し、違ったからといって、彼女の責とするのは筋違いである。
だが、そう諭されても感情はどうにもできないものだ。
失望を隠せなかった公使が、それでもウェリンに当たらなかっただけマシであったのだろう。
「ウェリン君、何があったか大体見当が付くから言わせてもらうよ」
やはり数冊の本を抱えたローレイが、僭越だがと横から口を出す。
「君は四属性持ちではあるが、ルディ君とは違う。少なくとも僕達、一組のクラスメイトならわかっていることだ」
「ええ、そのとおりですわ」
「だがそれは君の問題であり、ルディ君にとやかくいうことではないだろう」
「そんなことわかっていますわ。わたくしは異名持ちにはなれない。それだけのことですもの」
自暴自棄になっているからこそ、口に出せた事実だ。
彼女は異名持ちになりたかった。正しくは、ならねばならないと思い詰めてさえいた。
何故といわれれば、答えはある意味単純である。
周囲が期待したからだ。
四属性持ちであったがために、異名持ちとなる可能性を期待され、それに応えたかった。
矜持もあったし、四属性を使える自分に自惚れてもいた。
ルディシアールの魔法によって、それを打ち砕かれるまで。
自分がたまたま四属性を使えるだけの、ただの魔術師であると思い知らされ、悔しくて、目の前が真っ暗になり、泣きたくなった。
自らの自信の拠り所を否定された初めての挫折感。それにもまして、何より失望するだろう周囲の目が恐ろしい。
彼女の、他に当たりどころがなかったがゆえの、感情の発露先にされたルディは、ただとまどった表情をしているだけだ。
ルディはウェリンが異名持ちになることを期待されていたと知らなかった。誰も彼に教えなかったからだ。
確信もなく大っぴらに口にできるほど、異名持ちの存在は軽いものではない。特に、金と黒の異名持ちが、直接関わる王都魔法学校ではましてだ。だから、先生達が表立って口にすることはない。それこそ、ルディのように複数の異名持ちが、確信を持って言い切った場合でもなければだ。
そして、あまり他の生徒とかかわることが少ないルディが、噂の形にしかなっていないウェリンの事情に触れる機会が、たまたまなかったのである。
国にとって大きな持ち札となる異名持ちは、その本質を、ほとんど世に知られていない。
隠したわけではないのだが、異名持ちと深い交流を持つ人物は限られており、その中で、たまたま彼等の魔法の異質さに気づいた者達は、大抵大声で言いふらすようなことではないと、自重する立場にあることが多かった。
そのためもあり、生まれながらの異質な才のあり方を知らず、ただその強大な力と、四属性を使えるという、表面だけしか知らぬ者達が多い。
そして、それゆえの誤解が原因で、故国をはじめとする人々はウェリンに期待し、彼女を追い詰めた。
逆にルディは、失望と蔑みの対象としての視線に、さらされ続けてきた。
だが、期待されなかった過去も、現在も、彼にとっての魔法の価値観は自身に完結している。
異名持ちにとっての魔法は、自身の裡にのみその価値を求めるものであり、残酷なまでに他者の評価を必要としない。
ルディと、ウェリンにとっての魔法の価値観の相違が、そのまま二人のあり方の違いだった。
二人の事情を知るローレイが間に入ったのは、この場合幸運であっただろう。そうでなければ、どこまでも平行線でしかなかっただろうから。
「ならば、ルディ君が羨ましいと、君は思うのかい?」
「それは‥‥」
ウェリンはルディが羨ましいのかとローレイに問われ、すぐに肯定できないことに気づいた。
ローレイは、たとえば彼と同じように魔法と引き替えになくすものを許容できるかと、彼女に言ったのだ。
揺れる瞳を銀の髪を持つ少年へと向ける。
「あ‥貴方の評判が悪いのも、友人がいないのも、自業自得ですわ」
本当は違うとわかっていても、ウェリンは素直に認められなかった。
「そう、だね」
今更だ。誰よりもルディは自分でそう思っていた。
反論しないルディに、罪悪感が湧き上がる。ルディシアールに言うには、酷いことだと口にしてから後悔してしまったのに、謝れない自分の方が傷ついている。
ルディが異名持ちの卵だというなら、空属性は彼の固有魔法ゆえのものだ。
不世出の魔法の才のために、彼がなくしたもの。彼が得ることができなかったもの。それを思えば、強大な力が決して幸せだけをもたらせるものではないとわかる。
彼女が欲しかったのは、そんなものではなかった。
「ウェリン君。君にかけられていた期待は知っている。でも、それは別にして、僕は、君自身はとっくに乗り越えていたと思っていた」
ローレイは素直になれる余裕がないウェリンを、少しだけ責める口調で言った。それは、ウェリンに自身を省みることを促すものでもある。
「貴方になにがわかるというの‥‥‥わたくしは‥‥ずっと‥」
異名持ちになれないことで苦しんできたのだと、心の中で叫ぶ。
けれど、眉を顰め、視線をローレイに返した彼女は、そこではっとした。
自分が異名持ちになれないと知ったのは、今日ではないと改めて気づいたのだ。
ずっと悩み、苦しんできた。だから、自分には心の準備ができていたのではないかと思い当たったのだ。
ルディシアールに魔法で完敗した時のドン底に落ちたプライドは、敗者でいることを自分に許さなかった。
練度が不足していると言われても、四属性にこだわり続け、ルディと再戦してクラスメイト達と一緒にペシャンコにされた。
あの時から、今日までの時間で、魔術師としての自分を見つめ直したのではなかったか。
彼女自身は、異名持ちになれない自分をとっくに認めていたのだ。
金の魔術師の宣告にショックを受けなかった。
ついに言われてしまったと、覚悟ができていた時がきたのだと思った。
それを、乗り越えていたというローレイは、きっと正しいのだろう。魔術師としてなら、ウェリンは現実の自分を直視している。
思えば、彼女は、今日は周りの目のことばかり考えていた。
自分の魔法についてではなく、期待に応えられなかった自分への哀れみのことしか頭になかった。
どうしようもないことだけを、思い悩み、ルディシアールに八つ当たりした。
彼女が異名持ちにはならないことを知った故国の者達には、失望されるだろう。今日の公使のように。
その結果、離れていく者もいるに違いない。
それが辛いと思っていた。
だけど、と少しだけ冷静になった頭で考えを改める。それはむしろ四属性の魔術師に、もしやの未来のみを見ていた者達だろう。
もし彼女の周りから誰もいなくなったとしたら、四属性を使える自分に驕り、それだけの関係しか築いてこれなかった自分のせいだ。
本当に、ルディを責めることではない。
しかし、気づいてしまえばそれはそれで、彼女の劣等感を刺激した。
理不尽なことを言った自分を責めるでもなく、戸惑った顔をした綺麗な銀の雛。淡い青の瞳に写る馬鹿な自分が、ウェリンの心を締め付ける。
「ええ、わたくしの問題ですわ。貴方に言っても仕方ないことだったのですわね。だって、貴方にはきっとわからないことですもの」
ルディにはわからない。それが悔しいのか、こだわる自分が情けないのか、ウェリンはどうしても素直に非を認められない。
こんなことは違うと心のどこかでわかっていながら、ウェリンは謝ることができなかった。
「彼女の言うとおり、これは君がどうこうという問題じゃない」
気にするなと、ローレイはウェリンにかける言葉を見つけられずに後ろ姿を見送ったルディの肩に、手を置いて言ってやる。
「う‥ん‥‥なんとなく、僕が口を出すことじゃないってのは‥ね」
事情がわからなくて、戸惑いの方が強く、何も言えなかったルディだ。
「放って置いてあげた方が、ウェリン君も落ち着くと思うよ」
「そうする。ありがとう」
それでは試験勉強の続きをしようと、別の本に借り換えるために、二人は目的の部屋へと向かった。
今日のカウルスの相棒兼部下は派手な金髪のリステイルではなく、血のような赤毛の女兵士だった。もとは第二師団にいたという。
その彼女は、現在デューレイアと剣を持って対峙していた。
ちなみにカウルスの所属する王都守備連隊も近衛連隊も、形式上は第三師団に属している。
魔導騎士を最も多く有する精鋭の第一師団、騎兵と強兵を揃えた遊撃の第二師団、竜騎士を擁し王都防備の任を負う防衛の第三師団の三つが、王都とその近隣に常在する師団だ。
現在王都魔法学校と空魔法のルディシアール・クリシスの護衛についているのは、第三師団の王都守備連隊に特設された中隊規模の部隊である。
部隊長の騎士ハルシオ・レンクローダを含め、隊の大半はもともと守備連隊の所属者であるが、それ以外にも警邏隊や他の師団から人材が集められた。
その中でデューレイア・イル・ヴェーアが、第一師団に籍をおいたままの出向扱いとなったように、魔導騎士の多くは出向者で占められていた。
護衛対象が異名持ちの卵であることに加え、場所が王都魔法学校だ。魔術師を相手取る任務となれば、護衛も魔術師は必須となる。
ただし護衛対象が必要とする楯が、必ずしも魔術師でなくとも良い。むしろ、魔術師の隙を埋める技能を持つ騎士、兵士が推奨されることであったのは幸いだった。
王国軍においても魔導騎士は、足りているには及ばない人数であるのだから。
その中で、今デューレイア相手に剣を振るっている女兵士、ネリーネは特筆されるべき存在だった。
もとよりルディと縁が有り、自ら申し出たデューレイアは、二つ名の通り火魔法を得意とする性格もあって、攻勢に強い魔導騎士である。
デューレイアは例外としても、護衛という任務から探知に秀でた者や護りに堅い者が選ばれた中で、ネリーネは攻撃特化というくらい、剣による攻勢を身上としていたのだ。
魔術師の隙を埋めるための剣士という選択はわからなくもない。
しかし、彼女の場合、いささか度を超すほどに強さを求めていた。
王国軍には女性の兵士や騎士もいるが、どうしても女性は体力、腕力で男性に及ばない。中には例外がいるにしても、基本的に最前線で戦える腕を持つ者は少ないと言わざるを得なかった。それこそデューレイアのように、二つ名まで持つ腕の持ち主は滅多にはいないのだ。
守備、援護に徹する後衛の専任、あるいは要人の警護隊や輜重隊、救護隊に属する者がほとんどである。
それだけに、中には女性であるという偏見から、一線級の女性兵士を侮るような兵士もいないわけではなかった。
ネリーネはそんな輩を見返すとばかりに、一時は突っ張って喧嘩を売りまくっていたこともある。
そして、意地になっているうちに、彼女は強くなるという行為そのものにはまってしまったのだ。
有り体に言えば、自分より強い者に勝負を挑むのが楽しくて仕方がないのである。
それで、ルディの剣の訓練が終わった直後に、デューレイアに勝負をふっかけたのは、むしろ当然ともいえた。
「ねえ、胸の無駄にでかい魔導騎士さん。その子相手じゃ物足りないでしょ」
本音はデューレイア相手に、ルディシアールが得意とは言えない剣の訓練をするのを無駄と言いたいくらいだった。
その前に、黒の魔術師相手の魔法の組み手を見ているからなおさらである。
あれだけ魔法が使えるのだ。下手な剣など、練習するだけ無駄じゃないかと、ネリーネは思う。
実際は、剣の間合いを身体で覚えることも、魔法抜きの鍛錬も、決して無意味ではないのだが、見ているだけのネリーネとしては、馬鹿らしく見えてしまうのだ。
「せいぜい新米兵士くらいの腕よね。殲滅の紅焔なんてご大層な二つ名を持ってる人に教えられてその程度じゃ、やらせるだけ無駄じゃないの」
隣でカウルスが慌てているが、ネリーネにとっては正直な気持ちだ。
上位者である騎士に対する口の利き方ではないが、大らかな気質のデューレイアはその程度、笑って流せる度量の持ち主だ。というより、みるからに喧嘩を売ってきているのだ。デューレイアとしては、面白いと思うのが先に立つ。当然、受けて立つ気でいる。
また、一方のルディも、自分に剣の才能がないのはわかっているから、辛辣なことをいわれても、この程度では怒る気にはなれない。
これまでネリーネがこんなふうに喧嘩をふっかけた相手は、総じて彼女の口の悪さを流せるような相手であった。ネリーネ自身も性に合わないうるさそうな相手とは極力付き合わないし、近づかないという感じであったから、互いにうまく避けられていたのだろう。
もっとも、そんな彼女の言動を疎ましく思う者も当然存在する。
今回ここに配されたのは、見かけは悪くない若い女で、そのくせ腕も立つから、うまく駒として使えという意図の奥に、厄介払いの気配も透けて見えていた。
魔法学校に過剰ともいえる中隊規模の兵が配されたのは、空魔法の警護を名目、あるいは囮として、防備だけではなく、この機に王都に潜む他国の尖兵を筆頭とする輩を殲滅するためでもある。
狩りのために伏せられた刃。捨て駒として使い潰しても構わないという意図をどこまで察しているのかはともかく、仮に承知していたとしても、ネリーネはこの女騎士との勝負がその代価であっても構わないという気にすらなっていた。
ゾクゾクする戦いの予感は、きっと彼女を裏切らないと確信する。
「新米兵士ね。上等じゃない。努力する子は好きなのよ。それに、綺麗な男の子を鍛えるのは愉しいしね」
最後に本音がくっついたが、デューレイアとしては悪い評価ではないと思った。
ルディが魔法学校に入学し、デューレイアが最初に剣を教えた時には、彼はまともに剣を振るえない程度の腕しかなかったのだ。
それが一年と少しで新米兵士とは、大した上達だと逆にデューレイアは評価する。ちなみにここでいう新米兵士とは、兵役で徴兵されたなどの本当の素人ではなく、王国軍の正規兵士としての試験を経て入隊してきた新米を指している。
それで言えば、ルディの上達はかなりのものであるのだ。
「第一師団の魔導騎士が、こんなとこで男漁ってるとはね」
相手が異名持ちとその卵だとは聞いているが、そう言いたくなるのも無理はないくらい、なにしろこの師弟は半端なく美形だった。
ここでネリーネがデューレイアではなく、黒の魔法殺しに喧嘩を売らなかったのは、身の程を知っていたからではない。単に魔法がネリーネの範疇外だったからだ。
もし彼女がブランの剣の腕を知っていたら話は違っただろうが、あいにくというか、幸いというべきか、ネリーネは彼を魔術師としてしか認識していなかった。
「ふーん。わたしに喧嘩売りたいなら、はっきりと言いなさい。別にガキだからって、無視したりしないわよ」
「ガキですって。どこ見てほざいてんのよ」
小柄だがネリーネは十九歳であり、成人だ。別に童顔というわけでなく、彫りの深いそこそこ整った顔立ちをしている。もっとも、殺気を漲らせたギラギラした目で威嚇するように睨み付けているから、そんなものは問題外の域にあった。
そして、デューレイアの視線はわざとらしく、身体のある部分にとめられていた。
「まだ成長途中だと思って言わないでおいてあげたのに。そう、残念ね」
上から目線で、優越感たっぷりに豊かな胸を反らすようにして、デューレイアはネリーネを挑発する。
少しばかりネリーネの胸が小さいのは事実だったが、デューレイアのは規格外に大きい。
「上等じゃない。その邪魔そうな肉の塊、ぶった切ってあげるわ」
「できもしないことほざくんじゃないわよ。胸と違って、言うことはでかいわね」
「‥‥‥殺す」
どちらも剣の柄に手をかけ、今にも抜いて打ち合おうというところで、両者の丁度中間を、絶妙なタイミングで風刃が走り抜けた。
「やめろとは言わんが、立ち合うなら真剣は使うな」
ウンザリとした顔をしつつも、女の戦いに介入したブランを、カウルスは心底から賞賛する。
カウルスは最初から逃げ腰どころか、逃走するタイミングを伺っていたくらいだ。
「ルディ、ちょっと模擬戦用に刃引きした剣借りてこい。ロングソード二本だ」
あいにくと、ここに練習用の剣は在庫がない。
ブランが見たところ、デューレイアとネリーネの剣の腕は互角に近い。さすがに真剣でやり合ってもらっても困る。
「はい。直ぐに借りてきます」
心当たりは訓練場だ。今にも戦いを始めそうな女性二人の険悪な空気に、慌ててルディは転移で跳んだ。
「済みません。ロングソードの刃引きしたの、二本貸してください」
丁度休憩時間になってやれやれとのびをしていたレムドは、突然転移してきたルディに目をみはる。
幸い訓練場には、師範が三人いただけで、ルディの幼馴染み達を含め、生徒の姿はなかった。
「驚かせるな。ったく、ロングソードだと?」
「はい。あの、デューア姉さんが護衛の人と模擬戦するから、借りてくるようにって、先生に言われたんです」
ほとんど決闘というべきだろうが、一応模擬戦である。
「相手は誰だ?」
「えっと、赤い髪の女の兵士さんで、たしかネリーネさん‥‥」
練習用のロングソードを選んでルディに渡してやりながら、それを聞いたレムドは、もう二本予備にと手に取った。
「狂花か。おい、俺も連れてってくれ」
「えっ?」
「紅焔と狂花の立ち会いだろうが。コイツは見逃せん」
つくづく王国軍の、特に王都の兵士、騎士の有名処には詳しい男だと、レムドの同僚達は思う。少々女性に偏っているところがあるのは、そこは男だし、仕方ないだろう。
当人曰くの、傭兵時代からの伝手を使うことを含め、趣味と実益を兼ねた情報集めの結果だ。
もっとも今回、特に護衛として学校に配備された兵については真っ先にチェックしているだろうから、即座に狂花の名が出たのだろう。
「あの、怖いですけど‥‥すごく‥」
物好きというか、怖いもの知らずだと、ルディはレムドに本気かといった目を向けた。
「だろうな」
自覚のあるレムドは苦笑しつつ、それでも前言を翻さなかった。
「試験前はこっちは暇だしな」
魔法実技と試験勉強に時間を取られるため、剣術など武技は基礎訓練をやる程度だ。剣の師範であるレムドの予定も、この後は空いている。いや、空いていなくても空けただろう。
怖いもの見たさの性格は、相変わらずだった。
そして、自業自得の如く、女の容赦ない戦いの恐さをしみじみと実感することとなる。
「‥‥‥前から思ってたが、女の戦いってのは、おっそろしいもんだ」
ぼそりと、小声でレムドは呟いた。
まったくだと同意しつつ、戦闘狂というのは度しがたいと、カウルスはしみじみと思う。
激しくぶつかり合う剣に、二人の女戦士は肉薄しつつ、互いに一撃を入れられずにいた。
身の軽さを身上に、重さと軽さを取り混ぜ、斬撃のなかに連続した多彩な突きを多用したネリーネの攻撃は、ロングソードとは思えない速さである。それを、まともに受ける愚を犯さず、デューレイアは熟練の剣捌きで距離を取りつつ、機を見て踏み込んだ。
カウンターの重い一撃を何とか堪え、ネリーネは巧く立ち回って体勢を立て直す。
「息上がるの早いわね。胸、軽いのに」
「うっさい!その乳、揺れまくって目障りよっ!邪魔でしょ」
「このくらいのハンデ、どうってことないわね」
「殺し合いに色気、振りまいてんじゃないわ」
どちらも荒い息をつきながら、舌戦を交えて、凄まじい戦いを繰り広げていた。
「うーー‥‥」
剣も凄いが、殺気を乗せて飛び交う台詞はもっと怖くて、ルディなどずっと固まっている。
ネリーネの「狂花」という二つ名は、強さを求める狂戦士のような戦い振りと、名と同じ花からつけられた。血のような赤い髪に相応しい二つ名だと、レムドは教えてくれた。
髪を振り乱し、鋭い掛け声を発しながら、容赦ない打ち込みを、受け止め、打ち返す。
どちらも、長時間の打ち合いで、息は上がり、見る目のあるものなら、そろそろ決着がつく気配が読み取れた。
「やばくねぇですか」
こそりとレムドがカウルスにささやきかける。
「刃が潰してあるとはいえ、鉄剣ですからね」
余裕がなくなってきたなかで、まともに入れば良くても骨がただでは済まないだろう。
「とはいえ、自分達では止められません」
そう言いつつ、カウルスの視線はチラリと黒髪の魔術師に向けられた。
わりと気が楽なのは、彼の存在のせいだ。剣でも魔法でも、彼がいれば止められるという安心感がある。この際、人任せでも情けないなんて言っていられない。
もっとも、戦っている二人からは、そんなものはとっくに抜け落ちていた。
相手を叩きのめす。
それしか考えていないのは明白だ。
すでに突き抜けている二人に、何を言っても届かないだろう。
互いに隙をうかがいながら、じりじりと間を詰めていっている。
「世話の焼ける」
ぼやきながら、ブランが動いた。
レムドの持ってきた予備の剣を手に取り、一見無造作に二人の間に踏み込む。
「邪魔をするな」
牽制のつもりか、ブランに注意を向けたネリーネの間合いに入り込み、剣を振るう。
受け止めたネリーネの剣を巻き込むようにしてとばし、そのまま身体を流して、デューレイアの剣を止める。
剣を滑らせるようにしてデューレイアの体勢を僅かに崩させると、足払いをかけて地に落とす。
「ここまでにしておけ」
すでに限界に近かった二人に、再戦する気力はなく、地に転がったデューレイアはそのまま。ネリーネも剣を失った腕を押さえて、崩れるように座り込んだ。
「‥‥‥な‥‥なんなのよ‥‥‥コイツは‥」
いくらヘロヘロになっていたとしても、こうも容易く自分達を打ち負かすことで止めた黒髪の魔術師に、ネリーネは呆然としつつも未だ闘気の名残が残った目を向ける。
吸い込まれるように打ち込み、気がついたら剣をとばされていた。こんなにも鮮やかな技には、かつて出会ったことがない。
「彼、化け物だから‥‥‥言っておくけど、わたしにも‥‥勝てないようなアンタが、‥‥挑めるような相手じゃないわよ」
地面に転がったまま、いまいち情けない状態で、デューレイアが釘を刺す。
「‥負けたわけじゃないわよ‥‥」
「そういうことに、しておいてあげるわ」
剣においては、互角だったが、これが実戦ならデューレイアが勝つだろうということは、誰でもないネリーネがわかっていた。
今回、デューレイアは魔法を一切使わなかったのだ。
単純に、魔法があれば更に強くなるというものでもない。剣に魔法を上乗せする技量を要求されるのだ。
魔法を使うことは、隙を作ることに繋がる。詠唱し、魔力を使う。それはどちらも使い手に負担をもたらせるものだ。
剣技を活かし、魔法を使えるからこその魔導騎士である。
この女騎士なら、自分と同等の剣を殺すことなく、魔法を撃てるだろう。
ただし、それはギリギリの状態だ。あと僅か、ほんの一枚ネリーネの技量が上がれば、その余裕は埋まる。
倒す楽しみがあるというものだと、ネリーネは単純に嬉しかった。強い存在は良い、挑み、倒すことが望めるから。
「次はその無駄にでかい胸が、邪魔ものだと思い知らせてやるわ」
指を突きつけ再戦を望むネリーネだが、デューレイアはあっさりパスと言い放つ。
「いやよ。わたし面食いなの。綺麗な強い男でもないのに、ヤるのはごめんだわ」
「色情騎士、男、食うことばっか言ってんじゃないわよ」
「褒め言葉だと受け取っておくわ」
憎まれ口を叩くのをやめない二人に、男はため息をつく。
剣で語った後のそれは、どうも男と女では微妙に違いがあるようだ。
激闘の末の空きっ腹に、出汁のきいたスープの味が染み渡る。
「美味っ!何このスープ」
おかわりをするネリーネを、デューレイアは睨み付ける。
「ちょっと、遠慮ってもの知らないでしょ」
そういうデューレイアも、すでに器は空に近い。
「いやいや、この魚もすっげー美味い」
白身魚のムニエルに舌鼓を打っているのはカウルスだ。
「おう、この貝。昔、南の港町で食って以来だ」
ちゃっかりと夕食の席に混ざっているのはレムドだった。
この貝の出汁がスープの決め手だと、レムドは傭兵時代に海辺の街で食べた記憶を呼び起こしていた。
「よく王都でこんな美味いのが手に入ったな」
乾燥物ではない、生だ。
ムニエルも川魚ではなく、これは海でしか獲れない魚だったりする。
「‥‥‥ええ‥‥まあ‥、お口に合って良かったです」
作ったのはもちろんルディだ。
肉料理や、魚介類でも学生街で仕入れた物にしておけば無難だったのだろうが、これはお隣さんのリクエストでもあった。
リリータイアは先日の臨床試験の結果、現状の回復薬の見通しが立ったことから、保留にしていた新薬の研究に没頭し、それからずっと研究室に籠もっている。
「お願いっ、ルディちゃん。この前の貝のスープが食べたいの。それとムニエルもね」
昼食を持って行ったとき、鬼気迫る顔で薬草の調剤をしていたリリータイアが、切羽詰まった声で頼み込んできたのだ。
新しい薬の製作で、いろいろと試行錯誤しているストレスが重なっているらしい。
あまり根を詰めるのも心配だというルディに、ブランはあっさりと放っておけと突き放した。
「言われてやめるような奴が、魔窟にいるものか」
非常に納得のいく答えに、ルディもさすがに止める無駄を悟り、倒れていないか、食事を持って行きながら様子を見ることで妥協する。
料理については、言われて自分も食べたくなったから、材料もあったことだし、リクエスト通りに作ったのだ。
そのお隣には、先程差し入れてきた。
「ほんとよねぇ。魚介類はやっぱり鮮度がものをいうわよね」
美味しいわと言いつつ、デューレイアは胡乱げな目をルディに向ける。
「空間収納魔法じゃ、生きたものは入れられなかったはずだけど」
「貝は酒蒸しや茹でたものを、容器に入れてそのまま仕舞ってあるから」
いわば下ごしらえの状態だ。魚も活け締めにした直後の新鮮な状態のものから、切り身に下ろしたものまで、何匹も仕舞っているという。
ちなみに、他に直ぐに食べられる作り置きも、収納庫と自分の収納空間にそれなりの量を作って入れてある。
「そっか。でもこの貝や、魚ってどこで手に入るのかしら」
川に由来する物なら良い。王都を流れる大河からは、毎日新鮮な魚が揚がるし、湖も幾つか近くにある。
しかし、これらはどうにも海の産物としか思えなかった。
王都で手に入れる手段が皆無とは言わないが、凍らせた物ならともかく、生、しかも新鮮な物とあっては普通は無理だ。
「ルディ、文句がある奴には食わせることはないぞ」
ブランの一言に、デューレイアは慌てて口をつぐんだ。
この研究室の主にして、本来ルディが食事を供したい相手の、まさに鶴の一声だった。なにしろ食材の購入費は、ブランの懐から出ていることを、デューレイアは知っている。
最初、ルディは勝手に始めたことだし自分の分も含んでいるうえに、なにより、お世話になっているからと、食費を受け取ろうとしなかった。それを、ブランが教え子に食わせてもらっては大人として甲斐性が疑われると、言い聞かせたのだ。
だから、買い物はルディがしてきても、後できちんと代金を渡している。時々、自分の好みで買った物など、頑として代金を受け取らないときもあるが、そこはルディの言い分を尊重することになっていた。
そういった事情もあるし、それでなくても、ルディはブランの言うことには、素直に従うだろう。
料理を作ったのはルディでも、ブランに睨まれれば、ここの食卓から閉め出されることは確実だった。
「や‥やーね‥‥美味しいってことよ」
あくまで自分がオマケであることを、デューレイアは自覚している。
「ああ。そうそう、これは湖で獲れる奴だったかもしれん。いや、昔のことで勘違いだな」
風向きを見て、レムドもあっさりと前言を翻した。
「自分は初めて食ったからなぁ」
さりげなくカウルスも、俺は知らないといった態度を決め込んだ。
入手方法は聞かないことにする。せっかく美味いものが目の前にあるのだ。細かいことは、見ない、聞かないと、口は喋るのではなく食べるために動かすことにする。
大体、ブランならまだしも、ルディは海に行ったことはないはずだ。突き詰めれば、怖い事実が出てくるだろう気配に、皆が知らなかったことに決めた。
「ぐだぐだ何言ってんだか。美味いから良いじゃないの」
まさしく至言だ。
材料云々に拘ることなく、相好を崩して食べ続けるネリーネに、全員が倣うことになった。




